見出し画像

【就活体験記】毒親育ちの早大生が、就活で100社以上落ちた、という話。(2)

前回の話はこちら。

さて、当時の私の状況をまとめると、ざっとこんな感じだ。

・今から18年前、2006年度の就活戦線。大学5年の春。
・大企業ばかり受けていて、50社ぐらいお祈り済み。インターンは参加せず(そんなものの存在自体知らなかった)、説明会などに参加した企業は既に全滅。
・早稲田大学文学部卒(予定)。バンドサークルに所属。特技は楽器が弾けること。資格は英検2級と普通自動車免許のみ。
・大学生活は不真面目に遊び倒し、単位が足りなくて留年中。
・地方出身で一人暮らし。留年に伴い仕送り減額。生活費確保のために就活中もアルバイトを継続。
・就活の話が出来る友人ゼロ、同期や先輩ゼロ、コネも勿論ゼロ。
・就活の情報源がリクナビのみ。
・学歴さえあれば、どこでも就職出来るはずだと思い込んでいた…が、流石にそうではなさそうだと気付いて焦り始めた。
・業界研究やエントリーシートの書き方など、就職活動に必要な勉強を全くしていない。企業研究は、受ける企業が多すぎてHPを見るだけで限界。
・やりたい仕事も入りたい企業もない。
・企業への志望動機は「作家になりたいので、その踏み台にしたい(とは流石に言えない)」「人見知りだから営業や接客業は嫌だ」「なるべく大きい企業の正社員になりたい」しかないので、常に全部でっち上げ。

お前はもう詰んでいる。
ケンシロウにそう言われても仕方がない状況である。

それでも大学のキャリアセンターという場所は、就活中の悩める子羊のための場所のはずだ。きっとこんな私にも、ここならきっと入れる企業がありますよ、と教えてくれるに違いない。
そう思って、私は初めてキャリアセンターに足を運んだ。

「もう少し早い時期に来ていただければ……今からですと……例えばその、エントリーシートをお持ちいただくとかであれば拝見して、意見を差し上げることは……その、一応はですね、出来るのは出来るんですけれども……」

お前はもう詰んでいる。
精一杯オブラートに包まれてではあったが、沈痛な面持ちのおばさん職員に改めてそう宣告された私は、途方に暮れた。

受けたい企業が、いや、元々入りたい企業もやりたい仕事もないのだが、「受かりそうな業界、受かりそうな企業」の見当が全くつかない。
人手不足という意味で言えば飲食業界、あとはIT業界だろうか。
サークルで割と親しくしていた、同じ文学部の二人の先輩は、ラーメン好きな先輩はラーメンチェーンに、陰キャの標本のような先輩はITに、それぞれ就職したはずだ。食の分野には興味が微塵もないし、人間が嫌いなので接客業は避けたい。パソコンなら一応(主にネットゲームで)ずっと触ってきたし、そっちならワンチャンあるだろうか。プログラミングとか全然分からないけど。

そう考えた私は、ようやく「応募する企業の規模を下げる」というごく当たり前の選択をするとともに、IT関係の採用情報を漁り始めた。同時に、これまで避け続けてきた営業職も候補に入れて、数うちゃ当たるの「数」を確保しようとした。
「営業職」を受け始めると書類選考の通過率は上がったが、はっきり体感できるほど、圧迫面接を受ける確率も上がった。

「で、君に何が出来るの?」
「そんなんじゃやってけないよ?分かる?」
「なーんか暗いんだよね。やる気あんの?」

うるせぇクソが。何も出来なさそうな暗い奴だと思ったら黙って落とせよ。こっちから願い下げだ、お前らみたいな人格破綻者が上司になるかもしれない会社なんて!!

