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交渉

交渉が始まったときにはすでに決着はついていると思った方がいい
どれだけ情報を手元に持てるかだけが勝敗に干渉できる

最終的に利害が一致しなかったときには戦おう。
刃物ではなく言葉で引き裂いて、骨ではなく信念が折れたら負けの簡単なルール。三方良しやらWin-Winやら、そんなものは幻想だ。偶然の産物だ。

「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり。察せざるべからず」
(戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。よく考えねばならない)

孫子 / Wikipedia

孫子の兵法を解釈して「戦わずして勝つ」ことだと説くものもいるが、これは解釈違いだ。勝つことが良いと思っている時点で負ける可能性も持つ。
本質は勝つことではなく、戦わないことだ。

どんなに理屈をこねても心を動かすことはできないし、どんなに手なずけようとも噛みつかれることもある。
交渉において大切なのはどんな結末を迎えるかを明確に絵に描くことだ。

絵を描くためには情報がいる。
対象はどんな顔をしているか、どんなことが起因になって何を考えるか、どのように物事をとらえるか、何をもって最良とするか、どう事を運べばその結末に最短で辿り着くことができるか。
頭で考えても相手のことはわからない。理解するためには足を運び、時間を共有し、心を開き、会話する。
不慣れなものほど奇をてらうとは言ったもので、最初から外堀を埋めることばかり考えるのは策がないと言っているようなものだ。もちろん最初から策はない。策を練るために情報を集める。

今ではその限りではないが、インターネットの本来の目的は軍内の情報共有にある

実のところ、情報を集めていけば戦う必要がないことがだいたいわかる。
利害が対立することはあるが、直接的に対決を必要とするものは限定的だ。
競合他社に直接乗り込んで自社製品を説明して回る人は(常識の範囲では)いないように、本来多くの衝突は避けて通ることができる。
抜き差しならないと思い込んでいるだけで、情報が足りていないのだ。
理解が足りていないのだ。

だから交渉が始まってしまえば、その時点で勝敗は決まっている。
いずれかが勝ち、いずれかが負ける。どちらかの希望が通り、どちらかは煮え湯を飲む。そして表面上は決着がついて通ったり折れたりして仕事が無事に遂行されるように整えられるが、受けた傷はお互いに忘れることなく、決して埋まることのない禍根を残してしまう。
わたしがもうその人に会うことがないのならそれでもいい。しかし世界は狭く、こと会社など仕事の世界はさらに狭く、次もその人と仕事をする未来が確定的に存在する。今回は勝てたけれども次に復讐されるのでは、おちおち枕を高くして眠ることもままなるまいよ。

最後の最後まで交渉はしない。戦わない選択肢が必ずある。
一時の勝敗をつけようとすれば自分の首が閉まるだけだ。
人間は貸し借りなど高尚な生き物ではない。人間は素直に自分の非を認められるほどやさしくできてはいない。

ただそこには獣が二人。
殺し合うだけが性なのだとしたら、なんと不器用な生き物なのだろう。

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