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物語『白い雲の上で』

 「生きづらさ」に悩んでいる人たちに、「迷い・悩み・苦しみを乗り越えるライフ・スキル」をお伝えする物語。
「世界一のライフ・スキル」4つとは、
1 正しい目標(『ほどほど、普通』)を設定する。
2 本当の自分は何者かを知る。
3 自分に与えられた役割(自分のミッション)が何かをはっきりさせる。
4 行動の結果について期待せずに、自分のミッションを遂行する。
 ブスで貧乏な「私」(女子、23歳、山本ユキ)は臨死状態になり、守護霊から生き返らせてもらいます。願いをかなえてもらって、超美人・大金持ちにしてもらいますが、それでも満足感は得られません。どうしたら幸福になることができるのか・・・「私」は、守護霊から「世界一のライフ・スキル」を4つ教わります。その結果、「私」は自分の境遇を受け入れて、強く生き始めることができるようになります。
 


第1章 私は白い雲の上に立った

 私の名前は、山本ユキ。今、23歳で、独身。千葉のアパートに住んでいる。でも、職場は東京の下町にあり、中小企業の事務の仕事をしている。
私が臨死状態になったのは、4月28日の朝だった。
その日、私はいつも通り、6時に起きた。そして、いつも通り、洗面所に向かった。なにもかも、いつも通りだった。
朝、鏡を見るたびに、ため息がでてしまうのも、いつも通り。
鏡に映っている女の子は、キツネのように目が細くて、顎のぜい肉はブヨブヨにたるんでいる。髪の毛はくせっ毛で、ボサボサ。身長150センチのチビで、体重は69センチの巨漢。いつもイライラしていて、不満顔・・・それが、鏡に映っている女の子だった。
「美人に生まれてきたかったな~」
 鏡に向かって、ひとりごとをつぶやいた。
 私は朝食を取らずに、家を出た。木造アパートの階段を降りて、後ろを振り返った。築30年のボロボロのアパート。私は思った、「都心の綺麗なマンションに引っ越せたら、どんなにいいだろう」って・・・。
 フーッとため息をついてから、駅に向かって歩き始めた。そこまでは、いつもどおりだった。
 いつもと違うのは、それからだった。
顔を上げて信号機を見ると、青信号が点滅し始めた。反射的に私は走り始めた。そして、横断歩道に足をかけた時、車の警笛が鳴り響いた。私は急に立ち止まった。目の前をトラックが猛スピードで走り抜けていった。体が凍りついた。
「ああ、死ぬところだった!」
そうつぶやいて「フーッ」と息を吐きだした瞬間、雷を受けたような痛みが背中に走った。
「うぎゃ!」
 口から野生動物のような叫び声が飛び出してきた。胸が苦しくて、立っていられない。その場に座り込み、深呼吸を繰り返した。
 しばらくして顔を上げて、信号機を見た。青信号はいつのまにか、点滅し始めていた。私は「エイヤッ」と叫びながら、膝を延ばして立ち上がった。そして、横断歩道を歩き始めた。しかし、脂汗が出始めて、うまく歩けない。胸が締め付けられに痛い。そして、体中が焼け付くように熱かった。
 次の瞬間、体が勝手に前方に傾き始めた。私は地面に倒れ、胸をしたたかに打ちつけた。体が勝手にブルブルと痙攣し始めた。意識が遠のいていった。それから後のことは全く覚えていない。
  

意識を取り戻した時、「私」は病院のベッドにいた。正確に言うと、「私」ではなく、「私の肉体」がベッドの上に置かれていた。一方、「私の意識」は病室の天井に張り付いていて、「私の肉体」を斜め上から見おろしていた。
「私の肉体」は酸素マスクを口に当てられていた。そして、腕から点滴を受けていた。そして、「私の肉体」の周りを、医者や看護婦さんが取り巻いていた。
私は大声を出して、医者と看護婦さんに声をかけてみた。
「おーい! 『私』はここにいるよ~。その肉体に中に『私』はいないよ~」
しかし、誰も振り向かない。私がどんなに大きな声を出しても、彼らには聞こえないんだ。
その時、一人の看護婦さんがベッドサイドのモニタを見ながら叫んだ。
「呼吸数と心拍数が下がっています!」
 医者が叫んだ。
「心臓マッサージだ!」
 看護婦さんが私の肉体の胸の辺りに機械を当てて、心臓マッサージを始めた。
 しばらくして、ベッドサイドのモニタから「ピッピッピッ・・・」という音がした。
 看護婦さんが叫んだ。
「血圧も測定不能です!」
 私は天井からモニタを見た。呼吸数も血圧もゼロ表示になっていた。
 医者が叫んだ。
「心肺停止。心臓マッサージを続けて!」
 看護婦さんが私の横に立ち、両手の掌を胸に当てて胸骨圧迫を始めた。そして、看護婦さんは数字をカウントしながら、圧迫を続ける。
「イチ、ニー、サン、シー、ゴー・・・・」
 しばらくして、モニタがまた鳴った。
「ピピーッ、ピピーッ、ピピーッ・・・」
 モニタを見ていた看護婦さんが叫んだ。
「心臓が動き始めました。呼吸も始まりました」
 医師が私の目を開き、光を当てた。
「瞳孔は開いてないし、意識がない。こん睡状態だ」
 モニタの心電図の波形は同じ形のまま流れて行く。
 医師は頭から聴診器をはずして、看護婦さんを見ながら言った。
「このまま、しばらく様子を見よう。人工呼吸器のチェックを常に行うように」
 そして医師は病室から出て行った。
 私は一瞬、思った、「天井からベッドに降りて、自分の身体の中に戻ろうかな」って。しかし、いくら下に向かって降りようとしても、私は自分の体に近づくことはできない。
反対に、私の意識はどんどん天に向かって上昇していった。「あれ、あれ~」とつぶやいているうちに、アッと間に私は病室の天井をすり抜け、そして、いつのまにか病院の屋上に着いていた。
それもつかの間、私は天井の床から空中へ浮遊し始めた。空に向けてグングンと引っ張られていく。私は下界を見た。病院や家がどんどん小さくなっていく。
私は視線を反対に動かして、上を見た。白い雲がどんどんと近づいて来ていた。
 私はつぶやいた。
「『死んだら天国に行く』って聞いてたけど、本当なんだ」
 間もなくして、白い雲の中に突入した。霧の中を進んでいく感じだった。
 やがて、白い雲がポンと消えた。そこにはなんと、緑の草原が広がっていた。辺り一面、緑の草や黄色い花々が生えていた。
私は思った、「一体、ここはどこだ?」って・・・。
 しばらくすると、私の意識は強い力で前方に引っ張られて、滑り始めた。私の意識はグングンと進んでいく。ちょうど新幹線に乗っている時に車窓の景色が後ろにドンドン流れて行くように、緑の草原が後ろに消えていった。
長い長い時間が過ぎ、移動のスピードが次第にゆっくりになり、そして、止まった。
 目の前にトンネルがあった。私はトンネルの前に立ち、中を覗きこんだ。真っ暗だ。ゴーッという風がトンネルの奥深くに向かって吹き抜けていく。私は目を凝らして、トンネルの奥を見た。かすかに白い光が見えた。
 私は確信した、「このトンネルを通っていけば、向こう側にある素敵な世界に到達できるんだ」って。
私は吸い寄せられるようにトンネルの方に近づいていった。 
 その時、背後から声が聞こえた。
「ユキ。ちょっと止まりなよ」
 女の人の声だった。低くて、しゃがれた声。
 私は振り返った。私はビクンと震えて、固まった。
「妖怪か?」
 目の前に立っている者は、婆さんだった。顔は皺だらけで、目がどこにあるか、よくわからない。齢は百歳くらいだろうか。髪の毛はまっ白で、短く、クシャクシャだった。背が低くて、腰がグニャリと曲がっている。
 婆さんは戦時中の女性が身に付けていたモンペのようなズボンをはいていた。上着は緑のトレーナー。
 婆さんは頭をチョコンと下げて、笑った。口を開けて、つぶやいた。
「こんにちは」
灰色の歯が見えた。下の前歯が一本、抜けていた。
 私はガタガタと震え始めた。
 婆さんは右手を上げて、左右に振った。
「あたいはあんたを襲ったりしない。安心しな」
 私は一歩、あとずさりしてから、言った。
「あなたは誰ですか?」
 婆さんは目を細めて、「クワッ、クワッ」と声を出して笑った。
「あたいは、あんたの守護霊だよ」
「私の守護霊?」
「そうだよ。あたいはあんたを守る天使だよ」
「天使?」
「そう。天の使い。神様の使いの者さ」
 私は黙ったまま、婆さんを眺めていた。
 婆さんがフーッと息を吐いた。
「ここは冥界の入り口だよ」
「冥界? それはつまり、私は死んだっていうことですか?」
 婆さんは右手の人差し指を天に向けて、左右に振った。
「チッ、チッ。ここは、冥界の『入り口』で、この先のトンネルを通り抜ければ冥界に到達できるんだ。あんたはまだ死んでない。まだ、完全に死んでしまう前の状況だよ。」
 私は黙ったまま、婆さんを見つめた。
婆さんは腹をかかえて、「ケケケ」と高笑いした。
「おっと。大事なことを言い忘れてたよ。あんたは、今から選択できるんだよ。選択肢は二つ。一つの選択肢はこのトンネルを通りぬけて、冥界に行くというもの。もう一つは、生き返って、現世に戻るというものさ」
「私がどちらかを選んで決める?」
 婆さんはコクンとうなずいた。
「そう。だけど、あたいが手助けをしてあげるよ」
「私は助けてくれるの?」
 婆さんは右手で拳骨を作り、自分の胸をドンと叩いた。
「あたいにまかせりゃ、大丈夫だよ!」
「あなたには、私が見えるの?」
「ああ、もちろん。あんたは卵の形をした光だよ。黄色にぼんやりと光っている。あんたは今は肉体を離脱しているからね」
 そう言って、婆さんは大きな口を開けて、ケタケタと笑い声をあげた。
 私はゴホンと咳をしてから、言った。
「あなたのお名前は?」
「あたいかい? あたいの名前は、能美和子だよ」
「のうみ、かずこ? と言うことは、あなたは日本人なんですか?」
「そうだよ。日本人の魂の守護霊は、日本人だった霊が務めるようになっているんだよ」
「そうなんですか」
 能美の婆さんは両手の掌を合わせて、パチンと音を立てた。
「ところで、あんた、どうする? 冥界に行く? それとも、現世に戻る? どうするつもりなんだい?」
 私は右手を上げた。
「質問していいですか?」
「何だい?」
「完全に死んで、冥界に行ってしまうと、どうなるんですか?」
「どうなる・・・って、一体、どういうこと?」
「その・・・、つまり、死んでしまえば、楽になれる・・・というか、天国に行けるんでしょうか? それとも、完全に死んでしまっても、相変わらず苦しみや悩みは続くんでしょうか? つまり・・・」
「つまり・・・? それから、何だい?」
「つまり、死んでしまったら、地獄に行かなくてはいけないんでしょうか? 全員が天国に行けるんでしょうか? 苦しみから解放されるんでしょうか?」
「ハッ、ハッ、ハッ」
 婆さんは大きな口を開け、歯を見せながら笑った。
「あんた、どう思う?」
 私は頭をチョコンと左側に倒して、唇とすぼませてから言った。
「わかりません。だから、尋ねているんです」
「今はどうだい? あんたは今、臨死状態にある。生きている状態と死んでいる状態のちょうど中間に居るっている状態だよ。今、あんたはどんな感じがする? 気持ちいい? 楽? つらい? 苦しい? 一体、どんなふうに感じてる?」
 そう言われて、私は目を閉じてみた。そして、何度か深呼吸を繰り返した。そして、自分が感じていることはどんなものなのか・・・見つめてみた。
 しばらくして、私はつぶやいた。
「そうですね。そう言われると、今の私はとっても落ち着いている感じがします。イライラしたり、心配したりすることがなくて、波が起こっていない湖面・・・っていう感じです。熱くもなく寒くもないっていう感じです」
「つまり、今の状態って、天国なのかい? それとも、地獄なのかい?」
「そうですね。イヤなことがないから、どちらかと言うと、天国・・・っていう感じでしょうか・・・」
 婆さんは右手の人差し指をトンネルに向けて突き出した。
「あのトンネルは三途の川みたいなもの。あのトンネルを通って向こう側へ出れば、あんたは完全に冥界に達する」
