三田地博史さんにお話を伺いました。
この記事は、2023年2月10日(金)〜2月21日(火)に東京銀座にあるSony Park Miniで開催される「新工芸店(P)」新工芸舎主催、三田地博史さんにインタビューした記事になります。
新工芸舎とは、3Dプリンタをはじめとしたデジタルファブリケーションを主に活用しながら、新しいものづくりのあり方を探っている設計者集団です。三田地さんの他に、小坂諒さんと朝倉真莉子さんの三人で主に活動されています。
そもそも「新工芸」とは何なのか、以下のように提言されています。こちらは新工芸舎の活動を理解する上で最も重要なテキストで、これを読むだけでもこれまでにない新しい視点をインプットできると思います。なぜデジタルと工芸の文脈を繋げているのでしょうか。
実際にここから生まれた代表的なものを紹介すると、熱溶解式3Dプリンタの編み重ねの技術を応用して作られているtilde(チルダ)シリーズがあります。器や植木鉢、ペンやライトなどあらゆるプロダクトに落とし込まれていて、試作品を作るに留まりがちだった3Dプリンタに、実用性や審美性などの可能性をもたらした画期的なものとなっています。
そのほかに、自然物を3Dスキャンし、その表面に寄生するような形で人工物を付加して構成する「のせもの」シリーズがあります。自然をどうコントロールするかという人間中心的なあり方ではなく、それにこちらがどう寄り添うかに重きが置かれています。同じものは一つとして存在しない、自然のオリジナリティが活かされた新工芸品です。
筆者が三田地さんと関わるようになったのは、大学のプロジェクトで新工芸舎のスタジオを訪問したことが始まりでした。そのときに「アルバイトとして制作しに来てくれてもいいよ」と声を掛けていただいたことがきっかけで、今では毎週のようにスタジオに通わせていただいています。当初の私は、3Dプリンタを触ったこともなければ設計の経験すらなかったので、正直「こんな奴を引き入れて本当に大丈夫なんだろうか?」と思いました。
それでも、実際に通うようになってから基礎的なデジタルツールの操作方法などを教えていただき、初心者ながら3Dプリンタを使ったものづくりができるようになりました。あらゆるモチーフに一輪挿しの機能を付加して漆塗や箔押を施した「花瓶生物」を制作しています。
触れてみると案外距離の近いものになりえる反面、3Dプリンタと聞くだけで「分からないもの」として遠ざけてしまう人も少なくないかもしれないです。だから、デジタルファブリケーションや制作物の視点からそれらに近づくのではなく、誰でも考えうる人間にとって普遍的な問いから近づいてみた方が、親しみを持って彼らの言いたいことが聞き取れる人がいるかもしれないと思いました。そのため、三田地さんへインタビューする質問内容は「仕事とは何ですか?」「成功とは何ですか?」といったかなりアバウトなものを選んでいます。
新工芸舎に半分中にいながら半分外にいる、中間的な立ち位置からインタビューを行っていきます。それでは、前置きが長くなりましたがインタビューの幕開けです。
I. 人質に取られているもの
「三田地博史」とは何者ですか?
デザイナーであり、新工芸家であり、たまにアーティストでもある人です。ざっくりいえば作る人ですかね、あんまり肩書きにはこだわってないけどね。ただ、自分の出自はデザインからキャリアが始まっているので、自分がデザイナーではないということは新工芸舎にとって大事なことではあるんですよ。新工芸舎はデザインとは違うものです。
新工芸舎とデザイナーはどう違うんですか?
以前は会社に入ってインハウスデザイナーとして量産設計のデザインをしていたんです。デザイナーは分業化された職業として経済システムを回すためにデザインの優れたものを作る人だと思うんですけど、そこを辞めてデジタルファブリケーションに帰ってきました。そのときに我々がやろうとしていることは、分業化された一人ひとりのデザインの役割ではないことに気付いたんです。ここで生産もするし、販売もするし、販促もします。いろんなことをひっくるめた一つの物作りの原始的な姿に戻るという意味で、それは単なるデザイナーではないだろうと新工芸と名付けました。
新工芸舎を始められたのはいつ頃だったでしょうか?
就職して一年目ぐらいには、tildaの網重ねの原理には気付いていたんですよ。もう会社つまんねーなと思いながら休日に色々と試行錯誤をして、ギリギリ自分の発信は保っておこうと会社に飲み込まれないようにやっていたんですね。その中で見つけた感じです。
三田地さんにとって「仕事」とは何ですか?
生活の中で労働っぽいときもあれば、仕事っぽいときもありますよね。やらなくてはいけないことはやっぱり労働っぽくなっちゃうんですよ。雇われていないので、労働になった瞬間にこれは必要ないんじゃないかという思いになってしまいますね。労働になった瞬間に仕事化できないのであれば、切り捨ててもいいんじゃないかと思ってしまいます。自分が好きな作品作りをしていても、めちゃめちゃ苦しいのは苦しいんですけどね。
仕事と労働で苦しさの違いはありますか?
