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手紙『最後の挨拶』

 以下は、本日、大変お世話になった先生並びに二人の大先輩への永別の手紙です。実名の部分は改変しております。小見出しは、noteで付けたものです。皆さんの何らかの参考や助力に為れば、大変幸いです。


『最後の挨拶』

挨拶

〇〇先生
〇〇さん、〇〇さん

〇〇先生、〇〇さん、〇〇さん、こんばんは。
三日前に、〇〇先生にメールを出させて頂いたばかりですが、
もう一度、そして、本当に最後の手紙を出させて頂きます。
本当に残念ながら、この手紙が、本当に最後のお手紙となります。
自分の一方的な身勝手ぶりを、どうかお許し下さいませ。

自分の人生の定め

自分は、これから、さらに本格的に孤独になって、
後世の、祖国のために、新しい世界のために、人類史のために、
誠に、生涯を掛けて、命を懸けて、全身全霊を尽くして、
深い孤独や多くの危難に満ち溢れた哲学の道を極めていきます。


自分は、死別した愛する同志達の無念や希望等を、天涯孤独を以て、
背負い続けては、学び受け継いで、成し遂げるために挑み続けます、
最期の最後、生命が終焉して永遠に消滅するその瞬間まで。

昔から今まで、今現在も、そしてこれから死ぬまで、さらに死後も、
自分は数多くの人々から、馬鹿にされ、嫌悪され、忌避され、軽蔑され、
「上から目線の驕人」や「役立たずの変人」や「意味不明な狂人」等と、
数多くの人々から言われ続けます。

自分の人生の決定

さて、先哲の格言に、
「誠は天の道なり。之を誠にするのが人の道なり。」
とあります。

自分は、己の精神・心意・意志を誠にしては、
ただひたすらに天の道に遵って、
人の道を創っていきます。


こよなく愛する祖国ベトナムの美徳である、
「孝国忠民」「相思相愛」「一致団結」「恪勤精励」「温柔敦厚」等は、
もうすぐ本格的に尽き果てます。


自分の愛する同志達は全員、もうこの世からいなくなりました。
まあ、もしかすると、いや、この可能性の方が非常に高いですが、
最初から自分が勘違いして、全て存在しなかったかもしれません。


それでも、確かなことは、自分が存在しており、憶えながら生きており、
そして、学ぶことを知っては、学ぶことを楽しみ、学ぶことを愛している、
ということを、これからも実践しては、経験と実感し続けるということです。

世界の変化と自分自身の改変

これから、世の中は、さらに便利になっては、ますます情報が満ち溢れて、
より一層、複雑化・多様化・高度化していきます。
そして、私達人類は、致命的な犠牲や代償等を、さらに多く生み出します。

自分の愛する同志達との古き良き日々や時間は、もう二度と在りません。
ですが、だからこそ「故きを温ねて新しきを知る」という先哲の格言を、
確りと創造的に実践していきます。

自分は、これから以前にも増して、
こよなく愛する祖国ベトナムをはじめ、こよなく愛する第二の祖国日本、
やがて世界中の人々から、馬鹿にされ、嫌悪され、忌避され、軽蔑され、
深い孤独がさらに、ますます、より一層深くなっていきます。

今まではずっと、承認欲求や自己憐憫等に託けて、
本当に孤独を覚悟しては、勇ましく直面して、志を立てて来ませんでした。
孤独の苦難・困難・危難等を、恐れては、怯えて、逃げ避けていたのです。

ですが、
"もう決して初心(不覚)に戻らずに、もう一度、初心(理想)に帰っては、
もう先に、心を太初(天)に還して、もう二度と初心(期待)を持たない。"
を決行しました。

人々は、自分を「上から目線の驕人」と言って、嫌悪することでしょう。
自分は、誠を尽しては、誠に徹して、誠へと成り、
ただひたすらに天を仰ぎ見ては、孤高に学び問い続けていきます。


人々は、自分を「役立たずの変人」と言って、嘲笑することでしょう。
自分は、誠を尽しては、誠に徹して、誠へと成り、
ただひたすらに道を探し究めては、孤高に学び考え続けていきます。

人々は、自分を「意味不明な狂人」と言って、侮蔑することでしょう。
自分は、誠を尽しては、誠に徹して、誠へと成り、
ただひたすらに徳を修め得ては、孤高に学び行い続けていきます。

