快楽

上野千鶴子さん『ひとりの午後に』を読んだ。世界各地で見た豪華な夕陽のこと。三十代から海外でおぼえた車の運転。食や入浴のよろこび。知的で艶っぽい。ばななさんも何かのエッセイで書いていたように、官能とは性欲が満たされることではなくて、この世界を感じながら生きることそのもので、たとえひとりでも、生には甘いよろこびが溢れている。だからひとりで生きることは怖いことではなく、自分の未来も楽しみで仕方がないと、束の間かもしれないが、思うことができた。コロナ禍の初夏、不安と寂しさでふさぎ込んでいた日々に、ゴミ出しのため玄関から一歩外へ出たら今にも降り出しそうな水気を孕んだ空気がむわっと薫って、「夏だ!」と感じたその瞬間全身にびりびりと幸福が駆け巡ったことを今でも思い出せる。生きるぞ。何もなくていいから。と体の底から何か湧き上がった。同時に今すぐにでも死んでしまうような気がした。自分があっさりと潰れ絶えてしまう虫や、どこにもいけずただ雨や太陽を待つ植物と完全に同列だと感じた。なぜ映画が好きなのかと言われたら、映画は官能だから、と答える。音楽もそう。悲しいお話でも、意味不明でも、よい作品よい鑑賞体験は命をよろこばせて、何もなくてもよくて、次の瞬間死んでてもよくて、とにかく最高なんだ、と思い出させてくれる。

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