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人それぞれが想う「おもしろいな」という感覚

幼少期の想い

個人的には、幼少期が一番楽しめていたのではないかと思っています。

その日できることを、全力で楽しむ。
そのほとんどがゲームやマンガだったと思いますが、それで良かったと思っています。

この「その時のことしか考えていない」という状態こそが本当の姿であり、常にその状態になれるのが望ましいですが、大人になるとそうもいかなくなってしまうのが残念であります。


時間の経過と共に消失する

大人になると幼少期のような純粋でその時を楽しむような気持ちがなくなってきているのを感じています。

それは自分だけではなく、
社会もそのように感じる。

そのようになっている人の比率が多い。
自由な時間とお金がある人の方が、現役世代では限られる。

その現役世代は暗い顔をしている。
なんとも言えない感覚になる。

そんな社会でいいのかと、
感じてしまうようになるのです。


「おもしろい」を取り戻す

幼少期のような「おもしろい」という感覚は生涯を通じで大切なものだと私は考えています。

その気持ちがあるからこそ、いろんなことに積極的になれたり、情報を集めることができてくるのです。

そのため、何よりも幼少期の気持ちが
大切になってくるのです。

その気持ちをなくさないようにする。
もう手放さない。

手放さないように人生をシフトしていく必要がある。

それは、自分を守り、
自分を解放することにつながってくるのです。


解放の時

生活の軸を「おもしろい」にすることができるだけで、いろんなアイデアを生み出すことができると思っています。

ただ、今の日本ではその流れが影になってきている。
いや、もうずっとそうなのかもしれない。

生活をすることしか考えることしかできず、
楽しいこと、おもしろいと思うことができない。

できていない。

余裕がない。

気持ちにも、生活にも
余裕がある人が少ない。

もしくは、早すぎるスピード感に疲弊している。
もしかすると悪影響になっている。

いろんなことが考えられますが、深刻な状況です。

一番に考えるのは、環境の整備。

それができなければ、おもしろいという感覚が自然と湧き上がってこないです。

仮に環境が整わないのであれば、変な環境から離れ、自分なりの「良い環境」を作り出す。

誰にも邪魔されない。
迷惑はかけない。

自分でおもしろいを追い求める。
それでいい。

むしろ、これからの時代は
個人で楽しめた方がいいこともあります。

おもしろいと感じることを取り戻していきましょう。


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