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好きな曲は好き~セントレイ/サカナクション~

はじめに


今日はサカナクションの『セントレイ』という曲についてお話します。
これを初めて聞いたのは確か、中学一年生の冬でした。

夜別途に横になりながらラジオを聴いているときに知った曲だったと思います。
聴いた瞬間、もう一度聞かないといけない気がして曲名をすぐにメモしました。


きっかけは、宇宙


この曲は、シンセサイザーの高く鋭く素早く去る光のような音から始まります。
だんだんとギターが入って来て、流れるようなリフが心地よいです。

『汚れた机を僕は夜に片づけた
 何かが変わるかな
 背中を片手で掻いて
 軽くため息した
 そろそろ行こうかな』

ここの歌詞からは決心がつかない様子を感じました。
何かをきっかけにして動き出したいけど、なんとなく決心がつかないような、そんな逡巡している様子を浮かべました。
背中を掻いたり、ため息だったり、きっかけはなんでもいいのかもしれません。
でも、なにかきっかけが欲しい。そんな感覚です。

『午前0時の狭間で
 夜間飛行疲れの僕は宇宙』

ここの歌詞と歌詞の間のリズム感の良い、手拍子パートが大好きです。
一人で聞いていても、手拍子をしたくなるような、そんなわくわく感。

そしてここでは、現実逃避のようだと感じました。
夜遅くまで起きていて、ぼんやりと虚無に浸るような
こんな現実から自然と抜け出して宇宙に飛んでいくような感覚。
布団の中にくるまりながら、だいすきな星座の世界を想像して浸る。
こんな気分を味わうことができます。


一人ぼっちの宇宙


ここからサビに入ります。
疾走感がMAXになるパートです。

『今煙の中を歩き続けて
 寂しくなる夜を向けて
 千の最後までほら手で数えたら
 見えてきたんだ 繋がる世界』

メロディーの疾走感とは裏腹に、一つ一つの言葉をはっきりとかみしめるように歌われている点が印象的でした。

千まで数えるというのは、一つ一つ歩みを進め続けるということの比喩でしょうか。
コツコツと努力したら、世界が見えてくるよ、というようなポジティブなことでしょうか。

中学生の私は少し違うことを考えていました。
「一人ぼっちの淋しい日々をずっとずっと続けたら、意識が宇宙に飛んで行ってしまうような感覚になるんだ」と考えていました。
意識が宇宙に飛んで行ってしまうような感覚は一瞬良いものに見えて、同時に怖くもありました。
こんなふうに一人ぼっちだったら、宇宙に飛ばされちゃうよ、というような気持ちです。

だって、宇宙では一人じゃないですか。

誰も信用しないと誓いながらも、一人ぼっちが怖かったです。


夜には言える宇宙への少しの恐怖


2番に入ります。

『まだまだ知らないことが
 たくさんあるけど
 すぐになれるさ
 まだまだ言えないことも
 たくさんあるけど
 夜には言えるさ』

夜にだけ話せることってありませんか?
私は酔った父にだけ言えることがありました。
こっそりとギターの練習をしていたこと。
そして曲を作ってみたこと。
酔った父にだけは言えました。
素面の父にそんなことを言ったら、勉強せずに何をしていたんだ、と怒られてしまいますから。

また、感傷的になるような夜道を歩いているときだけ言えることもありました。
そんな私の弱く、臆病な部分を
「大丈夫だよ、そんなもんだよ」と肯定してくれているような気分
になりました。

『歴史の道すがら
 大人になれたら僕は宇宙』

またここも手拍子のパートです。
ジャッジャッ ジャッジャッジャッ ジャッジャッ ジャッジャッジャッがかっこよくて素敵です。
当時の私は、宇宙を想像するのは虚無で、茫然自失のような感覚だったので、
『大人になれたら宇宙』は“大人になるほぼ自分の意思がなくなって、生きていく”だと考えていました。


連続した自分を諦めなかったら見えるもの

サビに入ります

『僕は行く 夜中を目で追い続けて
 淋しくなる月を抜けて
 線の最後までほら 手で数えたら
 見えてきたんだ 見えてきたんだ』

これまで手、そんな風な意思を失うことの恐怖を感じていたのですが、それでも、“僕は行く”進んでいくような力強さを感じました。
すごいです。
恐怖を感じながら、虚無感に苛まれながら、それでも進んでいくのです。

数学上の定義に、直線は定義上無限であるという考え方があります。
線分ではないのです。
ここの歌詞の『線』は“直線”のようにずっと続くもののことであると考えました。

こんなにもどこまで続くかわからない恐怖を抱えながらも、走り、歩き続けてやっと何かが見えてくる
そんな迷いながらも進んでいる人への共感であると考えました。

『1000と0の線と点の裏 重なる世界
 僕と君が繋がる世界
 このままここに居て
 何も変わらず 何も言わず さよなら世界』

0から始まって1000に続く数字のように、連続していく自分において、様々な時代の私が自分の世界を作り出す。
そんな感覚を得ました。
ここでの『君』は“過去or未来の自分”であると考えていました。
こんな風に自分の人生を歩んでいく過程で、自分の意識がなくなって、宇宙に帆織り出されたような気分になる。
そんな時に、『さよなら世界』とつぶやいているでしょうか。
現実逃避も大事です。

さいごに


この曲のライブ映像では、手拍子パートにおいて、お客さんが皆で一斉に手をたたく場面があります。
これが本当に楽しそうで、羨ましく感じていました。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。

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