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『西洋人との結婚に関する産業的状況』③(作者:ヴー・チョン・フン、1930年代ベトナムのルポルタージュ)

 第三章 お前は俺のことを夫として認めたくないのか?

 真っ暗な空に汚い道路、これが・・・夜十時の〈厩〉の裏手から見える風景である。私は冒険者であるかのように辺りを散策してみた。危険の尽きない冒険だ。目の前にはただ暗闇ばかりが広がっている。時々、靴が水たまりの上を打ち、飛沫の音が響いた。どこか家先でコツコツとタイルの上を蹄が打つ音がする。さらに耳には馬のいななきも聞こえてきた。その馬は涎を垂らしていた。そこには傑出した思想があるように感じられた。もし自分もまた、町の側壁であらゆる動物がするように安らかに眠ることが許されているのならば、生きるということがむしろどれほど良美なものになるのではないかと!
 灯りが一つポツンと光った。首を伸ばしたような電灯が灯す一点。私のために民家や道路を灯してくれている。その光はそれほどまばゆいものでもなかった。だが無実の靴が再び他の刑罰を受け入れる姿を光の下に見ることになるだろう。明るく照らし出された道路にはできたばかりの水たまりが散見された。泥にまみれた悪路であった。照らされていない道路の方が小綺麗なように思える。目の前には多くの轍が引かれていた。地面の至る所に引かれた轍はまるで弱った蛇が枕籍しているような形を成している。想像力豊かな人であれば、実に危険な場所にいることを察知するだろう。私は身を震わせていた。耕作地と耕作地の間に引かれた小道には墓地という墓地が点在しているのではないかと想像されてしまうのだ。私はコオメエ村にある友人宅の下へ戻ろうかとも思った。心労の尽きない取材である!
 仲買人の一言が思い出された。
「夜も更けてしまいましたから、記者さんもここでちょっとお休みしていかれたら、いかがですか?」
 急に後悔の念に駆られた。しかし、泣き言を言ってみたとしても、誰か期待できる者が現れるわけでもないじゃないか? 自問する余地もないことだ・・・。四角く作られた柵と赤土を用いた壁がコオメエという場所の家が持つ個性的な特徴である。はじめ日中に見た時、チベットにある民家のような神秘性が感じられて、私は非常に称賛したものであった。ただ今の時間帯になると、恐ろしいことこの上ない。神秘という字の意味合いが理解できたとなると、こうも末恐ろしいものか。
 突如、数十メートル離れた先から、二人の激しく怒鳴り合う声が聞こえてきた。
「あんたにはもうこの家で寝る権利はない! あんたはうちを捨てたんだ。金ももう送ってくれなくていい。もう夫婦なんかかじゃない。わかったら・・・とっとと出ていけ!(フランス語)」
 数分の沈黙が流れた。すると、再び怒号が聞こえた。また女性の声だった。
「いや! もう終わったの! 出て行って!(フランス語)」
 私は見に行ってみようと思った・・・その二十メートル先には何が起きているのかを。そこには茅葺屋根の一間しかない木造りの小屋が立っていた。中はオイルランプで微かに光っている。両手で背中を引っかいている軍人の人影が見えた。彼は足をくちばしみたく大きく広げて、戸の前に立ちはだかっている。彼の視線の先には、女性が一人立っていた。上下白い服を身に纏い、男に劣らないほど体が大きい。髪は伸びすぎているし、叱責する横暴さもある女だ。相手に向かったままでいる。ああいう酷い言い草の愛情かもしれない。
 軍人の方は夫か、それとも客か? 彼は黙ったままそこに突っ立っている。沈黙を決め込むことにしているようだ。女の方も見ずにいた。恐れは感じていないようだった・・・。怒った女は道路の方を指さして言った。
「出てけよ、今すぐに!(フランス語)」
 ここに来て遂に、男も何か言わないといけない気を起こしたのか、落ち着いた声色で言った。
「今俺に言ったことを、ここでもう一度を言ってみろ!(フランス語)」
 男の面を執拗に睨むと、すぐに女は言い返した。
「あんたなんて怖くないよ! 何にしてみろ、少佐に報告して、あんたなんて牢屋に入れてやる。そんでもって軍事裁判所で裁かれろ(フランス語)」
 バシンと一度音がした。〈礼儀知らず〉な脅しと叱責を並べた文章の最後の句読点に女は勢いで平手打ちを加えたのである。彼女は後方に二歩退いた。立ったまま両手で顔を覆い、頭を下げて状態で黙ってしまった。しかし、悲劇は起こった! 今また、この夫は妻にさらなることを言わせてやろうとしていた。先ほどよりも多くのことを言わせ、そして先ほど以上の悪意を彼女から引き出そうというのか。だがその時、男はもう一線を越えてしまったのである。男は拳を握った。そして、その握りこぶしは妻の〈下顎〉にめがけて飛んだ。さながらボクシングの試合が行われたかのようだ。勝利をもぎ取るべく、彼は敵をノックアウトさせるための一撃を繰り出したのだった! すぐに子どもたちの声が聞かれた。子どもらはスズメのように泣きわめいて飛び出してきた。電光のような速さであった。十歳くらいの男の子が家の外へ飛ぶように駆けていった。その子は隣家の戸を叩きに行ったのだ。すると、近所二軒がその音を聞き、戸を開いた。どちらの家からも外国籍軍の兵士が現れた。寝具の姿であった。彼らは木下駄を履くと、一目散、両隣に挟まれた〈苦境の下にある〉家へと走りこんだ。それも何やらつぶやきながら・・・。三分後には、野次馬の女どもがそそくさと様子を見に集まって来ていたため、〈厩〉の通りの静寂は消えてしまっていた。