 私の体の中で「カタリ」と音がした。
「向こう側へ着いちゃったら、どうなるんですか?」
「今と変わらないよ」
「ということは、つまり・・・」
「そう。あんたが今、感じている平穏な状態と同じだよ」
「つまり、冥界は苦しみのない世界で、私は死んでしまったら苦しみはないんですね」
 婆さんは軽くうなずいてから、目を大きく開けて、黙って私を見つめ続けた。
 私は目を閉じて考えた、「このまま、死んでいいのか? トンネルに入ってこのまま完全に死んでしまった方がいいかもしれない。そうすれば、もうイヤなことを経験することはないから。 でも・・・、後悔することはないのか? つまり、やり残したことはないだろうか? 『やりたい』と思っていたことをしてこなかった・・・っていうことはないのか? 苦しいことがあった時、それから逃げてしまって、自分がやれることをしてこなかったのではないか?」って・・・
 婆さんがゴホンと咳をした。私は目を開けて、婆さんを見た。
 婆さんは右眼だけ大きく開いて、私を見た。
「何を悩んでいるんだい?」
「はい。わからないんです、今、このまま死んでいいのか、あるいは、現世に戻った方がいいのか?」
「なぜ、そう思うんだい?」
「はい。『このまま死んだら、楽になれるからいいな』と思うんですけど、もう一方で、『何か、やり残したことがあるんじゃないか?』・・・とも、思うんです」
「やり残したこと? 何だい、それ? あんたがやりたかったことって、一体、何なんだい?」
「残念ですけど、それがわからないんです。自分がやりたいことが何かということが、自分でもわからないんです」
 婆さんは「ハァーツ」とため息をついた。
「あんたのやりたいことなんて、あたいがわかるはずないもんねえ」
「そうですよね。自分でも情けないです」
「あんたは自殺をしようとしたわけじゃないよね。たまたま、心臓発作になって、今は臨死状態にある。うーん。このチャンスに乗って、このまま冥界に入っていく・・・というのも、一つの選択肢だよね」
「どちらを選択するか、その基準・・・というか、価値感は、何でしょうか?」
「死ぬか、生きるか、それが問題だ」
「私が赤ちゃんとして生まれた時は、そんな選択はありませんでした。この世に生れたいとか、生まれたくないとか、そんなことは判断せずに、気がついたら、人間として生まれていたんです」
「そうだよね。あんたは選択せずに生まれ出た。では、一体、あんたはなぜ生まれたんだろう? 誰があんたを現世に導いたんだろう?」
 私は頭をかしげて、しばらく考えてから言った。
「誰が・・・なんて、いないんじゃないですか? つまり、私がこの世に生まれて来たのは、単なる偶然で、意味はない。意味はない・・・と言っていいのかどうかわかりませんけど。そして、神様がいるかどうか、わかりませんが、神様が私をこの世に送り込んで、誕生させた・・・というわけでもないと思います」
 婆さんは両腕を胸の前で組んだ。
「あんたが生まれたことに意味はない? ふーん。なるほど。そんな風に考えるわけね。それで、とにかく、死ぬの? 生きるの? どっち?」
 私はその時、とっさに答えた。
「私、どちらかと言うと、もう一度、生きてみたいと思います。一度死んでしまうと、もう取り返しがつかないから、もう一度、生きてみたいと思います。そうして、本当に自分がやりたいことは何だったかをはっきりさせたい」
 婆さんが右眼だけギロッと広げた。
「あたいは知ってるけど、あんた、生きているのがイヤだったんだろ? 知ってるよ!」
 心臓がバクンと音を出して痙攣した。
「なんで、そんなこと、知ってるんですか!」
 婆さんは片目を閉じて言った。
「言っただろ? あたいはあんたの守護霊なんだよ! あんたのことはすべてお見通しさ」
「そうなんですか。それじゃあ、正直に言います。私は生きている時、苦しかったです、『なんで私はブスで、チビで、ブタなんだろう』とか、『なんで私の両親や私は貧乏なんだろう』とか、思っていたんです。周りの友人や会社の同僚と自分を比較すると、私だけ恵まれていないんです」
「ふーん。それで・・・?」
「だから、私、今度生まれ変わるとしたら、スタイルのいい美人として生まれたいんです。そして、金持ちの両親のもとで、塾に通って一生懸命勉強して、一流大学に入って、一流企業で働きたいんです」
「一流企業?」
「はい。私は中小企業の事務員なんかじゃなくて、一流企業で働きたいんです。そして、事務なんかじゃなくて、もっとおしゃれな仕事で、楽な仕事をしたいんです。そして・・・」
「そして・・・?」
「そして、私は給料をたくさんもらいたいんです!」
 婆さんが両目を閉じて、右手の人差し指で鼻の下をゴシゴシとこすった。
「要するに、お金がほしいわけね」
「はい」
「それから?」
「はい。それから、私は結婚もしたいんです」
「結婚?」
「ええ、結婚です。でも、相手は誰でもいいというわけではないんです。私の幼馴染は、夫が暴力的で、殴られて、大変だったんです。私はそんなのはイヤ。優しい旦那さんがほしい。そして、一流企業に勤めていて、高い給料をもらっていて、背が高くて、イケメンの男性がいいです」
 婆さんが頭を左右に振りながら、ため息をついた。
「それから? まだ他にも、希望があるんだろう?」
 私はうなずいた。
「はい。結婚したら、東京23区内の綺麗なマンションに住んで、そして、可愛い子どもが生まれて・・・。そうですね、できたら、男の子と女の子、一人ずつ。そして、私は子育てだけではなくて、仕事も続けて、キャリア・アップしたいんです」
「キャリア・アップ?」
「はい。家庭だけじゃなくて、仕事でも輝きたいんです。昇進して、課長とか部長とかいった肩書がほしいんです」
「そうしたら、あんたは幸せになれるのかい?」
「はい!」
「『あんたの幸せ』って、何なんだい? 見た目が良くって、世間体が良くって、金があるっていうことなのかい?」
 私は「ハアー」と息を長く吐き出した。
「もし、もう一度、現世に戻って生き直すなら、私、運命に恵まれたい。今までの私は、あまりに恵まれてない。周りの人はみんな幸せなのに、私だけなぜ恵まれなかったの? なぜ、私の家だけは貧乏なの? なぜ、私だけブスで、チビで、デブなの? なぜ、私だけこんなに勉強ができなかったの? なぜ、私は短大だけしか卒業できなくて、安月給の中小企業の事務員にしかなれなかったの? 今まで通りのブス・チビ・デブのままじゃあ、今までのままじゃあ、現世に戻りたくない!」
 婆さんは首を延ばして、左手で首をボリボリと掻きながら、黙っていた。
 しばらくして、婆さんは私の方に向き直り、言った。
「よし、わかったよ。あんたの望みをかなえてあげる。ただし、願いは一つだけに限定するよ。わかるかい? あんたの望みを一つだけかなえて、現世に戻してあげるよ」
「えっ? どういうことですか?」
 婆さんは人差し指の先を私の胸の前に突き立てた。
「あんたを美人にするか、金持ちにするか・・・どちらかの願いを叶えてあげるよ。そうした上で、あんたを生き返らせてあげるのさ。さあ、決めな! どっちの願いにする? スタイルのいい美人がいい? それとも、大金持ちがいい?」
「そんなこと、できるんですか?」
「できるとも! あたいを一体、誰だと思ってるんだい? あたいはあんたの守護霊だよ! 何でもできるのさ!」
「そうなんですか?」
「あんた、言っただろ、『このまま死んでしまいたくはない。さりとて、現状のまま現世に戻りたくない』って。だから、あんたの運命を少しいじって、あんたを現世に戻してあげるのさ」
「ありがとうございます」
「わかったかい? それじゃあ、決断するんだ。どちらにする? 美人を取るか、金を取るか・・・」
「やっぱり、両方ともかなえてもらうっていうのは、無理ですか!」
「美人で、かつ、大金持ちにしてくれっていうのかい? そんなの、無理だよ! それがいやなら、今のまま、ブスで貧乏のまま、現世に返しちまうよ!」
 私は大慌てで両手を振った。
「わかりました。それじゃあ、ちょっと待ってください。どちらを選ぶか、しばらく考える時間を下さい」
「ああ、いいよ」
 私は目を閉じて、「うーん」と唸りながら考えた、「美人がいいのか? それとも、金持ちがいいのか? もし美人に生まれ変わったら、私はみんなからチヤホヤされる。入社面接でも好印象を持たれて一流企業に内定してもらえるかもしれない。それから、男にも持てるし。そうしたら、高収入のイケメン男子と結婚できるかもしれない。・・・一方、私がもし大金持ちに生まれ変わったら、どうだろう? 働かなくてもいいから、ストレスなく暮らして、美味しいもの食べて、高級マンションに住んで、旅行にも行ける。でも、ブスのままだったら、いくら金持ちでも周りの人は私をチヤホヤしてくれないかもしれない。こんな風に考えて来ると、美人にしてもらった方がいいかもしれない。だって、美人に生まれ変わったら、金持ちになれるという可能性もあるから。反対に、金持ちに生まれ変わっても、顔が美人に変わるという可能性はないから。もちろん、金の力を使って美人になるという方法もあるけど。例えば、整形してもらうとか、高い化粧品や服を買って外面を飾るとか、あるいは、ジムに通ってダイエットしてスッキリした体型になるとか」と・・・。
 婆さんの声が聞こえた。
「ユキ! 何をボーッと考えているんだよ! さっさと決めてくれよ。さあ、どっちにする? 美人か? 金持ちか? さあ、さあ、さあ! あと、三秒! サン! ニイ! イチ!」
 私は慌てて大声で答えた。
「美人にして下さい!」
 ばあさんの目がキラリと光った。
「あんた、今、言ったね、『美人にして下さい』って。忘れないでよ。本当にそれでいいんだね。自分の下した決断には、責任が付いて回るんだよ」
「責任?」
「ああ、そうさ、責任だ。あんたが下した決断が原因となって、いつかその結果があんたに降りかかって来る。その結果はあんたが甘んじて受けなければならない・・・ってことさ」
「原因と結果・・・?」
「そうさ、因果の法則だ。あんたが決断したことや行った言動から起こる報いは、良い事も悪い事も全て、あんたが受け取らなければならないんだよ。それじゃあ、始めるよ。目を閉じるんだ」
 私は言われた通り、しっかりと目を閉じた。
 婆さんが大声で叫んだ。
「キェーーーーッ」
 魂がブルブルッと震えた。
 私は自分が下界へ向かって落ちていくのを感じた。しかし、私にはどうしようもなかった。ただ、思った、「ああ、私は落ちていっている」って。そして、私の意識はそこで途切れた。

第2章 私は超美人に生まれ変わった

 目ざまし時計が鳴った。私は「あぁ~」と怒鳴って、布団を蹴飛ばした。そして、上半身だけガバッと起き上がり、目ざまし時計を探した。そして、手を伸ばして、ボタンを押した。
 私は首をクルクルと回して、辺りを見渡した。なつかしい、私の部屋だった。四畳半の汚い部屋。
「あっ、そうだ。私は生き返ったんだ!」
 そして、次の瞬間、思い出した、「能美のばあさんが私を美人にするって言ったんだ」と。
 私は布団から立ち上がり、洗面所へ走った。そして、鏡を見た。
「アッ!」
 息を吐き出し、そのまま呼吸が止まった。口をポカンと開けたまま、鏡を見続けた。目を閉じて、もう一度、鏡を見た。鏡に映っている女の人は目がパッチリとして、あごが細い。体はほっそりとしている。雑誌やテレビに出て来る芸能人か、モデルのようだった。
「なんなの? 一体、これは、どうしたっていうの?」
 体が小刻みに震え、止めることができない。私は両手で自分の顔をさわりまくった。鏡に映っている女の人も、両手で自分の顔を同じようにさわりまくっていた。
「誰なの?」
 私は右手で自分の頬をピシャンと叩いてみた。同時に、鏡に映った女性も自分の手で自分の頬を叩いた。痛かった。私は右手で頬をさする。鏡に映った女性も片手で自分の頬をさすっていた。
私はつぶやいた。
「能美の婆さん、本当に私をスタイルの良い美人にしてくれたんだ」
