古賀拓海

ベトナム近代文学翻訳家 Người dịch văn học Việt Nam

古賀拓海

ベトナム近代文学翻訳家 Người dịch văn học Việt Nam

マガジン

  • 『西洋人との結婚に関する産業的状況』(ルポルタージュ)

    『西洋人との結婚に関する産業的状況』①~⑩までをまとめたマガジンです。

  • 『召使たち』(1930年代ベトナムのルポルタージュ)

    1936年にハノイ新聞で掲載されたヴー・チョン・フンの新聞記事『召使たち』①~⑩のまとめになります。

  • ヴー・チョン・フン短編翻訳まとめ販売(ベトナム文学)

    今までに掲載したヴー・チョン・フン短編翻訳(1)~(18)までをまとめたマガジンになります。(1)~(18)を合計すると5280円になりますが、文庫本程度の値段で読んでいただけるほうが好ましく思われたので、こちらのマガジンを作りました。

最近の記事

  • 固定された記事

ベトナム人作家ヴー・チョン・フンについて(Vũ Trọng Phụng)

これからヴー・チョン・フンという名のベトナム人作家の短編を18本ほどnoteに掲載していく次第、本稿では彼について少し紹介していこうと思う。  ヴー・チョン・フンは20世紀初頭の有名なベトナム人作家兼ジャーナリストである。27歳という短い生涯の中で、彼は多くの短編小説と9本の文学作品のほかに様々な記事と演劇の脚本を残した。今では彼の残した作品の内、Số đỏ(赤い数字、または、幸運) とGiông tố(嵐)がベトナムの教科書に教材としてその抜粋が採用されているが、退廃的

    • 『西洋人との結婚に関する産業的状況』⑤(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

       第五章 スザンヌは欲するか・・・欲しないか  いつもは娘に関して何かと許可を出すような人ではないようだが、どうしてアック婦人は、私とスザンヌとで一緒にティカウとダップカウでも観光しに行けと勧めてきたのだろう? 単に風景でも見に行けということか? それとも、信頼でも深めて来いということか?  だが、彼女の真意などわかりえないものだし、知る必要もないのだろう。しばらくスザンヌと歓談をしたわけだが、私はその中で、自分が善悪の判断がつく者であり、寛容を忘れないようにし、なるべく人

      • 『西洋人との結婚に関する産業的状況』④(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

         第四章 枝迎南北鳥 葉送往来風  その木製の邸宅を二部屋に区切るものが、壁でもなければ、漆喰でもなく、また竹で作られているとはしても、それは粗末な柵に過ぎず、その柵が部屋と部屋の境目に半分置かれているだけで、もう半分にはあけっぴろげになるのを防ぐために、簾が引っかけてあるだけであれば、これこそまさしく〈近所〉と呼べる間柄なのだろう。ここの主人である女は簾に数枚、ハンボー通りを描いた絵とその両側に対聯を吊るしていた。ただ・・・その対聯には文字が一言も書かれておらず、白紙の

        • 『西洋人との結婚に関する産業的状況』③(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

           第三章 お前は俺のことを夫として認めたくないのか?  真っ暗な空に汚い道路、これが・・・夜十時の〈厩〉の裏手から見える風景である。私は冒険者であるかのように辺りを散策してみた。危険の尽きない冒険だ。目の前にはただ暗闇ばかりが広がっている。時々、靴が水たまりの上を打ち、飛沫の音が響いた。どこか家先でコツコツとタイルの上を蹄が打つ音がする。さらに耳には馬のいななきも聞こえてきた。その馬は涎を垂らしていた。そこには傑出した思想があるように感じられた。もし自分もまた、町の側壁であ

        • 固定された記事

        ベトナム人作家ヴー・チョン・フンについて(Vũ Trọng Phụng)

        • 『西洋人との結婚に関する産業的状況』⑤(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

        • 『西洋人との結婚に関する産業的状況』④(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

        • 『西洋人との結婚に関する産業的状況』③(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

        マガジン

        • 『西洋人との結婚に関する産業的状況』(ルポルタージュ)
          6本
        • 『召使たち』(1930年代ベトナムのルポルタージュ)
          11本
        • ヴー・チョン・フン短編翻訳まとめ販売(ベトナム文学)
          18本
          ¥980

