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『召使たち』⑧(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

 Ⅷ 悲喜劇

 そのように愚劣極まる田舎の民について連綿と思慮している最中、突然と二人の女中がさらに向かってきた。ひとりはスカートを着用、小さな籠を抱えて、短く切った髪を額と襟首に乱雑な様子で垂らしていた。足取りは太った家鴨のようによたよたとしている。もうひとりの方は外見が一方よりも綺麗に見えたし、きちんとしたズボンを履いていたけれども、気力が抜けており恐ろしくぼけっとしている。この都会ということ所に住まう様子がこれっぽっちも見られないように思えた。
 誰かに尋ねることも出来ずに、ふたりは座れる場所を一つだって得られない状態でまごついていた。私は老婦人に告げた。
「婆さん、少し片付けてやって、横になれるように空けてあげなよ」
 老婦人は言われるがまま従い、その場を片付けると、子を養う老いた母の親切さを持ってして、ここへ新しくやってきた娘を優しく扇いだ。私は両手を立ててあばらを引っかきながら、無意味に積まれた塚を眺め自問していた。この者たちに私は何をすべきだろうか? こんな場面を眺めるためだけに私はここへやってきたわけではないじゃないか。 彼ら彼女らに自らの物語を語ってもらうためには、どうしたらいいだろうか、まずは信頼を得なければ、それに敬意も持ってもらわないと、好いてもらう必要がある。眠ってもらうのを控えてもらい、痛みに苦しんでいるようだったら何とかして、飢えと渇きも満たしてやれば・・・。
 もっとも私は手を滑らせてその指で確認してみても、財布の中には数ハオしかない。離れの方で売っている竹笊いっぱいの強飯をおごってやれば、確かに、他人の好意を獲得する方法の一つではあるが、あくまでそれは世間の一般の通用だ! 不幸にも、もしそんなことを実行した際に、「天下」がやかましく噂を広めたら、私は飯屋の女主人に疑われてここを去ることになるのではないかと恐れた。ただ一方で幸い、『メフィスト』に登場する優れた探偵のことが突然頭の中によぎった。悪人たちの巣窟つまりこの飯屋に入るに当たり、疑惑を持たれることから逃れ、さらには好意を抱いてもらおうとする任務の中で、探偵の成すべきことはただ心中を悟られずして、ロマンチストな堕落した役者を演じることにある。
 民謡の一編や文天祥の一編では度が越えていて場に適さないと思い、私は田舎の方で流行している手法の歌劇からいくつか用いることにした。
 私は身振りを付けながら歌った。

祝え 神の悠久の統治 長寿万年の祖国を!
祝え 我らが村 文武を備えた土地を
英魂の徳が万家を見守る
思い出せ 宋朝 年号は建光
至る所に富貴が
百姓の生活も満ちる
故事を伝えよう
ある青年がいた 名をチュオン・ヴィエン
父は消え 母は老年・・・
彼は古典歴史の専職に没頭した
貧しい学者の飢える不幸
のち宰相を得る 娘を娶る

(※ただ建光という年号は漢時代のものである)

 たったこれだけで、まったく「観客」たちは皆私に魅了されたようだった。はげ頭で面が黄色く痩せっぽちの青年は、まるで出べその中国人がするように、頭を大きく反らして屈託なく笑っていた。張り薬を首一杯に張り付けた輩は空の上の星や月に向かって思いめぐらすことも中断し、私をまじまじと凝視していた。結核の幼子が爺さんのように咳き込むことも既に止んでいた。老婦人もまた、周りの者に扇で優しく扇いでやることもすっかり忘れて、生きた石造のように人をきょとんと眺めていた。
 彼ら彼女の注目に満足しつつ、私は民謡を歌う調子に戻った。

牛の如く 学ばぬ者が至る所 義務がある
子猫の毛筆を 慈しみ なぶれよ
おお、それも咳き込み 世のためと!
毛筆を捨てる 鉄筆を握り 戯れてやろうかと!
鉄筆を握り 戯れてやろうかと
鉄筆で戯れようか!
愛情の穴へ いくつもの時分を捧げても・・・
ひたすらに釘を打ち込む
古典が易々と消滅することなどありはしなかった!
易々と消滅するなど!!!

