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「村上隆もののけ京都」展(最終回):トレカおよび原画の意味は?受け入れることはできるのか

(長文になります)
 本記事は前回の記事(5)の続きになります。


第5室・もののけ遊戯譚の作品をどう受け取るか?

 これまでの記事で紹介した作品は、村上氏が以前制作した現代ART作品と今回の展覧会のための新作でした。第5室では、様子がガラッと変わります。違いの一つは、村上氏が提唱した「スーパーフラット」とは真逆の、3DCG似の作品だったり、陰影法描写によるイラストであることです。二つ目は、それらは現在「カイカイキキ」が販売中のトレーディングカード(トレカ)原画でもあり、村上氏が、次に目指す現代ART作品群の展示室でもあったのです。
 以下例を示します。

図64 3DCG似の作品(Clone-X)
出典: 筆者撮影
図65 上段左:レッドドラゴン 上段右:ブルードラゴン
下段左:朝ぼらけちゃん 下段右:木魂ちゃん
出典:筆者撮影
図66 左:TAMAKI good sleep 右: HARUKA good sleep
出典:筆者撮影
図67-1 原画(Murakami.Flowers Collectible Trading Card 108 フラワーズ)
出典:筆者撮影
図67-2 全体の三分割撮影図
図67-3 部分拡大図
図67-4 部分拡大図

 以上ご覧いただいたように、目的がトレーディングカードにあることと、いずれも主題オタク文化のアイテムであること、さらに絵画技法が、これまでご紹介してきた「スーパーフラット」に基づいた作品とはまったく様相が異なっています。
 作品はどう見ても、絵画というよりも3DCGで描いたイラストにしか見えません。

 さてこれまでの記事は、村上作品前知識が全くない状態で、会場の作品を直接見て感じた感想を書いてきました。
 しかし、企業に就職後はまったく漫画アニメとは触れて来ず、いまや世界的にも漫画アニメゲームカードフィギュアなど、日本のオタク文化が一大潮流なのに、今に至るまでそれらに無縁だった私には、第5室の作品は手掛かりすらなく感想の「カ」の字も思い浮かべることができません

 ただその後見た動画の中で、村上隆氏本人はこの第5室の作品、特にフラワーズのトレカの原画図67)こそ観客に一番見てほしい作品なのだと言っていることを知り、何も書かないままで終わるわけにはいかないと思いました。
 そこで、本記事では会場の生の感想ではなく、その後調べた動画でにわか勉強した後の感想を述べることにします。

私が理解した第5室の作品群の意味(にわか勉強のあとで)

 以前の記事でも述べましたが、村上隆氏は今年になってご自身のyou tubeチャンネル、「村上隆」と「村上隆ラヂオ」を始めたことを、この記事を書き始めてから知りました。その中で「もののけ京都展」の開催の舞台裏や各作品の背景、見方を作者自身が解説しているので、ある意味では助かりました。(これまで投稿した記事では、前知識なく作品を見た会場での感想を述べた後に、動画を見て村上氏の解説で知ったことを補足する構成にしました)

 さて、問題は今回の第5室トレカの原画作品です。チャンネルを調べたところ、そのものずばり、カード産業に近年参入した経緯を詳しく述べた動画を見つけました(下記)。

 なお、本動画の冒頭では、村上氏が考えるアートおよびアートマーケット、すなわちアートのメカニズムについてホワイトボードに描かれた模式図を使って分かりやすく説明していますので、ご関心のある方は、動画をご覧ください。

