見出し画像

『召使たち』⑨(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

 Ⅸ 主人を罵る召使たち

 どんくさい女中は感電し、てんかんの発作を起こすようになった。そして壺を壊し、泥棒と中傷され、挙句検挙されてしまった。このことが私たちの頭脳の推理を司る部分に強烈な打撃を与えた。
 あの時ばかりが、恐らく、虫けらほどの階級にとって、たじろぐこともなく無罪を主張できる唯一無二の瞬間であったろう。もし冤罪をかけられれば、食べ残しを享受しにいく者たちもまた、自分たちは一人の人間であると自覚するに違いない。たとえ、ちょうど主人から死ぬまで殴られる程度のちっぽけな人物にすぎなかったとしても。給水栓が世に出てきてから、もはや双方に抱えたバケツなんかを道の至る所でガンガンとぶつけることが当たり前のことだとは夢にも思われなくなってしまったので、代わりに彼ら彼女は手を高々に上げ「これはつまり・・・」などとさらに馬鹿げた言い訳を言わされるような召使たちだとしても。
 またその瞬間は、召使たちが主人に対して悪く言える機会でもある。
 あらゆる種を生み出した神も、藪医者が軽口を叩くことや性病の者が苦痛で呻くこと、ベルボーイがゴミのような人間を軽蔑すること、坊主が犬肉の夢を見ること、そして召使が主人の悪口を言うことを禁じようなどと、そういった領域にとやかく言うことはないようだ。
 結核の少年が説明した。
「初めて住み込みした日が、僕にとって不幸の始まりでした。仕事をいただいた時には、そこの奥様は毎月五ハオの給与を渡すことに同意してくれました。僕の担当は三つの貯水槽をいつも満タンにして置くこと、そして二百キロの薪をいつも準備して置くことでした。でも貯水槽の任務を終え、台所にぎっしりと薪を積み終わっても、奥様は粗探しをして一日中僕を罵り続けたんです。そうやって自分はもう住み続けられないと思わせ、仕事を辞めたいと言わせるのが常套手段なんですね。辞めたいと言ってしまえば、その女は『特別何も言うことはございません』とか嬉々として叫ぶけど、辞めるだなんて発想を改めて、飯づくりに従事したりすれば、ずっと居座ってやれるんだよ! 疑いなく、あの女も給与を払わざる負えなくなるだろうと確信できるようになりますから。皆さんに言いますが、こういった種の主人というのはいますよ。必要な時だけ、人を探して来て、用事が済んだとなると粗探しをして、追い出そうとする! そんで給与の支払いを拒否してくるんだ!」
 私は彼に尋ねた。住み込みとしての人生の中でいくらかでも幸せな日を送ってこられたのかどうかと。
「ただ一回だけ。去年、私は若い夫妻一家と共に過ごしていたことがありました。夫の方は貪欲な男で、夜な夜な遊びに出かけては、必ず朝の三時よりも前に帰ってくることはありませんでした。でも一回だけちょうど深夜に帰ってきたことがあったんです。そのご主人は私に戸を開けようお願いされると、その後すぐに茶碗やら皿を必ずや壊すようにとさらに言われたんです。ご主人が私に命令されたことですから、それらを壊さざるを負えませんでした。お願いを聞き入れた私がガシャーンと大きな音を打ち鳴らしますと、ご主人は家中に響き渡る声で私を恫喝しました。そうすることで威厳を示し、妻を黙らせる目的があったようでした。奥さんによって月末の私の賃金からいくらか差し引かれてしまいましたが、一方ではご主人がその補償金を私の懐に滑り込ませてくれたわけですね。その後、奥さんの方も賭博に耽るようになってしまい、ほぼ一日中出かけては、ご主人が帰ってくるギリギリまで遊んでくるようになりました。それで彼女もまた私に金を握らせて、米やらスープやら炒め物やらをレストランへ買いに行かせるのですね。そんな日は命日も例外ではなくて、その日もまた命令を出し、外の出来合いの物、強飯、お茶やらを買いに行かせたんです。そんなわけで奥さん自身は日々を怠惰に過ごすようになり、忙しさというものは皆無だったようです。実に、それくらいの主人たちを相手に持つのは気楽なものでよかったです」
 はげ頭の青年がすぐさまに話を遮った。
「そりゃあ幸せな話だことよ、ただ私の場合とは違うなあ。都会へ初めて出てきた時、私は年配の起業家の家に入った。ちょうど仕事は車夫をする話になっていたんだが、結局その後、車を引く機会なんてなかったね。ただやることといったら、犬を散歩に連れていき外で遊んでやることだった。老人は日本の犬を三匹飼っていて、どれも100ピアストル銀の価値はあったようだ。餌という餌は牛肉入りのスープなんかを召し上がるんだな。一日使って犬を洗ってやれば、それでよかった。辛い事といったら、主人が狂っていて、犬の尻は必ず自分の手で紙を使って拭きたがったところか」
 結核の少年が続いて尋ねた。
「そうやって、何か洗っていたら、幸せなもんですかね?」
