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聞言師の出立 第13話(第3章 3)

 世話役は姿を現した。
 目を擦りながら遅い時間にようやく起きてきたエクテと、仕方なく早めの昼食を済ませたすぐ後のことだった。
 戸口の外には、ルクトに負けず劣らず大きな男たちが立ち、中に目を光らせている。
「昼飯はもう終わったようだな。では聞言師、盗んだ石を出してもらおう」
 知らず知らず根比べの口火を切ったのは、他ならぬヌルゴスだった。
「私は盗んでいません」
「何を言うか。ここに巫の書き付けがある」
「それは何かの間違いです」
「巫を嘘吐き呼ばわりするか」
「嘘なのかただの間違いなのか、もう一度巫に確かめてください」
「確かめるまでもない」
「そうなんですか? カーイコン、エーピオ、サレオ、あなた方も確かめるには及ばないと思うのですか?
 私はフロニシから聞きました。漂陰の残っている石を採ってはならないと、村の掟で決まっているそうですね。それに否やはもちろんありません。ですが、掟を破ったとされる者にも、反論の場が与えられると聞きました。それに、本当に掟を破ったかどうかをしっかり調べられるとも。
 私にその機会は与えられないのですか? 与えられないのなら、どのような訳があるのですか?」
 ヌルゴスのこめかみに青筋が立つ。
「黙れ、若造が。小賢しい」
 そこに、エーピオが口を挟んだ。
「いえ、確かにそうですね」
 三白眼で睨みつけたヌルゴスを物ともせず、エーピオは言葉を続ける。
「今まで巫からこんなものが来たことはありません。だから皆慌ててしまって、書き付けだけを見て聞言師が盗んだと考えました。でも、巫からもっと詳しく話を聞くべきではありませんか」
「む、それは確かにその通りだな」
「お前たちも巫を疑うのか!」
「疑っているのではありません。掟は掟。ですが掟を正しく守るためには、正しい段取りが要ると言っているのです」
 ヌルゴスの握り締めた手が、小刻みに震える。
「では決を採ろうではないか。巫から話を聞こうという者は」
 両手を合わせないのはヌルゴスのみ。
「巫から話を聞くことに決まった。ではそのように」
「そのように」
 三人が唱和したが、ヌルゴスの声は小さかった。
 そうして、世話役たちはフロニシの家を去っていった。

「よくやったな、アクオ。目論見どおりだ」
「いえ、フロニシの読みが当たったんですよ。それにしても、サレオは何も言いませんでしたね」
「うん。口を開くまでもなかったのだろう」
「じゃあサレオはこっちの味方ですか」
「いや、それはどうだろう。サレオも世話役だからな、村を守るためなら何でもする。今は、正しい判断を下す材料が要ると考えているだけではないだろうか」
「……でも、フロニシも世話役ですよね。こんなことをしていいんですか」
「もちろんだ。掟に傷をつけてはならない、誰かが捻じ曲げてはならないと思っているだけだ」
「いえ、そっちではなく……」
「ああ、麦の方か。まあ大丈夫だろう。頃合いを間違えなければな。
 それより明日のことだ。今日これから、巫のところに誰かが行く。もしかしたらカーイコン以外の皆かもな。だからあの連中は明日、またここに来るぞ。どうすべきか分かっているな」
「はい、大丈夫です」
「うん。念のため明日の朝、もう一度さらおう」
「分かりました」

 アクオは部屋に戻った。退屈しているエクテの相手はルクトがしてやっており、大きな笑い声が時折アクオの耳にも入ってくる。
 ——ごめんな。
 己も、エクテのことは確かに心配している。申し訳ないとすら思っている。もちろん、濡れ衣のことも頭から離れない。
 それでも、為すべきことがある。
 己に誰何した〝声〟。己にもっとと求めたあの〝声〟の正体を、どうにかして突き止めなければならない。
 推測通り、聞言筆に棲みついているのが漂陰なら、漂陰が己に語りかけているのならば、きっとそれは良いことではない。そうではなくとも、得体の知れぬそれが何かをはっきりさせないままでは危なすぎる。
 ——どうしようもなかったら、この筆を遣うのを諦めよう。
 そう思った途端、胸の奥がずきりと痛み、アクオは顔をしかめた。
 だが、どうすればいいのか。そもそも、どうすれば異質な〝声〟がまた出てくるのだろう。
 これまで出てきたのは、エクテの身体の〝声〟を聞いたときと、〈山〉の漂陰の〝声〟を聞いたとき。
 出てこなかったのは、己の記憶を探ったとき。
 ——違いは〝声〟を聞いたかどうか、か?
 そうであれば、己の身体の〝声〟を聞くのが手っ取り早い。
 アクオは胡座を組んで腰の革箱から筆を取りだすと、指先の〝堰〟を抜く。ほどなく鳴った、ちゅい、という小さな音に目を瞑り、ぐるり、、、。床に置いた紙に先端を当てて、筆に文字を書かせる。目をそろりと開けると——
 ——出た!
 身体が健やかであることを示す言葉の後ろに、はっきりと書かれていたのは再び——