 しばらくこの野次馬の人だかりに見入っていたが、私は再びその視線を例の夫婦に向けなおした。現場から離れてしまったのが良くなかった。どうしてそうなったのかはわからないが、いつの間にか、その戦況は異なった局面に展開していったようだ。近隣に住まう男は巻き添えを喰らっていて、〈妻を追い出された男〉と喧嘩をする羽目になっている。その戦いは相手に容赦をする様子もない。一分後、もう一人の隣人が乱暴者の渦中の中に飛び込んだ。最終的には、一方の隣人に両手を封じられて、またもう一方の隣人に首根っこを押さえられた外国籍軍の男は、はじめ挑発していた元気も失せてうなだれ落ち、炎の先で紙の毛を乾かしているような姿勢から、そのまま家の玄関で倒れ込んでしまった。
 機に乗じて私は、その近くに、のしのしと走り寄った。
 奇妙な気分である! 野次馬精神の強い老若の女性の視線を受けることになってしまった。だが一方で外国籍軍の方々が誰も私の存在を気にかける様子はない。この場においては、誰もかれもが疑り深い様子でいたことが窺えた、皆がこの騒動の原因を知りたかったのだ!
 この時、妻の方は息づかいの荒々しいままに座り込んでいた。顔をこすり、背中をこすり終えると、自然体を装い、さも周りにいる人たちを皆自分の召使であるかのように命令した。
「憲兵を呼んで来い!(フランス語)」
 突然、他の外国籍軍兵士が姿を現し、私の肩を激しく叩いて尋ねてきた。それは何とも無礼な口調であった。
「そこのお前! こんなところに立って何をしている?」
 私は表情を厳しくも、礼節を持って答えた。
「少々無礼ではありませんか! 私は取材に来た新聞記者ですよ! ただ取材に来ただけの新聞記者なんですよ!」
 彼は穏やかな調子になった。
「取材って、一体何を? こんなのはただの夫婦の内輪もめと喧嘩じゃないか!」
「それが万が一、命に係わる事件になったとしたらどうです?」
 突如さらに二人目の男も現れた。顔つきは明るく、いくらか学識を備えているように見える。彼は微笑みながらとても愛想よさげに尋ねてきた。
「では、そのようなお仕事ということは、記者さんはこれから、色々と外国籍軍のことを批評されたり、さらにはその奥様方のことも色々とお書きになるつもりでいらっしゃるでしょう、どうですか、私にその記事を見せてもらっても?」
 危ない奴だ。こういう礼節を持った男に対しては低俗な輩以上に恐れねばならない。低俗な輩は馬鹿正直で短気なだけであり心配する必要ない。だが相手に対して微笑み、丁寧な素振りを見せる輩のことに関しては、彼らは明らかにうわべを取り繕った様子で相手を処罰しようと企む。私はしばらく考えてから、ようやく返答をした。
「夫婦の間での殴り合いというのは、私の国に住んでいれば、よくあることですから、何も批評することなんて? おそらく、私も今回のことを記事にすることはないでしょう。私はただあのお二人に敬服したまでのことです。お二人は同じ軍隊の兄弟が起こした事件を収めて、一人の女性を守ったわけですから。今回は全くと言っていいほど、その女性の方にも過失はありませんしね」
 その回答に紳士的な外国籍軍の兵士は満足したようであった。少し同調する様子で彼は静かに言った。
「おっしゃる通りでしょうね。 我々西洋市民、誰一人として木の枝を取り、女性を叩くような真似は許してはいません。あの輩は女性を殴ったようですが、よろしくない。我々の名誉にも傷がつく。力のある者が派遣されてきているのですから、たとえ女性が何をしてきたとしても、我々はただ辛抱強く耐えればいいのです」
 巡回していた外国籍軍の兵士たちが騒がしく集まってきた。先ほどからずっと、新たなお手柄をあげた二人の隣人兵士は、玄関の段差に倒れた孤独な男の首根っこを掴み押さえ込んだままでいた。
 その軍人が解放されると、集まってきていた隣人たちも皆、寝に戻ってしまった。驚かれることであるが、どうもこの近隣では、今日のような大事はよくあることとしてみなされているようであったのだ。
 拒絶された男の笑みは歯を食いしばっていた。それは皮肉であり、侮蔑であった。巡回していた憲兵たちに捕まった時、妻への所業を報い、血を流すことに同意した男の笑みを、決して忘れえることはないだろう。
 この事件を起こした家の中を伺おうかという時、その方向から私の所にまで、声が伝わってきた。
「〈軍法会議〉にかけられるんだわ、もうこんなことばっかり、お母さん、またお別れしちゃった!」

