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それでも、あくまで《住まい》として。

2020年も4月に突入しました。

新型コロナウイルス感染症の拡大に対し、いよいよもって政府から特措法に基づく緊急事態宣言が出されるのではと噂される今日この頃。

知人のゲストハウスなどが次々と一時休業や閉店に追い込まれるなか、さてさて、わが家「ギルドハウス十日町」は相変わらずです。


毎日のように人の出入りがあり、見学したいという連絡もあります。

いまのところ夏までには住人が12名くらいになりそうです。

つい昨日も、洗濯機をゆずってくれた方々がいらっしゃいました。ちょうどいま使っている洗濯機が調子悪くなっていたので大感謝です。

また、集落のお手伝いに行ったのですが、わたしと妻の生後3か月になる赤ちゃんの顔を見たみなさんから改めてお祝いの言葉をいただきました。そういえば出産祝いに洋服やお米などをいただきました。ご近所さんに恵まれていることを実感しています。


わたしは、ギルドハウス十日町があくまで《住まい》であることにこだわっています。

住み開き、という基本コンセプトを選んだのもそうした理由からです。

シェアハウスやゲストハウスにあるような賃貸契約やチェックイン/チェックアウトなどといった所作を含め、サービスの提供者と受ける者の関係性を結ぶような要素はできるだけ排除しています。


あくまで住まいであることにこだわる理由は、いくつかありますが、とにかく「死ぬまで楽しく暮らす」というのが最大の目的です。

死ぬまで...そんな持続可能な暮らしのためにどうあるべきかを考え、3年以上も全国の場を暮らすように旅し、多様な知見からそぎ落とし尽くして出た結論が、けっきょくは《住まい》であること、でした。


しかも、ただの住まいとするのではなく、じぶんの住まいに「ギルドハウス十日町」という名前やコンセプトをつけて、これまで経験してきたあらゆる場の遺伝子や100個以上の仕掛けと同時に発信していきました。

そうしたら山奥の限界集落にある一軒家にもかかわらず、この5年間で全国・海外から延べ8,300人超の訪問を受けるまでになり、常に10名前後の住人たちと共同生活をしながら、テレビの全国放送や全国誌、書籍などに取り上げられるまでに至りました。


と同時に40歳代でセミリタイアし、自称「ソーシャルな隠居」という生き方に変わりました。

ソーシャルな隠居とは、働いているという意識がなく、のんびり隠居しているはずなのに、世間や人とのつながりがより一層広がって、気の向くままにソーシャルな取り組みに参画したりして刺激の多く楽しい、そんな毎日。そして、じぶんが老いても誰かしら周りにいて、死ぬまで楽しく生きていけたら。そんな想いでチャレンジしている生き方です。

最近では、第一子が産まれました。わが家に出入りするみんなのおかげでワンオペになることもなく、無理なく自然体で子育てを楽しめています。元住人たちが代わるがわるやってきては抱っこしてくれたり...。

...うれしいものですね。


いまやギルドハウスは、わが家を本家として、全国各地に少しずつ増えました。ギルドハウスと冠さずとも、仲間たちがいろんな場をつくっています。それらは、一過性のインバウンド(海外からの観光客)需要を頼みとする宿ではなく、チェーン店や民泊ネットワークとも一線を画しながら、まるで親せきのような関係性を持っています。


そういえば、妻がことあるごとにつぶやきます。

「うちが宿とかじゃなくてホントによかった」

と。


外出自粛などといった、新型コロナウイルス感染症の一連の出来事が、まさにこの《住まい》にこだわることの重要性を再認識させてくれています。

いろんな方々がさまざまな行動を起こしていると思いますが、わたしは住まいという視点からじぶんの出来ることをします。

そして、そんな自らの行動を伴う方々の、小さくとも身近な社会どうしがつながっていけば、どんな課題も解決していけるのではないでしょうか。

そう、思います。

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