 私は会社に電話して、お休みをもらうようにお願いした。私は入念に化粧をして、おしゃれな服を着て、私は部屋を飛び出した。
 私は駅から電車に乗り、東京へ向かった。駅員も電車の中の乗客も、みんな私の顔を見る。最初は私の顔をチラリと見て、その後は食い入るように私を見続ける男たち。全身がムワーッと熱くなって、倒れそうだった。
 電車の中で私が座席に座った時だった。私の前に座っている若いビジネスマンが私の顔や体を舐めまわすように見つめた。私はそれがわかると、体がゾクゾクと震えて来た。私は思った、「私は今、顔が真っ赤になっているかもしれない」って。電車が次の駅で止まると、私は思わず立ち上がり、電車からホームに飛び降りた。
 ホームのベンチに座って、私は手を頭に当てた。熱い。それから、私は手を胸に当てた。心臓がバクバクと波打っていた。
 私は思った、「今まで、こんなことはなかった。男の人に見つめられるなんて、そんなこと、なかった・・・」って。
 私は階段を上って反対側のホームに歩いて行った。そして、その日は帰宅した。
 翌日、私は思い切って会社に行くことにした。会社の人とたちが何と言うか、心配だったけど・・・。
 会社に着いて、私はドアを開けて、オフィスへ入っていった。
「おはようございます!」
 私はいつも通り大きな声であいさつした。
「あのお~。すみません。どなたですか?」
 私の同僚の澄子が私に向かって言った。私は思わず笑って言った。
「いや~。なぜそんなこと、言うの? 私よ、私。山本ユキよ」
「えーっ! 嘘でしょ! 本当にユキなの! 別人!」
「そんなことないでしょ!」
 オフィスにいた全員が私を見た。特に、男性職員が私を見つめ、どよめいた。
「おーっ!」
私はスポットライトを浴びた歌手のような気分になった。 
 澄子が言った。
「あんた。どうしてそんなに・・・。うーん。何て言ったらいいんだろう? なぜ急にそんなに美人になったの? まさか・・・整形?」
 私は右手を上げて振りおろし、澄子の肩を軽く叩いた。
「バカ言わないで。整形なんかしないわよ。お化粧よ。お化粧を変えたのよ」
「えーっ。それにしても、別人でしょう? それに、体型も依然と全然違うわよ。なぜそんなに急にやせたの?」
「ダイエットよ、ダイエット!」
「だけど、あなた、昨日まではあんなに太っていたじゃない? それなのに、今日はこんなにやせて、ほっそりになってる。たった一日でそんなに体重って減るもんじゃないでしょう?」
 私は両手を前に突き出して、左右に強く振りながら、叫んだ。
「とにかく、私、ダイエットも化粧も頑張ったのよ! だから、大変身!」
「そうなの? ちょっと信じられないけど」
 澄子はグチグチとつぶやきながら、自分のデスクに戻っていった。
 私も自分の座席に座って、仕事に取りかかった。オフィスの同僚たちはしばらくザワザワしていたが、しばらくすると、いつもの状態に戻っていった。
 私は内心、思った、「私がスタイルのいい美人になっても、何も変わらないのかな~」って。しかし、変化は少しずつ起きていった。
 まず、退社の時間が近づいてくると、鈴木課長が私のところへ来て、言った。
「山本さん。今、いいかな? ちょっと来てくれる?」
「はい?」
「社長室に来てくれないか?」
「はい」 
 私は「何の用事かな?」と思いながら、鈴木課長の後ろに付いていった。そして、一緒に社長室に入った。社長室では、禿の犬丸社長が大きなデスクにすわっていた。犬丸社長は立ち上がって、私に近づき、私をジロジロと見つめながら、私の周りをグルグルと回った。そして、私の前に立って、言った。
「山本さん。あなたが急に美人になったっていう噂を聞いたけど、本当みたいだね。何があったんだい?」
「何が・・・って、それ、どういう意味ですか?」
「いや、その・・・、別にいいんだけど」
 私は頭をかしげて、言った。
「ご用はなんですか?」
 社長は右手で禿げ頭をパンパンと叩いた。
「山本さん。明日から仕事を交代してほしいんだ。明日から、わが社の受付の仕事をしてほしいんだ」
 体中の血液が沸騰して、体中を高速で駆け巡った。
「私が・・・受付嬢?」
「そう。ダメかね?」
「いえいえ。ぜひさせていただきます!」
 私は今にも飛び跳ねてしまいそうだった。
「よし。それじゃあ、決まり。明日から、よろしく頼みますね」
「はい」
 翌日から、私は出社すると、受付嬢用のおしゃれなユニホームを着て、受付に立つようになった。
 それが、一つ目の変化だった。
 そして、二つ目の変化は続いて起こった。わが社を訪問するビジネスマンが私を見るたびに、たちどまり、口をポカンと開けたまま、私をジーッと見つめ続けるのだった。そして、私にガンガン積極的に話しかけてきた。中には、仕事の用事が済んだ後、私のところへやってきて、私に次のようにいう奴も現れた。
「すみません。仕事が終わったら、お茶を飲みに行きませんか?」
 だけど、私は無視し続けた、「もっといい男が現れるまで待つんだ」と思って。
翌日、一流企業のイケメン社員である石橋さんがわが社にやってきた。そして、受付にやって来て、言った。
「すみません。御社の営業部に用事があってまいりました」
 私は思った、「石橋さん。清潔感があって、明るくて、仕事ができそうで・・・いい感じだな」って。
 石橋さんは打合せが終わった後で、受付台の前に立った。そして、直立不動の姿勢で、顔を真っ赤にして、私に向かって頭を深く下げた。
「山本さん。お願いです。社外で会ってほしいんです」
 心臓が爆発しそうにドキドキした。石橋さんは顔を上げて、泣きそうな顔をして言った。
「だめですか?」
 私は思わず言った。
「はい、いいですよ」
 翌日のデートは渋谷で映画を見て、それから、食事をした。それから、石橋さんは私をオシャレなフレンチレストランに連れて行ってくれた。
 オシャレなフレンチレストランなんて私は初めてで、舞い上がっていた。デートの別れ際に石橋さんが言った。
「山本さん。また、会ってもらえますか?」
 私は何度もうなずいて、叫んだ。
「もちろんです!」
 でも、ある考えが私の頭に浮かんだ。それは、「石橋さんはなぜ私をデートに誘ったのかしら」という考えだった。
私は考えた、「もし私が以前のようにブスでデブだったら、石橋さんは私をデートに誘ったかしら。石橋さんが私を誘ったのは、単に私の顔やスタイルが好ましいというだけの理由からだったのではないか。その証拠に、私が受付嬢になる前に、以前のブスデブの時にもオフィスで会ったことがあるけれど、その時、石橋さんは私のことなんか見向きもしなかった。もし、私が以前のブスデブにもどっても、石橋さんは私と付き合いを続けるかしら・・・」と・・・。
 それで、喫茶店でコーヒーを飲みながら、私は石橋さんに思い切って尋ねてみた。
「石橋さん。お聞きしたいことがあるんですけど・・・」
「はい?」
「仮定の話なんですが、もし私がものすごいブスでデブだったら、私をデートに誘いました?」
「えっ?」
 石橋さんはそう言ったきり、黙り込んだ。石橋さんは私から視線をはずして、床を見たまま、体をソワソワと動かし続けた。
 私は「フーッ」と息を吐き出してから、石橋さんに言った。
「正直に言ってもらってかまいませんよ。石橋さん、私の外見だけで判断して、私をデートに誘ったんじゃないですか?」
「山本さん。どうして、そんなこと、言うの?」
「理由なんて、ありません。ただ、知りたいんです」
「私の内面・・・明るい性格とか、努力する姿勢とか、我慢強さとか、目に見えない私の精神的なものをすばらしいと思って、私を誘ったわけじゃないでしょう?」
 石橋さんはあごを上げて、天井を見つめて、そして、目を閉じた。しばらくして、石橋さんは私に向き直って言った。
「山本さん。あなたの言う通りかもしれない。僕は君の見た目に興奮してデートに誘ったのかもしれない。いや。デートに誘った時は、君の内面なんか何一つ知らなかったんだから、僕は君の外見だけで判断して、君を誘ったということになる。でも、今は・・・」
「今は?」
 私はかたずを飲み込んで、次のセリフを待った。
「でも、今は、僕は君の内面的な面が魅力的だと・・・思ってるけど・・・」
 私は石橋さんの目を見た。石橋さんの目は死んだ魚のようだった。
 私は携帯を取りだして、写真データを探した。私が変身する前の写真。以前の、ブスでチビでデブだったときの写真。私はデータを見つけて、携帯を石橋さんの目の前に突き出した。
「これを見て。これが本当の私。私は以前は、こんな姿だったのよ。私がこんな姿だったら、あなたは私をデートに誘った?」
 石橋さんの体が左右に小刻みに震え始めた。目を大きく見開いて、額に汗がじっとりと浮かび始めた。
「うそでしょう! 山本さん。これが山本さんだなんて・・・。僕を騙しているんじゃないの?」
 私は携帯を手元に戻しながら、言った。
「嘘じゃない。これが『本当のワタシ』なのよ。あなたは私に接近してきたのは、私の顔が美人になり、痩せてスタイルが良くなったからなんでしょう? わかったわ」
「山本さん。でも、今の君は美しく変身しているじゃないか! 過去のことなんか、どうでもいいじゃないか!」
「そう言えば、そうだけど・・・」
 私はそう言ってから、内心、思っていた、「そう言えば、そうだけど、結局、あんたが私に近づいたのは、私の外側の見た目の良さのせい。外見がかわいいというだけで、私を高く評価したわね。そして、私を連れ歩けば、道歩く人々に『美人を連れている』と思われて、あんたの虚栄心を満足させたかったのね」と・・・
 石橋さんは顔を上げて言った。
「君は成形したんだね! 僕をだましたんだ」
 私は立ちあがった。
「さ・よ・う・な・ら! もう二度と、会いません!」
 私はクルリと体を反転させ、喫茶店からスタスタと歩き去った。
外に出た時、さわやかな風が吹いてきた。私は大きく息を吸い込んだ。胸の奥の奥までスッキリした。それは、生まれてから今まで経験したことのない爽快感だった。
 私はつぶやいた。
「私は・・・単なる肉体じゃない! 私は人形でもない。私は、生きている人間だ。私は自分の考えを持ってるし、そして、自分の考えに基づいて行動を選ぶことができるんだ。見た目だけで判断しないでほしい。私が魅力的なのは、見た目のせいじゃない。外見だけを見て、『すごい』だなんて思わないでほしい。・・・まあ、確かに、正直言うと、私だってブスより美人の方がいい。見た目の良し悪しも『私』の一部だ。でも、見た目の良し悪しだけがすべてじゃない。見た目だけで私を判断するのは、やめてほしい。それに! 顔や体の美しさで男にもてたって、それで私の気分が満たされるわけじゃない。見た目だけで男にちやほやされても・・・『ああ、私は今、生きてるんだ』っていう躍動感や満足感は、得ることはできない」
 私は道沿いにあった公園に入り、ベンチに座った。私は目を閉じ、「ハアー」と大きくため息をついた。
 その時だった。私の後ろから声が聞こえた。
「あんた。今、ここで、どう決断し、どう行動する?」
 なつかしい、だみ声だった。
 私はバッと後ろを振り向いた。能美の婆さんが立っていた。
 婆さんは顔中を皺だらけにして笑っていた。相変わらず、古くて汚い服を着ていた。
「ひさしぶり。元気にしていたかい?」
 私は思わず駆け寄り、婆さんを抱きしめた。
「わあー!」
 なぜだかわからないけれど、私の目から勝手に涙が溢れ出ていた。
 婆さんは右手の掌で私の背中を優しくさすりながら、言った。
「どうしたんだい? 何があったんだい?」
 私は婆さんから離れて、涙をぬぐった。
「美人になっても、私、つらい!」
「そうみたいだね」
「どうして、知ってるの?」
「あたいはあんたの守護霊だよ! あたいはずっとあんたを見守ってるんだよ。男なんて、見た目だけで判断するものなんだよ」
「そうなんだ。だけど、どうしたの? 急に現れて・・・」
「今があんたの緊急事態だってことがわかったから、飛んで来たのさ」
「そう。ありがとう。でも、今が私の緊急事態・・・なの?」
「そうさ。人生の分岐点さ」
「分岐点?」