 ここまで歌い終わると、五六人の子どもたちが次々と体を起こしていた。子どもたちは起き上がると、まるで自分の実家で寝ているように熟睡している他の子どもたちを起こすために横腹を蹴り飛ばした。その歌劇へ皆も誘ってやろうという心意気だろう。例のふたりの女中もさっと立ち上がった。ズボンを履いている方は立ち上がると、スカートを着ている方の首に背中から抱きついていた。共同村落ではよく見る光景だった。私も恥を思うところが益々失われていた。自我も失せ、気分が高揚し、礼節だって忘れてしまっていた。ただ自らの堂々たる姿ばかりが思われ、幸福感が募っていた。調子に乗り威張り散らすその姿はまるで召使の輩そのものであったろう。
 続いて私は腰の曲がった老人を真似て、自らの背中を大きく前かがみにした。そして円を描きながら庭を回り、さらに歌い出した。

とはいえ老人 老いすぎた 神に求めば まだまだ元気にしておくれと
まだまだ元気にしておくれ!!!
みるみるあれが 棍棒のように 鹿の角のように
あっと驚き あっと驚嘆
肩に担いでえっちらおっちら
そそっかしいたらありゃしない
雨粒が先から沢山飛び散る
老人未だに綿の服がお気に入り
髪の毛だって綿のような白髪にしておいて
それみろ 美しい娘たちがいるぞ
老人はまだまだ、老人はまだまだ! 老人はまだまだ狂いますとも!
狂い、くるくる、転んで 仰向け 倒れちゃった!!!

