九月と日常
さっきまで気になっていたことがあった。でもそれも、気づいたら忘れてしまっている。日常っていうのは、そういうものな気がする。
この前、久々にnoteを書いた。文章の書き方なんて忘れてしまうくらい間隔が空いてしまったような気もしたけど、でも書いたら案外いけた。
そして、またこうやって書きはじめている。
九月
9月になった。9月になったということは、今年も終わりに向かっている。11月にりまさん(彼女)の誕生日を迎えると、そこから年越しまで早い。
すぐに12月になり、年末になり、しれっと年を越し、本格的な冬が来る。そうか、自分はもう秋田に来て一年経ったのか。改めて振り返ってみると、本当にあっという間だ。
この一年間、あえて目標や目的は持たずに、自分のできることをやること、目の前のことを一つひとつやっていくことを意識してきた。
簡単そうに見えて、できないこと。今だってできないことが多い。
未来を見据えて今を生きることは大事。でも未来を考えすぎて、今が疎かになることだってある。だから、今を一所懸命生きていたら、見えてくる未来もあるんじゃないか?と思い、そうやってきた。
この一年は、ぼくをきっと成長させてくれたし、本当に新しい発見がたくさんあった。どれもきっかけは本のなかからはじまり、この一年だけでも、堀田善衛、加藤周一、灰谷健二郎、そして宮沢賢治といった日本を代表する文学者・作家に触れた。
さらに、ふと手に取ったスタジオジブリの鈴木敏夫さんの本からも本当にたくさんの世界に連れて行ってもらったような感覚がある。これまた、おもしろい出会いだった。
といった感じで、日々が淡々すぎるなかで、ぼくは色々なことを勉強し、経験し、色々なことを考えた。
ぼくが「支援者」ならば、仕事で相対すひとは「利用者」になる。でも、ぼくとその相手の人とでは、実際あまり変わらない。
何かのかけ違いで、もう一度頑張るのが難しい社会がある。自分の生きている日々の少し裏側に、その世界がある。
だから世の中は難しいし、きっと正しさや正解は存在しないんだと思う。全部正解だし、全部間違っている。
なら、ぼくらはどうするか。その答えはよくわからないけど、周りに流されずに、自分の見たこと、経験したことを信じて、日々を生きていくことが大切だと思う。
長いものに巻かれず、大人になりすぎず、小さい時(学生だった時)のフラットな自分で見ていた世界を大切にしながら、生きていくことが大事なんだと思う。
そんなことを、ヘルパーの休憩中に思う。
秋田も福祉も自分も、みんな大変だし、みんなおもしろい。なので、また未来を予測せずに、半分流れに身を任せながら、大切な人たちとおもしろい今を生きていこう~。
まだ知らない自分に会いにいくために~。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?