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マザーアースと摩耶夫人のエネルギーとは?☆コネクト




☆昨日は満月でした。
一斉遠隔コネクトにご参加の方、ありがとうございました。


テーマにLOVE注入と無意識に書いておきながら
「一体そのLOVEとは??」と、
実は、よくわかんないまま、直感的に決めたテーマでした。
「ま、その時間になったら、コネクトされてわかるんだろなぁ」と。

ところが、
その日の午前中には判明したのでした。

それが、今日の表題にも繋がります。

☆私は、満月の日の午前、瞑想のあとに思いついて
セルフヒプノを始めました。


ヒプノというよりは、アーカーシャの情報をダウンロードした形になりました。

テーマは「今、私が知るに必要な、私の魂がもっとも、素晴らしいと感じた前世」への
アクセスです。
これは、黄金軸やプロコースの講座の中でも行うことがあります。

前世と言っても、宇宙視点で言えば、前も後もないので、実際はその情報へのアクセスです。

変性意識にはいります。


すると、意識はとある女性の中。
やがて、釈迦を生んだ妊婦である「摩耶夫人」であるとわかります。
わかった瞬間、私はそのヴィジョンを否定し、消そうとしました。

「いやいや、私の経験をサーチしにきたのに、おかしいぞ、摩耶夫人なわけないじゃん」
という想いと
「たしか、摩耶夫人は釈迦を生んですぐ亡くなったよな・・・、その体験を追いたくない」
という自我が抵抗しそうになりました。

でも、これが自分の潜在意識のピックアップした情報なのです。表面意識のその考えを消します。

とりあえず
「前世という情報に飛んだのではなく、何かしらの大事な情報にアクセスしているのだ」
と思うようにして、続けることにします。

そして、摩耶夫人がお腹に子供を宿している間と
そして釈迦が生まれた瞬間、そして亡くなるまでの意識を体験します。



それはそれは、言語道断です。つまり言葉でその道を伝えることは難しい。

確かに「私の魂がもっとも、素晴らしいと感じた」というテーマに値するものでした。

釈迦という慈悲をもった仏の化身を
この世界に生み出す母の喜び。その豊かな
この身では、はち切れそうな愛。

摩耶夫人は、釈迦を産んですぐに亡くなるけれど、
その間に観る、この世界の全ては美しかった。お腹に宿している時から既に。

自然界の色彩は、本当に美しく、見えるもの全ての粒子は輝き、
何よりも自分自身が、豊かな愛そのものである感覚。

自分がその豊かな愛を与えているのだか、自分がそれに包まれているのか
もう、どちらかもわからない。

そのわからないくらいの至福の中、生涯を終えます。

その感覚のまま、自分の意識が次はなんと「地球」になります。



感覚としては「母としての地球」なのです。
それは、先ほどの摩耶夫人とほとんど同じです。

この自分の中に、全てを産み、その全てを肯定し、存在させ、受容している。
それは善悪不二の世界。全てを生み出し、愛し、優しく、受容している。

この大地には、数えきれないほどの植物が芽を出す。
綺麗な花になるもの、薬草になるもの、大木になるもの、雑草になるもの。
それらは、全て平等に、この大地から生まれ
そして平等に、空から同じ雨を受け入れた大地の水を吸い上げる。

そして、どんな姿形の植物も、みな平等にこの大地に肯定され、姿を現し、
それぞれの持ち場で、自分の役割を、ただ生きる。

色鮮やかに人を喜ばせるものもいれば、薬草として癒すものもいれば・・
毒をもって何かを守るものもいれば・・、雑草のような役割もある。

ある人からすれば、必要なもので、ある人からは不要なものであっても
全ては肯定されて存在している。必要なものだけが、存在する。ただそれだけのこと。

その全てを、生み、その全てを受容する。
好き嫌いなどもない。全ては私の産んだ、大事な存在。

その大きな大きな、マザーアースの愛と
摩耶夫人の愛は、同じような意識であった。

摩耶夫人が、釈迦を産んだということは
結果的には多くの仏を生み出すことと同じであり

釈迦が
全ての人は、平等であり、
全ての人が仏に成れるのだという教えを
この世に持ってくるため生まれたのであれば

摩耶夫人は、それをこの世界に生み出す、最高の経験をしたのだ。

実際に、ブッダは
「一大事因縁」といって、
自分はたったひとつの大事な因縁によって生まれたと言っている。

それは、全ての人が、自分に目覚め、真理に悟り、自分を生きる
その救済と、悟りへ導くためであると。

仏の母である摩耶夫人はつまりは、多くの菩薩の母であもる。

私の意識のジャーニーでは
摩耶夫人は、それも死ぬ間際に悟ったようだった。

☆摩耶夫人のことが、そのあと、気になって気になって
摩耶夫人の絵画や像を探していました。



摩耶という名前すら、記憶の片隅であり
まずは、名前から調べはじめました。

摩耶夫人は、死後には、須弥山の最も高いところにある、忉利天に昇天したあとも
ずっと釈迦を見守っていたと言います。

そして、釈迦の最後の時の様子を描いた「釈迦涅槃図」に
摩耶夫人は登場していると言います。

「まだまだ生きて、多くの人を導いて欲しい」と願い
天から薬をシャバに投げたけれども、
沙羅樹にその薬を包んだ赤い風呂敷が引っかかってしまっている様子が描かれている。