自分が人質に取られているかどうかですね。自分の気持ちが人質に取られてるものは、苦しくてもやらないといけないことですよ。それをやらないと自分の存在価値がないと思える仕事は誰しもあると思います。人質に取られているものは是が非でもやらなくてはいけない思いになるから、それは苦しくてもやるしかないですよね。
三田地さんがものを作り続ける意味とは何ですか?tildaのようなプロダクトやアート作品に限らず、新工芸という概念も作られていますよね。
元からそういう遺伝子が組み込まれているのか、幼少期に組み込まれたコンプレックスを晴らす手段が作ることなんだと覚えたんだと思います。承認される喜びの回路が出来上がって、作ることが楽しいと思うようになったり、自分はこれがないといけないと思った瞬間があったのだと思います。作っている人は大体そうじゃないですかね。さっき人質の話もしましたけど、それはずっと取られ続けてしまっていますよね。作ることでしか自分を表現するしかない。どこかで人とのコミュニケーションに対するコンプレックスがあった気がします。小さい頃から小中高を通して皆が集まっているところにいたくない気持ちがあって、その中で自分を晴らす手段として作ることがずっとあったのかもしれないですね。
作る意味が大きく変わったのは、大学院で3Dプリンタに出会ったときですね。それまで作ることが何となく自分の中の軸としてある感じだったけど、これを普通に社会に出て仕事をしてお金をもらう姿がどれか考えたときに、国立だし京都工芸繊維大学を受けておこうと思って入りました。学部はカリキュラム通り出て、大学院に行ったときにデジタルファブリケーションやオープンソースという文化、Makersムーブメントが自分の中にDNAとして入ってきて、そこで覚醒した感じがありますね。
要はカリキュラムの外側を知ることができたので、プロダクトデザイナーとして一通りのデザインワークができる以上に回路が作れて、プログラミングができて、3Dプリンタを買えば作る側に回ることもできます。そうすれば全部できることに気付いたんです。特にモック(試作品の模型)を作ることは手を動かして一つのものをこしらえる感じが楽しかったですね。
作ることはもっと広く捉えていいし、インターネットで情報がたくさん落ちているような状態になったので、これは就職しなくても大丈夫な世界もあると思うようになりました。その時点ではまだ新工芸というコンセプトは明確にはなかったんですけど、自分で作ったもので起業をして既存のレールとは違うものに乗っていけるという実感があったんですよね。それでも元々あったレールに乗っている自分も捨てきれず、一度はお金につられてデザイン会社に就職しちゃったんすけどね。
新工芸舎の冊子には「人間の主体を取り戻す」と書いてありますが、「人間の主体」とはどういったものでしょうか?
自分も含め、生まれ育ったときから非常にシステム化された社会を生きてきたと思っています。枠からはみ出さずに大人しくカリキュラム通りにいれば、社会をやり過ごせるマインドが自分の中に染み込みすぎていて、主体を誰かに預けてしまっている状態を就職してから強く感じるようになったんです。
それまでは曖昧にして小中高大と生きてこれたけど、資本主義の化け物みたいな会社に就職してしまったんですね。沢山お金はもらえるんだけど、朝八
時から九時ぐらいまで定時としてあって、最小で最大の利益を上げるような会社です。働いていたときは、自席で飲み物も飲めなかったんですよ。
毎日同じビルに同じ席に着くということをやったときに、一般的なサラリーマンの人はこんな暮らしで、これが普通なのが凄いと思いました。資本を持った人が労働者にお金をあげて、毎日同じ日に会社に連れてきて働かせて返すみたいな、そういうシステムの中にいると、システムの中の一部分を強化した役割を演じておけばオッケーという態度が蔓延しているんですよ。
大学院時代には自分の中の主体性が芽生えていた状態で、これがあれば自分を表現できる世界があるかもしれないと思っていたので、そのギャップがとてもしんどかったです。「人間の主体を取り戻す」というのは、自分のコンプレックスとしてここにあるわけです。
その環境を突破する瞬間はしんどくなかったですか?
デザインじゃなく新工芸であるということがしんどかったです。自分が学部時代だったら工芸を多分馬鹿にしていたんですよ。恐らくそういう気持ちを持っていたし、持っている同級生も多かったと思います。デザインはどれだけ多くの人に受け入れられるか、どれだけ多くの人に影響を与えられる提案をしているかがポイントだったりするので、「これ工芸じゃん」と言われたら自分の楽しみを作っているという意味で悪口と一緒ですよね。
だから、これからやろうとしてることはデザインではなく新しい工芸だと発表するのも個人的には大変でした。あとは自然の成り行きじゃないですかね、会社を辞めたあとにすぐ新工芸が始まったわけじゃないですよ。新工芸舎はYOKOITOという会社が母体になっていて、そこでForm3という3Dプリンタを国内で販売していくタイミングで自分が入ったので、最初はその販促をしていました。チラシのデザインをしたり、Webデザインをしたり、あとはオフィスを綺麗にしたりとか会社のロゴを作ったり、そんな作業でさえすごく新鮮だったんですよね。
全部自分で考えないといけなくて、夜通し車を運転して展示会場で組み立てたり、カッティングシートを貼らないといけないとか、思いつく用事を全部自分でこなさないといけないんです。会社の価値を上げるためにできることは何でもやるみたいなところは、新鮮で楽しいと感じるようになりました。
社会からはみ出ていく人って何が違うんですかね。
はみ出なくてもいい人はずっとはみ出ないし、はみ出る才能を持ってる人ははみ出ちゃうんじゃないですかね。でも、はみ出る人は圧倒的に数が少なすぎますよね。やっぱり教育が悪いんですかね。
そうだ、たまに工繊(京都工芸繊維大学)にも留学生が来るんですけど、あまりにも皆就活するからびっくりするんですよ。なんでみんな就職を目指すのか、取り敢えず大企業に就職することが前提になっているのが面白いと言っていました。
Ⅱ. 編み重ねて溶け込んでいく
「愛」とはなんですか?
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