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何で今ここ(ベルリン)にいるのか、というか言っちゃえば、何でまだ生きるのか
2ヶ月ほど前からワーホリでドイツのベルリンにいる。渡航前には「何でドイツ?」「何しにいくの?」「すごいね!」「ワクワクするね!」「楽しんで」「応援してる」来てからは「何でドイツ?」「来たばっかりなんだ!ワクワクするね!」「いっぱい遊んで楽しんで」「頑張ってね」といろんな言葉をもらって、その度にそれなりの現実を含んだ、よそゆきの返答をした。ドイツは学費が安いから。進学がしたくて。向こうで映画作りも
もっとみるひっかからない映画祭
プールで泳ぐ。泳いでいるうちは特別楽しいとか気持ちいいわけでもないが、後味がいい。よく眠れそう。ジム通いして筋トレやランニングをする人も、やってるうちはちょっと苦痛だけど生活全体のバランスとして整うからやってる人多いんだろうなーと思った。
お風呂入って水着を干しながらふと思いついたんだがいつか「ひっかからない映画祭」というのをやりたい。というのは、去年撮った短編が見事なまでにどこの映画祭にもひ
ドライブ・マイ・カーを見て。ネタバレです。
キネ旬のレビューで「車への偏愛がまったく感じられないから星一つ」みたいのがあった。
確かに車へのフェチは感じなかった。それはしょうがないだろう、ないものは出せないだろう。濱口さんは芝居フェチだから稽古や本番の演劇シーンがやっぱりよかった。モノや人体に対するフェチはまったくないんじゃないかな。
そんなわけで、特に『ワーニャおじさん』の力(もちろんその強さを生かす巧みな脚本も)により、普通に楽しめる作
”この世界に残されて”
今日は仕事前、シネスイッチ銀座でハンガリーの映画『この世界に残されて』を観た。冒頭5分くらいからずっと泣いていた。クララの苛立ちと寂しさが、わかり過ぎたーー身近な人を喪った経験もない私がこんな風に言っていいのか、ホロコーストで両親と妹を亡くした少女の絶望などわかるわけがないとも思うが、しかし私の心は生々しくクララに共鳴した。価値ある(と自分が信じる)ものについて語り合い分かちあう相手が必要なのに、
もっとみる『喜劇 愛妻物語』について
以下、私的にはネタバレではないが、人によってはネタバレだと感じる内容を含むかも。
この映画について何か言うのに、ちょっとだけ気を遣うのは、これが実在の夫婦(足立紳監督と妻の晃子さん)をモデルにしているという点だ。当然ながら、私は彼らの夫婦関係や、人格を否定したいなんて1ミリも思っていない。あくまで表現として、疑問を抱く側面がある。
私には、この映画は黴臭い「男性の性欲と甘えを仕方ないなあっ
北の橋/息子のまなざし/クリーン
DVDをガサッと(と言っても3枚)借りて帰る。テンション上がる。今行かないと観れないから、と映画館に行くのとも、やってるから観るかーとサブスクのコンテンツをかけるのとも違う、数ある歴代の映画の中から、今私が観たいのはコレ!と選んで持って帰るワクワク感。主体性を発揮したときならではの爽快さ。
『北の橋』タイトルからして堪らない感じがする(シンプルなのに/シンプルゆえに)。家をもたずパリをさまよう
体を買うのは普通のことか
Black Lives Matterや香港の問題には共感を示すのに、日本国内の性差別には無関心なインテリ男子が多くて、何だかなーと思う。
私はどちらかというと「いい大学」に通い、世間的にはインテリとみなされる人たちと学生時代を共にした。恵まれた環境であったはずだが、結局は社会の縮図だった。〈女〉として、当時から、違和感や嫌な思いを抱くことはそれなりにあった。しかしその頃の私はそれを表現し立ち向か
映画の未来とかどうでもいい
私たちの日常が地球を作り変え、コロナを含めさまざまな危機をもたらしていることを考えると、私たちは元の日常には戻ってはいけないのだと思うけど、どうやって戻るかとか、失った日常に対する焦りとセンチメンタリズムばかり世の中に蔓延してるかのように見せられてる。本当に蔓延してるのかもしれないけど。
映画は大好きだけどはっきり言っていま映画とかその他さまざまな愛すべき文化の未来とかどうでもいい。人類の未来が