「そう。あんたの今この瞬間の判断と行動があんたの一生を決めるのさ」
「どういうこと?」
「美人に生まれ変わって、五日間がすぎたよね。美人になる前は、あんたは思っていた、『顔やスタイルさえ良くなれば、ハッピーになれる』って。だけど、現実はそんなもんじゃないっていうことがわかっただろう? つまり、今、あんたは岐路に立っている。どちらの道を選ぶ? 一つの道は、このまま美人の路線を進んでいく道。もう一つの道は、美人をやめて、金持ちの道に進んでいく道。さて、どちらにする?」
 私は口をポカンと開けたまま、頭をかしげた。
「言っていることがわからないわ。もっとわかりやすく教えてよ」
 婆さんは左で耳の辺りをポリポリと掻いてから、言った。
「わかりやすく説明するよ。今、あんたは決断と行動を選択できるんだ。一つの道は、あの男の所に戻って、『ごめんなさい。さっきのことはあやまるわ』と言って、このまま交際を続ける。そして、結婚して、将来は子どもを産んで、子育てや家事に取り組んでいくという道。そして、もう一つの道は・・・」
 私は唾をゴクンと飲み込んだ。
「もう一つの道は、外見の良さを捨てて、大金持ちになる道さ。あんた、以前、言っていただろう? 『美人か、さもなくば、大金持ちになりたい』って・・・」
「そうだったわね」
「見た目が美人になったところで、会社の上司も男たちも見た目だけであんたを高評価する」
「そうね。だけど、その高評価は私の才能や努力に対してではない。単に、お人形さんのように美しいというだけで、私に対して高待遇を与える」
「しかし、もし事故や高齢のために、あんたの美しさが失われたら・・・?」
 私は考えた、「将来、私の美しさが失われたら、私はずっと受付嬢でいられるだろうか? 男たちは私をチヤホヤし続けるだろうか?」と・・・
 婆さんが低い声で言った。
「どうする?」
 私は目を閉じて、考えた、「やがて歳月は過ぎ、私の美しさは絶対に失われる。その時、私に対する高評価はなくなって、私の自尊心や自信も失われることになる。それならいっそのこと、大金持ちになった方が良くないかしら? お金は貯金しとけば失われることもないし、お金さえあれば、働かなくてもいいし、男に養われなくてもいいし、自由にハッピーに生きていくことができる」って。
 私は目を開けて、婆さんに近づき、頭を下げながら言った。
「おばあさん。お願いします。私を大金持ちにして下さい。このままではどうせ私は歳を取り、美しさは失われ、上司にも男たちにも見捨てられます」
 婆さんは口を大きく開け、黄ばんだ歯を見せて、「ケケケ」と高笑いした。
「わかったよ。あんたはそう言うだろうと思っていたよ。それじゃあ、あんたを大金持ちにしてあげるよ」
 私は手を叩いて、喜んだ。
「ありがとう。私を金持ちにしてくれるのね。でも、どうやって?」
 婆さんは右眼をウィンクした。
「明日の朝になれば、わかるよ」
 私は頭をかしげた。
「明日の朝になればわかる? それって、どういう意味?」
「とにかく、明日の朝になればわかるよ。だけど、忘れないでおくれ。あんたの願いは二つ一緒にはかなえられない。あんたは金持ちになることができるけど、美しさを失うんだよ」
 私はうなずいた。
「わかったよ」
 婆さんは目を細めてほほえみ、右手を上げて左右に振った。
「それじゃあ、元気でな」
「うん」
 婆さんはクルリと反転し、私に背中を向けて歩き始めた。
 私は遠ざかっていく婆さんの後ろ姿をずっと見つめていた。
 やがて婆さんの姿は人ごみの中にまぎれて消えていった。
私はアパートに向かって歩き始めた。
 

第3章 私は大金持ちに生まれ変わった

 五月三日。
 目ざまし時計が鳴った。私は布団の中で「うるさいな~」とつぶやきながら手を伸ばして、目ざまし時計のボタンを押した。そして次の瞬間、私は思い出した、「あっ。今日から私は新しい自分に生まれ変わったはずだわ。私は『大金持ち』になっているはず」って。
 まず、布団の中で横になったまま、私は首をぐるりと回して、自分の部屋を見渡した。何も変わってない。相変わらず、古くて狭い木造アパートの部屋だった。その時、私は思った、「婆さん、嘘ついたんじゃないの? 金持ちになっている様子なんて、どこにもないじゃん」って。
 次に、私は洗面所に行って、鏡を見た。その瞬間、体全体が引きつって、固まった。鏡の中の私は、以前の私に逆戻りしていた。つまり、ブスでチビでデブの私に完全に戻っていた。目は細くて、はれぼったい。顎のぜい肉はぶよぶよ。お腹や腕や足は贅肉でパンパンにふくれあがっていた。思わず私は叫んだ。
「ひえーっ。嘘でしょう!」
思わず私は叫んだ。
「こんなの、『私』じゃない! 『私』は可愛いくて、スタイル抜群なのよ!」
後頭部をレンガでゴツンと殴られた感じだった。頭の中がクラクラとして、気分が悪い。
 次の瞬間、私は思った、「あのクソ婆! 私の体を元にもどしやがった。くっそー。美人のままにしておいてくれたら、良かったのに~」って。だけど、その時、フッと思った、「待てよ。私をブス・チビ・ブタに戻したっていうことは、私を大金持ちにしたっていうこと・・・よね?」って・・・。
 私は大急ぎで台所に行った。テーブルの上に小さな紙切れが置いてあった。私は手を伸ばし、紙切れを手に取って、目の前にもってきて、よく見た。ジャンボ宝くじの券だった。
 私は思った、「私は宝くじの券なんて買った記憶はない。これは婆さんが準備したもんなんだ」と。
私は携帯を取り出し、宝くじのサイトを見つけ、券に書いてある番号を探した。
「91組の148512番・・・」
 次の瞬間、心臓がビクンと大きく痙攣し、体全体が凍りついた。自分が手に持っている券の番号と同じ番号が携帯に表示されていた。
「1等 3億円」
 私は口をポカンと開けたまま、しばらく動けなかった。しばらくして、私は頭をブルブルッと震わせた。私は宝くじ券を財布に入れた。
 私は独り言をつぶやいた。
「この券をなくしたら、大ごとだ」
 私は時計を見て、思った、「九時から銀行が開くはず」って。
 私は九時前に家を出て、M銀行に向かった。そして、換金の手続きをした。
 それから長い長い時間がゆっくりと過ぎて行った。そして、翌々日、私はM銀行の通帳を受け取った。そして、椅子に座ってから、通帳をゆっくりと開いてみた。税金でいくらか引かれていたけれど、私が今までに見たことがない数字がたくさん並んでいた。278000,000。
「2億7千8百万円・・・」
手が震えて、止められなかった。呼吸が荒くなって、「ハアハア」と肩で息をした。その時、私は思った、「やった! だけど、こんな大金、一体、どうしたらいいんだ?」って・・・
 その時、私は考えた、「そうだ。こんな時は、とりあえず、なにもしないでゆっくりと過ごすんだ。まず、落ち着くんだ」って。
 私は通帳をカバンの中にしっかりと入れて、カバンを脇の下に挟んで、両手で抱きかかえるようにして銀行を出た。
アパートに辿り着いて、カバンを開いた。
「ない!」
 私は大声で叫んだ。同時に、全身の血液が沸騰し、そして、全身が震えた。
 カバンの中に入れたはずの通帳がない! 私はカバンをひっくり返し、中身を畳の上にぶちまけた。しかし、通帳はなかった。私は両手で頭を掻きむしった。そして、両手で頭を抱えて、考えた、「銀行で通帳を受け取って、『なくしたらいけない』と思って、私は通帳をカバンの一番下に入れたんだ」と。
 私は畳に広がっている荷物をすべて一つ一つチェックし直した。しかし、ない!
「うおぉー」
 私は獣のような唸り声をあげた。「ハッ、ハッ、ハッ」と呼吸が異常に速くなった。しかし、その時、思った、「こんな時こそ、落ち着かなくては。大切な通帳を私がなくすはずがない。私は注意深いんだ」と。
 そして、目を閉じて、深呼吸を繰り返した。そして、私は両手で全身をまさぐり始めた。すべてのポケットに手を入れて、確かめ始めた。ズボンのポケットをまさぐった時、右手に四角い紙を感じた。掴んで、引っ張り出した。通帳だった。
「あったー」
 全身から力が抜けていった。だけど、体中が熱と喜びで満たされていた。
 私は思い出していた、「そうだ。途中でトイレに寄った時、考えたんだ、『カバンを置き忘れてしまうと、通帳を失ってしまう。カバンの中の通帳を取りだして、体に身に付けておこう』と。そして、通帳をズボンのポケットに入れ直したんだっけ。忘れていた」と。
 私は心臓のドキドキが治まっていくのを感じながら、通帳を本棚の中の本の中に挟んだ。それから、何度かその本を取りだして、通帳を確かめた。その時、思った、「絶対に通帳をなくさないぞ」って。
 翌日、私は会社を休んだ。そして、これからの生活について考えた、「これからどのように生きていこうか」って。お金には不自由しない。働かなくても食べていける。「しばらくのんびり旅行にでも行って、温泉につかろうかな」と考えた。
 私はすぐに電話して、翌日、箱根の高級旅館に向かった。そして、ゆったりのんびりと過ごした。そして、アッという間に二日間がすぎた。
 私は温泉旅行から戻ると、「とりあえず出社してみようかな」と考えた。
 久しぶりに会社に行ってみたら、澄子が私を見るなり、白い歯を見せて笑った。
「あら、ユキ。久しぶり。あんた、ずっと休んでたわね。どうしていたの? ところで」
「ところで・・・? 何なの?」
「うん。言いにくいけど、言ってしまうと、あんた、元にもどってしまったわねえ」
「もとに戻ってしまった?」
「うん。それは、つまり、美人じゃなくなったっていうことよ」
 私は「はあー」とため息をついた。
「つまり、もとのブスでチビでブタの私に戻ったっていうことね」
 澄子は頭をチョコンと下げた。
「まあ、そういうことね」
 そう言ってから、澄子は両手の掌を胸の前で合わせて、「パン」という音を立てた。
「そんなことより、ユキ! あんた、すごいことになってるらしいわね。聞いたわよ。でも、ここでは話せないわ。ちょっと、会議室まで行こうよ」
 そう言うと、澄子は私の手を引っ張って、会議室まで連れていった。
 私達が会議室に入ると、澄子はパタンとドアを閉めて、辺りを見渡した。
「誰もいないわね」
 そして、私をジッと見て、澄子が言った。
「あんた、聞いたわよ。宝くじで三億円当てたんだって!」
 急に冷凍庫の中に放り込まれた感じ。
「えっ?」
 そう言ったきり、私は絶句した。「なんで、そんなこと、知ってるの? 銀行と私以外、知らないはずよ」と私は思った。澄子の目を見た。
 澄子は頭をかしげて、目を細めて、ニヤニヤと笑いながら言った。
「しらばっくれてもダメよ。こちらはちゃんと情報を掴んでいるんだから。三億円もあるんだから、私に少し融通してほしいんだけど。ね、お願い。私とあんたの仲じゃないの!」 
 そう言って、澄子は両手の掌を合わせて、目を閉じて、頭を下げた。
「ねえ。とりあえず、今日はあんたのおごりで飲みに行こうよ。そして、詳しい話をしようよ」
 澄子の目がギラリと光った。背筋が寒くなって、ブルッと震えた。
「ごめん。澄子。今日は忙しいんだ。また、別の日に・・・」
 そう言って、私は会議室を飛び出した。背中から声が聞こえていた。
「ケチ! 私が今まであんたのためにしてやったこと、忘れたの? 百万や二百万なんて、あんたにとっちゃあ、はした金でしょう? 少しぐらい、私によこしなさいよ!」
 私は会社から飛び出した。
 アパートに戻って、私はドアに鍵をかけた。
 午後になって、ドアをトントンと叩く音が聞こえた。私がドアに向かって言った。
「どなたですか?」
 ドアの向こうから男の人の声が聞こえた。
「犬丸だけど・・・」
「犬丸? もしかして、社長ですか? どうして?」。
 ドアの向こうから「ゴホン」と咳が聞こえた。私はドアを開けた。禿の中年男が立っていた。
「急に退社したらしいけど、大丈夫?」
 体がピクッとのけぞった。「一体、何をしに来たんだろう?」と思った。
 犬丸社長がヌッと私に近づいた。
「山本くん。大丈夫? 急に会社から飛び出したって聞いて、心配になって来てみたんだけど・・・」
