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『性風俗で働く親に育てられた子供は“汚い“のか?〜#創作大賞2023』

職業に貴賎はなく、金に綺麗も汚いもない。
コレは、私の座右の銘である。
偉人の言葉でもなく、どなたかの著名人の言葉でもないこれは、私が、私の母の背中から受け継いだ考え方のひとつだ。

世の中には、『汚い仕事』と『汚い金』があるらしい。
性風俗なんてその最もたるもので、体を売り、好きでもない男性に媚を売り、仕事とはいえ誰かもわからないような男性に奉仕せざるを得ない彼女たちのことを、人はみんな“汚い“と言う。

なにが汚くて、なにが綺麗かもわからないまま。
風潮と偏見に囚われて、嘲笑する人たちに訊いてみたいことがある。

汚い金とはなにか?
汚い仕事とはなにか?
金を稼ぐことは汚いことか?
体を使う仕事は汚いものか?
ならば清い金とはなにか?
正しさで飯が食えるのか?
もしもその金で子供を育てたら。
その金で育った子供は泥にまみれた汚い子供か?



1.必要なのは諦めること


私は妾の子である。
このnoteではご存知の方も多いと思うが、私は本妻がいる父と、妾である母のもとに産まれた。

父が存命の頃は、こう言うと誤解されそうであるがそれなりにいい暮らしをさせてもらっていて、欲しいものを買ってもらえないことはなかったし、食べ物に困ることもなかった。

私がちょっと重い病にかかれば、東京のとんでもなくデカい病院にわざわざ地方から連れていってもらえて、おかげさまで目を失うこともなく、五体満足で今も生きている。

しかしそれも、父が存命のあいだだけ。
父が亡くなってから、私と母は、明日の雨をしのぐ場所にすらも困る日々を過ごした。

妾と、その子供は立場が弱い。
こんなこと言うと「弁護士に相談しろ」とか「行政を頼れ」とか知らない人間は言うかもしれないけど、遺されたのはたかが高校生とその母親。

何が出来る?何も出来ないんだよ。
だって“なにをどうしたらいいのか“すら、わからないまま遺されたのだから。

父の保険金は生活費と引っ越し代に消えた。
満足に食べ物を買う金もなかった。
家賃を払えずに頭を下げたことがあった。
車の中で夜を過ごしたこともあった。
高校の学費が払えずに退学一歩手前までいった。
高校を卒業する程度の額はもらったけど、結局それじゃ半分にもならなかった。
父が残した数百万の借金を今もずっと返し続けている。

父が亡くなって、私がいちばん悩んだのは、通っていた高校を退学するかどうかだった。

私が通っていたのは通信制の高校で、ぶっちゃけ金さえ払えば誰でも入れるような高校だったから、入学金も学費もめちゃくちゃ高かった。
とても親子2人、まともに働いたところで払える金額じゃなかった。

だから1度は諦めた。
叔母の家に身を寄せて、県外に出て。
しばらく地元には帰れないと悟ったときに。
「もう高校やめる」と母に言った。

言っちゃ悪いが、たかが通信制だ。
大した学歴にはならないし、そもそも大学にも行けないようなこの身では、こんな高校を卒業したところで、大手企業に就職が出来るとも思えなかったから。

だからいいんだ、と。
それなりに通った高校に愛着はあったけど、ろくすっぽ勉強もせずに、毎日遊び歩いていたようなヤツを、通わせてもらっていただけでありがたい。

もうやめる、と言ったのに。
母は頑として首を縦に振らなかった。


2.母の夢

母は、金銭的な事情で高校に通えなかった人だ。

勉強も出来た。スポーツもできた。
リーダーシップもあって、そこそこ美人で。
生徒会長まではいかずとも、部活の部長を務めていたような人だった。

出来ることなら高校に通いたかった。
それが母の夢だった。
高校に通い、好きなことを勉強して、大学まではいけなくても、もっと学びたいことを学んで。

でも、お婆ちゃんが許さなかったそうだ。
妹たちがたくさんいたし、借金もあったし。
母ひとりを高校には入れられない。

だから「諦めろ」と、その時代では珍しくもない話だけど、無理やり諦めさせられたらしい。

そんな人だから、私が高校に受かったときは喜んでくれた。
腹違いの兄ほどの賢い学校には行けなかったけど、それでも喜んでくれていた。
自分が出来なかったことを、望んだことを娘にはさせてやれる、と。自分のことのように喜んだ。

そうしてようやく、まともな道を娘に歩ませてやれる、と思ったのに。
かつての自分と同じように、親の都合で教育を諦めさせなくてはならない。
それが、とてつもなく悔しかったそうだ。


