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五畳の暮らし

コロナ禍最初の夏、一か月半。
私は石川県のゲストハウスに仕事兼、引きこもりに行った。
机・テレビ・ベッドのみの、五畳一間で暮らした。

そのゲストハウスを選んだのはたまたまだった。
オーナーが東京から石川県に移住し、営んでいると知り、
東京の人が来ても断られないかも?と思い切って予約した。

荷物は化粧品、仕事用PC、一週間分の服だけ。
宅配したので現地には、ほぼ手ぶらで到着。

部屋に入って、最初の感想は「狭!」だった。何もない。

ここで生活することに不安になった。
お風呂、トイレ、キッチンが共同なのもかなり不安だった。

けど、一週間くらいで慣れてルームメイト達と話せるようになった。
日中は、各々仕事や外出していて、夜はみんなで一つの机を囲んで一緒にご飯を食べた。
ゲストハウスだったので、一泊や二泊でしか来ないお客さんも居て、代わる代わる様々な地域からの人・外国人なども宿泊に来た。

毎日が新鮮で、人との交流で忙しかった。
昨日起きたことはもうだいぶ昔の事に感じるくらい。

新しい感覚だった。

人とご飯を食べたら死にたさが和らいだ

大学の奨学金返済にも追われ、働いて家に帰り、腹を満たし眠る6年。
「人生こんなもん」と諦めがあった。
価値観や環境の変化で段々と会いたい・話の合う友人もいなくなった。
話せる事も、仕事熱心ではないのに仕事の話しかできない。

でも、そのゲストハウスでは人とコミュニケーションを取り、
たくさん笑い、食べ、一緒に温泉も行った。
人と話し、ご飯を食べる事がこんなに楽しいんだと初めて知った。
誰かと一緒にご飯を食べるだけで、死にたい気持ちは、少しずつ溶けていった。

年齢も、出身もみんなバラバラだったけど、逆にそれもよかった。
後、みんな適当に仕事をしていてそれも衝撃だった。

リモートワークで、物理的に職場の人とも距離を置いたおかげで、
ササッと仕事を終わらせ余った時間でルームメイト達と遊んだり、本を読んだり、映画館へ行く時間ができた。
遊びで充実しているのに、仕事の成果は変わらなかった。
何より、仕事が終われば仕事の話を
人にしなくて良いのが本当にリフレッシュになった。
こんな適当でも生きれるんだなー!といろんな事が見れた。

山手線の広告の多さに酔う

1ヶ月半後、すっかり元気になって東京へ戻る日が来た。
東京駅につき、山手線に乗り換え。

広告の多さ、人の流れ、人との距離の近さや匂いに酔い
都内の自分の家に着いた瞬間、めまいと吐き気で寝込んだ。

次の日、目覚めたら、シーンとした1人の部屋だった。
1ヶ月半も暮らしていたけど、本当に現実だったのかと何度も考えた。

職場にまた出社するようになり、仕事に身が入ってないとか説教された。
若い女だから、男性スタッフの好意で仕事を教えてくれている
男性スタッフのお陰で給料を貰えてるんだから感謝しないと。
今のままじゃだめだよね?

とか言う、セクハラ社長の言葉が我慢の限界で

1年半後、その職場を逃げるように辞め、独立した。

会社の経費削減のため、業務委託にされ失業保険もなかった。
生活を切り詰め、副業を何個か始めて、お金を貯めた。

別の環境で楽しく生きれて問題なかったんだから、
この職場一つのために気を病む必要はない。
人は居場所がたくさんないと、一つに固執・執着してしまってダメになるのかもしれないと思った。

それは、人間関係にもそうなのかもしれないと思った。

人生の夏休み

子供の夏休みばりに、目の前の出来事や楽しさだけを見て過ごした、夏の1ヶ月半。

今でも、1人で食べるご飯より
誰かと一緒に食べるご飯、みんなと食べるご飯
それだけでしんどい気持ちや、死にたさは和らいでいる。

人は独りで生きられるように作られていないんだな。
人生は長いようで短い。
楽しい事を感じられるアンテナを張って生きたい。

おわり。


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