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強面?恐そう?代表・中島の素顔に迫る!note初投稿!

はじめまして、株式会社VOLLECTのひとり人事・佐川(通称:さがわん)です(・ω・)♪
この度、会社や事業内容、カルチャーなど、弊社について発信するツールとしてnoteの運用を開始しました。

記念すべき1回目の投稿は、弊社代表の中島についてご紹介するシリーズ第一弾!
当方、最初にコーポレートサイトで代表の写真を見た第一印象は…

「こ、恐そう…((((;゚Д゚))))」

…だったのですが(笑)、
実際に話したり、入社後に接する中で、だいぶ感じ方が変わりました。
もしかしたら、初見で同じような印象を持たれる方もいらっしゃるかな~と思いまして、今回はそんな中島の創業に至るまでのストーリーをご紹介します。

❚代表プロフィール

株式会社VOLLECT  代表取締役社長 中島大志
名古屋出身、36歳。立命館大学国際関係学部卒業後、新卒でインテリジェンス(現パーソルキャリア株式会社)へ入社。採用コンサルティングに従事した後、独立。2018年にVOLLECTを創業し、ダイレクトリクルーティング特化の採用支援事業を展開。スカウト採用支援サービス「PRO SCOUT」の他、ダイレクトリクルーティング特化メディア「HRpedia」、スカウト媒体選定支援サービス「SCOUT SEARCH」等を運営。延べ600社以上の企業の支援に携わる。2023年3月、初の著書「ダイレクトリクルーティングの教科書」を出版。趣味はサウナ。

❚日本独特の仕事観に疑問。「働く=辛いこと…?」

生まれは名古屋市。幼少時代~高校までは、サッカーと勉強に打ち込む日々。元来負けず嫌いな性格なので、人と競うスポーツや、明確な成果の出る勉強は性に合っていたんだと思う。
好きな教科は英語。高校時代は、圧倒的に周囲より得意だと自負してたんだけど、いざ立命館大学の国際関係学部に入学したら、周りは英語が得意な子ばっかりで、ちょっと自信喪失したね(笑)。

在学中にアメリカのボストンへ短期留学して、現地の文化や人に触れたのは自分にとって大きなターニングポイントだった。
単語や文法が完璧でなくても意外とコミュニケーションって取れるんだなと思ったし、不自由なりに生き抜く術みたいなのも学んだ気がする。
スラム街とか、いわゆる観光地ではないような場所に繰り出すのがスリリングで楽しかった!

あと凄く衝撃だったのが、「仕事」に対する考え方が日本とまるで違うこと。
特に自分の親世代とかは、高度経済成長期を経てとにかくがむしゃらに働くことが良しとされていた時代に、「働く=辛い」というのを当たり前の価値観として持ってきたと思うし、それは自分にも染みついていたから、できるならば就職活動さえしたくないと思うほどだった。
でも、滞在先のホストファミリーが、大切な家族や彼らと一緒に過ごす時間を第一に、仕事にも前向きに取り組んでいる姿を見て、「自分らしく働く」ことの意義を強く感じたんだよね。

❚単位取れず留年!…からの2度の就活で学んだこと

帰国後、アルバイト三昧のつけが回って、大学の単位が取れず、留年。
大学4回生・5回生と、就活を2回やりました。

1度目は業界関係なく大手企業を受け、複数内定をもらいました。ただ、内定者懇親会で、色濃く残る「年功序列」の風土を肌で感じ、思い切って辞退しました。納得いく企業選びをしたかったんだよね。

2度目は、若手が活躍するメガベンチャーを中心に応募。最終的に入社を決めたパーソルキャリアは、早くから新規事業に携わることができそうだったことや、「はたらくを楽しもう」というキャッチコピーから、日本の古い価値観を壊してくれそうなポジティブなイメージを持てたのが決め手でした。当時は、ちょうど堀江貴文さんや元ZOZOの前澤さんがよくテレビで取り上げられてて、ベンチャー企業や若手起業家には、なんとなく憧れを抱いていたな。

❚入社後はトップセールスとして躍進!起業のきっかけは?