3.性風俗

「辞めなくていい」と母は言った。
「地元に帰ろう」と決意したように言われた。
叔母の家を出て、地元で家を借りて。
父の保険金を使い果たして、母は奮起した。

母は、性風俗で働き始めた。

あえて業種は伏せるが、まあ、そういう仕事だ。

いわゆる普通の仕事に就かなかった理由は、それでは私の学費が払えなかったから。

高校の担任の先生や校長先生に相談して、学費の支払いを待ってもらえることにはなった。
この先生たちがいなかったら、きっと私は高校を卒業できなかったと思う。

けれど、根本的な解決にはなってない。
支払いを少し遅らせただけだ。
結局は払わねばならないものだ。

大した職歴もない。
年齢だけを重ねた女が働ける場所なんて限られている。
それでも、ただ生活をするだけならいいだろう。
私とふたり、慎ましく生活をするだけなら、なにも性風俗に行かなくたって、ふたりで普通に、懸命に働けばどうにかなっただろう。

けれど、高額な学費はどうにもならない。

私は高校を辞めざるを得ず、バイトに精を出すしかなかっただろう。

だから母は、性風俗に飛び込んだ。

嫌だとか、辛いとか。
そんなことはひと言も言わなかった。

娘を高校に通わせるために。
なんの憂いもなく卒業させるために。
ただそれだけのために、母は仕事をした。
それが世間から指をさされる仕事でも。
ただの一度も躊躇わなかった。


4.正解はわからない

自分の親が、性風俗で働いていると知って。
娘の立場として、どう思うのが正解なんだろう。

母が働き始めるとき、実は私は、母からそれをあらかじめ聞かされていた。
私と母の間には、いつも隠し事はなかったから。
嘘も偽りも、不要だと知っていたから。
「お母さん、風俗で働いてくる」と、なんでもないことのように母は言った。

幸いというか、なんというか。
私自身、風俗に対する偏見はなかった。
私ととても仲の良かった叔母が、叔母の子供がまだ小さい頃、やはりそういった仕事をしていたことを、知っていたからだ。

旦那さんに先立たれて、それまで専業主婦をしていた叔母が、唯一、満足な金を稼げた場所だった。

「そんなことないだろう」とか「どんな仕事でも探せばある」とか。
まともな職に就けないのは、“就かなかった“自分のせいだろうと言う人もいるだろう。
でも、これが私の見た現実だ。

乳飲み子を抱えて、子供に不憫な思いをさせないために、苦しい思いをさせないために。
腹を痛めて産んだ子供を飢えさせないように。
可愛らしい服を着させて、何不自由なく子供が過ごすことが出来るように。
叔母は毎日、真夜中まで働いていた。

私はその叔母のことを尊敬していた。
女手ひとつで子供を育てて、キツイ仕事にも弱音を吐かず、堂々と前を向いていた姿が、記憶に鮮明に焼きついていた。

でも。それでも。
それが自分の親ともなれば。
複雑な気持ちではあった。
私のせいで、と思った。
私が高校に未練を残さず、あのときすっぱりと辞めていれば、母はそんなしんどい仕事に就く必要もなかったのに。

複雑な気持ちでその言葉を受け止めながら、私はただ「わかった」と言った。
頑張ってね、も、ごめんね、も。
なんか違う気がした。


5.切り売りするのは自分の身体

例えば、営業。
誰とも知らぬ人に媚を売り、物を売り、言葉巧みに相手を誘導して、金を稼ぐのが営業だ。

例えば、肉体労働。
汗水たらして体を動かし、晴れの日も曇りの日も、真っ黒に日焼けしながら体を酷使して、失った体力の代わりに金を得るのが肉体労働だ。

例えば、水商売。
自分の時間を切り売りし、春を売らずとも笑顔を売り、自身の話術と雰囲気で、お客さまを楽しませるのが水商売だ。

なにが違うんだろう。
どこが違うんだろう。

考えてもよくわからない。
だって私から見たら全部同じだ。
売るのが体か話術か時間か技術かの違い。
誰だって何かを切り売りして仕事をする。
性風俗は、それがただ自分の体だった。
それだけだ。


6.私が負い目を捨てた日

それでも人は性風俗を汚い仕事だと声高に叫ぶ。

これは母が働き始めたある日のこと。
その日、我が地元では夏祭りが行われていた。

その日は私にとって特別な日だった。
私のコスプレ仲間が、私の大好きな“先輩“を伴って、この地元に遊びに来ることになっていた。
私の家に泊まって、みんなで遊んで。
ずっと楽しみにしていた日だった。