 この女の名前は彼女の出生地であっても明らかでない。ティカウの外国人妻たちの社会ではキエム凶婦人というのが彼女の呼び名で、私もキエム凶婦人と呼ぶことにした。
 たとえ、すでに時刻が十一時を過ぎていたのにも関わらず、彼女は喜んで椅子を引き、私のことを迎え入れた。
 今も昔も記者という職業が人々に恐れられている理由は、彼らが記事の中で対象の相手を酷評し、恐喝することを生業にしていたからである。だがそれにしても、キエム凶婦人は、私の職業と、私が訪ねてきた目的を聞いたところで、何ら怪しむ様子も見せなかった。これはどういうことなのだろう?
 彼女は寝台の上に座った。酢鉢の中で十分に浸された綿を両手に取り、首、頬、額、鼻、と順に当てていく。彼女は気にもかけない様子で正直に自らの話をじっくりと語ってくれた。そのことが私をとても感動させた。華やかな所は一切ないかもしれない。だが誰かに軽蔑されることを恐れる所もなく、大胆に物語るその人となりに、私は敬服していた。
「私たちのような種の人間は、見捨てられしまう階級なんですよ、記者さん。たとえ、社会が軽蔑することがなくても、私たちは自分たちの運命くらい自分で知っていますもの。今はたしかに貧しいけれど、誰かに笑われることを恐れてもいませんよ。ただね、豊かになってやろうという意志だけは負けないんです。いつか私のことを軽蔑してきた奴らを仕返ししてやれるだけの将来をものにしやると思っているんです。でもね、ずっとお金持ちになる機会が決まらないでいるのね、記者さん。真面目なシビリアンの夫との結婚から始まったけれど、夫が西洋に帰っちゃえば、私はまた川湖を彷徨うばっかりだから 、次は植民地軍の夫を手に入れようとしていたところだったんですけどね。今じゃあ、外国籍軍の夫とさえも、うまくいかない。昔、若かった時には、名声ある男たちの心を魅了するなんて造作もなかったんだろうな!」
 さて、読者人! 西洋人との結婚に従事する女性らの〈出世街道〉とは、なんといい加減なもので、くねくねと蛇行していて、整備もされていないと思ったことだろう。男性陣の進路を考えてみれば、最初、学士に合格してから、中高の卒業証書をもらい、最後に小等教育のカリキュラムを終えるなんてことができる者はいないのであるが、西洋人と結婚しようという女性らの地位と名誉は、結婚し次第、それらが同時に達成されるのである。というのも、その夫のありとあらゆる要素が、いや正しく言えば、夫のありとあらゆる生活水準が、一様に証明書のような価値を持つものであって、それらを基に適切な夫探しを行っていくからである。つまり、結婚相手選び自体が生きていくための全てなのだ。
 キエム凶婦人は長い間、村にいる豊かな両親の下に帰れないでいるようであった。まあ、そういう状況が続いているのも、まともに夫を得ることができず、身を固められないからであろう。権威ある家の娘であった彼女は、その豊かさと美しさも相まって、誰も敢えて結婚しろとは言わなかったそうだ。彼女の化粧をしていないその顔は現在においても、昔の時の美しさの名残をよく残しているのだから、まだ彼女は落ち着いた人生を享受することができるだろうに。
 だが悲しいことに、人類の辛苦は彼女が長らく多感なことを欲していたのだ。恋人のことを前にしてむせび泣くことを知ればこそ、貴い心は存在しうる。若い時分には、あらゆる豪華を享受することもできただろう。それでも若い娘はただ一人だけを愛していた。しかし両者の境遇が異なれば、結婚の申し込みも叶わないままに、女はひどく苦しんでいたようだった。そして・・・夕暮れ時刻が訪れた・・・。

