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野菜を摂るように、自然に触れよう。東大・曽我昌史准教授に聞く、花や自然と、ウェルビーイングの関係

花屋さんで花を選び、お気に入りの花瓶に飾る──素敵な生活だけど、「忙しくて植物の面倒は見れない」という人も多いはず。
 
しかし……
 
「自然体験は決して嗜好品じゃなくて必需品。自然を摂取した方が健康に良いんです」「緑のある場所にわざわざ行くのは難しくても、窓から見える緑や、部屋に飾る観葉植物や花も、すごく大事な自然体験になります」
 
そう教えてくれたのは、東京大学准教授・生態学者の曽我昌史さん。生物多様性の保全や、その喪失が人間社会に与える数々の影響について研究しています。
 
自然に触れると、人間にどんないいことがあるでしょうか。「お花とウェルビーイングのいい関係」をテーマにお話を伺います。

自然の恵みがもたらす「便益」に注目した理由


──曽我先生は生態系の保全や、人間と自然の関係についてご研究されています。自然がもたらす便益に興味を持たれたのはなぜでしょうか?

僕は小さい頃から蝶が好きで、今でも標本のコレクションがたくさんあります。小学校の担任の先生が自然好きだった影響で、学生時代はずっと生物系の部活に所属してきました。生まれ育った墨田区は東京23区で下から数えた方が早いほど緑被率が低い場所なので(笑)、先生との縁に感謝ですね。
 
だから僕としては当然、動植物を守っていくにはどうすべきかという問いを考えたくなるし、生態学者の多くはそうだと思うんです。しかし、実際のところ「生き物を守ろう」「環境を大切にしよう」と正面から呼びかけても社会ってなかなか変わっていかないんですよね。
 
それで、自然の恵みが人間にとってどんな「便益」があるのかという切り口でも研究を進めているところです。便益を示さないと保全が進まないのは僕としては切ないことではありつつ……
 
生態学の人たちというのはこれまで自然しか研究してこなかったんですが、人間との関係となると、心理学、公衆衛生、都市計画など、広い視座を持つ必要があって、異なる領域の人たちと横断的に協働していくことが求められます。

緑が「目に入る」だけでメンタルヘルスに影響が?

──生物多様性の衰退は大きな問題になっていますよね。都市部で自然に触れる機会が少ないのも、自分自身の体感としてよくわかります。それが、人間にどんな影響を及ぼしているのでしょうか?

日本だけでなく、世界中で自然体験が消失しているというのが現状です。それがいろんな負の連鎖を生んでいます。


社会の自然離れが進む概念図(提供:曽我昌史) 
自然体験が減ることで自然に対する人々の関心や保全意識が低下する(矢印A)。
こうした意識の低下は次の世代の人々の自然と接する機会や意欲を減らし(矢印B)、
新たな経験の消失につながる恐れがある。


人間のメンタルヘルスと自然の関係性に関しては、実は昔からかなり研究結果があるんですよ。有名なのが、1984年にイギリスのロジャー・S・ウルリッヒという行動科学者が発表した論文(※参考)。同じ手術を受けた患者が回復のために入院している病室で、一方は窓から小さな森が見え、一方では赤レンガが見えるという環境だったのですが、窓から森が見えた患者の方が、手術後の苦情や麻薬性の強い鎮痛剤の投与が少なく、入院の期間も短かったんだそうです。この論文が自然体験と健康の研究の火付け役になりました。

居住区の周りに緑があるかないか、自然体験が多いか少ないかによって、鬱の発症にも影響するとされています。子どもたちの鬱が増えているのも、一つには都市からどんどん緑が減っているからだという研究(※参考)もありますね。

──お話を伺っていると、必ずしも大自然のある場所に出掛けていかなくても、都市の中で緑を感じるだけでウェルビーイングにつながることがわかりますね。

その通りで、自然と一口に言っても、僕は自然保護区のようなところから人間の管理下にある都市の公園や住宅の敷地まで、多くの「自然」を研究対象にしています。もちろん、自然保護区と比べると都市の緑には珍しい生き物がたくさんいるわけではありません。ただ、たとえ都市部でも、古くから残されているような雑木林や屋敷林等には、豊かな土壌が形成されていて、まだまだ多様な生き物を見ることができます。

僕は石神井公園(練馬区)や小石川植物園(文京区)が好きで、よく行きますね。街を歩いているときに、「これはいい自然だな」と研究者の視点で見てしまうのは常で……(笑)
 
窓から見える緑の研究も、ウルリッヒの論文の他にたくさんあるんです。東京だと、緑のある場所にわざわざ行くのは時間の制約上難しいですよね。だから、窓から見える緑や、部屋に飾る観葉植物や花というものがすごく大事な自然体験になってくると思います。