バイトの休みをもぎとって、バイト仲間から「祭りに遊びに行こう」と誘われたのを断って、私は家で浴衣の準備をした。

親友と一緒に、たまたま仕事が休みだった母に着付けを手伝ってもらいながら、淡いクリーム色に、花火の柄がプリントされた浴衣を着た。

駅で待ち合わせをしていた仲間と一緒に、ワイワイ騒ぎながら祭りの喧騒を歩く。
仲間たちはほとんどが東京に住むヤツらばかりで、でもみんな地元は田舎の人間が多かったから、こんな田舎の小さなお祭りでも、なんだか懐かしい、とめいっぱい楽しんでくれた。

楽しかった。
隣には大好きで大好きでたまらない先輩がいて、心おけない親友がいて、仲間うちでもいちばん仲の良かったAがいて、みんなで真っ暗な時間になるまでずっと遊んでいた。

お祭りも徐々に終わりの時間が近づいて。
少しずつ人の少なくなった大通りで、後ろから声をかけられた。

私のバイト仲間だった。
私より年上の先輩で、男の人。
向こうも数人の仲間を引き連れて、こっちを見てニヤニヤ笑っていた。

私は正直、コイツが嫌いだった。
年上だかなんだか知らないけど、なれなれしいところも嫌いだったし、人との距離感が測れてないというか、ヘラヘラ笑いながら、土足でズカズカと踏み込んでくる感じが本気で大嫌いだった。

「なんだよ、誘い断ったくせに、オマエも遊びに来てんじゃん」

「もともとこの子達と遊ぶ約束してたので」

私が仲間たちを目で指しながら答えると、彼はかなり気分を害した様子だった。

なんだかんだと難癖をつけてきた。
浴衣の柄がダサいだの、お前の友達レベル低いだの、芋っぽい(笑)だの。

レベルが低いどころか、顔面超高レベルの先輩が隣にいる上に、他の子もコスプレ仲間だけあって、みんな出るとこ出てるし引っ込んでるし、Aは中性的な美形だし、そもそもほぼ全員東京在住だ馬鹿め。

お前の目はうんこで出来てんのか?と純粋に思いつつ、あーハイハイ、と聞き流していると、そのバイト仲間は、悪巧みを思いついたような顔で不意に笑った。

「そういえば、他のバイト仲間から聞いたんだけど、オマエ、高校行ってねえんだって?」

「は?行ってますけど」

「え、だってオマエ、高校の金払えねえから、ウチで働いてんだろ?
貧乏で借金まみれだから、オマエのかーちゃん、風俗で体売ってるって、すげえ噂になってるぜ」

サッ、と。
血の気が引いた。
ここは田舎だから、こういうこともある。
こういう根も葉もないような、いや、根も葉もあるような噂が、ひとり歩きすることもある。

だから、コイツが言ってるのはただの噂で、火のないところに煙は立たないとはいえども、ここで私が狼狽えれば、それを肯定することになる。

今の自分なら、
「はあ、そうですがそれがなにか?」とでも言えるけど、まだ高校生の自分では、それを受け入れるだけの度量も、からかいに耐えるだけの自信も、なにもなかった。

「よりによって風俗だぜー?きったねーの!
男のモノしゃぶって金もらうんだろ?
それでよく恥ずかしくもなく生きてられるよな。
その金で飯食ってんだから、オマエもきたねー人間なんじゃねーの?」

言い返せなかった。
そんなことない!と。
なんで私は言えなかったんだろう。

どこかで負い目があったから?
まともな仕事じゃないと知っていたから?
母の仕事を恥ずかしいと思っていたから?
自分自身がその金を汚いと思っていたから?

違う。違う。違う!
金に綺麗も汚いもない!
だってそうしないと生きられなかった。
生きていけなかった。
明日の雨をしのぐ場所もなく、今日の食べ物を得ることも出来なかった。
大した価値がなくたって、その小さな価値すら失うところだった。
だから母は働いているのだ。
私と母がふたりで生きていくために。
叶えられなかった母の夢を叶えるために。

「おい、お前」

「あ?なんだよ」

「さっきからギャーギャーうるせえんだよ。
覚えたての猿じゃねーんだ、たかが風俗がなんだってんだコラ」

顔を青くしている私の後ろから、Aがバイト仲間を睨みつけていた。

「テメーの父ちゃんと母ちゃんも働いてんだろ?
それとおんなじだ。シゴトの中身が違うだけだ。
いちいち騒ぎ立てるような話じゃねえ。
金は金なんだよ。その金でコイツが何しようが、テメーは関係ねえだろうが!」

