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拙作『六親協和 日本国防の抜本的な民主化』


1 挨拶

 皆さん、こんにちは。
 先日と本日を以て、新しい拙作の概要と解題を完成させましたので、以下の通り、ご紹介させて頂きます。

2 拙作『六親協和 日本国防の抜本的な民主化』

 愛日の在日ベトナム人・ベトナム人の移民・元軍人として、愛国心を以て著述しては完成させて、この拙作を出版いたします。

2.1 表紙

2.2 扉

2.3 目次(未完)

2.4 解題

 この拙作の解題を著述している本日2023年7月26日の前日に、以下のニュース記事が出ていた。

(中略)さて、今週木曜日は7月27日です。ベトナムでは、「傷病軍人・戦没者の日」となっています。国の独立のために自らの命を犠牲にした軍人や戦没者を敬い、感謝の気持ちを表す日です。今年76周年を迎えるにあたり、そんな兵士のみなさんを讃える歌をご紹介しましょう。
(中略)「Vo Thi Sauの恩を忘れない」(Biet On Chi Vo Thi Sau)(中略)
「ほら白い花が咲いている でも、もう君の姿はみられない
君は人々の幸せのために身を捧げた 故郷の山や川は今も君の名前を呼んでいる
君の歌声はベトナムの人々の心の中に刻まれている」
(中略)「忘れられない歌」(Bai Ca Khong Quen)(中略)
「私たちには忘れられない歌はある それは、祖国の歌だ
私たちが忘れられない歌がある 母親が毎晩歌う、子守唄だ
私たちは、激しかった日々を忘れない 月を友とし、銃を抱き、星を眺める真夜中
それは忘れられない歌だ」
(中略)「赤い花の色」(Mau Hoa Do)(中略)
「その秋より貧しい屋根から離れた兵士がいる
あの春から離れて、ずっと戻ってこれない兵士がいる 老母は彼らの姿を悲しく見送る
彼らが亡くなった山に、赤い花を植える
日没前のように、いつもその赤い花の色で燃え上がるようだ」

兵士のみなさんを讃える歌 (vovworld.vn)

 自衛隊を支援する市民有志でつくる八重山防衛協会は「自衛隊員や家族を市民と認めないと言っているばかりか、職業差別を助長させかねない論調」として抗議した。
 同紙は20日付1面で、「自衛隊員、その家族の皆さまの人権に対する配慮を欠いた表現があったことを深くおわびいたします」とする記事を掲載した。二度と繰り返さないようにすることが大切である。
 沖縄が本土復帰した昭和47年から県内に配備された自衛隊には革新(左派)勢力から激しいバッシングを受けてきた歴史がある。
 デモ隊が押しかけてきて「人殺し集団は帰れ」とののしられた。隊員の住民登録を拒否したり、電報を受けつけなかったりする嫌がらせが、革新系労組などによって続いた。那覇市では成人式への参加を認めない運動が起きた。これらの被害は家族にも及んだ。(中略)
 自衛隊配備の是非を論じること自体はもちろん自由だ。ただし、自衛隊員が「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」ると宣誓し、命がけで任務を遂行する人々である点への敬意は失わないでほしい。

【主張】自衛隊差別「社説」 人権重んじ尊重の念持て - 産経ニュース (sankei.com)