「はい。大丈夫です」
 社長は首を伸ばして、部屋の中をキョロキョロと見渡した。
「ちょっとだけ失礼していいかい?」
 そう言うと、社長はドアを大きく開き、玄関の内側まで入って来た。そして、後ろ手でドアを閉めてから、私の顔をジッと見た。
「山本くん。君はわが社の優秀な社員だから、体の健康には気を付けてほしいんだ。体調が悪いようだから、今日は会社を休んでいいよ」
 私は頭を下げた。
「すみません。ご心配かけて。それから、誰にも何も言わずに会社を飛び出してしまって、ご迷惑かけました」
「いやいや、そんなこと、いいんだよ。ところで、聞いた話なんだけど・・・」
 そう言ってから、社長は口を閉じた。
 イヤな予感がした。社長は右手で頭の後ろをゴシゴシとこすりながら、言った。
「山本くん。君も知っていると思うけど、わが社の売り上げ状況は大変厳しいんだ。今の状態が続けば、社員やその家族の生活を守っていくことができないんだ」
「はい?」
「うん。それで、社長の私としては会社の資金を安定させて、売り上げを上げて行きたいと考えているんだ。ついては、『もとで』がひつようになるんだ」
「『もとで』・・・ですか?」
「うん。『もとで』っていうのは、つまり、運用資金だよ」
「はい?」
「聞いたところによると、君は最近、とても羽振りがいいらしいね。その・・・君の持っている資金をわが社に少し融通してほしいんだ。そうだな、できれば、1億円程度・・・」
 目の前がまっ黒になった。頭がクラクラして、体が震え始めた。その場に倒れそうだった。なんとか、右手を延ばして壁に当てて、体を支えた。しかし、次第に体中の血管がボコボコ音と立てて、血液が沸騰し始めた。
「出て行ってください!」
 私は自分でもびっくりするような大声で叫んだ。社長の肩を右手でドンと押して、社長をドアの外へ突き出した。そして、ドアを力任せにドンと閉め、ガチャリと鍵を閉めた。
 社長が拳骨を振り回して、ドアを「ドンドン」と叩き続けた。
「今まで散々、会社にお世話になったくせに! 恩をあだで返すのか? 三億円も持っているんだから、少しくらい融通したって、いいだろう! この、ケチ! 後悔するぞ。覚えていろ。このクソ野郎! お前なんか、くびだ」
 そう言うと、社長は「ガタガタ」と音を立てて階段を降り、去っていった。
 私は全身から力が抜けて、その場に座り込んだ。体の内側で血液が「ドクドク」と音を立てているのが、聞こえた。
 私は思った、「とりあえず、あんな会社、辞めよう。そうじゃないと、私は有り金すべてむしり取られてしまう」と。それから、思った、「しかし、澄子も社長も、なんで私が宝くじに当たったことを知っている? この様子だと、他の人もみんな、知っているんだ。このままじゃあ、私のお金はかすめられてしまう」と。
 それから私はアパートに閉じこもったまま、考え続けた、「これから、どうしたらいいんだろう?」と。
 体が時々、ピクピクと小刻みに痙攣するようになった。私は両手で自分の肩を抱きしめ、考えた、「とにかく、会社に電話して、退職の連絡をしよう。それから、このアパートは引き払おう。私のことを知らない人たちの所に引っ越すんだ。都内の新しいマンションに引っ越して、静かに暮らすんだ。そのため、明日は都内の不動産屋に行こう」と・・・。
 私はすぐに会社に電話して、退職の連絡をした。そして、私は東京の不動産屋さんを訪れて、都内の高級マンションの入居を決めた。
 それから私の優雅な生活が始まった。仕事に行かなくていい生活。やらなくてはいけないノルマもなければ、人付き合いのストレスもない。お腹がすいたら、近所のコンビニやレストランに行って、カードで支払い。暇な時はデパートに行ったり、映画を見に行ったりする。
 私のリッチな暮らしが三日間、続いた。しかし、すぐに退屈で退屈でたまらなくなった。朝、目が覚めて、食事をする・・・、テレビを見る・・・、レストランに食事に行くか、デパートに買い物に行くか、映画を見に行く。しかし、そんなことをしても、心がドキドキワクワクする感じは全くなかった。
 私は部屋の中で一人、叫んだ。
「こんな、楽隠居の生活なんて、まっぴらごめん! もっと『私は今、生きてるんだ!』っていうような躍動感を感じたい! 何でもいいから、行動したい!」
 一方で、私は通帳を開いて、残高がどんどん減っていくのを見つめながら、つぶやいた。
「しかし、このまま贅沢な生活を続けていたら、お金はアッという間に無くなってしまう。そうなってしまうと、私は仕事もなければ、助けてくれる家族もない。その時は一体、どうしたらいいんだろう? それから、持っている資金を一体、どんなふう運用したらいいの? 減らさないようにするためには、どうしたらいいんだろう? 株なんかに投資して、失敗して一文無しになったら、どうしよう? 誰かに騙されたり奪われたりしないためには、どうしたらいいの? それに、私、これから、どんなふうに生きていったらいいんだろう? 神様! 助けて!」
 その時だった。私の背後でザワザワトと風が吹き抜けていった。振り向くと、リビングルームの入り口に能美の婆さんが立っていた。私は「ギョッ」として、後ろへ倒れていった。そして、背中と後頭部をしたたかに打ってしまった。
 婆さんが「ケタケタ」と、高い声を出して、腹を抱えながら笑った。
「大丈夫かい? フフフフフ・・・」
 私は右手で頭をさすりながら、ソファから立ち上がり、婆さんを睨みつけた。
「全く心配していないじゃないですか! なんで急に現れたんですか?」
 婆さんは右手で口を押さえて、笑い顔を隠しながら言った。
「『なんで』って、あんた、私を呼んだじゃない、『神様、助けて』って・・・」
「はあ。そんなこと、言いましたっけ?」
「言ったよ。だから、助けに来たんだよ。あたいは、あんたの守護霊だよ。忘れた?」
「はあ」
「ところで、私にどうしてもらいたい?」
 私は床に視線を降ろし、ため息をついて、言った。
「これからどうしたらいいか、わからないんです」
「あんたの願いどおり、大金持ちになれたんだろう? だったら、そのまま大金持ちとして暮らせばいいんじゃないの?」
「そうなんですけど、このまま大金持ちとして暮らしていてもハッピーじゃないんです」
「どうして?」
「誰かが金目当てに私に近づいてくる。そして、たかってくるようになるのは、目に見えています。金を奪われてしまうんじゃないかって、ビクビク怯えながら暮らさなければいけなくなります」
 婆さんは薄ら笑いを浮かべながら言った。
「金持ちって、そんなもんさ。金目当てに近づいてくる貧乏人どもは放っておいて、無視すればいいんだよ」
「だけど、心配でたまらないんです。大金をもっていたら、どんどん使ってしまって、すぐになくなってしまうじゃないかって考えたり、『お金がなくなってしまわないように、使わないでおこう。ケチケチ人間になろう』って考えたり、『今のままじゃあ、お金はどんどんなくなっていくから、資産運用をして増やさなくては』と考えたり・・・」
 婆さんが真顔になり、つぶやいた。
「ほう。そうかい? それから・・・?」
「それから、・・・『今、持っているお金がいつかはゼロになってしまうじゃないか』って、不安でたまらないんです。仕事も辞めてしまったし、貯金がゼロになったら、私、食べていけません」
「そんな心配しなくていいよ。大金持ちなんだから」
「無理です。昔は思ってました、『大金持ちになれば、何の悩みもなく、悠々と暮らせるようになるんだ。金さえあれば、顔や体目当てにすり寄ってくる男に頼る必要もないし、会社に勤めてイヤな上司のもとで辛い仕事をしなくて済む』と。でも、大金持ちになっても、悩みは尽きません。いや、むしろ、大金持ちの方が苦しいです。それに、なにもやるべきことがないって、たまらなく辛いんです。暇で、退屈で、死んでしまいそうになるんです!!」
 婆さんは急に右手の人差し指を私の鼻先に突き出して、ワナワナと震えながら叫んだ。
「何、言ってるんだい! あんたが『金持ちにしてほしい』って言うから、あたいはあんたを金持ちにしてあげたんだよ。それなのに、何、言うんだい? 憶えてるかい? 最初はあんたは言ったね、『美人になりたい』って。それをかなえてあげたら、次は『金持ちになりたい』って言ったんだよ! もう二度もあんたの願いをかなえてあげてるんだよ。それなのに、何、言うんだい!」
 私はその場に座り込んで、頭を抱えた。そして、消え入りそうな声でつぶやいた。
「二度も願いをかなえてもらったのに、こんなこと言って、ごめんなさい。でも、私、やっとわかったんです、『美人になっても、大金持ちになっても、私の心は満たされない』って。教えて下さい、私は一体、どうやったら幸せを実感できるの? どうやったら苦しみや悩みから解放されるの?」
 婆さんは返事をしなかった。黙ったままだった。私はその場に座り込んだまま、鳴き続けた。
 そして、長い長い時間が過ぎていった。涙が枯れ果てて、私は鼻水をすすりあげながら、顔を上げて婆さんを見た。
 婆さんが腰を降ろして、私の前に座った。そして、右手で私の肩をやさしくさすりながら言った。
「あんた。明日になったら、いいこと、教えてあげるよ」
「明日になったら? そんなこと言わないで、今すぐ教えてよ」
「だめだよ。今は教えられないよ」
「なぜ?!」
「理由なんてないよ。ダメなものは、ダメなのさ! とにかく、今晩は何もかも忘れて、ぐっすり眠るんだ」
 私が口を開けようとすると、婆さんは人差し指を口の前で立てた。
「しーっ。今はしゃべる時じゃないんだよ。おやすみ」
 そう言って、婆さんは私の手を引き、寝室に連れていった。
 私はベッドに入り、横になった。
 婆さんは右眼だけパチンと閉じて、右手を上げて左右に振った。
「それじゃあ、おやすみ。忘れないで、あたいはあんたの守護霊なんだよ」
 そう言うと、婆さんはフイと消えた。
 私は枕に頭を鎮め、アッという間に寝入った。


第4章 私は白い雲の上に戻った

 風がヒューツと吹き抜けて行って、私の体がゾクゾクと震えた。私は目を開けた。天井はない。そこには、星がキラキラと輝いていた。
 私はガバッと起き上がり、周りを見渡した。一面、緑の草原が広がっている。そして、足元は・・・白い雲だった。
 体中が凍りついたように痛い。私はつぶやいた。
「私はまた、臨死状態になったの?」
その時、私の後ろで声がした。
「ここは白い雲の上」
 体がビクンと震えた。私は後ろを振り返った。能美の婆さんが腕を組んで立っていた。私は思わずつぶやいた。
「能美さん。どうして私はここにいるの?」
 能美さんがニコッと笑った。シワだらけの顔がさらにクシャクシャになった。
「どうしてって・・・。あんた、あたいに言っただろ、『どうやったら、幸せを実感できる? どうやったら苦しみや悩みから解放される?』って。だから、その方法を教えてあげたのさ」
 私は顔を上げて、能美さんを見た。
 能美さんは頭をかしげて、口角を上げて言った。
「あんたは、外見さえ良ければハッピーになれると思っていた。それに、金持ちになったら心が満たされると思っていた。そうだろ? もしあたいが、その時に『美人になっても、心の平安は得られないよ。大金持ちになっても、満足感を感じることができないよ』って言ったら、あんた、信じた?」
 私は頭を左右に振った。
「信じなかったでしょうね。昔の私は思ってた、『運命に恵まれて外見さえ良ければ、他者から好印象を持たれたり高く評価されたりされるから、イライラしないで済む』って。あるいは、私は思い込んでいた、『運命に恵まれて、金をたくさん持っていれば、欲しいものは何でも手に入れることができて、自分は満足できる』って・・・」
 能美さんは口を開いて、歯を見せてから、言った。
「それじゃあ、今はどう思うの?」
「美人って・・・、一長一短ね」
「それって、どういう意味?」