「は?なにキレてんだよ、うぜー」

「ウゼーのはお前だよ。女ばかりだと思って舐めてんじゃねえぞコラ!」

Aに続くように、どこのヤンキー漫画の世界だ!?と突っ込みたくなるような啖呵を切った親友に、私は逆に笑い出しそうな気持ちになった。

漫画でみたようなシーンが、自分の目の前で繰り広げられているのが不思議だった。

バイト仲間が捨てゼリフを吐いて去ったあと、大好きな先輩が静かに言った。

「汚くない。リトのお母さんは立派だと思うよ。
キレイ汚いの前に、そういう仕事ってものすごく大変な仕事じゃん。
体も辛いと思うし、精神的にも。すごく大変な仕事だと思う。
でも、そんな大変な仕事をしているのに、お祭りの日にはリトに浴衣を着せてくれて、会ったこともない俺たちを快く泊めてくれるような人で、それって、俺たちを“娘の友達だから“って、無条件で信頼してくれてるってことだよね?
信頼出来るほど、信用されてるってことだよ。
信じて、大切に想ってるから、守れるんだよ。
お母さんはきっと、頑張れるんだよ」

家に帰って、夜中までみんなで喋り倒して、ふと涼みに出たベランダで煙草をふかしながら、Aは言った。

「あんなゴミの言うこと気にすんな。
どんな仕事でも、どんな職種でも、働いて金稼いで、お前に腹いっぱい食わせて、必死で育ててる。
それでいいじゃねーか。それだけでいいだろ。
誰かに何かを言われて、凹むのはいい。
でも、お前が、お前自身が、お母さんの稼いだ金を疑うような真似はするな」

私はこの日以降、どこかで母に、いや、世間に対して感じていた負い目を捨てた。


7.ごめんね、じゃなくて

私は高校を無事に卒業した。
それからほどなくして、母は風俗をやめた。

「身体的に、ずっと続けられる仕事じゃないからね」と笑っていた。

お金はそれまでほど稼げなくなったけど、ふたりで一生懸命働いて暮らしていくことを決めた。

1度だけ、母に訊いたことがある。
「働いてて、辛くなかった?」と。

「私さえいなければ、そんなところで働くこともなかったのに、後悔したりしなかったか?」と。

めちゃくちゃ怒られた。
ぶん殴られる一歩手前まで怒られた。

「辛くても、アンタの為に出来ることはなんだってしてやるのがお母さんの仕事。お母さんの仕事なの!」

辛くなかったわけじゃないだろう。
悲しくなかったわけじゃないだろう。
だって私は知っている。
風俗で働いていたあの日々。
それが終わるときに、真夜中、暗い部屋で父の仏壇に向かって泣いていた母を知っている。
押し殺すような声を覚えている。

だけど、それが“お母さんの仕事“だと言われたら、私が「ごめんね」と言うのもおかしな話だ。
だから、私が言うのはごめんね、じゃない。

「ありがとう」
ありがとう、私を卒業させてくれて。


8.職業に貴賎はなく、金に綺麗も汚いもない

性風俗で稼いだ金を、汚いという人がいる。
“性“というタブー視されたものを、商売道具にすることを、快く思わない人がいる。

それはいい。それでいい。
けれど世の中には、そうして金を稼がないと、生きていけない人がいる。

生きてはいけたとしても、なにかを、大切な何かを諦めざるを得ない人がいる。

そのとき。
言い方は悪いけど手っ取り早く稼げる方法があったとして、そしてそれが合法な手段だとして。
その手段を選んだことを、詰られる必要がどこにあるんだろう、と私は今も考える。

職業に貴賎はなく、金に綺麗も汚いもない。

汚い金があるとして。
その誰かが言う汚い金で、高校を卒業した私は、汚い人間か?

汚い金があるとして。
その誰かが定義した汚い金で、ミルクを飲んだ叔母の子供は、汚い子供か?

汚い金があるとして。
その金を“汚い“と断じるのは、いつだってその汚い仕事を外側から見ている誰かなのではないか。

答えは出ない。答えは出せない。
けれど、私はいつだって心に刻んでいる。

職業に貴賎はなく、金に綺麗も汚いもない。
どんな仕事でも、どんな理由で得た金でも。
それが合法的な手段で得られたものなら。
私は、私のために、そして大切な誰かのために。
使うことを躊躇ったりはしないだろう。

そう。私を育ててくれた母のように。
大切な人を守るために。

生きるために働くことを、
躊躇ったりはしないだろう。

もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。