 私は地面に仰向けに倒れると、ちょこんと足を組み、座りなおした。「観客」は異常な程に盛り上がり、笑い声を上げた。
 ふたりの女中は他の誰よりも大声を上げて笑っていた。その笑い声はまるで愚かな売春婦のようであったし、『笑い』を蓄音機で流しているようでもあった。
 そのうちひとりが、つまりズボンを履いた外見の綺麗な方が、「嗚呼可笑しい」と。そのあほ面の女中は、「嗚呼可笑しい」と言いながら、友人の首を抱きしめていた両腕を放して、そのまま雷に打たれた人の如く後ろに倒れ込んだ。
 親愛なる各人たち、この瞬間、きっと彼女は私に「恋」をしたのだよ。
 もし科学的な、いやまたは文学的な見地から言わせてもらえれば、愛する感情の中に起きたその強烈な感動の一撃とは、心を破壊すると皆が恐れるもの、つまり人々が「雷が落ちた」とか「一目惚れ」とか呼ぶやつにちがいないのだ。
 ある男に夢中になるあまりジタバタと転げ回っている女の子の姿がその意中の男を喜ばせないわけがない。もしその男に妻がいようものならば、家に戻った時、自分の妻は何と醜いのだろうとか思ってがっかりしたりもするんじゃないか?
 私は冷静に立ち上がった・・・。
 しかしその女中は転がり尽きても、なおぎこちないままに横に伏している・・・。
 まるで死んだように!
 数人がどうしたのかと彼女に走り寄った・・・。私もまた急いで走り寄った。なんてことだ、彼女はてんかんの発作を起こしているじゃないか! 両眼を逆さまにひっくり返そうとするので、両目が真っ白になってしまっているし、その手足はガタガタと震え上がり、唾液に白いものを含ませて、口の中をそれで一杯にしているのだ。笑い出したことが彼女の神経の一部に痛みを生じさせてしまったか。
 その一時は、私もおろおろ心配し恐れるばかりであったが、私の周辺にいた人々たちもまた、脳卒中だ、中毒だ、死んだんだ、狭心だ、などと口々に騒ぐし、さらに老婦人は今にも泣きだしそうであったので、すぐに私は彼ら彼女らがこれ以上取り乱さないようにと、彼女の症状についてきちんと説明することに努めた。またてんかんを起こしている女中が横になっている木材の堆積には近寄らないよう、小さい子供たちをその場から追い返した。
「何もしなくていい、もう少しすれば治る!」
 そう言うと、私はその木の縁に座って、ぐずぐずと考え事を巡らした。
 スカートをはいた方の女中が説明した。
「その子、感電してしまった日から時々そんな風になるの」
「感電って、いつから?」
「だいたい、ここ四五か月前から」
「どうしてお前はそんなことを知っているんだ?」
「わたし、いつもその子といるから」
「それで、感電って一体どういうふうに?」
「その子は服を乾かしていたの、ベランダで」
「それで?」
「戸の前に電線があって、そこに濡れた服を引っかけて乾かしていたのね」
 それを聞くと、首元に鳥肌が立った。私は急いで尋ねた。
「どうして彼女はまたそんな馬鹿なことを?」
「その子、田舎から出てきたばっかりで、何も知らなかったのよ!」
「どうして、そこの馬鹿主人たちは気を付けるようにくらい言ってやらなかったんだ?」
「だって、誰がわかるのよ?」
「そんじゃあ、感電した時って、どうだったんだ?」
 その女中は明らかに長い舌をペロッと一回出すと、すぐに返答した。
「電線が彼女の両手を刺した瞬間、さらにベランダから引っ張り出されたの、それでさらにね、電線にぶらさがっちゃって、他の人が電線を切り離してくれるまで、あの子ぶらさがっていたのよ」
 私の心中では、ふと彼女に対する止めどもない気の毒さが思われた。私は振り向き、辛そうにしているその女の子の顔を見た。長い溜息をつき、尋ねた。
「てんかんの発作が出るようになってから、主人に放り出されたということか?」
「もちろん」
「それじゃあ、彼女はそのときから今日まで仕事はやすんでいたわけか?」
「ううん、その後も他の家に住み込んだのよ。二日でやめちゃったけどね」
「またどうしてやめたんだ?」
「この子、大事な壺を抱えている時にてんかんを起こしてしまったの。ころんで、その壺を割って、主人に弁償しろって。それで怖くなって逃げてきたのよ」
「馬鹿だなあ、主人が弁償しろって言っても、給料から差し引かれるだけだろうになあ? 逃げたら泥棒だ、主人に告発されたら監獄いきだぞ」
「百ドン以上もする壺を割っちゃったんだもの、身を粉にして働こうとも、十分に埋め合わせなんて出来ないわ。それに、もし給料を差っ引かれちゃったら、田舎に送るお金が無くなっちゃうじゃない」
 私はうんざりしてしまい、意味もなく言った。
「人に仕える災難だなんて糞だな! 私にかけられた宿命も本当に辛すぎる!」
 はげ頭の青年が言った。
「そりゃそうだ、まちがいない!」
「何がご主人様だ! 村ん中じゃあ、やつらは我々召使と変わらないじゃないか?」
「その通り!」
「そんなにはげてしまって、監獄から出てきたか、腹が減って山から下りてきた口か?」
「監獄出の口よ」
「どうして、監獄に?」
「仕えた先の主人に騙されて阿片を不法に運んじまったんだ。そんで西洋人捕まったけど、その主人は認めようとしねえ」
「誰がそんなところで働こうと?!」
