手紙『最後の挨拶』 15 LVN 2022年1月17日 20:17 以下は、本日、大変お世話になった先生並びに二人の大先輩への永別の手紙です。実名の部分は改変しております。小見出しは、noteで付けたものです。皆さんの何らかの参考や助力に為れば、大変幸いです。『最後の挨拶』挨拶〇〇先生〇〇さん、〇〇さん〇〇先生、〇〇さん、〇〇さん、こんばんは。三日前に、〇〇先生にメールを出させて頂いたばかりですが、もう一度、そして、本当に最後の手紙を出させて頂きます。本当に残念ながら、この手紙が、本当に最後のお手紙となります。自分の一方的な身勝手ぶりを、どうかお許し下さいませ。自分の人生の定め自分は、これから、さらに本格的に孤独になって、後世の、祖国のために、新しい世界のために、人類史のために、誠に、生涯を掛けて、命を懸けて、全身全霊を尽くして、深い孤独や多くの危難に満ち溢れた哲学の道を極めていきます。自分は、死別した愛する同志達の無念や希望等を、天涯孤独を以て、背負い続けては、学び受け継いで、成し遂げるために挑み続けます、最期の最後、生命が終焉して永遠に消滅するその瞬間まで。昔から今まで、今現在も、そしてこれから死ぬまで、さらに死後も、自分は数多くの人々から、馬鹿にされ、嫌悪され、忌避され、軽蔑され、「上から目線の驕人」や「役立たずの変人」や「意味不明な狂人」等と、数多くの人々から言われ続けます。自分の人生の決定さて、先哲の格言に、「誠は天の道なり。之を誠にするのが人の道なり。」とあります。自分は、己の精神・心意・意志を誠にしては、ただひたすらに天の道に遵って、人の道を創っていきます。こよなく愛する祖国ベトナムの美徳である、「孝国忠民」「相思相愛」「一致団結」「恪勤精励」「温柔敦厚」等は、もうすぐ本格的に尽き果てます。自分の愛する同志達は全員、もうこの世からいなくなりました。まあ、もしかすると、いや、この可能性の方が非常に高いですが、最初から自分が勘違いして、全て存在しなかったかもしれません。それでも、確かなことは、自分が存在しており、憶えながら生きており、そして、学ぶことを知っては、学ぶことを楽しみ、学ぶことを愛している、ということを、これからも実践しては、経験と実感し続けるということです。世界の変化と自分自身の改変これから、世の中は、さらに便利になっては、ますます情報が満ち溢れて、より一層、複雑化・多様化・高度化していきます。そして、私達人類は、致命的な犠牲や代償等を、さらに多く生み出します。自分の愛する同志達との古き良き日々や時間は、もう二度と在りません。ですが、だからこそ「故きを温ねて新しきを知る」という先哲の格言を、確りと創造的に実践していきます。自分は、これから以前にも増して、こよなく愛する祖国ベトナムをはじめ、こよなく愛する第二の祖国日本、やがて世界中の人々から、馬鹿にされ、嫌悪され、忌避され、軽蔑され、深い孤独がさらに、ますます、より一層深くなっていきます。今まではずっと、承認欲求や自己憐憫等に託けて、本当に孤独を覚悟しては、勇ましく直面して、志を立てて来ませんでした。孤独の苦難・困難・危難等を、恐れては、怯えて、逃げ避けていたのです。ですが、"もう決して初心(不覚)に戻らずに、もう一度、初心(理想)に帰っては、もう先に、心を太初(天)に還して、もう二度と初心(期待)を持たない。"を決行しました。人々は、自分を「上から目線の驕人」と言って、嫌悪することでしょう。自分は、誠を尽しては、誠に徹して、誠へと成り、ただひたすらに天を仰ぎ見ては、孤高に学び問い続けていきます。人々は、自分を「役立たずの変人」と言って、嘲笑することでしょう。自分は、誠を尽しては、誠に徹して、誠へと成り、ただひたすらに道を探し究めては、孤高に学び考え続けていきます。人々は、自分を「意味不明な狂人」と言って、侮蔑することでしょう。自分は、誠を尽しては、誠に徹して、誠へと成り、ただひたすらに徳を修め得ては、孤高に学び行い続けていきます。これから、巧言令色・富貴利達・美麗豊満な在日ベトナム人達が、日本でますます立身出世しては、大活躍して、大成功や大勝利等を、次々と収めていくことでしょう。