必死に笑顔を保ちながら地獄の面接をやり過ごし、帰りの電車で内心毒づいて何とか留飲を下げる。そんな日々は、確実に私の精神をすり減らした。

金もなかった。
減らされた仕送りを補うには、バイトをもっと増やさねばならない。それは頭では分かっていたが、面接の予定が入ればバイトは休まざるを得なかった。
面接に行くには交通費もかかる。片道数百円の電車代を捻出するために、食事を抜く日が増えていた。効果があるのかないのかも分からない説明会に参加するのは、もう諦めるしかなかった。
ストッキングが伝線する度に泣きたくなった。男に生まれれば良かった、ストッキングを買わなくて良ければ牛丼が買えたのに。そんな詮無いことを考えながらも、ストレスを理由に煙草はスパスパ吸い続けていたし、自炊も滅多にしていなかった。生活能力がないというのは、すなわちそういう事なのである。

雨の日は特に気が滅入った。濡れて鬱陶しい傘、窮屈なリクルートスーツ、足が痛むパンプス、ただでさえ嫌いなストッキングが濡れて張り付く最悪な感触、大っ嫌いな化粧に増え続けるニキビ、空腹、そして疲労。
帰宅ラッシュの満員電車も、ジーンズとTシャツにエレキベースを背負って乗っていた時は痴漢になど遭わなかったのに、リクルートスーツだと、下半身を密着させてくる男性にしょっちゅう遭遇した。舐めやがって、という憤りは、回数を重ねて慣れるにつれて、ひたすら鬱々とした無力感や諦めへとすり替わっていった。

――線路って、こんなに綺麗だったんだなぁ。

雨に濡れ、街灯に照らされた線路が踏切の赤い点滅を反射して、息を吞むほど綺麗に見えたのは、連敗記録が80社を越えたあたりだったと思う。濡れた鈍色の金属はきらきらと魅力的に光っていて、そのまま吸い込まれそうな気がした。美しいカーブを描くレールのどこまでも交わらない二本の線が、どうしようもなく愛おしく感じて、線路に寝転がりたい、あのレールに頬ずりしてキスしたい、という衝動に駆られた。

やってみようかな。いや、雨だしスーツが濡れちゃうか。
でも、なんかそのぐらい、どうでも良いような気もするな。
どうせどこも、雇ってくれる所なんかないんだし。別に死んだって、構わないかも。

――あ。でもそういえば、死ぬんだったらコーンポタージュ飲みたいな。
お腹空いたし。最近飲んでなかったし。

そう思って線路から目を離して見回すと、10mも離れていないすぐ近くに自動販売機があった。ちゃんと、コーンポタージュも。
財布の心配すらどうでも良くなっていた私はそれを買って、中のコーンが一粒たりとも残らないように全神経を集中して飲みながら歩き、飲み終わる前に自宅に着いた。靴を脱いで残りを飲んで、そのままの流れでストッキングとスーツを脱ぎ捨て、顔を洗って化粧を落とし、部屋着に着替えてベッドに寝転がってから、「それにしてもさっきの線路、綺麗だったなぁ」と思い返して、はたと気付いた。

――あれ。もしかして自分、死ぬ所だった?
いや別に死ぬ気だったわけじゃ……でも線路に寝転ぶ気満々だった……のは……え、結構ヤバい?

別に日頃から死にたいと思っていたわけでも何でもない。だが、さっきの私は間違いなく、本気で雨に濡れた線路に寝転んで、猫が飼い主にするようにレールにスリスリしたいと思っていた。するつもり満々だった。

――いやいやいや。ヤバいな、シャレにならん。ダメだ、ご飯食べないと。

コンポタのカロリーによっていくらか正常な思考を取り戻した私は、たまに聞く「過度のストレスによる発作的な飛び降り自殺」という事象がどのようにして起こるのかを理解した。そして以後「雨に濡れた線路や、それに類する何かがやたらと綺麗に見えた時は、とりあえず最優先でコンポタを飲む」とルールを定めることにした。
このコンポタルールはその後、システムエンジニア時代も含めて、私を何度も雨の線路や、高層ビルの夜景から引き留めてくれた。コンポタは私の命の恩人となったのである。

ストレスのたまる時期に空腹は良くない。非常に良くない。声を大にして言いたい、メンタルがヤバい時期に飯を抜くのは、それ自体が自殺行為である。
就活中の若人たち、特に一人暮らしの人に言わせて欲しい。内定が取れなくても飯は食え。アラフォー主婦となった私がこの長い記事で伝えたいのは、何よりもこの部分である。
大事な事なのでもう一度言う。
内定が取れなくても飯は食え。食えないならコンポタを飲め。

そんなわけで、辛くもコンポタのお陰で命を繋いだ私は、何とか就職活動を続けることが出来、アラフォーの今も生きている。
コンポタは世界を救う。富士の樹海にも是非、10m置きにコンポタを置いて欲しいものである。

<(3)へつづく>

この記事が参加している募集

就活体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?