 ここでは、前節に紹介した第5室のカードの原画作品の背景説明に限定して、村上氏の発言を下記に抜き出します。

●   (最近始めた)NFT(注:改ざんできない”証明書”付きのデジタルデータ)とカードは、私がこれまで30数年間培ってきたアートマーケット、もしくはアートの世界観そのもののメカニズムを援用しているもの。しかし「ワンピースカード」、「ポケモンカード」のマナーは守っているけれども、それらとは別世界で動いていると考えてほしい。
●(もののけ京都展の費用補填のため)クラウドファンディングではなくふるさと納税を採用した(ホリエモンの宇宙開発の資金調達法を参考にした)。
日本の方はアートを敵視する。(日本の社会には)アートによってお金が動くことを敵視する社会的通念がある。それは太平洋戦争に負けてからではないか?もしくはバブル経済が崩壊したときに刷り込まれてしまった体感ではないか? それとアート=僕(村上)とされるのは理不尽だと思う。
● 今回、カード(ふるさと納税用のカード)がリリース直後に高騰しているメカニズム、もしくはアートが何故高騰しなければならないのか、「ブルーチップ(注:証券用語、優良株)のアーティスト」がどうして高騰してしまうのか、そのメカニズムをお話ししたい。
●(一般には)ART=文化=先端=脳内分泌物が出る=良いアート。しかし、村上の作品は「良いアート」と呼ばれない。なぜなら、オタクのアイテムを使っているので、(日本人の)脳内分泌物を出すボタンを押せない。日本以外の国の人にはボタンが押せるようになっている。
アートにはコレクションという一面がある。カード産業として日本の方々も期せずして開眼したのではないかと思う。カードのコレクション、カードのセカンダリーマーケットで皆が熱狂しているところがポイントである。そうして、どうしても転売するものもあらわれてくる。これはしょうがない面があるが、抑え込まなければアーティストに還元されないこともよくわかる。しかしセカンダリーマーケットは歴然としてある
セカンダリーマーケットはオークションとも結びつく。欲しい人が二人以上いれば、必ず競い合い値が上がる。「釣り上げる」というか、「釣り上がっちゃう」。日本の場合、オークションは「交換会」という名前、西洋のオークションと違い、オークショニアが「そろそろこのくらいにしないとあなた方天井を突き抜けるような価格になるので、このくらいの価格でじゃんけんでもしなさい」「あなたこれを買ったからおいではないか」と調停者がいたらしい
● しかし、僕らのアートの世界は、突き詰めるとそのような殺伐としたことが起こってしまうような資本主義の世界、もしくはオークションの中で生きている
アートというのは西欧の中で培われたモノであって、(作品を見て)脳が覚醒するとは、色んな触覚から刺激を受けて脳内薬物が出て覚醒するということ。薬の出方が激しいと中毒症状を起こす。毒だから通常皆は悪だと認定する。カード産業の中毒症状は、社会に容認された「毒」だと思う。社会の中で一番強烈な中毒症状を起こすのが、実はアートである。アート=悪というのは日本人的には正しいんですよ。
●今回は、芸術の世界の僕の久しぶりの生の作品をみなさんにご紹介する展覧会なんですね。でも、その前にこのカードでもってちょっとみなさん脳内分泌物のエクササイズをしてもらえたらなと思っております。

「ふるさと納税と美術館展」村上隆が解説
https://www.youtube.com/watch?v=M9hlCKwcoAUより引用
強調文字は筆者

 カード産業という新しいオタク文化アイテム用語が突然出てきたので、私も含む従来の芸術、美術の範疇に慣れ親しんだ人にとっては、チンプンカンプンとなります。ましてや、それによってお金が動くとなれば、うさんくさく感じるのも無理はありません。

 しかしトレーディングカード制作は一見突飛なことのように見えますが、これまでの村上氏が現代ART作品を制作してきた姿勢にまったくブレがないと私は思います。

 なぜなら西洋絵画において、当初絵画は一点物だったのが、木版画、銅版画技術が出現すると、複製絵画が発生し、価格を維持するために枚数を制限して刷ることになります。さらにミュシャやロートレックの時代にはリトグラフ技術によるポスターが出現し、これらは数百枚規模あるいはそれ以上で印刷されることになります。すなわち、複製技術が出現するたびに新しい複製絵画が出現して新たな芸術作品が出現してきた歴史があります。ですから、一見突飛と思われるトレーディングカード(以降、トレカと略称します)ですが、現代においてはそれがポスター浮世絵版画に相当すると考えると分かりやすいのではないでしょうか。