それはもう既に各地で始まりました。そして自分は、ますます独りになっては、さらに貧しくなって、より一層狂っていきます。ですが、自分の愛する同志達との古き良き日々や時間を、幸福な記憶として懐き続けつつも、もうそれらに依存せず、また、新しい数々の苦痛や苦難、困難や危難等、そして、さらなる深い孤独に、勇ましく臨んでいきます。ホーおじさんと自分の将来こよなく愛する祖国ベトナムの美徳は、もう消滅し掛けております。もう誰にも愛されず、学ばれず、思われず、生かされず、そして、もう誰にも、思い出されず、最後には、人々に、ホコリのように棄てられて、風のように忘れられます。そして、自分はそれらと共に、孤独に死ぬことを覚悟しております。それらに忠義を尽して、愛して、学んで、思って、生かして、思い出して、そして最後には、人々に、ホコリのように棄てられて、風のように忘れられます。ベトナムでは、"Học và Làm theo bác Hồ"(ホーおじさんを学びに倣う)という政治プロパガンダがあります。他の人々がこれを、どう思っているのかは、そして、その実態はどういうものかは、もう明白であり、議論の余地はありません。ですが、自分自身は、孤独を以て、ホーおじさんを学びに倣います。そして、孤独に、ホーおじさんの遺徳を、批判的・発展的・革新的に、学び受け継いでは、誠なる愛国心や忠誠心を懐いて、祖国に貢献します。自分は、多くの日本人に、そして、多くの同胞のベトナム人に、全否定され、嘲笑され、拒絶されて来ました。これからも、そうなります。無益で無能な貧人、時代遅れの変人、絶対に関わりたくない狂人、これからも、そのような存在として、人々に認識され続けます。ですが、それでも、あのインドシナ戦争で学び得た、あのベトナムの無法世界や犯罪世界で学び得た、もう二度と会えない死別した愛する同志達から学び得た、そして、こよなく愛する祖国ベトナムが創った歴史・文化・哲理等である、「孝国忠民」「相思相愛」「一致団結」「恪勤精励」「温柔敦厚」等を、確りと初志貫徹しては、国利国益に貢献や献身して、孤独に死んでいきます。自分は去年、ホーおじさんから頂戴した十の詩を心に懐きながら、ホーおじさんへの誓約を果たすために奮励努力し、ホーおじさんが最期の最後まで熱望されていた、祖国ベトナムの「本当の」平和・統一・独立・民主・富強の実現に、至誠の愛国心と諸徳を以て、全身全霊を尽して、孤高に貢献・献身します。本当の獲得と本当の喪失○○先生をはじめ、○○さん、○○さんと過ごした日々は、色々なことがありましたが、全て総合して言うと、とても楽しくて、幸せな日々でした。『自分』と「自分達四人」は、皆さんに本当に深謝しております。ですが、実に残念ながら、「初心」が完全に無くなるに当たっては、皆さんに二度と会わない、二度と連絡しない、二度と関わらないことが、実に残念ながら、どうしても絶対に必要不可欠です。「『本当の喪失』の無い『本当の獲得』」は存在しないです。「『本当の獲得』の無い『本当の喪失』」は存在しないです。「『本当の獲得』も『本当の喪失』も同時に在る」は存在しないです。ホーおじさんもまた、『本当の獲得』のために、『本当の喪失』を得ました。そして、『本当の喪失』によって、『本当の獲得』を得ました。こうして、結果的には、『本当の獲得』も『本当の喪失』も得ました。ですが、決して、同時に在ったり、両立させたりは、ありませんでした。これは、天が定めた道であり、自分もまた、ホーおじさんと同様に、この天の道を悟っては、悩み尽くして、そして受け容れ、人の道を、歩んでは、創って、遵うことを決行しました。皆が笑ったり、遊んだり、喜んだり、楽しんだり、安らいだりする時、自分は独りで、数多くの苦痛や疲労を積み重ねては、独りで落涙や憤怒して、本当に獲得し続けるために、本当に喪失し続けながら、深くて危うい孤独の中で、自分の死後、つまり、次の新しい人達の時代、則ち、自分のように学び受け継いでくれる後哲のために、自分は先哲として、確りと遺徳を創ります。ホーおじさんを先哲として学び受け継いで、日々、後哲を志して一生懸命に奮励努力している自分のように。