「普通」という認識が間違っているというお話し
あの人、変わっているよね。
ちょっとずれているよね。
あの子は普通じゃないよね。
あなたの周りにもそう感じるような人が存在していたり、他人からそのような話を聞いたことがあるのではないでしょうか。
どのような人に対してかというと、例えば、隣の人が食事をしている時いつも耳をふさいでいる、いつも独りで喋っている、電車の中で立ったり座ったりを繰り返している、左右違う靴を履いている、など色々あると思います。
でもそれって本当に「変わっている人」なのでしょうか。逆にそのような行為をしない人は「普通」なのでしょうか。そもそも「普通」ってなんでしょう。100人いたら99人がとる行動・行為をすることが「普通」なのか。
「仕事」をベースに考える
毎日やりたくもない仕事をする、仕事は楽しいものではない、我慢することが美徳、職場は快適ではない、いい企業に勤めることがカッコいい、ストレスを感じて当たり前
これって普通ですか?もちろん、やりたい仕事を毎日楽しくやりがいを持って働いている人もたくさんいます。職場がとても快適で、ストレスなく過ごしている人もいる。けれどそう思えている人は少なく、実際に上記が普通と答える人は多い。それでも仕事をしないと生活ができない、家族を養えない、といった理由で続けている人が多いのではないでしょうか。でもこれって「=我慢」ですよね。本当はやりたくないのに我慢してやっている。そもそもこの状態が「普通」だから我慢していることにも気づいていない。今時の若者はメンタルが弱い、すぐ逃げる、辛抱が足りないと言う大人はたくさんいますが、そのメンタルの強さや逃げずに踏ん張ることは本当に必要なのか。私たちが気付かぬうちに強いられている我慢は本来経験しなくて良いものです。間違った「普通」が、私たちに「普通」として組み込まれてしまっている。これは誰のせいでもなく、社会の構造に問題があるのです。
コロナ禍が気づかせてくれた
コロナ禍で自分の人生を見つめ直した人や、いつ何が起きるかわからないという事実に気づいて今まで我慢していたやりたかったことに没頭し始めた人など、コロナは良くも悪くも私たちの生活だけでなく考え方までも変えてくれた気がします。
総務省の2022年の労働力調査では、「転職等希望者数」が年平均で968万人。前年から71万人増。統計上(比較可能な範囲で)、900万人を超えるのは初めてだそうです。これはコロナ禍をきっかけに働き方や人生を見つめ直す人が増えたため。飲食業など転職を余儀なくされたケースだけでなく、リモートワークの普及や副業解禁と言った動きが相次いだことで、他の仕事に関心を寄せる人が増えた。こうして社会が変わらないと私たち人間の思考や行動、「普通」はそう簡単には変わらないのです。
結局のところ「普通」とは
隣の人が食事をしている時いつも耳をふさいでいるのは、咀嚼音が不快に感じてしまうから。いつも独りで喋っているのは、自分の心と会話しているから。電車の中で立ったり座ったりを繰り返しているのは、自分なりの運動方法だから。左右違う靴を履いているのは、それが自分にとってオシャレだから。
「普通」なんて存在しないし、「普通」である必要なんてない。やりたくもないことを普通だからと続けていたり、これが普通だからと周りに合わせて自分という個性を消すことは自分の心を苦しめているだけ。コロナ禍を経験した私たちはもうわかっているはず。普通はいつだって普通じゃなくなる。
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