これから、巧言令色・富貴利達・美麗豊満な在日ベトナム人達が、
日本でますます立身出世しては、大活躍して、大成功や大勝利等を、
次々と収めていくことでしょう。それはもう既に各地で始まりました。


そして自分は、ますます独りになっては、さらに貧しくなって、
より一層狂っていきます。


ですが、自分の愛する同志達との古き良き日々や時間を、
幸福な記憶として懐き続けつつも、もうそれらに依存せず、
また、新しい数々の苦痛や苦難、困難や危難等、
そして、さらなる深い孤独に、勇ましく臨んでいきます。

ホーおじさんと自分の将来

こよなく愛する祖国ベトナムの美徳は、もう消滅し掛けております。
もう誰にも愛されず、学ばれず、思われず、生かされず、そして、
もう誰にも、思い出されず、最後には、人々に、
ホコリのように棄てられて、風のように忘れられます。

そして、自分はそれらと共に、孤独に死ぬことを覚悟しております。
それらに忠義を尽して、愛して、学んで、思って、生かして、思い出して、
そして最後には、人々に、
ホコリのように棄てられて、風のように忘れられます。

ベトナムでは、"Học và Làm theo bác Hồ"(ホーおじさんを学びに倣う)
という政治プロパガンダがあります。
他の人々がこれを、どう思っているのかは、
そして、その実態はどういうものかは、
もう明白であり、議論の余地はありません。

ですが、自分自身は、孤独を以て、ホーおじさんを学びに倣います。
そして、孤独に、ホーおじさんの遺徳を、批判的・発展的・革新的に、
学び受け継いでは、誠なる愛国心や忠誠心を懐いて、祖国に貢献します。

自分は、多くの日本人に、そして、多くの同胞のベトナム人に、
全否定され、嘲笑され、拒絶されて来ました。これからも、そうなります。
無益で無能な貧人、時代遅れの変人、絶対に関わりたくない狂人、
これからも、そのような存在として、人々に認識され続けます。

ですが、それでも、あのインドシナ戦争で学び得た、
あのベトナムの無法世界や犯罪世界で学び得た、
もう二度と会えない死別した愛する同志達から学び得た、
そして、こよなく愛する祖国ベトナムが創った歴史・文化・哲理等である、
「孝国忠民」「相思相愛」「一致団結」「恪勤精励」「温柔敦厚」等を、
確りと初志貫徹しては、国利国益に貢献や献身して、孤独に死んでいきます。

自分は去年、ホーおじさんから頂戴した十の詩を心に懐きながら、
ホーおじさんへの誓約を果たすために奮励努力し、
ホーおじさんが最期の最後まで熱望されていた、
祖国ベトナムの「本当の」平和・統一・独立・民主・富強の実現に、
至誠の愛国心と諸徳を以て、全身全霊を尽して、孤高に貢献・献身します。

本当の獲得と本当の喪失

○○先生をはじめ、○○さん、○○さんと過ごした日々は、
色々なことがありましたが、全て総合して言うと、
とても楽しくて、幸せな日々でした。

『自分』と「自分達四人」は、皆さんに本当に深謝しております。
ですが、実に残念ながら、「初心」が完全に無くなるに当たっては、
皆さんに二度と会わない、二度と連絡しない、二度と関わらないことが、
実に残念ながら、どうしても絶対に必要不可欠です。

「『本当の喪失』の無い『本当の獲得』」は存在しないです。
「『本当の獲得』の無い『本当の喪失』」は存在しないです。
「『本当の獲得』も『本当の喪失』も同時に在る」は存在しないです。

ホーおじさんもまた、『本当の獲得』のために、『本当の喪失』を得ました。
そして、『本当の喪失』によって、『本当の獲得』を得ました。
こうして、結果的には、『本当の獲得』も『本当の喪失』も得ました。
ですが、決して、同時に在ったり、両立させたりは、ありませんでした。

これは、天が定めた道であり、自分もまた、ホーおじさんと同様に、
この天の道を悟っては、悩み尽くして、そして受け容れ、人の道を、
歩んでは、創って、遵うことを決行しました。

皆が笑ったり、遊んだり、喜んだり、楽しんだり、安らいだりする時、
自分は独りで、数多くの苦痛や疲労を積み重ねては、独りで落涙や憤怒して、
本当に獲得し続けるために、本当に喪失し続けながら、深くて危うい孤独の中で、自分の死後、つまり、次の新しい人達の時代、則ち、自分のように学び受け継いでくれる後哲のために、自分は先哲として、確りと遺徳を創ります。
ホーおじさんを先哲として学び受け継いで、日々、後哲を志して一生懸命に奮励努力している自分のように。

