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聞言師の出立

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ファンタジー小説『聞言師の出立』全話と、作者からのメッセージ「聞言師由無し事」をまとめました。
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聞言師由無し事

ここではファンタジー小説『聞言師の出立』についてお知らせします 23年5月26日 『聞言師の出立』を公開しました。 第1話(あらすじ・プロローグ・目次) 第2話(第1章 1) 第3話(第1章 2) 第4話(第1章 3) 第5話(第1章 4) 1月から書いていたのですが、たまたま創作大賞が始まったということで応募してみようかと。 先日、一応書き終えました。今は推敲中です。 第2章が始まる次の話は、いくつかまとめて6月1日に投稿を予定しています。以降、週に1度投稿していくつ

聞言師の出立 第1話

 空は暗い。  薄暮の光も星もない。  身体は動かず、頬に冷たい滴が落ちてくる。  脇腹を押さえる手には、ずくりずくりと生温かいものが流れている。  寒い。  誰かが叫び、駆け寄ってくる音がする。  身体を抱えられるが、己から力が零れだしてゆくのが分かる。  目も利かなくなっていくのは、空がますます暗くなっているからか、それとも——  ——ここで死ぬのだろうか。  そのとき、闇を切り裂いて、何かが輝いたような気がした。 第1話 → 第2話 (1-1) #創作大賞

聞言師の出立 第2話(第1章 1)

1  ちゅぴちゅぴちゅぴ…… 頭の上を不意に鳥が飛んでいった。  若い農夫は、薄く雲のかかった広い空を見上げる。  柔らかな青い風、羽のような白い雲、時折飛んでゆく鳥の黒い影。周りでは緑の麦穂がさわさわと音を立てている。  伸びをして額に滲む汗を拭い、よし、と呟いて視線を下ろす——と、畑の向こうの下り坂に何か動くものが見えた。  目を凝らしているうちに、ゆっくりと大きくなっていく。あれは、人だ。〈岩ノ口〉をくぐって、しばらくぶりに何者かがやって来たのだ。  ごく稀に来る旅商

聞言師の出立 第3話(第1章 2)

 前を走る大柄な男には見覚えがあった。  ——フロニシの息子だったっけ。ル、ルクトだったかな。  どこからか犬の吠え声や鶏のけたたましい声が聞こえる道を、男たちは走った。  最初に通りがかったルテラの家では、戸口にいる少女が駆けていく二人に驚いた顔を向けた。  アクオが連れこまれたのは、次の家だった。すっと手渡された柄杓の水を飲み干すと、荒い息遣いで膝に手を突く。大した距離ではないはずなのに鼓動が煩いのは、長旅で疲れているからか、為すべき務めに緊張しているせいか。  差しださ

聞言師の出立 第4話(第1章 3)

 フロニシは、土間の手前にある飯間でアクオに茶を出した。薄暗い灯りの中、炉を囲んで横にはルクトも胡座をかいている。 「改めて礼を言おう。エクテを助けてくれてありがとう」 「いえ」  耳を赤くしたアクオは、背を丸めて俯いた。  都でも病を診ること、〝紋〟を描くことはあったが、横には必ず師がいた。すべてを独りきりで果たしたのは初めてのことだ。だが強く感じるのは誇らしさではなく、面と向かって礼を言われる気恥ずかしさの方だった。  横のルクトからも無遠慮な視線を感じ、顔を上げることは

聞言師の出立 第5話(第1章 4)

「さて、話も終わったことだし、そろそろ行こうか」  立ちあがるフロニシに、アクオは首を傾げた。 「おれですか? どこに?」 「他の世話役に会わせる。いいか?」 「あ、そうですね」 「その帰りに荷を取りに行こう。ルクトは飯を作っておいてくれないか。エクテの様子も見てやってくれ」  おう、と応えたルクトはすぐさま立ちあがった。 「食ったら湯家に連れてってやるからな」  にかりと笑って夕食の支度を始める。アクオも強張った笑みを返した。  ——いいやつなんだろうけど、なんか合わなさそ

聞言師の出立 第6話(第2章 1)

2  朝、アクオの目の前には何枚もの紙が散らばっている。  その口からは大きな溜め息が洩れた。  エクテの身体の〝声〟とは違う、己への問いかけ——おまえはだれだ。その言葉に何者かの意思を感じ、アクオの聞言師としての自信は揺らいだ。  人の〝声〟には二つの種類しかない。  身体の断片が発するもの。  人としての思考や行動の基となり得る——すなわち欲、肉体が滅べば漂陰と成り果てる——もの。  どちらも人の意識に上ることのない、謂わば深い水底の揺らぎだ。  水面に伝わって波を立