 第二次世界大戦後の歴史・文化・教育等の背景から、以上のように、我が祖国ベトナムと我が第二の祖国日本は、軍事に対する社会的な印象・見解・評価が、極めて対照的である傾向が強い。思うに、平和は国家並びに人民の最も大切な文化的現象の一つであり、戦争は国家並びに人民の最も悲惨な宿命的現象の一つであり、そして、軍事並びに国防の有様は、国家が平和と戦争のどちらかに進むのかに、直接的かつ決定的な影響を与える副因である。では、国家が平和と戦争のどちらかに進むのかに、直接的かつ決定的な影響を与える主因は何か?思うに、もしこの問いが古代・中世・近世等の時代について問うものであれば、それはやはり、君主に官僚達や政商等、支配層や上流階級の人々の意向や決定等で間違いないだろう。しかし、もしこの問いが近代、そして現代の時代について問うものであれば、もはやそれは、正に他ならぬ我々人民の民度(総合的な文化)だ。この私見に対して、分析的に賛否両論があるのは、至極当然だと思う。しかし実践的には、批判的かつ創造的な賛成を得たいと、心の底から誠に強く思っている。民主主義・自由主義・個人主義・多元主義等が法的・社会的・文化的にあるここ日本では、人民が「主体性(autonomy)」を以て、健全な利己心に個性と自由な公共心に利他心を調和させながら、自力で自分自身の為に、生活・勤労・参政・教学・自決等をすることで、この国は幸福な民主国家に成ることを、自分は心の底から誠に強く思っている故に、人民が、平和が決して自然に続く福ではなく、そして戦争もまた決して突然起こる禍ではなく、長年に亘る平素からの人民の民度(人民の生活・勤労・参政・自決等で築き上げられる総合的な文化)に由って起こるということを、実践的に自覚して欲しいと心の底から誠に強く思っており、そして、その実現に微力ながらも確実に貢献することを、自分はこよなく愛する我が祖国ベトナムと第二の祖国日本への愛国心を以て志している。

 さて、日本の国体は、日本国憲法に拠って象徴天皇制で民主制となっており、国政は決して君主政ではなく民主政であることが、法的にも社会的にも文化的にも明確に確定している。自分もまた、民主政の熱烈な支持者である。しかし、残念ながら今現在の日本の民主政は、既に形骸化している上に、より一層衆愚政治へと化していると、もはや思わずにはいられない。数々の古書は次のように述べている、

(中略)朕は常にこのように思っている。その身を傷付ける者は、外物(外界)に在るのではない。皆、嗜欲(貪欲で放縦な内界)に由って、禍が成されるのだ。もし滋味(豪華な美食)に耽っては嗜み続けたり、声色(音楽や性交等)を玩わっては悦び続けたりすれば、もはや欲する所が既に過多となり、また費用も膨大になってしまうものだ。そして既に政事の阻害になってしまい、また臣民の生活を擾乱なものにしてしまう。その上、もし[君主である朕が]一つでも非理な言葉を出してしまえば、万民はこれによって大混乱してしまう。そして気が付けば、[万民の心の中には]既に怨恨や非難が多発しており、[やがて遂には]離反も興ってしまうものだ。朕は常にこのことを深思しては、[常に自制や自重に自省等を]敢行して決して放縦や安逸しないぞ。

『貞観政要』(君道)

542.この世のあらゆる全ての生き物は、雨を齎す空を仰ぎつつ生きる。
  臣民は王の笏を仰ぎつつ生きる。
543.王の笏は、司祭者の知識の堅固な賛助の基にしており、
  そして全ての諸徳はそこ(笏)に著述されている。
544.臣民を慈愛して笏を動かす地上の王の足を、
  世の人々は推し支え続ける。

『ティルックラル』(善政)

 古語に「君子は徳を以てし、小人は力を以てする。」とある。力は徳に使役されるべきものである。人民の努力は君徳に侍り続けた後に功績と成り、人民の群居は君徳に侍り続けた後に和合と成り、人民の財産は君徳に侍り続けた後に理財と成り、人民の生活は君徳に侍り続けた後に安楽と成り、人民の寿命は君徳に侍り続けた後に長寿と成るのである。

『荀子』(富国)

 ソクラテス先生とプラトン先生が提唱した「哲人王」(『国家』・『第七書簡』)や「夜の会議」(『法律』)等の思想に、自分は誠に感激しては深く心酔している。しかしだからと言って、もしも本物の哲人王に成れる大人物が本当に居たとしても、この現代にて、我が祖国ベトナムと我が第二の祖国日本を民主政から君主政へと移行させて、哲人王を推戴しては即位させて、執政させることには、自分は猛反対であるし、もしもそのような大人物が現代に出現しては誠に博学篤志の国士になれば、その大人物もまた、君主政ではなく民主政を支持するであろう。カール・ポパー先生の御言葉を応用すれば、これからは、「開かれた社会の味方」となる「哲人民」が重要不可欠であると自分は誠に心の底から思っており、そして自分自身がその民に成ることを誠に志している。