もう既にホーおじさんもまた、祖国ベトナムの人々に、
ホコリのように棄てられて、風のように忘れられました。
もちろん、そのことは、善い成果があるが故に起きたことでもあります。

ですが、それはまた、これからベトナムの発展と同時に、
取り返しのつかない致命的な代償や惨事の予兆でもあります。
日本では、「武士道」「詫寂(わびさび)」「粋(いき)」等が、
それに当てはまるでしょう。

だからこそ、自分は、
ホコリのように棄てられた遺徳を、
風のように忘れられた遺徳を、
確りと善く学び受け継いでは、死後、また同様に、
ホコリのように棄てられて、風のように忘れられます。

矛盾した心

〇〇先生、〇〇さん、〇〇さん
自分は、祖国ベトナム、第二の祖国日本、そして、人類を、
悲憤を以て嫌い憎んでおりますが、それを遥かに越えて、そして、
それを包み込むように、愛情を以てこよなく誠に愛しております。

"もう決して初心(不覚)に戻らずに、もう一度、初心(理想)に帰っては、
もう先に、心を太初(天)に還して、もう二度と初心(期待)を持たない。"


皆さんとは、実に残念ながら、
二度と会えず、二度と連絡できず、二度と関われず、
この手紙を通して、今生の別れとなります。

自分は、無益で無能な貧人、時代遅れの変人、絶対に関わりたくない狂人ですが、皆さんのご健康・ご成功・ご活躍を心から底から本当に願つており、
そして今後、皆さんが出会う、多くの新しい素敵な方々へも、心を尽くして、
親愛の挨拶の送ります。

特に、皆さんが今後に縁を持つ、ベトナム人だけではなく、多くの様々な善き外国人の技能実習生・特定技能・留学生・技士等の方々のことを、どうか大切になされて、互いに喜楽や幸福等を高め合って、愛情深く共有されて下さい。

〇〇先生、〇〇さん、〇〇さん、皆さんは、本当に素敵な善き日本人です。
必ずや出来ると、心の底から、本当に断言しています、
そう遠くない近い将来に起こる事実として。

自分と皆さんの縁は、この手紙が最後となり、今後は永遠に切れて、
二度と存在し得ません。万が一、街でばったり再会したとしても、
自分は何があっても、決して語らずに、振り返らずに、必ず去ります。

ですが、このような貧人・変人・狂人といえども、自分の志とこの手紙は、
きっと、微力ながらみ、確かに皆さんの人徳に好影響を与えることが出来たと、本当に信じたいです。

私的な嘆願

最後に、このような貧人・変人・狂人からの一方的で身勝手なお願いですが、
どうか、皆さんが聞き入れて下さることを、心の底から誠に願っております。

皆さんはどうか、
まず、御自身の心身の健康を何よりも大切になさり、
次に、御自身の人生並びに時間の有限性を常に再認識なさり、
そして、御自身のための、独立・自由・幸福を、自力で追求並びに創造なさり、
また、余裕がございましたら、どうか他の方々を助けたり、援けたり、支えたり、なさり、
さらに、それでもまだ余裕がございましたら、どうか学問をなさって下さいませ。

これが、
『私』(LVN)
「私達四人」(荷進・Nguyễn Hoài Minh・Tạ Hướng・Nguyễn Trọng Đức)
からの、最初かつ最後の、そして、本当のわがままであり、

「真理」「理想」「善」「正」等を追求し続ける者の「上から目線」の、
そして「辛苦・悲惨・最悪な現実」に立ち向かう者の「下から目線」の、
嘆願でございます。

私達の「上から目線」には、驕りや押し付け等は本当に一切無く、
私達の「下から目線」には、卑屈や中途半端等は本当に一切無く、
確かに本当に一方的かつ無力ではありますが、
誠に、ただひたすらに、天を仰ぎ見ては、地に確りと立ち尽くして、
純愛を生成して至った結果のから生じた、至誠の嘆願でございます。


「さよなら」
(皆さんとの永別の悲しみ涙と皆さんへの愛情を込めて)

2022-01-17

LVN/荷進・Nguyễn Hoài Minh・Tạ Hướng・Nguyễn Trọng Đức

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。