自然体験は決して嗜好品ではなく必需品


──なるほど。最近、オフィスの「緑視率」が働き方改革の中で大切な要素にあげられることもあるみたいですが、その理由がわかりました。

曽我昌史さん /
1988年東京生まれ。博士(農学)、東京大学大学院農学生命科学研究科
生圏システム学専攻 保全生態学研究室 准教授。

この分野ができた頃は、自然に触れると短期的に気分が明るくなるとか、ストレスが減るとか、そういうレベルの研究が多かったのですが、近年、自己肯定感や、自尊心、QOLと自然体験がリンクしてきているということがわかってるんです。

 自然体験によって、認知機能、計算力、判断力、記憶力なども回復するという結果も出ています。(※参考1参考2

 自然やアウトドアが好きな人は休日に楽しんできたと思いますが、好き嫌いに関係なく、自然体験は決して嗜好品じゃなくて必需品。自然を摂取した方が健康に良いんです。でも、健康リスクとしての「自然体験の喪失」は、例えば塩分の過剰摂取やビタミン不足、喫煙の影響ほどの危機意識が持たれていないのが現状です。

──確かに、自然体験の有無にそこまでの切実さは持っていなかったかもしれません。

僕はもう、自然体験は野菜と同じようなものだと思うんですよ。野菜を食べる習慣を意識する感じで、自然の“摂取”を習慣づけた方がいいんじゃないでしょうか。

──野菜と一緒、というのは面白い例えですね! 花も含め、自然体験がウェルビーイングにつながるというのは心強いお話です。ちなみに先生は家に花を飾ってらっしゃるんですか?

僕は毎年、家族と一緒にヒヤシンスを水耕栽培で育てています。小さい頃、家に花が常に飾られていたような家じゃないんですが、大人になって一度飾り出すと、花がないことが気になってしまって。だから、最初のきっかけが大事かもしれないですね。一歩踏み出しさえすれば、すぐ習慣になると思います。

提供:曽我昌史

自然を「感じる力」にスイッチを入れるだけでいい


──先生のおっしゃる通りで、観葉植物や切花は忙しくて管理しきれないから最初の一歩、手が出ない、という方も多いと聞きます。

僕は、自然を求める心、自然を感じる力は大人になってからでも養うことができると思っています。

 最近の研究によれば、たとえ同じ緑地に訪れても、生き物に全く関心を払わない人よりも、関心を払っていろいろ気づく人の方がより多くの癒し効果を得るということが分かっています。(※参考

 だから、自然に触れていたとしても、ただぼーっとしてるだけじゃダメで。逆に、いろんな動植物がいるんだと「気づくだけでいい」とも言えます。

──意識をちょっと変えるだけでウェルビーイング上手になれる、ということかもしれません。

そうですね、意識の問題です。生き物の種類や名前に詳しいとか、そういう知識が必要だとは、あまり思いません。大事なのは自然を「感じる力」です。

東京大学の農学部がある弥生キャンパスの正門。
キャンパス内は緑や木が多く、近隣住民も訪れる憩いの場にもなってる。

目で楽しむだけでなく、嗅覚も刺激する花の魅力

──花の国日本協議会では、花に触れたり、贈り合ったりすることで幸福を感じる効用に「ビタミンF」(F=Flower)と名付けています。曽我先生ご自身は、花に関する幸せな記憶、ご経験はありますか?

自然体験も、海外で「ビタミンG(G=Greenspace:緑地)」と呼ばれることがありますよ。

──やはり、自然に触れることの大切さは世界的にも重要視されているんですね。

特別な体験と紐づいているわけではないのですが、金木犀の香りを嗅ぐとふっと祖母の顔が思い出されます。香りってすごくインパクトがありますよね。僕は冬の時期にずっと「早く春が来てほしいな」と思っているので、梅や蝋梅の香りを感じるとウキウキしてきます。

 これまで自然体験は視覚からの研究が多かったのですが、最近では、植物の香りや土の匂いを感じたり鳥の鳴き声を聞くとリラックスするという結果もあって(※参考1参考2)、五感を使って体験するというのは大事です。

 窓から見える緑に香りはありませんが、屋内に置く植物は嗅覚がすごく刺激されます。ですから香りという観点からも、部屋に飾る花はとても大事なファクターを持っていると思いますね。


〈企画・編集〉南麻理江(湯気)
〈インタビュー・テキスト〉清藤千秋(湯気)
〈撮影〉丹野雄二
〈協力〉芽inc.、花の国日本協議会

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