 もちろん村上氏は、現時点で「ワンピースカード」、「ポケモンカード」が芸術作品と同じだとは言っていません。

 以上のカードの例に対して、村上氏のカードは、図67の原画をもとに、下記のようになります(クリックすると「108フラワーズ」シリーズのカードがご覧いただけます。)

 前二者に比べて、村上カードがはたして芸術的に優れているのかと問われても、ぱっと見では分かりません。

 しかし、これらのカード原画一枚に対し、別の動画アイデア創出の苦労、絵として完成させるまでの試行錯誤膨大な時間について制作過程を語っており、図67の全ての作品を作るのがどれだけ大変だったかという内容を聞くと、村上氏のカードにかける意気込みは伝わります。

 いずれにせよ、ロートレックミュシャポスターや、歌麿写楽北斎広重など江戸時代では安価な商品に過ぎなかった浮世絵版画も今日芸術作品とされているのですから、トレカも形は違っても類似の商品と考えると将来は芸術作品とみなされる可能性は否定できません。

 もしポスター浮世絵版画と大きく異なるところがあるとすれば、現代資本主義のマーケティング戦略に従って、稀少カードを意識的に作り、消費者のギャンブル性を利用していることです。それはさらにセカンダリーマーケットでの高騰も必然的に引き起こします。
 こういったところが、日本国内で反発や嫌悪感を買う原因かもしれません。

 しかし、日本国内からの批判に対する村上隆氏の一連の発言を見る限り、今に至るまで作品制作の姿勢は一貫しています。
 しかも下に示す現代ART作家としての自分自身作品の位置づけ客観的に把握している発言を聞くと、何の本質的な理解もなくトレカの原画作品の感想を述べても皮相な見方にしかならないので、村上氏の背景説明を紹介するにとどめたいと思います。

●アートは西欧社会で培われた世界観であり、現代アートは米国を中心とする現代アートのメカニズムの理解(と利用)なしには成立しえない現実がある。
●そのメカニズムの中で、自分は西欧絵画の文脈の中で日本のオタク文化のアイテムを使うことで作品を認めてもらえた。
●たまたま、私の作品がセカンダリーマーケットで16億円という価格がつき、(私の収入にはまったく関係が無いのに)アーティストだけでなく漫画やアニメの人々からも反感を買ってしまった。
●もともと自分は漫画家やアニメ作家の落ちこぼれなのである。そしてアートのヒエラルキーの中で最下層にいる人間である。
●自分の作品は現在は評価され売れていても死後どうなるかわからない。分かっていることは、日本の漫画やアニメが今後世界のアートのメジャーになることである。

村上氏出演の動画からの発言の要旨

 以上のように、村上氏はこれまでの西欧絵画日本絵画の歴史、文脈だけでなく、今後の時代の流れも押さえて発言していることが分かります。ですから、トレカへの進出も安易に思いついたわけではないと思います。

 さらに、私がハッと思ったのは次の内容です(確か、文化庁長官との対談の中だったと思います)。

 (国がCOOL JAPANなどで)日本の漫画文化に対して力を入れるのは良いが、例えば漫画の原画がまったく残っていないことを知っていますか? それは原画は無価値なものとみなされ捨てられているからです。美術館は原画の購入もできなければ原画の展示すらできないのです。なぜなら日本の税制が立ちはだかるからです。仮に美術品となれば、漫画家の遺族は莫大な相続税を払わなければならなくなります。日本の税制度のおかげで遺族は助かっているのです。