これが、今も医学で使われる「投薬」の語源になっているそうです。

しかし、これもブッダはもう、自分の人間界での入滅を悟って自分で決めていましたから
たまたま、樹にひっかかったのではなく、ブッダの神通力で受け取りを拒否したのでしょうね。

☆そして、私は
このような、摩耶夫人とマザーアースの意識の体験をさせてもらったことにより
昨日の満月は、かなりな意識の変革・気づき・反省もありました。

易経でいう八卦の中の「坤」は、
大地のことであり、完全な陰のエネルギーのことです。


そしてやはり、その大地のエネルギーが持つものは
受容・母・潜在意識・生み出すなどの意味合いがあります。

陰が極まると、陽が生まれるのです。

「今、私が知るに必要な、私の魂がもっとも、素晴らしいと感じた前世の経験」というテーマでしが、本当に今、思い出すに必要な経験でした。

うっかり忘れてしまっていたことです。
慈愛の仏を産んだ、慈愛そのものである母のエネルギー。

「一切は生まれながらに平等」であることを解く仏を産んだ、
平等な愛を持つ母のエネルギー。

☆先日、ふと思い出したように
インドで自分の日本で培われた固定観念を振りかざしただけで、
目の前で喉を乾かす人に何もできなかった私。
やはり、あの時の私はお恥ずかしい。吝である。

インドに行ったのも、そもそも、インドの聖者である「抱擁の母アンマ」や、
[マザーテレサ]の愛の強さを学びたくて出発し、

アシュラムやマザーハウスに入ったものの、大変すぎて痺れをきらし
自分には「一生かけてこんなの出来ない」と落ち込み、日本に戻り

でも自分の出来ることからやろうと
動き始めたことを、すっかりまた忘れてきていた。

ちょいちょい、忘れるのだ。初心を。ほんとうにもう。

☆ということで
昨日の満月のテーマをLOVE注入にした直感のでどころも
午前のうちにわかったのでした。

昨日は、一日中、体験した感覚の至福で、
世界がキラキラ光り輝く一日でございました。

☆ヴェーダも、原始仏教も
いうところは
「真の自分自身を拠り所にせよ」
「真理を拠り所にせよ」ということであり



「他を拠り所にしない」ということである。

精神分析でも出てくるように
人の「依存問題」は根深い。

自己調和があっての、大調和だ。

それを解くはずのスピリチュアルも、宗教でさえも
調和ではなく、共依存にしてしまうのが人間界。

最初のヴェーダの教えも、釈迦の原始仏教も
段々と、人のエゴが加わり、別のものになっていく。

「真の自分自身を拠り所」に出来ないのは

その真の自分の崇高さに、気づいていない「無智」によるものだ。
と言っている。

「真の自己に目覚める」
この人間界のエゴ、執着、恐れ、慢心などのヴェールを取り払った先に
「光明」という目覚めがあり、本当の自分が明らかになる。

☆adhimukti(アダィムクティ)



つまり、自分の悟った叡智に疑うことなく、その上に自分の心を解放する。
多分、日本の仏教では「信解」ともいうだろう。
だが、それがゴールになってしまっては小乗的なヨガや仏の道であり

その自分が、この世界に何をするのか?何をギブしていくのか?
それが、この世界での次のステージ。

とはいえ、この世界にフォーカスしている私たちは
まだまだ、無知なわけだ。

生きてる死んでるは関係ない。
生きながらにして、目覚めていくことは出来るよって
その方便方法の教えを残してくれている。

なんせ、人間界は四苦八苦が当たり前になっているけれど
天界は、踊れ、歌え、みんなで楽しくシャンティなのだ。

天界の菩薩たちは、授かった授記を次々に伝えるお役目はあるが
この娑婆世界、つまり人間界だけには、みな行くのを嫌がるそうである。

なぜなら、この世界の人間のエゴ・固定観念は、かなり頑ななので
理解させるのは難しいいのだ。
天界でシャンティに居た方がそりゃいいよね。
そりゃ億劫ですよ。

億劫とは、


「一劫」の単位が、
大きな山を100年に1回、天女がおりてきて、羽衣でサーっと撫でて戻るを繰り返し、
その山が削れるまでの時間のこと。
それが億×劫ですから、もう永遠に誓いほど気の遠くなる話です。

では、そんな先にならないと
私達はわからんのでしょうか?

いやいや、先日のリトリートでは
私達は、沢山のシャンティな天界を体験した。

人間界と天界の境は、そんなにはないはずだ。
アディムクティ、疑うことなく、心を自己に解放していくのだ。

みんなで、そう在れるには?

まずは、率先して自己を解放し、その世界へ向かうこと。
みな、別のタイムラインに行けば、それを知っている自分がいる

出来ることから。一隅を照らす。
つまり自分の持ち場だけでいいから、それをちゃんとやる。
それでいいのだと思う。

ということで
TTTな波動で、引き続き
どうぞよろしくお願いします☆
OM シャンティ☆


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