入社後はリクルーティングアドバイザーとして、企業の採用コンサルティングを5年ほど経験。
3年目以降は、コンサルティングファームや大手メーカーなどの大きめの会社を担当することも増えたけど、どちらかというと、知名度がない企業でも採用ができるように、自分の経験やノウハウを最大限活用して支援するほうが楽しかった。

周囲のメンバーも優秀で、みな仕事を楽しんでいる雰囲気があって良い環境だったと思う。
モチベーションを高く保てたおかげで、社内のMVPも複数回受賞でき、周囲からも「トップセールス」と評価してもらえる実績は残せていました。

MVPの賞状を手に照れくさそうな中島

クライアントワークは一定成果を出せたので、入社当初から希望していた新規事業部門に異動。
スタートアップから中小企業まで、大企業の事業提携を支援するサービスの立ち上げに関わり、同世代の経営者と多く接点を持てたことが、独立を後押ししました。どれだけスキルや知識を蓄積していったとしても、覚悟を持って仕事をしている人には太刀打ちできないと感じたし、このまま大企業という守られた環境にいて良いのかな…と考えるようになった。

❚退職に迷い無し!ダイレクトリクルーティングとの出会い

退職を決意してからの行動は速かったね。1か月後には退職届を出したんだけど、実はその時点でやりたいことが明確にあった訳ではなくて。
とりあえずそれまでの経験を活かして人材紹介の仕事ができないかな~と思ったんだけど、免許取得までに意外と時間がかかることが後から分かったのは誤算だった(笑)。パーソル時代の友人からの縁で、大手コンサルティングファームのリクルーターの仕事をもらいました。

それが、初めてのダイレクトリクルーティングとの出会い。
同社の採用において、スカウトメール作成からスカウトの配信、返信者の面談対応やオファー面談でのクロージング業務を担当。
その頃、コンサルティングファームは売り手市場で、人材紹介は成功報酬フィーは年収の60〜70%(!)と高く設定していました。
そこで、ダイレクトリクルーティングを使うことで、大幅にコストカットを実現できただけでなく、月間9名の採用成功に繋げることができました。

ダイレクトリクルーティングであれば、採用単価を下げられるのはもちろん、人材紹介では出会えない優秀な人材にアプローチできる。非常に魅力的な採用手法だと改めて感じました。

❚VOLLECT創業。集うメンバーへ叶えてほしいこと。

創業当初の中島。優しく厳しい、経営者の顔…?

成功体験に加え、ダイレクトリクルーティングに勝機を感じたのは、企業の採用が上手くいかない根本原因が、「運」に頼るいわば「宝くじ」的な採用の実態にあると気付いたからでした。
不確実性の高い「ヒト」の採用に、少しでも法則性・規則性・再現性を持たせることことができれば、この状況を解決できるのではないか…。そして、ダイレクトリクルーティングは、採用工程の「母集団形成」のフェーズに確実性をもたらすために最適な手段だと思った。
そんな経緯で、ダイレクトリクルーティングに特化した採用支援事業を柱として、VOLLECTを創業しました。

五反田にある1Kの築40年超えのマンションからスタートしたVOLLECT。採用支援事業を営む傍ら、自社の採用にはだいぶ苦労しました。だからこそ、共に歩む決断をしてくれたメンバーには、出来るだけ楽しく働ける環境をつくりたいと年々感じるようになりました。
まだ何もないVOLLECTを信じて入社してくれたのだから、会社を通して少しでも良い思い出を作ってもらいたいというのが、本音だったかもしれない。
VOLLECTが社員にとっての居場所(=自分が自分でいられる場所)であったら良いなと思うし、「働く中に自分らしさを」という採用ミッションは、まさにその思いを言語化したものです。

社員の人生を応援する会社でありたい

仕事を楽しくするには、「何をするかよりも、誰とするのか」が大切だと思っています。
それは、今までの人生を振り返り、楽しかった瞬間と苦しかった瞬間を比べた時に、「誰」とその時間を過ごしたかの影響が凄く大きいと思ったから。
好きな人といれば何をしたとしても楽しいし、幸せを感じられる。そして仕事の中で、相手に喜んでもらうことでも幸せを感じる。

だから経営者としては、一緒に会社を成長させてくれるメンバーが何よりも大切だと思っています。人的資本経営の観点で、人材こそが会社の価値を決めるというのは今や当たり前の考え方で、僕は「社員を大切にする会社」とは一言でいうと、「社員の人生を応援する会社」であると思う。

その前提として会社が収益を出し続けることは必然で、そのために人材活躍が必要という、相関構図になっている。かつては「入社したら安泰」と言われていた大企業にも、その波は確実に来ている。
だからこそ自ら仕事を選ぶことができるよう、スキルや経験を積む機会を会社は提供すべきだし、それこそが「社員の人生を応援する」ことだと思っています。


記念すべき初投稿、最後まで読んでいただきありがとうございました!
”強面”の印象とは裏腹に、"人情味ある”中島の人柄を感じていただけたでしょうか…??
次回「代表・中島シリーズ」第二弾は、「中島流・仕事術!」をご紹介予定!お楽しみに♪

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