谷口雄基

2001年生まれ | 京都芸術大学M2

谷口雄基

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はじめに

閲覧ありがとうございます。ここでは過去に執筆した記事のリンクと個人のプロフィール、依頼や問い合わせに関してまとめています。この記事は随時更新を行います。(最終更新日:2023年11月24日) 【過去記事リンク】 「インタビュー記事(敬称略)」 ・椿昇 ・奈良宗久 ・珠寳 ・山口桂 ・ミヤケマイ ・三田地博史 ・山本太郎 ・細井智之 ・SHOWKO ・佐藤峰雄 ・山口京将 (外部サイト執筆記事) ・京焼・清水焼|自ら仕事を取りにいく ・京扇子|扇子と箔 ・日本庭園|伝統を

    • 山口京将さんにお話を伺いました。

      「お母さんね、ベランダで人間の顔をした鳥を見たよ」 幼少期の頃に母親につかれた何気ない嘘、それがアーティスト・山口京将さんの制作の原点となりました。 モフモフとした毛を纏った身体に人の顔が特徴的な人面生物と呼ばれる作品群を日々制作されており、現代美術家のヤノベケンジ、但野生物らとともに「モフモフ・コレクティブ」を結成。 ARTISTS’ FAIR KYOTOをはじめ多数の展覧会に立て続けに参加されているなど今活躍中の若手アーティストです。今回はそんな山口さんの制作の原点

      • 月曜日の散文/01

        1. 泳ぐ言葉は誰かのもとへ 漠然とした不安に苛まれている中で、ふと文章を書きたい気持ちに駆られてしまった。せっかくならこれを習慣にしてしまいたいと思い「月曜日の散文」と名付けてみたが、私の性格をよく知っているもう一人の私は「今夜限りで飽きて終わるでしょう」と言わんばかりに冷ややかな視線をこちらに送っている。いつまで持つだろうか。 深夜二時、窓の外はすっかり青くなっている。いつからこんな時間まで起きていられるようになったのだろう。小学二年生の頃、仲の良い女子に「十回以上

        • SHAKE ART!Vol.31掲載記事

           この記事は、関西の美大生によるアートプロデュース団体SHAKE ART!さんに普段の活動についてインタビューしていただき冊子に掲載いただいたものを転載・編集したものです。 SHAKE ART!さんは「若手作家の応援」をテーマに、フリーマガジンの発刊やアートフェスなどのイベント活動を行っておられます。掲載いただいた冊子は関西各地のお店などにテイクフリーとして置いていただいているみたいです。バラエティ溢れる内容になっているので、良ければ手に取ってご覧ください。 ここから下が

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        はじめに

          佐藤峰雄さんにお話を伺いました。

          漢詩に関心を持たれたきっかけは何でしょうか? 僕は福島県の会津出身なんですよ。江戸時代の会津藩にあった日新館という藩校では、儒学や漢詩、書を代々教えていました。だから、そういったものを僕は自然とやるようになったんです。役所に私が勤めだした時代というのは、古典に対する素養が皆あったわけです。大学の教師にしても仕事の仲間にしても漢文の素養があったんですね。今から50年ほど前は、漢詩を作る人は結構多かったですよ。多分、今の俳句人口ぐらいあったと思います。 椿先生に日本文化の基礎

          佐藤峰雄さんにお話を伺いました。

          SHOWKOさんにお話を伺いました。

          SHOWKOさんは、京都銀閣寺近くにある「SIONE(シオネ)」と名付けられた陶磁器ブランドを主宰されている方です。「読む器」というコンセプトで制作されていて、金彩で描かれる繊細な線によって紡がれる物語が、私たちの生活の中に豊かさをもたらしてくれます。 筆者もSIONEのタンブラーを愛用していて、日々の生活に小さな喜びを与えてくれているような感覚があります。朝起きて朝食を取るとき、パソコンを開いて何らかの作業に取り組むとき、夜の一人の時間を過ごすときなど、大切な時間に寄り添

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          SHOWKOさんにお話を伺いました。

          奈良宗久さんにお話を伺いました。

          この記事は、裏千家の業躰(ぎょうてい)として茶の湯の精神を現代に受け継ぎ、多くの人に伝える活動をされている奈良宗久先生にインタビューした記事になります。 業躰とは、家元のそばに仕えて茶道を伝承することを許された数少ない指導者のことを言います。金沢の名門窯元である大樋焼(おおひやき)に生まれ、陶芸作品の制作を続けながら茶の湯の道に進まれた方です。 以前までは京都芸術大学 基礎美術コースの客員教授を勤められ、筆者もその学生として奈良先生の指導を受けて茶の精神を学んでいた。今回