 思うに、「古帝王学」の極意が「己自身を誠に修錬し続けては、人民を誠に慈愛し続けて、国家の利益と人民の幸福に奉仕する。」というものであれば、「新帝王学」即ち「自由民主主義の市民学」の極意は「己自身を成人教育や生涯学習等を以て修錬し続けては、利己心や個性を誠に多様化かつ健全化し続けて、利他心・公共心・忠誠心・愛国心等を誠に私有化し且つ自由化させ、主体的に私生活と社会生活を両立・連係・融和させる。」というものである。そして言うまでもなく、帝王学において、軍事学は必要不可欠にして重要不可欠なものの一つである。市民学も同様であるのだ。ところで、いじめ問題において、いじめる側が完全に悪いと断言できるだろうか?戦争において、侵略する側が完全に悪いと断言できるだろうか?道徳・倫理・法律等、そして生命に人権の尊重・平和共存に相思相愛の志望・侵害や争奪等の非難を以てすれば、「いじめ」や「侵略」等自体は、厳正かつ徹底的に断罪されなければならないものである。しかし、生命界の実体である「生存競争」を、いつまでも忘却・否定・拒絶してはいけない。弱肉強食・優勝劣敗・適者生存・自然淘汰…「悪貨は良貨を駆逐する」・「正直者が馬鹿を見る」・「無理が通れば道理が引っ込む」・「幸運は大胆な者を好む」・「悪人栄えて善人滅びる」・「勝てば官軍負ければ賊軍」・「力こそ正義」・「歴史は勝者によって書かれる」…いじめを厳正かつ徹底的に断罪する社会意識に社会運動や社会制度は必要不可欠である。しかしそれら以上に、一個人が徳育・知育・体育等を通じて、確りと鍛錬された善き強き心技体と、豊かで富んだ才識財を兼ね揃えて、誠に確りと自敬・自助・自衛・自救・自警等を実現し続けることが、重要不可欠である。それと同様に、侵略を厳正かつ徹底的に断罪する国際政治に国際開発や国際協力は必要不可欠である。しかしそれら以上に、一国が徳政・仁政・善政・民政等を誠に自ら実現しては、名実相伴う徳望・富強・安定・発展等と、持続的で確固たる革新・愛国・健康・国防等を誠に自ら実現し続けることが、重要不可欠である。

 さて、こよなく愛する我が祖国ベトナムの社会的・伝統的・歴史的・文化的な美徳の一つである「愛国心」であるが、昔、自分が愛国に関する作文を書いたことで、危険な思想の持ち主であるとされたことがある。自分はそれから今に至るまで、「一体いつまで日本の国民精神、そして日本の学校教育等は、『愛国心は戦争の口実』という80年近く前の古い概念を抱え続ける気なのか!!?」という批判を懐き続けている。『国防の基本方針』には、66年前から次のように明記されている、

国防の基本方針

民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保障するに必要な基盤を確立する。

 また、古川久雄先生は次のように述べている、

ヴェトナムの勝利を支えたものが何か、ホー・チ・ミンやザップたちは実に明確な答えを持っている。それは民族の祖国愛、愛国心だという確信である(中略)民族の伝統を愛し、東洋的正義に生き、国の独立を求める民衆の素朴な愛国心が勝利をもたらしたのだという確信である。