お ま え は だ れ だ

——である。
「よし!」
 アクオの口から思わず声が出た。
 次は、正体を突き止めること。問われるばかりでは埒が明かない。となれば、どうにかして〝声〟と会話しなければならぬ。それにはどうすればいいか。
 まず声に出して己の名前を告げ、同じように紙に身体の〝声〟を書きだしたが、同じ誰何が返ってきただけだった。つまり、人の声は筆の中の何者かにおそらく聞こえていない。
 ということは、己の中の〝声〟で問いかけるしかない。
 ——だけど、どうやってやれば……
 人の出す〝声〟は二つのみ。身体の〝声〟は、己の思い通りになるものではない。かと言って、欲の〝声〟なぞ己の意思の与り知らぬ深底にある。
 アクオは考えては倦み、悩んでは疲れ、ついには筆を置いて床に寝転がった。
「できるかよ、そんなこと」
「なにが?」
 突然、件の異質な〝声〟が耳に聞こえたのかと、驚いたアクオは大声を上げて飛び起きた。だが慌てて頭を巡らせて目に入ってきたのは、廊下から部屋を覗きこんでいる、面食らった顔のエクテである。
「おどかさないでよ」
「おれだってびっくりしたよ。いや、ごめん。大声上げて悪かった。どうした、ルクトが寝ちゃったか」
「うん」
「そうか、じゃあ入ってこいよ」
 おずおずと近づいてくるエクテの目は、床に散らばる紙に吸い寄せられている。
「これなに」
「ん? これはなあ、ええと……」
 悩んだ挙句、隠すまでもないと聞言師は心を決めた。
「エクテは字が読めるか」
「うん」
「お、すごいな。じゃあここ読んでみろ」
「おまえはだれだ」
「そうだな。それはな、この筆が書いたんだ」
 エクテは怪訝そうに眉をしかめる。
「筆で書いたんだよね。それくらい知ってるよ」
「ああ、言葉が足りなかったな。えっとな、この筆の中には誰かがいるんだ」
「え?」
「うん、おれもさっき分かったんだ。目には見えないけど、誰かがこの筆の中にいる」
 ——さあ、馬鹿にするなって怒りだすか、お前は馬鹿かって言われるか。
 どちらでもなかった。
 エクテは目を輝かせ、床の筆を手に取ってためつすがめつ見はじめたのだ。
「そうなの? しゃべれるの?」
「いや、声は出せないし、こっちの声も聞こえないみたいだ」
「じゃあどうやって話するの」
「うん、そうなんだ。どうやればいいのかなあって考えてたんだよ」
 ふうんと言いながら、エクテは細目になって筆を窓の陽光にかざす。
「筆って、身体の声が聞けるんだよね。おじさんが言ってた」
「うん、そうだ」
「じゃあ頭の中で話せばいいんじゃないの」
「ん?」
「頭も身体でしょ。だから頭の中で声を出せば、筆に聞こえるんじゃないの」
 いやそれはと言いかけて、アクオは口を半開きにしたまま、少年の後ろの壁に視線をふっとずらした。
 人の考えていることが〝声〟になることはない。だがそれは、他者が筆を通して聞言師に語りかけることはないという意味だ。聞言師が筆に語りかけるということとは違う。そもそも、そのような馬鹿げたことを試した聞言師がいるとは思えない。
 誰もやったことがないのなら、どうなるかなど誰にも分からない。試してみる価値はある。頭の中で大声を出せば、筆の中の何者かに聞こえるかもしれない。
 ——師匠がいたら、お前は正気かって言われるんだろうな。
 口元に苦笑を洩らしたアクオは、エクテの頬を両手で挟みこんで水色の目を覗きこんだ。
「すごいな、お前は。おれには考えつきもしなかった。それをやってみよう」
 目を瞬くエクテに歯を見せて笑いかけ、筆を、と言って手を差しだした。
 ——よし、「大声」を出してみよう。
 聞言師は目を閉じた。
 頭の中に思い描くのは、人が寝られそうなほど広い紙。脚のように大きな筆でその紙の端から端まで、一文字だけ書く。同じことを何度か繰り返しながら、紙を重ねていく。そして巨大な〝篩〟——ぐるり、、、——へ、書いた順に紙を担いで放りこみ、指先の〝堰〟を抜いた。
 ——よし来い、出ろ!
 きゅわっ。すぐに聞言筆が鳴った。
「出た! 筆液が出たぞ、エクテ!」
「聞こえたの、筆に」
「まだ分からない、書いてみよう。筆が止まるまで静かにしていてくれな」
 こくりと頷いたエクテも、床に置かれた白い紙から目を離さない。
 煩いほどの鼓動を感じながら、聞言師は目を瞑り、力を抜いて筆先を紙に下ろす。
 ——よし、話せ。話してくれ、頼む。
 筆が、動きはじめる。
 動きはじめ、すぐに止まった。
 目を開いた聞言師の眼前に書かれていたのは——

う る さ い ア ク オ

——。
「なんて話したの」
「……おれの名前を、頭の中ででっかく叫んだ」
「じゃあ」
「じゃあ」
「やった!」
 二人の声が重なった。


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