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先輩の声 #02 東日本大震災より

この記事は、2011年に発生した東日本大震災の3年後である2014年03月11日に別サイトで公開したものを転載しています。

2024年1月1日に能登半島地震と津波が発生しました。
私はどうしても、東日本大震災の悲痛な思いが蘇るのです。


中学の部活動で、一学年上の先輩でした。

小さなころから一緒に遊ぶ幼馴染でもありました。

部活動は、私が2年でレギュラーになりましたが先輩は、最後まで補欠でした。

でも、試合では、後輩である私を精一杯、応援してくれました。

部室が汚れていると先輩なのに率先して掃除していました。

また、後輩が先生に叱られていると間に入ってかばってあげるような優しい先輩でもありました。

先輩は、タンクローリーの運転手でした。

その日も、ガソリンスタンドで給油作業をしていました。

福島県相馬市のガソリンスタンドでした。

それは、2011年3月11日のことです。

先輩は、給油途中のタンクローリーを放置する訳にもゆかず帰らぬ人となりました。

昨年、津波で荒れ果てた墓地の整備がやっと終わり、先輩が埋葬されたと聞きました。

あれから3年経ち、その墓前に立って、柄にもなく涙が止まりませんでした。

先輩のお母さんの前で、ボロボロと涙が溢れました。

「わがつまぁ!ファイトぉ!!」

昔、先輩が私に掛けてくれた、あの力が漲る応援の声が聞こえてくるようでした。

私達は、絶対に、先輩達に恥じることのない人生を歩まなければなりません。

※画像は先輩と通った中学校ですが、やはり津波の被害を受けてしまいました。


自然災害は完全に避けることはできないのかもしれません。
しかし、それでも、考えられる限りの備えを怠ってはなりません。
先輩たちのような人たちを一人でも増やさないために・・・

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