50歳の隠居暮らし。「期待以上」ではなく「想定外」の暮らしを大切にしたい
先日、50歳になりました。
その記念すべき誕生日祝いは、わたしが立ち上げた新しい住まいの形「ギルドハウス十日町」にて、今までと変わらずささやかに思い出深く、楽しく過ごすことができました。
とくに思い出深くて想定外だったのが、過去6年のあいだいっしょに暮らしたことのある元住人たちのビデオメッセージ。それを現住人がいつのまにか企画し、かき集め、サプライズで披露してくれたのでした。
あと、なにかと面倒なご時世のためにお祝いに行けなくてごめんなさい!というひとからすてきなバースデーケーキが届いていたんです。
そこでうかつにも感動して泣きそうになりました。なんだかそのひとたちとのいろんな思い出が頭に浮かんできてしまって。
あらためて、わたしはここでいっしょに暮らしたり出会ってきたひとたちに恵まれていたんだなと思いました。
さて、わたしの40代はまさに激動の10年間でした。
ちょうど40歳を迎えた2011年。それまで20年近く続いていた会社員時代が終わり、とにかく働き方を変えたくて当時まだ少なかった全国のコワーキングスペースをめぐる旅が3年以上も続くことに。
そしてその旅路で出会った方々との協働を経て、いつのまにか働き方だけでなく生き方までも変容し、いつの日からか自分の場を持ちたくなって。
ついには新潟県の十日町市(とおかまちし)という中山間地域にある空き家にたどりつき、そこで全国旅の集大成となるギルドハウス十日町を設立。80名以上と共同生活を営みながら延べ8,900人以上の訪問を受けてきました。
いまやすっかり隠居暮らしが板に付き(と思っているのですが)、相変わらず日々巻き起こる想定外の日常をまったりと楽しんでいます。
わたしがこの激動の40代で得た生き方。
それは「じぶんの日常に9割の余白を持たせること」。
計画的なのは1割だけでいい。残りの9割に想定外の出来事がたくさん舞い込んできて、それによって死ぬまで楽しく暮らしていくことができるはず。
そう思っています。
今回の誕生日だって、そう。
とりたててイベントとして広く告知したわけでもない。そもそもカレンダーには「誕生日パーティー!」などと書いてあるわけでなく真っ白でした。
ところで、顧客を相手に商売を営む業界では「期待以上」が大切だと聞いたことがあります。
「期待通り」ではなく「期待以上」のサービスを提供することで顧客の満足度が飛躍的に高まり、しいてはサービスを提供する側と受ける側との信頼関係が醸成されていき、それが強力な顧客=ファンを増やすことにつながって、いずれはそのサービスが有名ブランドのようになっていく、と。
わたしはその「期待以上」とけっこう真剣に向き合い、会社員時代では無我夢中に働いたものです。
べつにそのことが悪いとは言いません。ただ、顧客を第一に考えるあまり自らをおろそかにしていたのだろうと思います。
かえってそのことが自分に無理を強いることとなり、気持ちに余裕がなくなって、顧客をはじめ周りのひとたちにたくさんの迷惑をかけてきました。
とにかく、わたしは未熟でバカだったということです。
(まあ、50歳になった現在も変わらず未熟でバカなんですけど)
けれど。
そんな「期待以上」の忙しさと決別して「想定外」を大切にしてきたわたしの40代は、いままでで一番楽しいものでした。
この10年間、9割の余白の時間に舞い込んだ、すべてのひとに感謝を。
わたしの50代も。
ひきつづきソーシャルな隠居として。
余白の時間をたっぷりと纏う古民家の茶の間で。
いろんな “まさか” が舞い込む。
そんな日常を楽しみにしています。
よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。