見出し画像

『召使たち』③(作:ヴー・チョン・フン):1930年代ベトナムのルポタージュ

 Ⅲ 十六人に値打ちを

 私たちが座る場所の前に置かれた板には誠に美しいとかいった文字が書かれねばならないのも、おそらく道を行きかう人に気づいてもらって初めて私たちは蝿の群がりに自らをさらして座っているという不幸から逃れることができるからだ。手配師の老婆の言葉に従い、私はアメデ・クールベの街角に七時から出ていた。最初はただ飯屋にいた私たち七人だけがそこに赴いていたが、後に毎時間が経つにつれて、似た手合いの数がさらに増えていくのが確認できた。私は彼ら彼女らがどこから出てきたのかも、容易に下へ落っこちてしまうような高い所に住まわねばならないことも知らなかったが、およそこの交差点でこうもまるでその甘い蜜にたかる蝿のように人が一遍に落ちあうことさえも知らなかったのであった。私は召使といての仕事を必要としておらず、平静を保っていられたので、内々で互いの衣服や米を奪い合いに来た人たちをただ見つめていた。一方飯屋で昨日私と徹夜をした召使の男は、どんな男か女かわからぬ人の墓をじっと見つめたまま、自らの場所を確保し、不平を度々述べていた。
「おいおい、また増えた、増えっぱなしじゃあ、私のとこに仕事がくるのはいつのなることやら!」
 実際、社会のあらゆる階段には逐一そこに住まう人たちがいて、ある同僚については嫌われるに値する人もいたし、老いた女中で癇癪を起こして意味も無い非難を口にする者もいた。
「糞戯け! こんなところに人をいっぱい集めてくれやがって!」
 この座りっぱなしの人々たちは全体として大きな群れでありつつも、散々して小さな各集団を形成していた。若者は若者同士で、年寄りは年寄り同士で、女は女同士で、少年は少年同士で固まっていた。手配師の婆さんは座ることもせず、口に物を含んだまま、まるで点呼を取る武官のようにその場を行ったり来たりして、各人の様子を確かめていた。それがただ数を数えていたのか、はたまた自分の下でやっていける人物かをどうかを評価していたのかは定かではない。ひそひそと話をしている人々が噂を広げているのは当然のこと、他に人々は楽しみとして互いをからかい合うか、シラミが噛む痛みを和らげるために互いの頭のシラミを取り除き合ったりしていた。
 私は婆さんが商売のうまくいっていないことを隠しているのだなと思った。またそのせいで困窮する者たちのことについて苦慮した。およそ婆さんは楽観的に事を捕らえていたようであるが、私にはその理由が把握しかねた。私は港にいる失業者たちについて考えた。彼らは一か所に集まる合意を互いに確約し、どこよりも多勢を揃えて皆で港を練り歩くのである。しかしハノイにおいてはこの方式で失業者たちが組織されることはなく、わざわざ下流の民は互いに別れを告げ、各々はあらゆる町へと散在していく。それゆえにハノイ史を思考する歴史家や社会学者たちが思うことも、ハノイでは悲しみに暮れる話が何も聞かれないということであった。
 実にそれは何と気の毒な話であろう。
 婆さんは枯草しか生えぬ乾燥地帯から都会へやってきた田舎者たちに声をかけていく。彼らは一様に家を飛び出してから餓死に片足を突っ込んでしまった状態の人たちである。婆さんは人間に価格を与える。それはまるで動物に価格を付けるかのように。特に少年は火鉢が用意された暖かい部屋へと入れられるのだ。そこに入った少年たちの仕事は男娼である!
 十六人に値打ちをやってくれ!
 この日の早朝は誰一人として何か買おうという意欲のある客は現れなかった。
 売れなかったこの十六人の値打ちとは如何ようなものになるのだろう? 売るに際して高かったので買い手が付かなかっただけなのか、それとも値段は安かったが、それでも売れなかったということか?

この記事が参加している募集

#海外文学のススメ

3,208件

サポートは長編小説の翻訳及びに自費出版費用として使われます。皆様のお心添えが励みになります。