        記事

          『西洋人との結婚に関する産業的状況』②(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

          第二章 妻、側室らを非難すること  その男とは知り合いになったばかりなのではある。だが、すっかり昔からの友人になってしまい、ドゥブル・マグナム を二本半開けた時には、彼は非常に多くのことを語ってくれていた。酒は血を温める。温まった血は人に愛情を考えさせる。ただし愛情はいつも人を必ず苦しめる。目の前でオピウム台に寝そべっているこの男は、私と何も変わらない凡人のような所作をしていたが、れっきとしたケレンスキー政府の〈英雄〉であった。男はかなり高齢だった。彼の叫ぶところ、ちょうど

          『西洋人との結婚に関する産業的状況』②(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

          『西洋人との結婚に関する産業的状況』①(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

          第一章 頭と耳  喫茶店の老婆は震え出した・・・。  自らよりも体力の優れた者の出鱈目な激しい怒りを前にして、私はすぐさまに立ち上がり、守勢を保つために何歩か退かなければならなかった。臆病な話し方を徹したのも、そうしておけば、易々と口を割られることもなかろうと思ったからである。またさらに怯えた様子で屈服し、ただ譲歩するような姿勢を続けたのも、この私の守りを固めた体制が相手側にさらなる油を注ぐことになりはしないかと恐れたがゆえの行動であった。別に怯えたわけではない!  私の顔

          『西洋人との結婚に関する産業的状況』①(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

          『西洋人との結婚に関する産業的状況』(1930年代ベトナムのルポルタージュ)を掲載するに当たって

           ベトナム文学研究者である川口健一氏は、本記事のタイトル『Kỹ nghệ lấy Tây』を『西洋人と結婚する技術』と訳した。たしかに、この記事の中では、多くの女性が西洋人男性を手玉に取る、そんな場面がいくつか見られるが、その話題が記事の全体を占めているわけではないため、『西洋人と結婚する技術』と訳するのは、少々内容との齟齬が出てくるように思われる。そのため、大家に歯向かうようで恐縮ではあるのだが、このnoteの載せる際には、タイトルを『西洋人との結婚に関する産業的状況』とす

          『西洋人との結婚に関する産業的状況』(1930年代ベトナムのルポルタージュ)を掲載するに当たって

          『召使たち』⑩(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

           Ⅹ 取材を終えて  読者各人、今、私は既に元の生活に戻っている。  半袖の桃紅色シャツを脱ぎ捨て、シルクの黒色ズボンを脱ぎ捨て、黒い眼鏡も両耳に垂れていた髪の毛も全て取り去り、元の自分の衣服を着用している。今日でやっとのこと各人に対し歓談することができる、一人の・・・まともな人間として。  つまり現在、私は召使たちを吟味する側の主人の立ち位置に立っているというわけだ。  私は聞いた話を捏造して各人に本当らしく思わせることもできたが、反対に、聞いたそのままの話を書き上げるこ

          『召使たち』⑩(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

          『召使たち』⑨(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

           Ⅸ 主人を罵る召使たち  どんくさい女中は感電し、てんかんの発作を起こすようになった。そして壺を壊し、泥棒と中傷され、挙句検挙されてしまった。このことが私たちの頭脳の推理を司る部分に強烈な打撃を与えた。  あの時ばかりが、恐らく、虫けらほどの階級にとって、たじろぐこともなく無罪を主張できる唯一無二の瞬間であったろう。もし冤罪をかけられれば、食べ残しを享受しにいく者たちもまた、自分たちは一人の人間であると自覚するに違いない。たとえ、ちょうど主人から死ぬまで殴られる程度のちっ

          『召使たち』⑨(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

          『召使たち』⑧(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

           Ⅷ 悲喜劇  そのように愚劣極まる田舎の民について連綿と思慮している最中、突然と二人の女中がさらに向かってきた。ひとりはスカートを着用、小さな籠を抱えて、短く切った髪を額と襟首に乱雑な様子で垂らしていた。足取りは太った家鴨のようによたよたとしている。もうひとりの方は外見が一方よりも綺麗に見えたし、きちんとしたズボンを履いていたけれども、気力が抜けており恐ろしくぼけっとしている。この都会ということ所に住まう様子がこれっぽっちも見られないように思えた。  誰かに尋ねることも出

