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わかおの日記103

断言しよう。世の中には「ちょうどいいラーメン屋」というものが存在する。このことは紛れもない事実である。ちょうどいい味、ちょうどいい値段、ちょうどいい接客、ちょうどいい店内の清潔さという4条件を奇跡的に兼ね備えた店のみが、「ちょうどいいラーメン屋」としての輝きを放つことができるのだ。

今までぼくは、2回ほど「ちょうどいいラーメン屋」に出会ったことがある。かなりのラーメンを食べてきた自負のあるぼくでさえ2回である。したがって、「おいしいラーメン屋」よりも「ちょうどいいラーメン屋」のほうが、希少価値が高いということは明らかだ。

そんなレアな「ちょうどいいラーメン屋」に、幸運にも出会えることができた喜びをここに記す。ハイデガーに脳みそをやられ、とぼとぼと帰途についていたときのことであった。せっかく西東京市から日吉くんだりまで登校したのに、何もしないで帰るのはもったいないので、ラーメンでも食べて帰ろうと思い立ったのである。この間ラーメン二郎を食べてしまったので、今日もニンニク臭を獲得して帰れば家族から大顰蹙を買うことは明らかだった。したがって、今日は体に優しいラーメン(あるいは、まだ体に害が少ないラーメン)を食べたいと思った。

調べてみると、目黒に無化調の鶏ラーメンの店があるらしい。このあいだの化学調味料マシマシ系ラーメンとの釣り合いをとりたかったため、ぼくはその店に行くことを決めた。基本的にぼくは社会生活に不向きなので、例えラーメン店とはいえ、1人で外食をするのには相当なエネルギーを要する。目黒で下車し、やや重い足取りで店まで向かった。

その店は、居酒屋が軒を並べる通りにぽつんと紛れ込んでいた。店の前に券売機が置いてある。まずこの時点でぼくはかなり安堵した。直接オーダーする形式の店は、話しかけるタイミングがわからないからである。ね、社会生活に向いていないでしょう。

無難に特製ラーメンを選択し、店内に入ると、ぼく以外には1人しか客がいなかった。どうやら好きなところに座っていいらしい。この「座るところ問題」もぼくにとって大きな問題である。自由に座っていいのか、店員の指示を仰ぐべきなのかはっきりしていないラーメン屋が多すぎる。それなのに間違えたらこっちが悪いみたいな感じになって落ち込んでしまう。まあとにかくぼくは座った。そして食券を提出し、来るべきラーメンを待ったのである。

店内は嫌味にならないほどに、程よく清潔感があった。そして、カウンターには、ラーメンのこだわりが細かに書かれた注意書きが貼ってある。こういうタイプの店は、個人的には好きである。やはり人間こだわりを聞くと、なんだか美味しいように感じる生き物である。なかなかいい店だなあと感心していると、割と直ぐにラーメンがやってきた。特製ラーメンと言うだけあって、チャーシューや海苔、味玉などが多めにのっていて、目の保養になるルックスだった。肝心の味は、これもちょうどいい味だった。うまくもなくまずくもないという意味のちょうどいいではなくって、「ちょうどいい」というジャンルの美味さである。一周まわってたどり着く境地だ。

濃厚だがしつこくない鶏スープが、初冬の体に染みた。良い一杯だった。ここはどうやらつけ麺も美味しいらしいので、また今度行きたいと思う。自分だけの秘密にしておきたい「ちょうどいいラーメン屋」に出会うことは、すばらしいことである。



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