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#100 アダムスミスの見えざる手から幸せを考える「経済は人間の営みである」

カラクリを知ることほど、不安を払拭することができる。

経済のカラクリ、税金のカラクリ、資本主義のカラクリ・・・。

日本の未来を考えるとき、物価上昇や少子化が引き起こす問題など、意味もはっきりとわからないまま耳から入ってくる言葉は不安を募らせます。

不安は幸せの最大の敵です。そして不安は「知らない」ことから生まれて恐怖をもやたします。

経済学はカネやモノの流れの話ではありますが、その根底には人間の営みがあります。その原点に立ち、古典派経済学の父であり、現代の経済学に重要な影響を与えた1723年から1790年に活躍した、イギリスの哲学者・倫理学者・経済学者、アダム・スミス(Adam Smith)の見えざる手、国富論から幸せについて考えてみたいと思います。

スミスは「国富論」の中で、「万事は市場に任せておけばよい。そこには市場の見えざる手が働いていて、最も適正な価格決定が行われている。経済効率は最大になる。」

国富論の初版は1776年3月にイギリスで出版されました。産業革命がはじまって間もない頃で、2024年の今、あれから約250年が経過しています。

なぜ今、昔の経済学の書が、私たちの幸せを考える上で役にたつのでしょうか?経済学はカネやモノの流れの話であり、数字の世界と思われていますが、経済は人間の営みなのです。

国富論はそれまで誰も取り扱わなかった経済活動のカラクリに注目し、誰も考えたことのなかった形で人間と経済のかかわりを論じました。
スミスはその当時のグローバル化、ヒト、モノ、カネの関係が大きく変わる時にこれまでの常識が通用しなくなること、従来の常識に支えられた幸せの土台が怪しくなることを見越し、不安を払拭する「解」、人々のニーズを解決するきっかけになるものを提供しました。

分業が進むにつれて私たちの仕事が単純な仕事に限定され、想像力や考える力が奪われる可能性についての警告は、今の時代にも通じます。そして国境の壁がより低くなり、分業をAIによって解決する未来があると仮定すると、私たちには「人間しか行わない経済活動」について国民の富の性質と原因について研究しているのが「国富論」です。

スミスは反骨と質実剛健なスコットランド人であることも私の興味をそそります。
おいしい話を検証し、権力者に対して明らかにする姿勢。しかし国富論の前に書かれた『道徳感情論』を読んでいると、共感こそが人間社会の根幹にあるという、経済活動は道徳的であってこそ、共感性が強いほど、経済活動として徳のある社会を実現することができるということを伝えてくれています。

「幸せ」の定義は幅広く、それ自体があいまいなもので、安心、安らぎ、心地よさ・・経済的安定、精神的な豊かさなど一言では言い表せません。

資本主義が目指すところは、おそらく自分が最後にひとり勝ち抜けることかもしれません。
自分がお金持ちになるには、他の誰かが貧しくなっている構図があるとしたら、富が自分だけに集中したら再分配するように、お金ややさしさや経験、教育を次の世代に還元したいと考えたい。

道徳感情論の中で、「幸運とは心の平安と喜びにある」そして富や地位は求めてもよいが、個人に普遍の幸せを与えることはないと述べています。

スミスは金銀財宝の量に富の源泉を見出す重商主義を否定し、労働によってこそ価値が生まれると労働価値説を展開しましたが、今日の私たちの資本主義、経済活動において、ブラックな環境で人間の価値が見えにくい働き方や技術の進歩によるAIの活用、グローバル化の未来で、人間のための経済活動に、あらためて「経済は人間の営みである」ことを、そして交換を成立させるにはお互いを認めあうこと、心の大切さに警笛を鳴らしていたのではないかとさえ思うのです。

「人の中に価値の源泉があります」

そして

知は力なり。経済のカラクリ、税金のカラクリ、資本主義のカラクリ・・・
カラクリを知るほど、不安を払拭することができます。

学びで人生に選択を!

一歩踏み出すあなたを私は応援します。

HOME|富裕層専門の起業税務コンサルタント・税理士 森田貴子 (willshine.jp)


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