安田

「老人と若者」や「家族とソロ」を部族のように二項対立論で語っても何の意味もない。

FOR2035 来るソロ社会の展望を語るVol.1。大阪大学大学院経済学研究科准教授安田洋祐先生との対談後編が公開されました。

・ソロも高齢者も、社会的役割を感じながら自己肯定できる社会に

・ソロ社会における人の関係性、コミュニティの在り方とは?

について語っています。


安田 高齢化社会ってネガティブなイメージでしかあまり語られませんが、ある意味で人類の成熟度が試されるというか、自分たちのやりたいことをどこまでできるかだと思うんです。過去の人類史にはない、新しい充実した生き方ができるかどうかというのは、チャレンジングな課題だという気がします。
安田 豊かなソロ社会っていうのは、ソロでありながら、年齢を超えたいろんな人との出会いがあって、コミュニティの一員だと実感できる社会だと思うんです。でも、それって結局は、ソロであるかどうかと関係なく、すべての人々が豊かさを感じられる社会のような気がします。豊かなソロ社会の実現を目指すことによって、社会がみんなにとって豊かなものに変わっていくと良いですよね。

さすが、いいことを言います、安田先生。

テレビでコメンテーターしている人たちでも、安田先生のような柔軟な考え方ばかりの人ではなくて、「何時代の人だよ?」みたいな古い固定観念に縛られている人が多い。かつての職場や地域という共同体が安定していた時代はそれでねよかったかもしれません。でも、もうそんな共同体は消えてなくなりつつあります。「老人と若者」や「家族とソロ」を部族のように二項対立論で語っても何の意味もない。

大体において「若者」とか「世代」という言葉を使うやつに限ってジジイ・ババアだったりするんです。年齢とか世代論とか関係ないから。そんなものが関係あったのは、皆が同じ歳に結婚して子どもを産んだ「右ならえ」時代までのこと。社会は個人化しているんです。

「個人化する社会」が不可避なものであることをひとりひとりが認識すべきです。家族がいようがいまいが、私たちはまずひとりひとりが自分の足で立つということを覚悟しなければならない。家族だけが唯一頼れる最後のセーフティーネットだと思っているから、老老介護や認認介護のような問題に対処できなくなるんです。

「家族の絆なんてどうでもいい」とかいうことを言っているのではない。だが、家族の絆に縛られているとかえって共倒れになりますよ。 

誰にも頼るな、なんて言ってない。頼れる先を家族だけに求めるなってこと。

それこそが未来の人との関係性であり、希望なんです。


是非ご覧ください。



前編はこちら↓


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