「美人であるっていうことは、いい点もあるけれど、悪い点もある・・・っていうこと。以前の私は思ってた、『美人であるということは、すべていいことだらけなんだ』って。でも、違った。美人であるっていうことは、確かにいい点もあるけれど、悪い点もあるんだっていうことが身に染みてわかったよ。美人であるというだけでチヤホヤされたり、高いポジションを与えたりされることがある。それはいいことだけど、そんな時、自分は考えてしまう、『高評価されているのは、私の努力や内面的な性格なんだろうか? それとも、外面的な容姿だけなんだろうか?』って。それに、考えてしまう、『今ある美貌が失われてしまえば、私に対する高評価や与えられたポジションはなくなってしまうんじゃないだろうか』って・・・」
「自分に対する自信や自己肯定感や満足感が持てなくなる・・・っていうことかい?」
 私はうなずいた。
能美さんはうなずいてから、言った。
「容姿の良い人は、『見た目の美しさがあったからこそ、高く評価されたんだ』と思われてしまう。つまり、『内面的な実力はないのに、外見だけで高く評価されて成功したんだ』と思われてしまう。その結果、美人の女性は、自分の高評価や業績が外見のおかげだと思われないように、困難な目標をめざしてがんばり過ぎて、ストレスで力尽きてしまう。それから・・・」
「それから?」
「それから・・・若い時は美人だとチヤホヤされるけれど、歳老いて来ると、美しさが失われていく。歳を取って、顔やスタイルの美しさが失われてしまうと、年配の女性は『魅力的でない』とか『おばさんだ』って評価されてしまう。美しかっただけに、歳取ると、つらさが激しくなる」
 私はうなずいた。
「その通りね。美人って、いいことばかりじゃないわね」
「ユキ。それじゃあ、話しは変わるけど、お金持ちになった場合はどうだった? 貧しかったあんたが大金持ちになったら、欲しいものは何でも買えて、ハッピーになれたんじゃないの?」
 私は目を閉じて、フーッと息を吐き出した。
「私もそんなふうに思ってた、『金さえあれば、幸せになれる』って。でも、そうじゃなかった。お金って、確かに必要だわ。お金が少なくて、食べていけないんじゃあ、絶対ダメ。それは間違いない。だけど、『お金って、多く持ちすぎても、良くない』っていうことがわかったわ」
「それ、どういう意味?」
「お金が多く持ちすぎると、不幸になる可能性があるわ」
「具体的にどういうこと?」
「まず、お金がたくさんあると、それがなくなってしまうじゃないかという不安や恐怖に襲われてしまうわ。次に、お金があると、お金を目当てに私に近づいてくる人が現れる。盗まれてしまうんじゃないかという不安で、夜も眠れなくなる。実際にお金が盗まれるということがないにしても、金をたくさん持っているというだけで周囲の人からねたまれてしまう。さらに、財産管理に多大な時間を費やさなくてはならなくなる。それから・・・どんなに多くのお金を持っていても、お金で買えないものがあるっていうこと、そして、お金よりも大切なものがあるっていうことにも気づかされることになるわ」
 能美さんは頭を上下に振りながら、「そうかもしれないわねえ」とつぶやいた。
 私は能美さんの目を見据えながら、言った。
「能美さん。教えて下さい。美人になっても、大金持ちになっても、心は完全に満たされないのなら・・・、私は一体、何を求めたらいいの? 一体、どうやったら、私は幸せを実感できるわけ?」
 能美さんは右手の掌を天に向けて、私の胸の前に突き出した。
「あんたに質問よ。あんたは人生に一体、何を求めるの?」
「人生に何を求める? それって、どういう意味?」
 能美さんは頭を左右に振りながら、「ハアー」と長く息を吐き出した。そして、私の目を見て言った。
「あんたは今、生きているけれど、なぜ生きているの? どうして死なないわけ? 人生から何を望むの? あんたの人生の究極の目的は何? もっとわかりやすく言えば、あんたにとって最も価値あるものは何なのよ?」
 私の口が勝手にしゃべり始めた。
「人生の目的・・・。実現したいとめざすもの・・・それは、私にとっては、いろいろな要素がバランス良く整っていること」
「何よ、それ?」
「次のような要素のことをバランスよく整えて持てている状態・・・それが私の『人生の目的』よ。その要素っていうのは・・・一つは、心身ともに健康であること。二つ目は・経済的に安定している事。三つ目は、良い人間関係を築いていること。四つ目は、やりがいのある仕事に情熱をもって取り組んでいること。そして、五つ目は、自分の資質を生かして、十分に発揮しながら活躍できること。つまり、自己実現できていること」
 能美さんは「うん、うん。贅沢な願いだね」とうなずいてから、言った。
「だけど、なぜ、そんなふうに思った?」
「私、昔は思っていた、『容姿が美しくなれば、幸せになれるんだ』とか、『お金さえあれば、幸せになれるんだ』って。だから、あなたにお願いして、美人として生きてみたし、大金持ちとして生きてみた。だけど、それは間違っていたわ。何か一つの要素だけ突出してうまくいっても、幸せを感じることはできない。だから、私、思ったの、『色々な要素を少しずつでも、より良い状態を維持することが大切だ』って。つまり、容姿もそれなりに良くて、お金もそれなりに持っていて、心や健康もそれなりに良く保っていて、人間関係もそれなりに良好で、仕事もそれなりに好きで毎日続けられて自分らしさを発揮できて満足できていられる状態を持ちたいの」
「『それなりに』・・・っていうのは、つまり、『多すぎず、少なすぎず、バランスよく』っていうこと? 例えば、ブスは嫌だけれど、美人過ぎるのも困るし、お金はなさ過ぎても困るけど、あり過ぎるのも困る・・・っていうのね。『いろいろなものが、ほどよく整っていてほしい』・・・っていうことね」
「そうよ。それがわかったら、あんたは今から自分のありのままの自分のまま、生きていけるよ」
 私は顔を上げて、婆さんの目を見つめた。
「それって・・・私がブスで貧乏のまま、現世に戻るっていうこと?」
 婆さんがうなずいた。
「大事なことは、あんた自身のままで生きていくことさ」
「私自身のままで生きていく? それって、何?」
「あんたの中にある生命力を発揮させ、あんたの本性を実現するんだよ」
「それって、どういうこと?! もっと詳しく教えてよ」
 能美さんは目を閉じて、深呼吸をくりかえした。そして、長い時間が過ぎて、目をガバッと大きく開いて、私を見据えた。
「わかったわ。あんたに教えてあげる、『世界一のライフ・スキル』を・・・」
「世界一のライフ・スキル? 何よ、それ?」
「これはね、守護霊だけが知っている『最高の人生を送るためのライフ・スキル』だよ。守護霊だけが知っている・・・っていうことは、つまり、現世の人間は知らない秘訣さ。もっとわかりやすく言うなら、これは『トップ・シークレット』なのさ。守護霊は数えきれないほど多くの人々の人生を見てきたんだ。そうして、得られた叡智なのさ」
「普通は教えてもらえない知恵・・っていうこと?」
 婆さんは大きくうなずいてから、右手の人差し指を天に向けて突き立てた。
「まず、一つ目のライフ・スキル。それは、正しい目標を設定するっていうこと。そして、求めるべきものは『普通であること、自然であること』なのさ」
「普通であること? 自然であること? そんな、ありきたりなことを求めるの?」
「普通は『ありきたり』じゃない。『ほどほどが一番ありがたいもの』なのさ」
「そうなの?」
「そうさ。でも、ほとんどの人が間違った目標を設定してしまっている。あるいは、完璧なものを求める。人生で何を求めるのかという選択は、大切なことなんだよ。間違った目標を設定してしまうと、あとで取り返しがつかなくなる。世間で常識とされている価値観、たとえば金や評判や容姿などといった価値観を鵜呑みにして取り入れてしまっている人が多すぎる。そういう人たちは、死ぬ時になって後悔することになる」
「『普通』って、そんなに貴重なの?」
「『普通なんて、たいしたことない』って思うだろ? 違うよ。『普通』が一番いいんだよ。『普通』が『最高』なんだよ」
「『普通』って、何?」
「『普通』っていうのは、度が行き過ぎていないっていうことさ。売れっ子モデルや有名な芸能人のように超美人でもないけれど、目も当てられないほど顔に支障があるっていうわけでもない。大金持ちでもないし、超貧乏でもない。『ほどよく調和が取れている状態』、それが、『普通』なんだよ。『めずらしくないこと』『ごく当たり前であること』『他と変わっていないこと』・・・それが、『ありがたい』ことなんだよ。わかるかい? 『ありがたい』っていうのは、字義通り、『あることが、かたい』・・・つまり、『めったにないこと』なんだよ。それは、『尊く、もったいないこと』なんだよ。貴重なんだ。多くの人が間違って思ってしまうんだ、『普通って、いつでもどこにでもあって、簡単に手に入るもので、全然ありがたくないものだ』って・・・。でも、それは間違ってる。『普通』ほど素晴らしいものはないのさ」
「普通じゃないことが、すばらしいんじゃないの? 普通よりももっと多く、もっとすぐれているものが、いいんじゃない? 普通なんて、ありきたりで、いつでも手に入るものじゃないの。私は、ついつい、考えてしまう、『今のままじゃあイヤ。物足りない。もっと高く、もっと多く、もっと完全に・・』って・・・」
「そうだね。現代人は特に、『発展すること』『成長すること』『金や高評価をもらうこと』が素晴らしいことだと思い込んでいる。洗脳されている・・・って言ってもいいくらいだ。だけど、『普通が一番ありがたいこと、自然な状態が一番尊いこと、気持ちの良いバランスが一番もったいないこと』ということに気づける人は少ないんだ。ほとんどの人はエゴイズムの欲にかられて、『もっと美しくなりたい』『もっと有名になりたい』『もっと出世したい』『もっと金がほしい』『もっと長生きしたい』『自分さえ良ければいいんだ』と思ってしまう。そして、そのエゴイズムはかなえられることはなく、苦しむことになる。わかるかい? 『世間で間違いないと捉えられている価値観が本当に正しいの?』と、疑ってみる必要があるのさ」
 私は目を閉じて、少しの間、考えてから、言った。
「じゃあ、私個人としては、具体的に何を目標にすればいいの?」
「自分の人生で何を目標にするのか、そのためにはあんたが『あんた自身を知る』ということが必要なのさ」
「私自身を知る?」
「そう、『本当の自分が何なのかを知る』・・・これが、2つ目の『世界一のライフ・スキル』さ。ギリシャの哲学者、ソクラテスも言っただろ、『汝自身を知れ』って。そして、自分という存在を二つの観点から知る必要があると思うよ。一つは・・・生物の一員としての私、つまり、私の『本性』は何なのか? それから・・・、『個別的存在』としての自分の特性はなんだろうか? そうしたことを知る必要があるんだ」
 私は口をポカンと開けていた。
 婆さんはしゃべり続ける。
「自分自身を知る上でも、『かたより』はいけない。『ほどよいバランス』は大切なのさ。つまり、あんた自身を知る上で、一つの観点から見るだけではなくて、二つの観点から見た方がいい。そして、一つ目の観点は、他の生物との共通点・・・個別的存在ではない、自分の本性。・・・そして、もう一つは、個別的存在としての自分の特性。これが、『世界一のライフ・スキル』の2つ目だ」
「個別的存在ではない、自分の本性? それって、一体、何? 私って、個別的存在でしょう? 他の人間や他の動物とは別々の存在。『私』は皮膚の内側であって・・・、皮膚の外側は『私でないもの』でしょう?」
 婆さんは目を閉じて、頭を左右に振った。
「あんたは『全体の一部』なんだよ。あんたは単なる肉体ではない。あんたの肉体の中に流れ込んでいる、目に見えないエネルギー、それが『あんたの本質・本性』なんだよ。あんたの本質は、肉体じゃない。あんたの死体が『自分の本質』だなんて、言えないだろ? あんたの本質は、肉体の中に浸透している、透明なエネルギー。『息吹』って言ってもいい。多くの人は、『いのち』という名前を与えて呼んでいる。つまり、あんたの肉体の中には、目には見えないけれど、あんたを生かしている無限のエネルギーがある。それがなければ、あんたは死んでしまう。動くことはできない。感じることも、考えることも、行動することもできないんだ。そして、『いのち』のエネルギーは、すべての生き物の体の中にながれこんでいるんだ。そうした、素晴らしい力・・・それが、あんたの『本質』だ」