 一瞬で私たちの興味をかっさらった彼は話を続けた。
「そりゃあ犬飼の主人の面倒を見るのはそうやって優しいもんだったよ、くらべてその父親の面倒を見ようとなるとそういうわけにもいかなかったなあ。その年寄りはちょうど私と同じような茶色の衣服を着ていたが、やせ細っていて、日々庭の手入れ師をしていた。一回だけ、その糞老人が俺のことを罵り、そしてぶん殴ってきやがった。頭に来ちゃって、俺はやり返す方法を考えたわけよ。そいつが寝ている所なんだけど、台所にあった架台の頭に犬の糞を置いてやったのさ。そんでまんまとその爺は罠に引っかかりやがった。んで急に犬三匹をパイプでひっぱたき始めたから、俺は主人に告げ口をしてやった。それでその主人は自分の祖先をつまりは父親を罵ったんだぜ。それからというものの、まさに主人の親父さんのお相手をしてやる必要ももう何にもなくなったというわけで、皆はそういうのを幸せとは言いませんかい?」
 私は尋ねた。
「それじゃあ、どうしてその家にずっといなかったのかい?」
 はげ頭は答えた。
「ええ、さっきも言いましたけども、主人が私に違法な阿片を運ばせたもんですから、不運にも逮捕されてしまって・・・」
「その後、その主人の罪を認めなかったからって、投獄も何もなかったのか?」
「そうでしょうね。罪を認めてしまったら、死んでいたでしょうから。残念だけれども、私の運命なんかは何でもないんでしょうね。無論、主人とっちゃあ、自分のことがやっぱり一番かわいいんでしょうし」
 首に一杯張り薬を付けた男が会話に入って来た。
「ええ、それはそれはあなたは、実に幸福でしたねえ、しかしまだ私には及びませんよ。今じゃあ、病気に見舞われて、私も大層醜くなってしまいましたが、住み込みを始めた頃の時には、それはそれは美男子だったのですから、私の幸福度は皆さんの何万倍にも及んでいたことですよ。どんな占い師も私には女運があると言いましたし、それは実際に正しかった。私は皆さんの誰よりも幸せな住み込み生活をしておりましたよ、その時々、奥様を愛することもありましたし、娘さんを愛することも茶飯事でございましたから・・・」
 その後も、彼はあれこれを語り続けた・・・、聞いている我々が幸いであった点は彼の話が緻密な描写で語られること、そして極めて紳士的な調子口調であったことだろう。
 ・・・
 時計の針が数時間経ったことを告げようとした時、立ち上がった私は躊躇し、自問した。私は彼ら彼女らのために何をしなければ?と。
 私は今もなお自問せねばなるまい。私は彼ら彼女らの買ったことのために何をしなければ?と。
 まさしく、ここで語られた話たちというのは実に奇妙なものであった。誰にとっても本当のこととは思われないことばかりだろう。なんと不潔で、なんと耳障りの悪い話たちか。
 作家のように文章を装飾する能力もない少年の語る話であるから、その話の九割は真のことを語っていたと信頼できる。
 紙面上で書くには値しない事実を前にしていたとは思う、だがそれでも私は人類に恐ろしく驚嘆していたのだ。
 人類が書き上げる小説の語る事柄が事実であることはない。
 だが逆に、世の事柄には翻って小説のように信じられないことがある。
 そうなれば、私は全人類に対して軽蔑することになろう。なぜならば、私たちの中で誰一人として人生というものの実状を明らかに見える者など存在しないことになるのだから。
 まったく人類がどれほどの書物を書き上げてきたかも、そうやってわざわざ何を互いに伝え合おうとしてきたのかもわからない。だが、それが全ての私の成す仕事なのである。本という手段を持ってして、人々が互いに伝えようとする事柄とは? それらはあまりに漠然としているし、間違いが多いし、物語の域を越えないやしない。書かれた文章は世の事柄のひとつである。しかし同時にそれはまた世の事柄とは異なる。
 どうだろうか、私はこう思うのだ。世の社会学者、心理学者、哲学者たちを、まず召使の職に就かせてやってみないかと! 人力車の引手は、学者の知るところよりもさらに、人類にとって必要なあらゆる事柄を知っているし、ベルボーイたちは、解剖学者の知るところよりもさらに多く、人類が備える好色について知っている。そして住み込みの者たちもまた、写実主義文人たちよりも一層に、人類の性状というものを明らかに理解しているのだから。
 もし誰かが私のこの発言を罵ることがあろうものなら、私はジャン・ジャック・ルソーを引き合いに出す。大衆の思想家として、大作家として、そして偉人としてその姿を現す前に、彼もまた「召使」としてこの世を生きてきた人物であったのだ。
 それ故に、彼は知らぬことなどなかったのでないだろうか?

この記事が参加している募集

#海外文学のススメ

3,208件

サポートは長編小説の翻訳及びに自費出版費用として使われます。皆様のお心添えが励みになります。