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短編:炭酸という自傷とピアス

プシュッという音が私の敗戦を告げた。

「よかったじゃん。そんなこと知らずにさっき好きな男とか聞きまくってたよ。ごめんごめん。」

「いや、僕も言うタイミング失ってたんで。仕方ないですよね。」

濃いめの眉を困らせたようにして笑いながら、彼は横を歩く。声が震えたのにはばれていなかった。ハイボールでも作ろうと思って買いたしたレモン味の炭酸水を数秒かけて飲みこむ。のどを刺す痛みを無視して私は言葉を紡いだ。

「確かに君たち仲良かったよね。怪しいとは思ってた。」

「別にまだ付き合ってるわけじゃないですよ。これからです。」

そう言う彼はさっき飲み会の席で見せていた時よりも柔らかな表情で笑っていてそれが、不必要に苛立たせる。この炭酸水をぶちまけてやろうか。21にもなって自分の感情をコントロールできないことを、間接的に叱ってほしかった。

「そういえば、佐田さんから聞いたんですけど先輩またピアスあけたらしいですね。」

「なんでアイツが知ってんだよ。意味わからんな。...そう、一昨日右耳に開けたけどなんか腫れちゃってさ。だから一旦埋めて今度落ち着いたらやり直す。」

意図的に話題をそらされた気がして無駄に声が大きくなった。軽く反省するが、横をあるく後輩は横の女の心境など露知らず1人で話を続けていた。

「へぇ、僕のピアスの時は大丈夫だったのに不思議ですね。僕ってタバコも酒もしないじゃないですか。でもピアスだけはいいかなって思っちゃうんです。僕、ピアス好きなんですよね。本当に自分と向き合ってる気がして。」

今更意味の分からないフォローされても。と思いながら私の穴だらけの身体が少し喜んでいるのを感じた。単純な思考に自虐的な笑みが零れた。

「まぁ、ピアスは良いよ。先月あけてあげたの、大事にしなよ」

こいつの左耳をみると、見慣れたチタンのファーストピアスが光っている。「穴ほしいんですけど」というだけのLINEを送ってきたときは、どうやって抱いてやろうかと思った。でもよくよく考えれば女と付き合ったこともないようなこの太眉の後輩がセクハラまがいのLINEをする度胸なんてあるはずもななく、よくよく話を聞いたら、どうやらピアスを空けたいということであった。そこでサークルの中でも一番のピアス女である私が彼のファーストピアスを空けてあげることになったのだった。

私にとってのピアスは自傷の延長でしかない。「手首の痕よりは、シルバーの方が可愛いよ。」そう言って前の男がピアスをプレゼントしてきたから、私はピアスにのめりこんだ。今思えばどんな所有欲だよ、と想いもする。そいつと別れた後も穴は増えた。インダストリアル、センタータン、アントラガス、全ての穴は私に自己肯定感を与えてくれた、そこに持続性はなかったが。

唯一の例外がこいつの左耳たぶの穴だった。穴を空けたのはこいつの家だった。6畳の部屋にパチンという音と「うっ」という悲鳴とも呼べない程のか細い声が漏れたとき、私の中に何かの感情が生まれた。目の前の穴は他の私のホールとは違って、自己肯定感も何も感じさせなかった。ただ、それ以上のものを私に与えてしまった。恐怖すら感じた。 

無垢な後輩の耳たぶに私は”穴”を植え付けてしまったのだ。それは穴とは名ばかりだった。自分のものに名前を書くのと同じように、恋人の首筋にうっ血を作るように、私はこいつに穴をあけた。

「あの時は開けてくれてありがとうございました。」

止めてくれ。その顔で笑わないでくれ。自分が空けた穴なのにそこに何かがあると信じたくなってしまう。まだ出来上がってもない薄い皮膚の間のわずかな隙間に自分の居場所があると勘違いしてただけなのに。必死になって束の間の罪悪感を炭酸水で流し込む。のどを痛めつける、炭酸も一種の自傷行為なのかしらん、などと考える。思考に余裕ができた。深呼吸していつもの私を演じた。

「いいっていいって。というか、好きな子ができたんだから、あの時みたいに気軽に女の子を部屋に呼んじゃだめだよ笑」

自分を”女”と呼んだ恥ずかしさからバカみたいな声で笑って、先輩面した。困ったように笑うこの眉が好きだったけど、何もないまま終わった。純粋な男だから、それが好きなのに穴をあけたのはなんでだったんだろう。どうして「やめときな。」っていわなかったんだろう。暗闇の中のチタンのピアスが、いつかあの子からの贈り物になったりするのかと思うと笑うしかなかった。

今夜は暑い。意地になって強い炭酸を一気に飲み込む。数十分前に買ったばかりのペットボトルはもう、空になった。

「これ、あげる。」

「いや、ゴミじゃないですか。」

「うるさい!ちゃんと捨てとけよ!」

後輩にペットボトルを押し付けて、私は仲間達が騒ぐアパートの明かりめがけて駆けだした。後ろから先輩と呼ぶ声はしたが、走ってくる足音はない。安心して、私は笑いながらまだ熱いアスファルトを駆けた。

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