 私はゴクンと唾を飲み込んだ。
「いのち・・・。私の本質は、無色透明な、無限のエネルギー・・・」
 婆さんはコクンとうなずいてから、続けた。
「そう。あんたは単なる一つの個体なんかじゃない。全ての動植物の体の中にあるものが、あんたの中にも流れ込んでいる。あんたは『素晴らしい力の一部、全体の一部』なんだよ。あんたの中に、とてつもなく素晴らしい力が流れ込んでいるんだということを、忘れてはいけない。もっと自分に自信を持つんだ。あんたの中には、貴重な宝物が眠っているんだよ。自分の力を正確に評価するんだ。自分を信じるんだ。ただ、自信過剰は禁物で、自分の能力を買いかぶりすぎるのも間違っている。いつも、バランスは大切。だけど、多くの人は卑下しすぎている。自己肯定感を持てないままでいる。自分の中に無限の力が眠っていることに気づいていないからだ。自分の中で眠ったままの力を覚醒させるんだ」
「私は素晴らしいパワー・・・」
「そうだよ。でも、もう一つの観点も忘れてはいけない。あんたは『すべての動植物の中に流れ込んでいる、『大いなるいのちの一部』であると同時に、あんたは個別的存在であるんだよ。全ての動植物と同じものを持っているけれど、同時に、あんたはあんた独自のもの・・・『自分』という個別的特性を持っているんだ。とにかく、本当の自分とは何かを知る。そうすれば、あんたは自分の内にある力に気づき、自信をもって人生を歩んで行ける。それに、自分の特性がわかれば、自分にピッタリの人生目標を設定していくことができる」
「本当の私を知る・・・か。言うのは簡単そうだけど、実際に達成するとなると、難しいと思うけど・・・」
 婆さんが「フフフ」と笑った。
「いいこと、言うね。その通りだよ。本当の自分を知るためは、『自分を観察すること』が必要だね。特に、『自分の内側を見ること』が必要さ」
「自分を観察する? 自分の内側を見る? それって、一体・・・?」
「なにもかも教えてもらう・・・っていうのは良くない。自分で考えるんだよ。とにかく、自分を観察する。そして、いろんなことに気づく。そして、自分で考える。そして、自分で行動してみるんだ。とにかく、『自分でやってみる』っていうことが大切なのさ」
「はい・・・」
「それじゃあ、三番目のライフ・スキルについてしゃべろうかね。それは、『自分のミッション、使命を知る』・・・っていうことさ」
「自分のミッション? 自分の使命?」
「さっきから言っているけれど、本当の自分というものを知ることが大事。そうすることは、あんたを次の段階にレベルアップさせてくれる。つまり、自分にピッタリの目標を設定することができるようになる。自分にピッタリの目標とは、自分のミッションのこと。わかるかい? 自分の個別的特性がわかれば、自分のミッションがはっきりとわかるようになる」
「ミッション、ミッションって、さっきから言っているけれど、ミッションって一体、何なの?」
「ミッションとは、『成し遂げなければならない務め』。わかりやすく言うなら、『あんたに与えられた任務』だよ」
「私に与えられた任務? 誰が与えたの?」
「誰だろうねえ。それは、いつかわかる時が来ると思う。とにかく、あんたには『果たさなければならない義務』が与えられているんだ。それが何なのかを知ることが大切だ。自分が人生で果たさなければいけないこと。それを、自分の人生の究極的な目的にするんだ。これが、三つ目の『世界一のライフ・スキル』さ」
「私のミッション? それって、何?」
 婆さんが上を向いて、「ガハハ」と笑った。
「それは、あんたが見つけるものだよ。あたいや、あるいは、他の人があんたのミッションを見つけることはできない。誰かが『あんたのミッションは、これだ!』と言ったとする。そう言われて、あんたは納得するかい?」
 私は少し考えてから、頭を左右に振った。
 婆さんは言った。
「納得しないだろう? あんたのミッションはあんた自身が見つけるもの。『見つける』と言うより、あんた自身が『悟る』ものさ。あんたが『私のやるべきことはこれなんだ!』と腑に落ちたら、それが答え!」
私はうなずいた。
「とにかく、自分で答えを出すもので、他人から教えてもらうものではないんですね」
 婆さんが大きくうなずいた。
「そうだ。くれぐれも、他人のミッションを遂行するんじゃないよ。他人ではなく、自分自身のミッションを行うんだ。他人のミッションを行うことは危険だ。そんなことをしても、決して幸福にはなれない」
 私は目を閉じてから、開いて、婆さんに向かって問うた。
「ミッションを決めたあとは・・・?」
 婆さんがうなずいた。
「自分のミッションを悟ったら、あとはそれを遂行するだけだ。そして、その時に大切なことは、『行為の結果を顧みないこと』だよ。これが『四番目のライフ・スキル』だよ」
「行為の結果を顧みない?」
「行為の結果が成功しようが失敗しようが、そんなこと、考えないってことさ」
「そんな! 誰だって、自分の行動の結果が成功してほしいって願うでしょう? 自分のミッションをうまく成し遂げたいと思うでしょう? 結果を気にしないなんて、無理だわ」
 婆さんが言った。
「あんたは結果をコントロールできるかい?」
 私は答えようとして口を開けたが、言葉が出て来なかった。
 婆さんが続けて言った。
「あんただけじゃない。あたいも、そして、すべての人が結果をコントロールできない。なぜなら、物事は様々な原因と条件のよって影響を受けるからだ」
「でも、結果的にうまく行かなければ、最初からやらないのと同じでしょ?」
「結果はやってみなくちゃ、わからない。それに、『どうせうまくいかないかもしれない』なんて考えてしまって、最初から行為を全く行わなければ、絶対にうまく行くはずがない。それに、結果の事ばかり心配していたら、どうなる?」
「結果に悪影響を与えることになる?」
「その通り。余計な心配することで、うまく行かない可能性が上がってしまう。未来のことを不安に思っても、未来はコントロールできないんだ。むしろ、心配は未来に悪い影響を与える。だから、何も考えずに無心で行為に取り組むんだ」
「無心・・・」
「そう。結果のことは考えてはいけない。思考作用を停止するんだ。行為の結果に囚われないで、プロセスを大切にするんだ。自分の『ミッション』が達成されるようにひたすら努力することが大切だ。結果的に成功しても失敗してもどうでもよいのだ」
「なぜ?」
「結局、今この瞬間に行っていることに集中することが大切。過去の事は考えない。未来のことも考えない。そんなことしても、何も変えられない。今を変えることによって、未来が変わっていく。後悔しても、心配しても、何も変えられない。変えられないものを変えようとしても、ムダなんだ」
「過去のことも考えないし、未来のことも考えない」
 婆さんはうなずいた。
「今の状況に満足して、無欲になるんだよ。『変えたい、足りない』って叫んで、何もかもを自分の思い通りに変えようとしても、変えられないものがあるんだ。変えられないものはあるがまま受け入れるしかないのさ。そのことが本当に豊かな人生を生きることなのさ」
「エゴイスティックな欲望をコントロールすること?」
「変えられないものは、変えようとしないことさ。持って生まれた自分の能力や顔かたち、親の教育方針や経済状況。それから、自分の犯してしまった過去の失敗。それから、他人の性格や行動。そうしたものは、変えたいと望むのではなく、『変えることができない』って諦めて、そのまま受け入れるんだよ」
 私はスーッと息を吸い込んで考えた、「私の力ではどうしようもないこと。それは、私がどこの時代に、どの国で、どの親のもとで生まれてくるかということ。私が男として生まれてくるか、女として生まれてくるか、そして、生まれてきた家庭の経済力や教育方針など・・・。それから、私がどういう能力や障害をもって生まれてくるかということ。幼少期に受ける教育。それから・・・、それから・・・、なんといっても、過去。過去は変えられない。起こしてしまった失敗・・・これは、取り返したいけど、取り返せない。後悔で、悩まされてしまう。それから・・・、それから・・・、他人! これも、変えられない。すぐ怒って怒鳴る人、すぐに暴力をふるう人、すぐに泣き出して錯乱してしまう人など、世の中には私にとって嫌な人がたくさんいるけれど、それは私の力では変えられない。確かに少しは変化の影響を与えられるかもしれないけれど、基本的には私の力ではどうしようもない」と・・・
 そして、私は言った。
「過去や他人、そして、今この瞬間に起きている状況は受け入れるしかないんだ。不満だらけだけど・・・」
 婆さんが右手の人差し指を突き立てて、左右に振った。
「おっと、続きがまだあるんだよ。変えられない運命というものがある一方で、変えられるものも、あるんだよ。変えられるものと変えられないものをきちんと識別し、変えられるものは変えていく。そして、変えられるものの中で『大事なこと』を優先すべきなんだ」
「大事なこと? 何、それ?」
 婆さんは「ククク」と苦笑した。
「それは、あたいの質問だよ。あんたの人生にとって『一番大事なこと』って何なのさ?」
「私にとって一番大事なこと?」
 私は人差し指の先を頭に当て、目を閉じて考えた。頭の中で何かがピカッと光った。
 私は目を開いて、言った。
「一番大事なことは、自分が為すべきこと?」
 婆さんが目を細めて、うなずいた。
「その通り。あんたが為すべきこと・・・つまり、あんたのミッションさ。あんたのミッションを優先して・・・一番先に行う、結果がどうなるかなんて、考えずに・・・これが、『4つ目のライフ・スキル』さ。具体的にあんたのミッションは何か? それは、さっきも言った通り・・・、あんた自身が探し、悟っていくものなんだよ」
 私は頭を下げた。
「ありがとうございます。4つのライフ・スキルを教えていただいて。でも、これら4つの原則から導き出して、私が具体的にどう生きていくかということになると、一体、どうなるんでしょうか?」
 婆さんは言った。
「そいつは、自分で考えるもんだよ」
「そんなもんですか? それじゃあ、考えてみます。どこから始めたらいいんでしょう?」
「現世にもどった時、あんたは考えるんだ、『自分は今晩死んでしまうんだ』と。そう考えたら 答えが出てくるさ。今晩死んでしまうとしたら、さて、あんたはどうする?」
 体が一直線に伸び切って、そのまま凍りついた。
 私は頭をブルッブルッと振って、正気を取り戻して、叫んだ。
「そんなわけないでしょ!」
「いや。あんたは今晩、死ぬ。あたいを誰と思ってるんだい? あたいは、あんたの守護霊だよ。これでも、神の使いの端くれさ!」
「うそでしょう? 『嘘だ』と行ってよ! お願い!」
 婆さんはしばらく黙ってから、つぶやいた。
「まんざら嘘じゃない」
「まんざら嘘じゃない? それ、どういう意味?」
「あんたは明日死ぬ・・・『かもしれない』・・・っていうことさ」
 私はフーッと息を吐き出した。
「やっぱり嘘なんだね。私は明日死ぬわけじゃないんでしょう?」
「わかんないかね? あんたは明日死ぬ可能性もある・・・っていうことさ。あんたがいつか必ず死ぬ・・・っていうことは間違いない。だけど、あんたがいつ死ぬか・・・っていうことは誰にもわからない。あんたは明日しぬかもしれないし、何十年か先に死ぬかもしれない。いずれにしても、人生は短い。明日死ぬのも、何十年後かに死ぬのも、同じさ。近いうちにあんたは死ぬ。どうする? だから、仮定して、考えるんだ。例えば、今日が人生最後の日だとしたら、どうする?・・・って」