聞言師の出立 第7話(第2章 2)

「〈山〉はここから半日かからん。夕方には着く」  村と森を繋ぐ橋の手前で、フロニシが言った。  アクオの目の前には、さほど大きくないが水の色の濃い川がゆったりと流れている。幅のある木橋の向こうには、深い森が広がっていた。  ルテラとサレオの家に向かう途中、寝小便するなよという一言でエクテの小さな拳を受けたルクトも、もう腹を押さえていない。お前の小さい頃と一緒にするな、とフロニシに後で返されて真っ赤にした顔も元に戻っていた。 「ここに獣は出ないんですか」 「うん、この森に危ない

聞言師の出立 第8話(第2章 3)

 アクオには弟がいた——ルニス。  アクオを慕い、言葉も拙い頃からにいちゃんにいちゃんと呼んで、いつも後を付いてまわる。アクオにとってもルニスの世話をするのは楽しかった。己にも守る相手のできたことがうれしかった。  幼い頃は。  やがてアクオも歳を重ね、同じ年頃の友と遊ぶ方が楽しくなってゆく。まとわりついてくるルニスのことが、次第に鬱陶しくなっていく。邪険にすることが多くなり、それでもにこにこと笑いながら駆け寄ってくるルニスに、ある日その辺で拾った小石をやった。 「これをやる

聞言師の出立 第9話(第2章 4)

——————————  ひねこびた老木の森を縫う山道を、男たちはゆっくり登っていく。  見上げれば、鬱蒼とした樹々の隙間から覗く朝の青空。足元は悪く何度もつまずきそうになるが、だいたいの荷を小屋に残してきた三人の足取りは重くない。  やがて道の先に明るい光が見え、唐突に森は終わった。辺り一面に大小の岩が転がり、右手には森を切り開いて丸太で建てられた古い小屋がある。 「着いた!」  ルクトの声に、小屋の戸を開けて短い黒髪の男が姿を現した。  着ているものは村の人間と変わらない

聞言師の出立 第10話(第2章 5)

 戻ってきたアクオを連れて巫は小屋の方へ少し戻り、両手を広げた。 「この辺なんだよね。毎日祝詞を唱えてもぽこぽこ出てくるんだ。今度の新月で一気に鎮めようと思ってたんだけど、手伝ってもらえるかい。一つでも少なくなれば助かるよ。悪いけど、大きいのからやってもらえるかな。ぼくは知らないんだけど、やり方は大丈夫だよね?」 「は、はい。大丈夫です」  アクオが辺りを見回すと、確かに岩と岩の間のあちこちに尖ったものが生えていた。指より細く小さい石もあれば、もう少し太く大きな石もある。その

聞言師の出立 第11話(第3章 1)

3  帰途、ルクトはほとんど口を開かなかった。  巫に食料を届ける若い男たちと森の中で擦れ違ったときも、笑顔を繕おうとすらしない。軽く手を上げただけで、後は先頭になって黙々と歩き続けた。  三人が帰り着いたのは、村の家々に明かりが灯りはじめる頃。ルテラとサレオの家から飛びだした少年を笑いながら受け止めるルクトを見て、聞言師は呟いた。 「もう大丈夫そうですね」 「うん、心配は要らない」  森の道を無言で歩くルクトに、己の採った空の漂陰の石を渡そうかとアクオは何度も考えた。だが

聞言師の出立 第12話(第3章 2)

—————————— 「おはよう」  茶を飲むフロニシの様子は、いつもと変わらない。  言葉にならない返事を口にして、アクオは力が抜けたように炉の傍らに腰を下ろした。朝食の支度で土間に立つルクトからは荒々しく茶を出され、思わずその顔を見上げる。 「アクオのせいじゃない」 「……分かってるよ」  フロニシは目を瞑って、静かに鼻息を立てた。 「そうだな、三人で話をしよう。お前も座れ」  ルクトは鍋を竈から下ろし、無言で飯間に胡座をかいた。 「夕べのことはルクトに話した。アクオも

聞言師の出立 第13話(第3章 3)

◇  世話役は姿を現した。  目を擦りながら遅い時間にようやく起きてきたエクテと、仕方なく早めの昼食を済ませたすぐ後のことだった。  戸口の外には、ルクトに負けず劣らず大きな男たちが立ち、中に目を光らせている。 「昼飯はもう終わったようだな。では聞言師、盗んだ石を出してもらおう」  知らず知らず根比べの口火を切ったのは、他ならぬヌルゴスだった。 「私は盗んでいません」 「何を言うか。ここに巫の書き付けがある」 「それは何かの間違いです」 「巫を嘘吐き呼ばわりするか」 「嘘な