 これは一通の遺書の内容である。
「自殺など迫られていないと、私にそんな罪はないと! そう私は考えていました、でも違ったんです。骨は父と母の下に残します。私が死んだことだけ知ってもらえば十分です。これ以上、同情されることも好みませんし、されなくても構わないのです。それが娼婦の生きる世ですから」

 キエム凶婦人は、長い間、机の上に突っ伏したままでいた。彼女は泣いていたのだと思う。だが彼女が顔を上げた時、すぐにその顔つきだけは何も気にしていない様子を取り繕っていた・・・なんと憐れむべき人であるか! その心はやせ細ってしまい、もうむせび泣く事すらかなわないのだろう。この時、旧来多感であった少女は、一変して、この世に住まう〈怪物〉と成り果てるまでに至ってしまったのだ!
 涙の枯れた女のことを人は怪物と呼び得るのだから。
「先ほどもめていた出来事のことですが、あれは何が原因で?」
「あー、理由と言われても、実際、ちっとも私がどうこうしたからってわけじゃないんです。だいたい私たちみたいなのが結婚する理由は、大概お金だから、決して愛情とかそんなんじゃないので。でも、あの人たちってお金がたくさんある時は、とても優しいのね。手元にお金がある時ばかり、自分よりも若い子を見つけて遊んでもらうとするくせに、それでもお金が尽きた途端、帰れの一点張り。どうしたらいいんでしょうね、ご理解いただけていますか?」
「どいつもこいつも外国籍軍の兵士はそんなものでしょう?」
「ええ、誠実な人もたくさんいるみたいですけど、私が知っているのは、ほとんどがそんなの、それ以外の男の人に会ったことがない。どんな感じだったかって? さっきの夫だと、ドイツ人になるんですが、自国では軍人だったみたいで、人を殺してから母国を捨てて、ここに来たんですって。信じられますか! あの人、私たちはみたいのは胆が据わっているのかいうんですよ? 私たちって人を殺す軍人と二人きりで寝ないといけないでしょ! そりゃあ美しい顔をしていましたけど、軍人の魂というのはとっても醜くて嫌」
 キエム凶婦人の声はだんだんと静かになっていき・・・、ほとんど囁くようになってしまっていた。

 ある晩、外国籍軍の兵士は吊り下げられたランプの先を大きくし、妻のことをじっくりと見つめた。彼は尋ねた。
「俺のこと、どう思う?」
「とっても素敵」
「でも俺は、人を殺したんだ!」
「嘘言わないで!」
「嘘だって? 本当は俺のしてきた罪行を知りたいくせになあ?」
外国籍軍の兵士は歯を食いしばりながら、そう言った。鬼の形相で妻を睨みつけ、威嚇したのだ。美しい顔立ちは急変し、馬の面を頭にのっけたような顔立ちになった。とても恐ろしいものであったろう。キエム凶婦人は恐怖のあまり発狂し、そのまま失神した。

「記者さん、何かお話に聞いたことはございませんか? あんなにも夢中になったのに、美しい人が、突如として、恐怖に陥れてくる存在に変貌するだなんて? 私、私は見たんです、あの顔を・・・顔が・・・二つあるように、そう見えたんです!」
 三人の娘は寝台の上に座ったまま、少し前から話を聞いていた。女は彼女を指さして言った。
「それからというもの、私はずっと恐くてたまらないんです。ある日、嫉妬が沸き起こって、彼が前の夫の間でできた娘たち三人を殺すんじゃないかって。一体何の罪で子どもたちを捨てる羽目に、私にはもうどうすることも!」
 十二時、まだ風邪は強かった。だがもう雨は降っていない。私は立ち上がり、後でまたもう一度だけ訪ねたいという旨を伝えた。玄関の敷居を越える私を見送るキエム凶婦人は最後に加えて言った。
「私が多くの人を憎しみ生きているとは思わないでくださいね。たとえ、誰かにその身を打たれるような分際かもしれませんが、それでも考えて生きているんですよ。もし人殺しを許容するならば、彼らがいつ私たちを殺しに来たって文句なんか言っちゃいけないって思っています。でも私たちが結婚するのはあくまでお金のためなのだから、彼らもまた私たちのような女のことは大目に見てくれなくちゃ。もしも、人殺しを許容してもらいたいなら、彼らにも私が淫らでいることを許してもらわないと。淫らっていうのはつまりね、夫が留守の時に妻が娼婦をすることや、もっと美しい男たちと寝る妻のことは許してあげないといけないでしょうってこと。だからその、さっきの出来事はちょっとね? もし、私が何をしていたかなんて正直に言ったら、殴られるなんかじゃ済まなくて、むしろ殺されていたんじゃ!」
 この取材は、常識から遠く深く離れた者たちの存在を発見しそうである!


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