三島由紀夫のことば (2)

三島由紀夫はこんな言葉を残した。

「人をきらふことが多ければ多いだけ、人からもきらはれてゐると考へてよい。」

これはあながち間違いではない。
むしろ真理とも言える。

私には嫌いなものがたくさんある。

まず、男。女を見下し、男の方が優れていると信じて疑わない男。暇さえあれば欲情し、どんな女にでも汚い性的な目を向ける男。電車では脚を広げて余計なスペースを取り、女に接近する男。若い女だからという理由で舐めた態度をとってくる男。老人も嫌いだ。新しい価値観をアップデートせず、過去の栄光や固定観念に縛られている老害。何かに挑戦しようとする若者や子供の邪魔をするのはたいてい老害である。役所やコンビニのレジでもたつき、マスクから鼻を出してデカい声で喋ってる老害。はっきり言って邪魔、汚い。次に、女。恋愛の話や噂話、ブランド物、流行りの娯楽にしか興味がなく、自分の感性を持っていない女。整形、金、見栄、SNSに執着するバカ女。知性も意見も感性もないつまらない女ども。男に媚を売ることでしか生きられない女。誰かと一緒にいないと、授業を受けたりお手洗いに行ったりもできない女。結婚することが女の幸せだと信じて疑わない、精神的自立ができないバカ女。露出して金を稼ぐ女の下品さといったら、それに釣られる男も然りだ。TwitterもInstagramもYouTubeも何もかも嫌いだ。他人の幸せに文句をつけ、粗探しをすることしかできない暇人クソニート共。働け。己の意見が正しいとばかり主張する視野激狭エセインテリ。女をバカマンコ呼ばわりする高学歴陰キャラ。みんな嫌いだ。どうせみんな自分語りをしたいだけだ。港区が何だ?高学歴が何だ?商社、タワマン、ラウンジが何だ?全部虚構でできている。どこがエンターテイメントなんだよ。皆承認欲求でしか動けない。誰かと比べないと生きていけない。楽して金を稼ぐためならどんな手だって使う汚い奴らしかいない。気持ちが悪い。人間は汚くて醜い。

人を嫌うことが多ければ多いだけ、人からも嫌われる。そうだよ。それでも、私は嫌われ者で構わない。汚くて醜くて知性もないバカ、私の感性や知性を理解できない奴らに好かれるくらいなら、初めから嫌ってやるさ。この世界に生まれたことが間違いだった。

人間には本当の美しさは宿らない。整形しても本物の美しさは手に入らない。人工的な顔で癒されたり興奮したりしない。美しさは太陽、月、水、すなわち自然にある。私は自然しか信じていない。