 なぜかその時、耳の中でジーンという摩擦音が鳴り始めた。私は考えてから、言った。
「婆さん。もし今日が人生最後の日だというのなら、私はとにかく今日一日、心安らかに送りたい」
「心安らかに? それって・・・?」
「とにかく、悩みや怒りや不安がなくなって、壁をドンドン叩いたり泣いたり叫んだりしなくていいようになりたい。心穏やかに・・・心がゆったりと落ち着いて静かに過ごしたい」
 婆さんはうなずいた。
「なるほどね。なんとなくわかる気がするよ。過去の辛い経験のよる怒り・悲しみ、未来に対する恐れ・不安、物欲・性欲・食欲などの快楽への強すぎる欲望、自分や他人への期待・・・そんな、イヤな気持ちから解放されて、自由で身軽になりたい。そうじゃないのかい?」
 私はうなずいた。
「うん」
「そうなるためには、あんたはどうしたらいいと思う?」
「私がイヤな気持ちから自由になるためには、その方法を知りたい。そして、同じように苦しんでいる人に、その方法を伝えたい」
「なるほど。イヤな気持ちから自由になる方法ね。あんたがイヤな気持ちから自由になるためには、どうすればいいんだい?」
 その時、頭の中で何かがピカッと光った。雷のようにゴロゴロという巨大な音が私に体の中を走り抜けた。
「わかった!」
 私は叫んでいた。
「イヤな気持ちから解放されて、イヤな気持ちをゼロにして、ストレスフリーになるためには・・・婆さんが教えてくれたことをすべて同時に進めていけばいいんだ! なるほど」
 私は手を打って、踊り始めた。
 婆さんは私に言った。
「おいおい。あたいが教えたことをすべて同時に進めていく・・・って、どういうことだい?」
 私はケタケタと笑った。
「つまり、いろんな面で同時に、『真実』を知る・・・っていうこと」
「何、言ってるんだい?」
「いろんな面で同時に『真実』を知るっていうことは、本当の自分を知る・・・っていうことでもあるし、自分や自分以外のことで変えられるものと変えられないものとをきちんと識別できる・・・っていうことでもあるし、自分の願いや使命を知る・・・っていうことでもあるし、・・・他人と自分を比較する必要なんかまるでなくて、自分にぴったりする自然なもの、自分が気持ちいいと感じることができる『普通のもの』を求めていけばいいんだわ。私はなにもわかっちゃいなかったし、今でも完全にわかっているわけではないんだ。でも、今は少しずつわかりつつある。『真実』に近づきつつある。と言うか、これからも『真実』を追求し続けていきたいし、『真実』を追い求めていかなくてはいけないんだ」
「『真実』? なんだい、そりゃ?」
「うーん。言葉にするのは、むつかしいけれど、いのちの息吹が、尊い力として私の中に注ぎ込んでくれた力を完全に発揮させること! 自分の為すあらゆることを、偉大なものにすること!」
「何? 何? それって、自己実現?」
「『自己実現』ですって? そう言ってもいいかも! 天が私に与えてくれた資質・生命力を生かして、十分にそれを発揮して活躍すること!」
「天?」
「そうね。私は生きているのではなくて、生かされているんだわ。私が為すべきことをはっきりと知り、そして、いろいろと思考して苦しむことはスッパリと停止させて、行為していかなくてはいけない。私はそう思う。私の為すべきことを為さなければいけない。私はそう思うわ」
 婆さんはニッコリと笑って、うなずいた。
「お別れだね。もう、あたいの出る幕はないね。さよならだね」
 私は婆さんを見た。婆さんの目がうるんで、光った気がした。
「あんたは美人でもないし、大金持ちでもない。それでもいいのかい?」
「私がたとえ明日死ぬとしても、後悔しないで、死を受け入れられるようにしたい。私は天が私に与えてくれた資質・力を生かしていきたい。自分らしく生きていきたい。自分の内側にやさしく関わり続け、そこから感じたものを受け取って生活に活かしていきたい。そして、私以外の人々とお互いに応援し合っていきたい。なぜって、他の人々も私と同じように天から独自の個性とか資質を一人ひとり与えられているんだから・・・」
「そうかい。わかったよ。元気でな。健闘を祈ってるよ」
「健闘?」
「そうさ。運命は鞭を持っている。その鞭であんたをズタズタに引き裂く。しかし、あんたはそれに耐え抜くんだ」
「耐え抜けば、どうなるの?」
「鞭はあんたを鍛え上げてくれる。そして、いつかあんたは言うのさ、『運命の鞭なんて、たいしたことない』って・・・」
「そんな日がいつか来るの?」
 婆さんが微笑み、うなずいた。
「ああ、きっと来るさ」
婆さんは急に腰をかがめて手を口に当てて、「ゴホン!」と大きく咳をした。
「さあ、そろそろ時間だよ。あんたが自分の体に戻る時が来たよ。さて、どうする?」
「それ、どういう意味?」
「これからあんたがどのように生きるか、ってことさ。それは、あんたが決めることができるんだよ。これまでと同じように生きていくこともできるし、これを機に新しい生き方を選ぶこともできる。どうする?」
 私は考えた、「いつかまた、この場所にやってくる時が来る。その時は臨死体験できるかどうか、わからない。いや。たぶん、いきなりあの世へ行ってしまう。そうすると、私は肉体を使って行動することはできなくなる。これから・・・私は現世に戻って、自分の肉体の中に戻っていく。さて、私はどうしたいのか? さて、どう生きる?」と。
 勝手に口が開いて、叫んでいた。
「私、人助けができる仕事がしたいと思います。例えば、カウンセラーとか、看護婦とか、介護福祉士とか・・・そんなことがしたいと思います」
「なんだ? いきなり? なぜ、そんな仕事がしたいって思ったんだい?」
「なぜって、ふっと思い出したんです、私、小さい時から誰かの役に立って、誰かに喜んでもらうような仕事がしたかったんだって。つらい状況にある人の話を聞いてあげて、その人が少しでも楽になれたら、私もうれしい。考えてみると、私、昔からそんなことがしてみたかったんだって、思い出しました」
 婆さんが笑った。
「そうかい。それじゃあ、旅立ちの時だ」
「ありがとう」
「お礼なんて、とんでもない。あたいはあんたの守護霊だよ」
「ということは、おばあさんはこれからもずっと私を見守ってくれるの?」
 婆さんはかるくうなずいた。
「さあ、行きな」
「はい!」
 私は大きな声で返事して、白い雲の上から現世に向かって飛び降りた。


第5章 私は元の自分に戻った

 目覚まし時計が鳴った。懐かしい音だった。「リリリーン」と鳴る目ざまし時計。私は手を伸ばして、目ざまし時計のボタンを押して、ベルを止めた。
 目を開いて、「ハッ」とした。天井は木目で、電灯は薄汚れた電灯だった。私は古くて薄っぺらな布団をかぶっていた。豪華なベッドは、そこにはなかった。
私は起き上がり、辺りを見渡した。都心にある広くてきれいなマンションの壁や床は、そこにはなかった。それに代わって、私を取り囲んでいたのは、千葉の古くて狭い木造アパートの部屋だった。
 その時、私の後ろで声がした。
「あんた。本当に目が覚めたみたいだね」
 体がビクンと震えた。私の体が勝手に反転した。私は後ろを振り返った。私の守護霊の
能美さんが座っていた。私は思わずつぶやいた。
「和子さん・・・」
 ばあさんがニコッと笑った。シワだらけの顔がさらにクシャクシャになった。
「ユキ。あんた、自分の体の中に戻ったんだよ」
「私の意識が私の体の中にもどった?」
「そうだよ。あんたは生き返ったんだよ」
私は能美の婆さんを見て、言った。
「今日は何月何日?」
「今日は5月8日だよ」
「私が交通事故に遭ったのは・・・」
「4月28日。十日の前の話さ」
「私の体はどうなったの?」
「元のままさ。傷一つない、昔のままだよ」
「良かったあ~」
「良かった? 交通事故に遭って臨死状態になってから、この十日間、あんたは超美人になったり、大金持ちになったりしたけれど、今は元のままのドブスで、そして貧乏な女の子だよ。それでもいいのかい?」
 私はしばらく目を閉じて、大きく息を吸い込んで、そして、ゆっくりと息を吐き出した。
そして、目を開いて、婆さんの目を見つめながら言った。
「もちろん。また、生きていられるだけで、ありがたいわ」
「でも、あんたは明日、死ぬかもしれない」
 私は小さくうなずいた。
「そうだわね。明日死ぬかもしれないし、百歳まで長生きするかもしれない。あるいは、30代とか、40代とか、50代とかで死ぬかもしれない。とにかく、人はいつ死ぬかわからない。だけど、いつか死ぬことだけはわかっている。だけど、今は生きている。今、この瞬間が一番大切。今この瞬間、私は全力で生きるわ」
 婆さんが「ヒェーツ」という叫び声をあげた。
「また、なんで急にそんなこと、言う?」
「それって、あなたが教えてくれたことでしょう? 大切なのは、『これからどう生きていくか』・・・でしょう? 自分の運命は変えられない。自分がブスだとか、今は貧乏だとか嘆いたところで、何も変わらない。自分を変えたかったら、今、この瞬間から、しっかりと前を見据えて歩み出せば、未来は変わっていく。・・・運命も変えられないし、過去も変えられないわ。過去のことを悲しんだり、後悔したり、怒ったりしても、何もならない。悲しんでも後悔しても怒っても、何一つ変わらない。そんな無駄なことはしないわ。それに、未来のことを心配したり、不安に思ったりしても、何もならない。心配しても不安に思っても、未来が良くなっていくわけじゃない。そんなことしても、むしろ逆効果。未来に悪いことが起こらないようにするためには、今、目の前のことをきちんとやる。未来に良いことが起こるようにするためには、今、きちんと考えて動き出す。未来に夢や希望を実現させるためには、今、行動を起こす。泣いたり、わめいたり、頭の中で考えて不安になったり心配したりしたって、何もならない。そんな無駄なことをしている暇はない。なぜって、私はいつ死ぬかわからないんだから。たとえ今晩死んで、私の夢や希望やミッションを実現することができないとしても、私は後悔しないように、今、自分のミッションの実現に向かって努力する。結果的にそれが実現するかどうかなんて、未来のことは誰にもわからない。ただ、努力しないと、実現することはない。頑張れば、実現するかもしれない。頑張っても、実現しないかもしれない。でも、頑張ったら、いつ死んでも、自分は後悔しない。満足して、死ぬことができる。一番嫌なのは、死ぬ時が来て、『自分のやりたいことをやっとけばよかった』と後悔すること」
 婆さんが言った。
「それじゃあ、出発の時が来たようだね」
「出発?」
「そうさ。新しい一日が今、始まる。あんたの『これから』が今、始まる」
「これから・・・」
「そうさ。言っただろ? 『これまで』なんかにわずらわされることはない。大切なのは『これからどう生きていくか』・・・だけなんだよ」
 私は大きくうなずいた。
「ありがとう。いろいろお世話になりました」
「どういたしまして・・・と言いたいところだけど、あたいはあんたの守護霊だからね。お礼なんか、いらないよ」
 私は右手を上げて、婆さんの胸の前に差し出した。
 婆さんが頭をかしげて、私の目をのぞき込んだ。
「何だい? この手は?」
「お別れの握手」
 婆さんが笑いながら両手を持ち上げ、掌を私に向けて左右に振った。
「お別れ? 冗談じゃないよ。言っただろ? 『あたいはあんたの守護霊だ』って。これからもずっと一緒だよ」
「ずっと一緒?」
 婆さんはうなずいた。
「ずっと見守ってるよ。まあ、二度とお前さんの目の前に出て来ることはないだろうけれど。でも、いつも一緒にいるよ」
そう言うと、婆さんは右手を上げた。そして、婆さんはフッと消えた。
私は立ちあがり、会社に行く準備をし、アパートの玄関を出た。
 見上げると、空には虹が掛かっていた。虹の天辺に誰かが座ってこちらを見ているような気がした。
 私は駅に向けて歩き始めた、胸をはって、、まっすぐに前を向いて、大股で、力強く。


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