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UFOが空から舞い降り、実在が論理に先行する(現実をつかむ 2)

UFOが地球の空を自由に飛行している(!?)。そのまだ名前を与えられてない名もなきものたちが世界を跳梁し、世界は黒と白のクリアなものから、灰色のものたちが漂い乱舞する混濁に変容してゆく。

名前なきものたちが存在しないというわけではない。言葉が与えられてないからといって、言葉が見つからないからといって、それが存在しないということではない。論理的にありえない、そのことはそれが存在しないという理由にも根拠にもならない。それを言い表す適切な概念が見当たらないといってそれを抹消してはならない。それを無視してはならない。その存在から目を背け知らないふりをしてはならない。その出来事を合理的に説明することができないからといって、必ずしもその出来事が嘘や幻想や妄想であるというわけではない。それが如何に非現実的で不合理で非論理的であったとしても、そのことがそれが存在しないという根拠にしてはならない。

だが、しかし、それは不合理なもの論理的でないものがこの世界の中で不合理のまま論理的でないまま、いつまでも永続的に存在し続けるという意味ではない。それらは未来の論理を、未来の言葉を待っている存在であるということだ。現在の過去の既存の論理と言葉ではその出来事を描写し記述することができない、あるいは、困難であるということである。それはまた、それを指し示す言葉が存在しないことで、その物事は共有されることなく個別の中に留まり、現実という呼び名の一歩手前で佇む。それらは半現実的個別的現実という非現実であるということだ。現在の不合理は未来の合理であり、現在の非論理は未来の論理であり、現在の非現実は未来の現実である。それらは暫定的で一時停止的な不合理であり非論理であり非現実として現実の中に実在する。

しかし、その不合理と非論理と非現実は日々更新され次々と入れ替わって行く。新しい不合理が新しい合理となり既知の論理へ組み込まれて行く。そして、また新しい不合理が生まれる。つねに更新される不合理と合理。だから、人にはこの世界は黒と白に鮮明に区分けされたものとして見えることはない。黒と白と黒でもなく白でもない灰色。この世界は非合理と合理、あるいは、非論理と論理、さらには、現実と非現実が入り交じり混融した意味と無意味のモザイク世界なのである。既知の言葉で掬い取れなかった出来事が、新しい言葉で掴み取られ既知の言葉の中に織り込まれ、再び、その言葉から何かが零れ落ちてゆく。未知の言葉でしか掴めないものが零れ落ちてゆく。

だから、わたしたちは不合理と非論理と非現実を怖れることなく、その見通しのきかない、既存の言葉も論理も通用しない黒と白と灰色が雨のように降り注ぐノイズの満ち溢れた鮮明と混濁の入り合わせられた世界をくぐりぬけなければならない。それが如何に不合理で非論理的で非現実的であったとしても、それらが存在していないわけではないのだから。

もしかしたら、それはわたしたちを光の中に救出する大切なものなのかもしれない、あるいは、闇の中に引きずり込む恐るべき脅威なのかもしれない。それらから目を背けるな、それらから耳をふさぐな。目を凝らせ、耳を澄ませ。その茫漠としたいまだ名前を与えられていない灰色のものたちの姿と声をつかまえなければならない。

「実在は論理に先行する。」(テーゼとしてこれを記録することとする。)

この世界が合理と論理と言葉と現実だけで成り立っているわけではないことを知らなければならない。不合理と非論理と非現実と合理と論理と現実によって作り出された、この世界の黒と白と灰色の混沌を泳ぎ渡り現実をつかみとれ!

(その1)ブラックホール 実在は論理に先行する事例のその1

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実在は論理に先行する事例として。二つの事柄について。一つは凄く真面目な難しい物理学から。「ブラックホール」。それは光さえも重力によってそこから出ることができない特別な物理的存在。アインシュタインの重力理論から予測され多くの科学者にその存在が認識されてきた。そして、2019年4月、とうとうその姿が写真に撮影された。ブラックホールの実在は疑いのないものになった。雪男みたいな扱いはこれでおしまい。しかし、それを論理的に語ることはできない。それを記述する言葉も論理も存在しない。既存の物理学では描き出すことができない。何もかも吸い込んで、それでその中は実際のところどうなっているの? 吸い込んだ物質は何処へ行ったの?(分からん!)不合理で非論理的で非現実的存在としてのブラックホール。もちろん、数多くの仮説は存在する。ホーキングをはじめ多くの仮説はある。でも、仮説は仮説である。少なくとも、私の想像力の倉庫の中にはブラックホールの内部を描写する言葉も概念も論理も見当たらない。でも、でも、それでも、それは実在する。それは確かだ。私の想像力の向こう側に存在する不合理な実在。救い(!?)はそれが遥か彼方の宇宙に存在していて私の隣に存在しているわけではないということだ。幽霊みたいに私のそばに現れるわけではない。いまのところは。私は今日もブラックホールのことを考えなくて眠ることができる。はあ、よかった。おやすみなさい。ブラックホールは私の夢の中にも登場しない。

(その2)UFO 実在は論理に先行する事例のその2

もう一つの「実在は論理に先行する」事例として。UFO。地球に訪問しているエイリアンが乗る飛行船としてのUFOかどうかは別として。最近のアメリカでのUFO関連の一連の報道をテレビで見て、「相当に」、私の中のUFOの印象が変わってしまった。私はこれまでUFOはフィクション(金儲けのために意図的に作られた物語や虚栄心を満足させるための物語も含めて)か錯覚か勘違いか思い込みか誤解か妄想か病理的な事柄か、あるいは、未知の気象現象(本記事の終わりに書いたスプライトのように地球上には未知の大気中の物理現象がまだ多く存在している。稀に目撃はされているけれどもメカニズムが不明な発光現象とか。知らないだけで)と思っていた。アメリカ軍の公開した映像を見て、「うん?・・・これ、ちょっと、・・・待てよ」と。多分、レーダーの信号処理上のゴースト(感度の良いセンサが受信する信号の中からノイズとノイズ以外ものを判別することは簡単そうで凄く難しいことだ。砂嵐の中で道を見つけるように。)も混ざっていると思うけど、何かもっと別の可能性もあるのかもと。さて、あれは、何だろう? 未確認空中現象(UAP)。でもまだ、「実在は論理に先行する」事例として挙げるには早すぎる、かもね。

(その3)UFO的発光現象としてのスプライト

UFO的大気中の発光自然現象としてのスプライトについて書かれてある本。NHKでその映像が放送されたけど、初めて見た時は度肝を抜かれた。NHKのビデオ・オンデマンドを利用すると今でもその映像を見ることができます。(「宇宙の渚」というタイトルのDVDも幾つかあるようです。私は見ていないので内容は定かではありませんが。)分かったつもりとか知っているつもりとか先入観とかを持っていると勘違いしてしまうと思った。この本は素晴らしいので、いずれこの本とスプライトについてnoteに記事を書いてみたい。理由は自分でもよく分からないが私は発光現象がとても好きなんだ。虹とか火の玉とか鬼火とか。空中に浮かぶ光がとても好きなんだ。

JAXA(宇宙航空研究開発機構) 宇宙ステーション きぼう 広報・情報センター 「ISS・きぼうマンスリーニュース第15号」(2014年6月25日)

高高度放電発光現象の発生形態の図解より引用

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