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『召使たち』⑤(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

 Ⅴ 小説:ズイという女中

 灯りの前に腰を下ろしこの話を物語る中で、私もやはり些かの魅力を持った女中との出会い及び告白についてはうっとりするような感覚を聞き手に与えたいと欲するが、それは無理な話なのだ。彼女の名は体を表すように醜く、その告白の語が語られた景観もおよそドー・ソン浜やコオ・グ―通りのように美しいところではなかった。我々の話は不運なもので、『淡水』や『素直な心』『夢河』『彼の涙』といったような小説にはなりえない。読者各人! 私たちの男女の触れ合いがどこで行われるかを知っているか。それは歩道あるいはゴミの堆積の近くで、はたまた昼下がりのハノイの人込みを前にして、その人込みはまるで流れる馬車は水の如く、押し合いへし合う衣は楔を刺すが如く ・・・(※『金雲翹』の一文)。中流の住む社会というものがわざわざ下流の者たちに眼差しを向けることなど決してない。下流たちの各事物は中流社会によりくすみの中へと追いやられているのだから、我々召使たちは敢えて光の中にその愛をさらすのである。
 また私たちおしどりには格式というものもなかったろう。思えば語らいを交わす最中でも、私たちは二人とも日頃はズボンの端を腿の辺りまで折ったままにしていることをすっかりと忘れて過ごしていた! それ故にこのズイをいう女の罪の告白は、誠実さをその語りから見受けられるのだけれども、神秘的で荘厳な教会の一室や、神聖さを常に体現するような教主の態度と冷酷な表情の前では語ることを許されまい・・・そう「罪を洗う」人の前では・・・私はただの失業した青年の面に過ぎなかったが。
 ズイをという女が召使としてその身を捧げていたのは田舎の腐敗が原因にあった。彼女が十歳に上がった年、その父親は村の賦役の免除されていた階級の一人で頑固者だった。十二歳になった頃、ズイは強大で威圧的な頑固者である村の頭領の娘になっていた。それで父親は村長になってからというもの、まるで人類が人類として生まれた時からそうであったかのように当然の如く、村長に与えられた富を享受しては何度も私的に散在してしまった。あらゆる田んぼも、隣接していた池も全て売りつくした・・・きれいさっぱりと。そのためズイは都会に出て召使をせねばならないのだ!
「私の母はずっと村で小作農をやっているのよ、一方で父は現在車夫をしているわ! きっと常世で罪を成すばかりの運命なの。悪い評判が広がり失職して、子どもを苦しめ、妻を苦しめて。父が車を引くようになってからも、誰かが税を欠けば父に横腹をよじれるほどに蹴られるのが村の日常。でも可哀そうだなんて思わないよ、だって運命というものと知ってしまったから、人生はそんなものだから」
 とても気晴れ晴れとした様子でそのようにズイは述べた。私は尋ねた。
「それじゃ、村人たちは村長と未だに呼んでいるわけか?」
 彼女は唇を濡らして言った。
「そうね、人はここで車を引いていることを知らないのよ。だから毎度私の父は村へ帰ると、村人たちに依然村長と呼ばれているの、昔のようにね!」
「初めて召使として働いた時の事、家の主人に会ってどうだったか、聞かせてくれないかな、どうしてそんなことを聞くのかと思うかもしれないけど・・・」
「ほんとつらかった!比べるものがないくらいで、私その時思ったもの、すぐに死んじゃうって!」
 雇い先の家に入って最初に彼女をこき使った者はそこの女主人であった。西洋人を夫に持つ彼女は既にその魅力が尽き老いていた。ズイは腹を減らしてずぶぬれになりながら、汚臭の立ち込める中で毎日たらい三杯分の衣服を洗っていた。毎日三百回ほどあることだが、召使に用事がある時の老婆主は必ず「罵詈雑言」で威圧感を持ってして召使たちを呼びつけた。連日ズイは母を思い、父を憎むと、決まって自殺したいと思うのであった・・・。
 ここまで話すと、ズイは突然に笑い出した。