          『召使たち』⑧(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

          『召使たち』⑦(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

           Ⅶ 都会の明かり  次の日の夜、私は再び飯屋に足を運んだ。  この時もいつも通り,先ほどから述べてきた歩道で私は一晩寝そべっていた。そこの同業者がガヤガヤと叫ぶことには私は娼婦擁護の先駆者であるとか。この日、手配師の老婆は私の下宿先に払う二スーを忘れてしまっていた。しかし幸い彼らの施しを受けて「後方」で寝られることになった。そのため老婆には寝る場は何とかなったと告げておいた。  私はこれ以上口答えなどすることもなく、全く何も聞こえないかのように振る舞い続け、一心不乱に素早

          『召使たち』⑦(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

          『召使たち』⑥(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

           Ⅵ 無垢な魂の断片をたらしこむ  夕方になると、ズイと私は共に立ち上がりアメデ・クールベ通りの舗道を離れた後、離別した。職と住まいを失ったこの歌妓志望の女中は今すぐにでも歌妓なってやろうという気迫があったし、私も彼女ならば十分になれる素質があるように思っていたばかりに、手配師の老婆は新町の方の同業者たちに声をかけてズイを引き渡し先になってくれそうな歌劇のオーナーをカム・ティエン、ンガ・テゥ・ソオ、ジア・クアットやトゥー・ソン地方から探してくれてはいたが、待たされる時間ばか

          『召使たち』⑥(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

          『召使たち』⑤(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

           Ⅴ 小説:ズイという女中  灯りの前に腰を下ろしこの話を物語る中で、私もやはり些かの魅力を持った女中との出会い及び告白についてはうっとりするような感覚を聞き手に与えたいと欲するが、それは無理な話なのだ。彼女の名は体を表すように醜く、その告白の語が語られた景観もおよそドー・ソン浜やコオ・グ―通りのように美しいところではなかった。我々の話は不運なもので、『淡水』や『素直な心』『夢河』『彼の涙』といったような小説にはなりえない。読者各人! 私たちの男女の触れ合いがどこで行われる

          『召使たち』⑤(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

          『召使たち』④(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

           Ⅳ 人間をする価値というもの  ・・・題の意味することはつまり、人が太刀打ちできないほどに家畜が価値を持つ場合があるということだ。実際に私は犬の中でも主人に牛肉を買い与えられているものを見ている。また主の家の中で召使をしている者以上に犬が毎月主人に金を消費させていることもあるのだ。  老若男女あらゆる種を備えた十六人は、各人が犬のようにと願おうと、また一方で非常に面倒で骨の折れるものでも意義のある労働に四肢を捧げて服したいと思おうとも、依然仕事も得られず稼ぐこともままなら

          『召使たち』④(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

          『召使たち』③(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

           Ⅲ 十六人に値打ちを  私たちが座る場所の前に置かれた板には誠に美しいとかいった文字が書かれねばならないのも、おそらく道を行きかう人に気づいてもらって初めて私たちは蝿の群がりに自らをさらして座っているという不幸から逃れることができるからだ。手配師の老婆の言葉に従い、私はアメデ・クールベの街角に七時から出ていた。最初はただ飯屋にいた私たち七人だけがそこに赴いていたが、後に毎時間が経つにつれて、似た手合いの数がさらに増えていくのが確認できた。私は彼ら彼女らがどこから出てきたの

          『召使たち』③(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

          『召使たち』②(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

           Ⅱ その夜、飯屋にて  それがどこの飯屋で、どこの通りにあり、何を売っているかなどは言う必要もないだろう。ただ各人には、この飯屋もまた他の何千何万と存在している飯屋と変わりないということだけを知っていれば事足りる。一歩店の中に足を踏み入れれば、その客人は瞬く間におよそひどい吐き気を催さねばならない、つまりはそんな店であった。その匂いはハクレン、水牛の肉、腐った豚肉、豚の臓物、牛の臓物、タリマンド、酸菜・・・。いやもういいだろう。とにかく何百何千という種が放つ耐えがたい匂い

          『召使たち』②(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