動画からの発言要旨

 最後の漫画家の遺族に関する一行は、村上氏一流の皮肉です。しかしこれは日本のアートとお金との関係に関する制度の本質的な問題点を指摘していると思います。

 実際、今回の「もののけ京都」展もトレカなしには開催できなかったというのです。なぜなら、次のような日本の美術館の制度的な制約があるからです。

●欧米の美術館では著名な芸術家の過去の作品を展示する場合、所蔵者から集めるために1)保険金、2)クーリエ(付添人)雇用と輸送費など、莫大な諸費用を入れた予算を組んで展覧会を行っている。草間彌生、杉本博、奈良美智に加えて私の過去の作品を使って展覧会を行おうとすれば、同じく莫大な費用がかかる。私の場合年2-3回海外の美術館で、彼らの予算で行っている。
●ところが、日本の美術館は、海外の有名作家には予算を確保するのに、私を含め海外で人気の日本人作家には予算を組めないという。海外の美術館と違い、日本では、美術館ではなく、大手の新聞社、テレビ放送会社が、欧米の著名な美術作品を日本に呼ぶために、企画だけでなく保険料や送料などの諸費用を美術館に代わり負担したという特殊な事情があったが、近年それが立ち行かなくなった。
 今回「京セラ美術館」が提示した予算はでは私の過去の作品の展示は無理なので、保険料、クーリエ、輸送費が要らない「新作」を制作することにした。それでも予算の1/4が不足することになった。
●そこで不足分を自分が調達することにしたが、クラウドファンディングでは無理だと判断し、あるとき「ホリエモン」の動画を見てヒントを得た。それは「ふるさと納税」を利用することである。

動画からの発言要旨

 以上日本の制度的制約を指摘した後、結論として京都市と協同し、「ふるさと納税」を利用して資金調達にこぎつけたのですが、意図したかどうか分かりませんが、結果的に日本の美術館の制度に対する痛烈な皮肉がここでも込められたのではないでしょうか。

 ちなみに返礼品は、ふるさと納税限定「COLLECTIBLE TRADING CARD」付き入場券で、寄付金額に応じて入場券の枚数が変わります。
 面白いのは寄付金1億円以上では、京都市内在住(通学)の高校生や大学生を個展に無料招待できる特典が付いていることです。これにより、誰かの寄付により、高校生や大学生の入場料を無償化し芸術に触れる機会を提供することが可能になったとのこと。

 参考までに、返礼品のカードのリストを以下に示します。展示作品がカードになっています。

 以上、トレカの原画作品の背景を紹介しました。第5室の次は最終室で新作、旧作が展示されていました。ここでは、画像の紹介にとどめます

最終室の作品紹介

図68 《五山お送り火》2023-2024年
出典:筆者撮影
図69 《2020十三代目市川團十郎白猿 襲名十八番》
出典:筆者撮影画像3枚を合成

さいごに

 本記事で「村上隆もののけ京都」展の訪問記事は最後になります。
 第一回の記事で述べた様に、もともとは、この展覧会のチラシに載った新作《金色の空の夏のお花畑》を見て、お花の描写が長谷川久蔵《桜図》と同じであることに気づき、現代ARTにまで日本美術の伝統が続いているのに興味を持ったのが訪問のきっかけです。

 ですから、そのことを確認することが目的で、こんなに回数を重ねるとは思いませんでした。ところが村上作品を見るうちに、ここ数年にわたって私がnoteの記事で書いてきた日本美術の様々な諸問題が各展示作品に含まれていることが分かり、はからずも感想が長くなってしまいました。

 その諸問題の中でも特に以下の二つに対し大いに考えさせられました。

1)日本の絵画の伝統と独自性
2)絵画における純粋美術と商業美術の差

 その過程で現代ARTを理解するよりも江戸絵画の多様性とすばらしさを再確認しました。

 特に江戸時代の偉大な点は、封建時代にも関わらず、権力者や知的エリート層向けだけでなく、大衆、市民に向けて世界に先駆けて商業美術花開かせたからではないかと思うのです(もし世界で対抗できるものがあるとすればオランダの絵画でしょうか)。

 また今回のトレカ原画作品は予想外であり、新しいテクノロジー複製絵画資本主義におけるアートメカニズム商業美術に対する現代的視点があることを知ることができました。

 今回の個展で、現代ARTの一端に触れることが出来たのですが、私自身は江戸絵画に目を向けていこうと思います。

(おしまい)

 これまでの記事を下記に示します。


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