『愛国とは何か ヴェトナム戦争回顧録を読む』(ヴォー・グエン・ザップ⦅著⦆、
古川 久雄⦅訳・解題⦆、京都大学学術出版会、2014)「はじめに」、p.6

 思うに、「戦争は万物の父であり、平和は万物の母であり、進化はその父母の子である。」のだ。その父母の子達の一人である我等人類は、着火・文字・稲作等を発明しては、それを基本として高度な文明を構築し続け、そして、取り分け産業革命を機に科学的で飛躍的な進化を成し遂げた結果、今現在の現代に至るが、その大きな成果の一つが、「戦争を嫌悪と否定しては、平和を愛好して護持する。」であろう。もはや挙国一致して戦争を賛美しては推進して実現するようなことは、あってはならない。とは言え、天命は巧緻であり、時流は循環であり、現実は厳酷であり、人欲は狂暴である。いつか必ずや、祖国は戦争の被害国あるいは加害国、そして両方にも成るのだ。そのような絶対不可避の天命・時流・現実・人欲等に勇んで直面しては、戦争の被害国にも加害国にも、そして傍観国にも受益国にも決してならないように尽力し、もし被害者となってしまった場合は挙国一致しては自助努力して戦勝国に成り、また、もし武装中立国である、もしくは参戦国にならざるを得ない場合には、挙国一致して、迅速な終戦に平和の確立と和解の実現を成せる中立国もしくは戦勝国に成る。そのような未来の実現に、微力ながらも確実に貢献できることを志して、こよなく愛する我が祖国ベトナムと第二の祖国日本に、至誠なる愛国心を以てこの拙作を献呈する。

 国家第一の政策は教育と訓練、科学と技術である。科学と知力が根源的な生産力となっているからである。先進技術は近代化の基礎であり、近代化を促す力である。
 それは国の、その主幹である人間の、内発力を高めることである。この基礎に立ち、自らの自発的意志で自身を地域および世界と一体化すること、源となる資本、技術、管理の熟達を外国から獲得することである。
 もう一つの重要な政策は党を再組織し、強化することである。党を清潔、有効にし、前衛理論の発展と適用が可能なもの、革命的徳目を高め社会悪を根絶できるものにし、労働者階級と国家にとって党が良心、名誉、知力の源泉であると広く認められるようにならねばならない。この基礎に立ち、国家を民衆の、民衆のための、民衆による国家に再調整し、民族の統一戦線を強め、広げることがわれわれの最終目標となる。
 全ての階層が、常に覚醒性を示し、われわれの独立と主権を保持し、国の全体的な力と国家防衛を向上させる課題を重視する、また世界中で平和、国家の独立性、民主主義、そして進歩を目指す運動の隊列に連なり、支援せねばならない。

『愛国とは何か ヴェトナム戦争回顧録を読む』(同上)「第10章 回想」、p.352

祖国への愛は、他者と分かち合う気持ちを喚起させる愛である。それは人に、自分だけのものである所有物への愛着よりも、他者と共有するものへの愛着を優先させる。何であれ、人の魂よりも個人的なものはありえない。しかし国への愛は、公共の自由に対して自分の魂を従わせるように私達を仕向けるのである。すなわち、誰かのものであるのと同じくらいに私達のものである自由に。それは寛大な精神の持ち主のみが経験する愛である。(中略)自分の魂よりも祖国を愛するということは、その都市の生活と自由のためには、自分自身の命を犠牲にする覚悟がなければならないことを意味する。(中略)自らに魂に対する祖国。しかし魂が自分自身のものであるの対して、祖国とはそのような性質のものではない。祖国とは、すべての人のものであるように、自分のものである。魂がいかに重要なものであっても公共の自由のためにはそれを犠牲にするという、その行為は、さらには公共善のために個人の善を犠牲にすることである。

『パトリオティズムとナショナリズム 自由を守る祖国愛』(マウリツィオ・ヴィローリ⦅著⦆、佐藤 瑠威、佐藤 真喜子⦅訳⦆、日本経済評論社、2007)「第Ⅰ章 共和主義的パトリオティズムの遺産」、p.64-p.65

3 主要な参考文献

 以上の拙作の主要な参考文献は、以下の通りです。

3.1 プラトン先生

3.2 クセノポン先生

3.3 山鹿素行先生

3.4 荀子

3.5 熟議民主主義

4 結語

 まだまだ先となりますが、確りと研究と執筆して完成させて、拙作を出版いたします。
 また、以下が新しい関連記事と成ります。宜しければご覧くださいませ。

ありがとうございます。心より感謝を申し上げます。