          奈良宗久さんにお話を伺いました。

          珠寳さんにお話を伺いました。

          この記事は、花士の珠寳先生にインタビューした記事になります。珠寳先生は、京都東山にある慈照寺(銀閣寺)の花方として約十年間お勤めになられたあと、現在は「草木花に使える者」「自然の運行に従うもの」という意味が込められた花士として活動されている方です。「青蓮舎」と名付けられた教室を持ちながら、様々な機会にて献花を行い、花から自然の摂理を感じ取ることで、多くの人に感動を与えています。 最近ではKUBI STUDIOという若いメンバーで結成されたクリエイティブチームと手を取りながら

          珠寳さんにお話を伺いました。

          三田地博史さんにお話を伺いました。

          この記事は、2023年2月10日(金)〜2月21日(火)に東京銀座にあるSony Park Miniで開催される「新工芸店(P)」新工芸舎主催、三田地博史さんにインタビューした記事になります。 新工芸舎とは、3Dプリンタをはじめとしたデジタルファブリケーションを主に活用しながら、新しいものづくりのあり方を探っている設計者集団です。三田地さんの他に、小坂諒さんと朝倉真莉子さんの三人で主に活動されています。 そもそも「新工芸」とは何なのか、以下のように提言されています。こちら

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          三田地博史さんにお話を伺いました。

          細井智之さんにお話を伺いました。

          この記事は、京友禅伝統工芸士(手描部門)細井智之さんにインタビューした記事になります。その内容に入る前に、友禅について簡単におさらいしておきましょう。 まず、友禅には手描友禅と型友禅の大きく分けて二種類があります。友禅染の始まりは手描友禅で、全ての工程を手で行うものです。そして、型紙を用いることで大量生産を可能にしたのが型友禅になります。 江戸時代の扇絵師、宮崎友禅斎が着物のデザインを手掛けたことから友禅の愛称で呼ばれていて、他の伝統工芸と同じように多くの職人によっ

          細井智之さんにお話を伺いました。

          山本太郎さんにお話を伺いました。

          この記事はニッポン画家・山本太郎先生にお話を伺ったインタビュー記事になります。これまでどういった活動をされてきた方なのか、山本先生がインタビュー場所に到着されるまでの間、皆さんと簡単におさらいしておきたいと思います。 まず、ニッポン画とは何だろうか。一般的に使われている日本画という言葉は、明治期に洋画が発展する中で生まれたものとされていますが、それとはまた区別して使われているらしいです。ニッポン画について以下のように提言されています。 ニッポン画とは 一、現在の日本の状況

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          山本太郎さんにお話を伺いました。

          矢津吉隆さんにお話を伺いました。

          「あれ、矢津さんやん」 昨年Zoomで行われた大学の学科コースのガイダンスに、矢津吉隆さんの名前と顔が映し出されたのを見て心の中で呟いたのを覚えている。筆者が通う京都芸術大学基礎美術コースの専任講師として新しく着任されたらしかった。 矢津さんは、京都にあるアート複合施設「kumagusuku」の代表として人と人を繋ぐような場作りをされていたり、山田毅さんや足立夏子さんと「副産物産店」というアーティストのアトリエから生まれた廃材を副産物と呼び、そこから生まれる物の価値について

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          矢津吉隆さんにお話を伺いました。

          山口桂さんにお話を伺いました。

          山口桂さんは、世界的オークション会社であるクリスティーズの代表取締役社長を務められている方だ。日本・東洋美術のスペシャリストとして活動されており、日々アートや美と向き合う仕事をされている。以前は京都芸術大学基礎美術コースの客員教授を務められていて、山口さんの実体験からなるオリジナリティ溢れる授業の展開を学生に向けて行われていた。 京都芸術大学の入試は、実際に普段行われているような授業に参加することで審査を行う体験授業という入試形態を取っているのだが、私はそこの受講生として山

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          山口桂さんにお話を伺いました。

          ミヤケマイさんにお話を伺いました。

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          椿昇さんにお話を伺いました。

          この記事は椿昇という人物にインタビューを行ったものだ。その内容に入る前に、今までどんなことをしてきた人なのか、表面をなぞるような形になるが皆さんと一緒におさらいしておきたい。 まず、椿昇は「ARTOTHÈQUE(アルトテック)」のディレクターだ。ARTOTHÈQUEとは、フランス語で「アートライブラリ=芸術図書館」の意味であり、京都を中心に活動する若手作家の中で、卓越したアーティストのアーカイブをする。また、それと同時に作品を行政や企業、個人への販売やコーディネート、コミッ

          椿昇さんにお話を伺いました。