「それでね、いつも夕方になるとポールバート花園へ涼みに行くことが出来たんだけど! 老婆主の格好ときたら可笑しくてね、足元は西洋の靴を履いていて髪型はポニーテールにしているくせに、着ているものはチャイナドレスなのよ! 黒人の男を見つけたと思うと、老婆主はいやらしい目つきで盗み見て、すぐに誑かそうと企むの。彼女はいつも私に追従するよう強制したけど、それはまるで私に娼婦商売を学ばせようとしているようだった。でも彼女の頬はしわくちゃだったし、厚く塗った化粧で顔面は覆われていたから、まるでブギーマンみたいに顔になっていたんだけど、それでもねえ彼女を愛人にしようとする男もいてね、西洋の軍人さんは一体どんな人種かだなんて誰が理解できるのかなって? それでね、私はその女を末代まで呪ってやるの! あいつに私の処女は無下にされたんだから! 聞いて、私はその時まだ十三歳になったばかりだったのよ、なのにあいつは私の口にぼろきれを詰めて、私の足を押さえた、黒人がひたすらに強姦をさせようと!」
 私はズイを見つめることで初めて彼女にもまた美しさが備わっている様子が知りえた。彼女もまた人の相貌を持っていた。語られることを前にして、その不平が成す果てしない悲しみに、私もまた目頭を熱くする感覚に襲われた。まるで不平そのものを見つめているように思えた。私はすぐに尋ねた。
「それで訴えには行かないのか?」
「でもね、あの女は一生懸命私を宥めたり脅したりした後に、二ドンくれたから・・・」
「馬鹿なこと言ってちゃいかんよ!二ドンもらえたからといって、そんな・・・」
 ズイは手を振って私を阻止した。
「ちがう、ちがう、ちがう!・・・やめてちょうだい、すぐ私をそんな風に馬鹿にしないで・・・犯された後は半日もすれば死んでいくように仰向けになっていたし、犯されている間もそうだった、考えてみてほしい、あの女にバスタオルを口の中に突っ込まれた状態で叫ぶことが出来たとでも? それから補償金を受け取るなんて耐えられないと思ってね、町まで行って警察の下に泣きついたんだけど・・・全てを明らかにするには間に合わなかった、あの女は走って私を追いかけてきたと思ったら目の前に立ちはだかって、何を言っているかわからなかったけど西洋語を警察に向かってしゃべり始めたの。すると途端に警察の態度が変わって私を叱りつけた。拷問にかけられることもなかったし、証拠なんてなかったから無罪で終わったけれど、監獄に閉じ込められた! そのせいで私はもう恐いの、警察の話なんてわざわざもうこれ以上考えたくないの。補償金の二ドンもやむを得ずにもらっただけなの。三日後に外に出られた時には、あの女は味を占めてしまっていたから、私にもっと客に応じるようにと強制した。でもあの糞女だけど、本当にお天道様の罰って当たるのね、そいつは自動車に引かれて、一瞬にして真っ二つ・・・ねえ、私思うの、神様は私たちと共にあるって」
 ズイはしばらくの間、人々を無視することなく見つめてくれているお天道様を称賛するために、その老婆主が苦しむ様子について語り続けた・・・。ただ彼女が老婆主について罵る様子はあまりに長く続き、それも彼女が負った傷への同情など消え失せ耳を貸してやるのも億劫に思えるほどであった。私は彼女にその話を止めてくれるように言い、また女の後ろについていた主人たちが警察のお世話になった話を聞かせ終えるようにと頼んだ。
 とうとう黒人の主人が捕まってしまった後、彼女の体験を考えるに、どうもこの娘は恩恵を受けているように思えた。なぜならば優しい田舎娘が毎夜の淫猥な業界で有能な娘になれるほどに「世の事」を知りえたのだから。嗚呼!私たちがわざわざ人々を強姦しに行くのは一つの罪悪でしょうか? いいえ違いましょう! 私たちが強姦しに行くのなら・・・それならそれで、とてつもなく早く結果の得られる有益な「産業」についての新しい教えが人々に与えられた時代があったというだけなのです。
「それからね、あなた、私はお金持ちの家には女中として入ることが出来たの。ほくそ笑んじゃった、お金持ちの家に入れるなんて、どれほど親切に私のことを扱ってくれるんでしょうと思ったわ。ええ、でも残念、お金持ちになればなるほどに人は吝嗇家になるものね、野蛮な犬が人様になれるわけがなかったの」
 はじめ、手配師のお婆さんに連れられて背後でもじもじ立っていた時、ズイのじっと見つめた先には宝石のちりばめられた茶箱や金箔の張られた赤漆の対聯があった。また中国漆器の置かれた台座、衣装鏡や銅の香炉もあったし、多分それから両耳の耳鳴りもあったろう! そこの夫人は興奮して叫ぶことには、給料は毎月五ハオだと。ズイは仕事を始めた、心を嬉々と喜ばせながら・・・。