「堤防が決壊してな、家財も、牛も、全部流された。妻も出稼ぎで乳母をやるって言って帰って来なくなった。ずっと近く探し回っていたんだが見つかりやしなかったから、遠くに連れってもらえる仕事がしたかったんだ。妻には会えたが、運が悪かったよ、監獄に入れられた」
 次は張り薬を首に付けた青年が言った。
「あー、私が住み込みをしているのは、家が貧しいからだ」
 結核の少年が答えた。
「僕もここ四年ほど住み込みで働いてきた。父が死に、母は男と出て言ったから、叔母さんと暮らしていた。いつもたくさん罵られた。稼いでこないと食べられなかった。叔母さんは全くの金持ちであったし、煉瓦造りの家を三四棟所有していた、必要もないくせに。親切な人だったら頼ることもできたけど、そうじゃないならねえ」
 幼い三人の子どもを自分の隣に座らせた老婦人は言った。
「この子らは息子の子どもなんだ。この子らの父親を見つけてやろうと一緒に連れてきたが、なんとも遠く離れた所まで連れてきたものだ。この子らの父親はハノイにいると聞いていたんだが、探してもずっと見つからでいる。クアンタムへ行けば、ハンボーへ行けと告げられ、またハンボーへ行けばバックマイへ行けと告げられ・・・」
「それじゃあ、婆さん、手元の金ももう尽きているんじゃないか?」
「ええ、ちょうど六スー」
 老婦人がまったく何にも恐れることがないかの素振りで素直にそう答えられるのも、彼女らがそうやって何とか生き抜いてきた者たちだからだろうか。ただ赤の他人であればこそ、彼らの境遇を心配し恐れ、何と気の毒な目に苦しんでいるのかと思ってやるばかりだというのに。
 私は他の子どもにも尋ねた。
「君、どうして君も住み込みなんか?」
「はい、母がそうしろと」
「じゃあ、君は、誰に雇ってもらって働いている?」
「うーん、えっと! まだここに来て三か月ですけど、八九人くらいのご主人さまに料理を作ってあげました」
「そっか、もっと聞いていいかい、お前の家も貧しいのか?」
「しりません」
「お父さんはどこ?」
「しりません」
「お母さんは?」
「しりません」
「君の村はどこ?」
「村なんてしりませんよ!」
 この子は何も知らないのだ。ちょうど八歳になったこの子は、ただの貧しい少年にすぎないのか。
「それでお前は、今までにどこか住み込みへの経験は?」
「一回だけ、でもご主人さまが罵るには、ガキだなって。五日だけ雇われて、出て行けと」
「じゃあ、次はいつごろ働くのさ?」
「わかりません、ばあちゃんが決めます」
「どの?」
「手配師のばあちゃん、いっつも交差点で座っている」
 そこで、てんかんを起こした女中が目を覚ました。彼女は渋々上半身を持ち上げると、痰を吐き出た。口の中に淀んでいた唾が至る所に染みを作った。彼女は再び横になると非常に疲労困憊している様子であった・・・。
 しばらくヒールを打ち付けていた・・・次第にその音は大きくなっていく。
 そこに一人の密偵員が現れた。シルク生地の服にシルクハットを合わせ、西洋靴とスラックスを着たこの人物は颯爽と自転車に乗って侵入してきた。さらにもう一人、手首に一杯の黄金を身に着けたモダンな女性が後から続いてやってきた。
 この軍人は我々のいるところまでくると、大きな電灯を点け、そこにいる一人一人の顔を照らしていった。するとモダンな女性の叫ぶところが聞かれた。
「確かにこの女だわ」
 軍人は尋ねた。
「どの娘だ?」
「そのズボンを履いている子」
 女中はとにかく泣いていた。
「お願いです、何かの間違いです、許してください」
 軍人は叫んだ。
「立て、ついてこい!」
 モダンな女性は不平を述べた。
「二、三百ピアストル銀じゃ、まだ少なくないわね?」
 軍人は尋ねた。
「どうして三ドン程度と申告した」
「それは盗まれた分よ、それ以外にこいつはアンティークの壺まで壊しているんだもの」
 女中は叫び泣いている。
「お願いです。お金なんて一スーも盗んでいません!」
「黙れ! 静かにしろ! 盗んでいないのなら、どうして逃げた?」
 そのまま軍人は彼女の腕を再度引きずった。モダンな女性は言った。
「この籠の中を検査してみてよ!」
「嫌、それは私のなの」
「調べて!」
 その時、私は立ち上がった。恐らく私の顔面は反抗的な態度を見せていたのだろう。軍人は私に尋ねた。
「身分証を見せろ」
 私は躊躇ったが、軍人に身分証を手渡した。軍人は私の身分証を見ると(ありがたいことに、ハノイ証明書交付局は犯罪者の面を取ったかのような写真を全ての人間に与える技術をお持ちである)、人のことを茫然と見つめた。まるで何かを思い出そうとしているかのように頭をもたげて考えている。ちょうど身分証を返す時にも、彼は私の顔を二三度見た。
 てんかんを患った女性が引きずられながら、その後頭部をモダンな女性にひっぱたかれている姿を私は決して忘れることはできないであろう。
 女中が引きずられていく最中、飯屋から四人ほどが走って見に来ると、後から次々に人が走ってやってきた。
 私は振り返って背後に集まっていた召使たちを見つめた。誰もが顔を青ざめていた。死を想起して怯えていた。

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