祖母と地蔵

祖母の生涯は大谷川の激流に佇む巌の様に

耐え居座った時間であったのであろう


私の乳児の妹を恰幅ある背中にくくりつけ

祖母いつも算盤を刻み良く弾いては

帳簿が横並びに整列する箪笥から

売上を書き残す一冊を取って欲しいと

子供の私に指示を投げつけた


私は小さいながらに家業の潤滑油にでも

なったかの様な使命感から

鼻下に髭を整え生やすが如くの心得で

祖母に売上台帳を献上した


昭和の真ん中から売上稼業に汗を垂らす毎日を

朝日の上がる美しい御空を

波紋壊さず眺め誂えることもなく

明日また繰り返される社会の水雪崩に備え

豪快に眠ってはその日に負った粗弾な傷を

祖母はその日のうちに削り落としていた


怒号が飛び交う事務室に

煌びく様に飾り装う外交に

嫌味の日照りで汗が眼に滴り入っても


祖母は耐え忍び

負けん気の強度の胸を叩きあげ

場を一掃してきた


そして踏ん張りすぎは良くないと

時折私に言ってきた


私は踏ん張りの風格を祖母の背中の隠傷で

知ってしまった為か

祖母の言葉にずれの媒介を見ていた


杉の並木の街道が二本

街を跨いで並列に植え通っている

その二つの街道が交わり当たる空間に

追分地蔵が座っている


うちから鼻唄一曲程の場所に

どごんと座る恰幅良い巨座の大地蔵


この地蔵様は大谷川の巌から彫ったと

祖母が教えてくれた


追分地蔵には背に赤き傷があり

回り見上げ込む私に哀胸の矢を討ってくる

しかしながらにこの地蔵は

なんとも穏楽な御顔で座っていた


私はこの地蔵に

軽い親しみと重いマジェスティックを感じていた

祖母の算盤を弾く太い指と

手を組む地蔵の岩色の指が

どちらも妹をあやし揺らし摩る指だと

嬉しんだ


背の傷をなんともないとあしらい

私の毎日に安堵と緊張を感受させてくれた

恰幅のあるふたつの命


大谷川の激流の様な世に

顔色変えない

勢感な想いの先端を

子供ながらに

張りつめた強さとし

私の産毛の切れっ端が幾度もそれを巡らせている


これは私がまだ三つか四つの頃の記憶

祖母と追分地蔵が共に御神体で

私を傷負い育てた熱を持った時代の橙色の記憶


今はもう帰路のない時間の懐である



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