もう既にホーおじさんもまた、祖国ベトナムの人々に、ホコリのように棄てられて、風のように忘れられました。もちろん、そのことは、善い成果があるが故に起きたことでもあります。ですが、それはまた、これからベトナムの発展と同時に、取り返しのつかない致命的な代償や惨事の予兆でもあります。日本では、「武士道」「詫寂(わびさび)」「粋(いき)」等が、それに当てはまるでしょう。だからこそ、自分は、ホコリのように棄てられた遺徳を、風のように忘れられた遺徳を、確りと善く学び受け継いでは、死後、また同様に、ホコリのように棄てられて、風のように忘れられます。矛盾した心〇〇先生、〇〇さん、〇〇さん自分は、祖国ベトナム、第二の祖国日本、そして、人類を、悲憤を以て嫌い憎んでおりますが、それを遥かに越えて、そして、それを包み込むように、愛情を以てこよなく誠に愛しております。"もう決して初心(不覚)に戻らずに、もう一度、初心(理想)に帰っては、もう先に、心を太初(天)に還して、もう二度と初心(期待)を持たない。"皆さんとは、実に残念ながら、二度と会えず、二度と連絡できず、二度と関われず、この手紙を通して、今生の別れとなります。自分は、無益で無能な貧人、時代遅れの変人、絶対に関わりたくない狂人ですが、皆さんのご健康・ご成功・ご活躍を心から底から本当に願つており、そして今後、皆さんが出会う、多くの新しい素敵な方々へも、心を尽くして、親愛の挨拶の送ります。特に、皆さんが今後に縁を持つ、ベトナム人だけではなく、多くの様々な善き外国人の技能実習生・特定技能・留学生・技士等の方々のことを、どうか大切になされて、互いに喜楽や幸福等を高め合って、愛情深く共有されて下さい。〇〇先生、〇〇さん、〇〇さん、皆さんは、本当に素敵な善き日本人です。必ずや出来ると、心の底から、本当に断言しています、そう遠くない近い将来に起こる事実として。自分と皆さんの縁は、この手紙が最後となり、今後は永遠に切れて、二度と存在し得ません。万が一、街でばったり再会したとしても、自分は何があっても、決して語らずに、振り返らずに、必ず去ります。ですが、このような貧人・変人・狂人といえども、自分の志とこの手紙は、きっと、微力ながらみ、確かに皆さんの人徳に好影響を与えることが出来たと、本当に信じたいです。私的な嘆願最後に、このような貧人・変人・狂人からの一方的で身勝手なお願いですが、どうか、皆さんが聞き入れて下さることを、心の底から誠に願っております。皆さんはどうか、まず、御自身の心身の健康を何よりも大切になさり、次に、御自身の人生並びに時間の有限性を常に再認識なさり、そして、御自身のための、独立・自由・幸福を、自力で追求並びに創造なさり、また、余裕がございましたら、どうか他の方々を助けたり、援けたり、支えたり、なさり、さらに、それでもまだ余裕がございましたら、どうか学問をなさって下さいませ。これが、『私』(LVN)「私達四人」(荷進・Nguyễn Hoài Minh・Tạ Hướng・Nguyễn Trọng Đức)からの、最初かつ最後の、そして、本当のわがままであり、「真理」「理想」「善」「正」等を追求し続ける者の「上から目線」の、そして「辛苦・悲惨・最悪な現実」に立ち向かう者の「下から目線」の、嘆願でございます。私達の「上から目線」には、驕りや押し付け等は本当に一切無く、私達の「下から目線」には、卑屈や中途半端等は本当に一切無く、確かに本当に一方的かつ無力ではありますが、誠に、ただひたすらに、天を仰ぎ見ては、地に確りと立ち尽くして、純愛を生成して至った結果のから生じた、至誠の嘆願でございます。「さよなら」(皆さんとの永別の悲しみ涙と皆さんへの愛情を込めて)2022-01-17LVN/荷進・Nguyễn Hoài Minh・Tạ Hướng・Nguyễn Trọng Đức ダウンロード copy #哲学 #日本 #愛 #未来 #世界 #ベトナム #将来 #別れ #内省 #悲しみ #苦しみ #志 #残念 #死後 #決心 15 ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。 サポート