 初日は幸運なことに何もこれといったことがなかった。次の日の夜、日中の食事では十分ではなかったので、ズイは夜食を得ようと食器棚の皿に早速手を伸ばした。皿に置かれた家鴨の肉を三切れ盗み取ったのである。さらにその翌朝には叱られる事もなかろうと思いながら早起きをしたが、早々に夫人はズイを「殺人現場」にまでずるずると引っ張り出し、頭に三か所腫物が出来るほどに彼女を打ち付けて、盗み食いに至った経緯をしゃべらせた。
「この糞アマ、悪童め、まだ自分には盗み癖があるんだと正直に言えないのか! 皿にあった十二切れの肉の内、わざわざ三切れに手をつけ盗み食いしたんだろう! ちゃんと数えて収めたばかりだったんだ、おまえは私が数も数えられないとでも思っていたんだろう!」
 だがそれからも夫人はその糞女中呼ばわりした者を家に置き続けたのは、何の罪があってか・・・。ある日、主人の食膳の上に飾ろうと、ズイは一ハオの炙り肉を買いに出かけたが・・・、それをきっかけにして主人と夫人の間で激烈な舌戦が勃発してしまった。主人は夫人のことを動物の名前を用いて罵り、夫人は度々その主人の親切そうな顔を女性の陰部の名称を名詞やら形容詞やらにして修飾していった。主人が叱ることには、なぜ女中に二回に分けて炙り肉を買いに行かせなかったのかとのこと。一回につき一包を五スーで買いレストランにおまけを入れてもらえば、安く買うことができるというのだ。その日は主人からの八つ当たりも続き、女中を呼びつけては十二発の拳を彼女に喰らわせた。このような所業を成そうとも男は一切の罪の意識を感じることがなかったのである。
 私は話を一旦中断させて聞いた。
「それじゃあ、君はすぐに出ていきたいとは思わなかったのかい?」
 彼女は私のことを数回ちらちらと見つめると、冗談がましく答えた。
「最初は、私も今すぐに出て行ってしまいたいと思った。そうなんだけどよくよく思っちゃったの、私は復讐してやらないといけないって、復讐しなかったら心は決して晴れないって。私は我慢してその家で働き続けたのよ、あなた、それでね・・・」
 私は全てを聞き終えた。彼女は卑劣で残虐な復讐を達成していたのだ。その夫人には娘がおり、十八歳になったばかりであったが、慕情がすぐに立ち上がりやすく、まるで娼婦のようにいつも恋煩いに狂奔していた。度々台所の下に座り込んで淫猥な話を取り留めもなくし、ガキのふざけた話にほだされる貴族の娘は男の子たちをとっかえひっかえ。そんな短期間に五人も七人も愛人を見つけられたのも、女中が仲介人をしていたからであった。手紙のやり取りに仲買し、毎手紙ごとに一スーを得ていたズイは、歯が疲れを覚えるほどに間食もできるようにもなり、それでも使いきれないほどの小銭を稼いだ。
 彼女はただそれだけでは止められなくなっていた・・・。
 夫人には十二歳になったばかりの息子もいた。彼の学校の鞄の中にはいつも淫猥な写真を忍ばせていた。それを知ったズイは息子の行動を夜な夜な観察し続けた。息子が灯りを持って家の裏口から入って来た時に、ズイは竹の寝台の上で自らの真っ白な両足の太ももを展覧会の如く曝してやったのである! その夜からというものの、息子が夜の間におしっこに行った回数は順調に八十五回目に到達し、八十六回目には息粗々しく、うぞうぞとその手を太ももに差し込んだ。途端にその女中は座ったまま上半身だけ起こすと、さも驚いたように目を覚ました。息子は口封じにと彼女に一ドンを差し出した。金を払った後、彼は顔を狂わせて寝台の上に横になり女中を抱いた。抱きに抱き続けた! そうひたすらに!
 そこで不意にズイは私に接吻をしたかと思うと笑いながら言った。
「ねえあなたさま! こんな可笑しなことって他にないんじゃないかしら。口止め料をもらい続けて、たった半年ばかりで九ドンも手に入れたのよ。それもただお坊ちゃんのおちんちんを相手していただけなのに!」
「それじゃあ、どうしてそこの家にずっといなかったんだい?」
「えーと、いまさらあなたに隠すこともないから言うけど、私、芸者になりたいの」
「芸者?」
「うん、だって召使なんかしていたら、私って一生ただ女中のままじゃない」
 嗚呼! これが強姦されたことによる心理的な影響が成したものか! 今後もしズイが芸者になろうものなら、おそらく彼女は強姦してくれた黒人に感謝の念を抱き生きよう!

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