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ジェームズ・ガン復帰を受けて「許す」ということについて考えた

お世話になります。てっぺいです。
先日、とびきり嬉しいニュースがありました。

過去の不謹慎なツイートを理由にディズニーから解雇されたジェームズ・ガン監督が、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ第3弾の監督として復帰することが決定したのです。

僕はジェームズ・ガン作品が好きで、中でも『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズは、人生で観た映画で一番大好きで思入れ深い本当に大切な作品です。なので、今回のジェームズ・ガン監督が復帰という発表には目頭が熱くなりました。

そもそも、降板の発端になったのは、約10年程前に自身のTwitterで発したいくつかの「不謹慎」なツイートです。
実際のツイートも見ましたが、トロマ映画(悪趣味Z級映画)出身のジェームズ・ガン監督のキャラクターをしても、確かにちょっとブラックジョークが行き過ぎだなと感じました。

それをオルト・ライト系コメンテーターを中心に今頃になって掘り起こされ、騒ぎになってしまいました。
そのあとのディズニーの決断はあまりにも早く、このニュースを受けてすぐにジェームズ・ガン監督の降板が言い渡されました。

そのニュースを聞いて絶句しましたが、問題発言の中には、あくまでジョークなのですが子どもに対する性的なものもあり、世界中の子ども達に夢と希望を与えてきたディズニーとしての判断は止むを得ない部分もあることは確かでした。

そして、先日、飛び込んできた「ジェームズ・ガン復帰!」のニュースに繋がります。

解雇に対するキャスト陣の嘆願、ファン達の署名活動、そして監督自身が真摯に反省の意を表明し続けたこと、その全ての悲願が叶い、ジェームズ・ガン監督にメガホンを任せることをディズニーが許してくれたのです。

過ちを許し、この先の未来を信じてくれた。
これほど感動することがあるでしょうか。

人を許すというのは本当に難しいことです。
だからこそ、許されるということは最上級の喜びで、究極の救いです。

「人を許す」ということを思うたびに、僕は『レ・ミゼラブル』での一幕を思い出します。

教会から銀の食器を盗み、逃亡中に警官に捕まってしまったジャン・バルジャン。それに対して被害者であるはずのミリエル司教は「銀食器は盗まれたのではなく、差し上げたものだ」と証言し、ジャン・バルジャンを許します。許されたジャン・バルジャンはこれまでの生き方を深く後悔し、そして改心するという感動的な場面です。

これは「許し」についての宗教的な教えでもありますが、無宗教の人にとっても、誰にとっても、普遍的なものだと思います。

僕が思うに、「許す」とは、「間違いを肯定すること」ではなく、「間違いをおかした人でも立ち直れると信じること」です。

僕も人に許された経験があります。
顛末は省きますが、本当に苦しい時に、「他の誰に何を言われても、私はあなたを信じます。」という言葉をかけてくれた人がいました。
そのことを僕は、絶対に一生、忘れません。


間違いを許したディズニーと許される経験をしたジェームズ・ガン監督がつくる『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVol.3』はきっと最高の作品になるに決まっています。

ありがとうディズニー!
もう浦安に足を向けて寝られません!(TDLは関係ないんだけど)


最後に、今回の復帰に対するジェームズ・ガンの感謝のコメントを載せておきます。

この数カ月、私を支えてくれた全ての人に心から感謝します。私は常に学び続け、最良の人間を目指しこれからも励み続けます。ディズニーの決定に深く感謝します。そして私達を愛の絆で結ぶ映画を作り続けられることに興奮しています。多くの支援と愛をいただき、本当に感謝しています。
心の底から、ありがとうございます。皆さんに愛を。


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