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山本太郎さんにお話を伺いました。

山本太郎

ニッポン画家。1974年熊本生まれ。1999年より日本の古典文学・芸能をベースに、現代風俗を融合させた「ニッポン画」を提唱する。これまで国内外で数多くの美術展に参加し、2015年には琳派400年を記念して明治〜昭和に活動した日本画家・神坂雪佳との2人展「琳派からの道 神坂雪佳と山本太郎の仕事」を開催し、時代を超えた共演は大きな反響を呼んだ。近年は日本各地の地域に根差したプロジェクトを行うなど精力的に活躍の幅を広げている。

美術手帖

この記事はニッポン画家・山本太郎先生にお話を伺ったインタビュー記事になります。これまでどういった活動をされてきた方なのか、山本先生がインタビュー場所に到着されるまでの間、皆さんと簡単におさらいしておきたいと思います。

まず、ニッポン画とは何だろうか。一般的に使われている日本画という言葉は、明治期に洋画が発展する中で生まれたものとされていますが、それとはまた区別して使われているらしいです。ニッポン画について以下のように提言されています。

ニッポン画とは
一、現在の日本の状況を端的に表現する絵画ナリ
一、ニッポン独自の笑いである「諧謔」も持った絵画ナリ
一、ニッポンに昔から伝わる絵画技法によって描く絵画ナリ

清涼飲料水紋図Red&White 紙本金地着色(2018年)

山本先生を知っている人からしたらお馴染みの『清涼飲料水紋図』は代表作の一つだろう。あの有名な飲料水を思わせる缶の飲み口から、中身が勢いよく溢れ出ている様子が大胆な構図かつポップに描かれています。そこには琳派と呼ばれる伝統的な絵画様式が用いられており、現代の要素と伝統的な要素が混じり合った画面となっているので、文化というものが常に融合していることを表現しているように私は感じます。

琳派といえば、美術の教科書で必ずと言っていいほど目にする俵屋宗達の『風神雷神図屏風』があると思います。山本先生の手に掛かればNintendoキャラクターのマリオとルイージが、琳派の世界観で今にも動き出しそうな躍動感ある様子で描かれてしまいます。琳派400年とスーパーマリオ30周年を記念して『マリオ&ルイージ図屏風』が制作されました。

マリオ&ルイージ図屏風」©Nintendo 山本太郎 2015年 紙本金地着色 二曲一双 各154.5×169.8cm

ニッポン画家として、アーティストとして活躍されている山本太郎先生ですが、長くに渡り大学教員を務められている一面もあります。

初めは地域の伝統文化から学びを得る秋田公立美術大学アーツ&ルーツ専攻で教員を5年間務められた後、京都芸術大学基礎美術コースの准教授を4年間、現在では京都美術工芸大学の特任教授を務められています。

筆者自身、京都芸術大学基礎美術コースの学生として山本先生にかなりお世話になってきた身です(退職されてからも、こうしてインタビューを快く引き受けてくださるなど学生思いの方だ)。基礎美術コースでは、室町時代の京都を中心に確立した茶の湯や能楽、いけばなや水墨画など、日本におけるアートの基礎である日本文化を知識と実践の両面から学びました。

滋賀にある竹林から竹を伐採することから始まり、竹花入の制作やたて花など、
花を通して日本の精神性や身体性を学ぶ。

これは全国の他の美術系大学にはなく、各分野の第一人者が集う京都にある大学だからこそ実現できたもので、今では立ち上げから8期生までで募集停止が決まった幻のコースとなりつつあります。

ARTISTS' FAIR KYOTOのディレクターを務められる椿昇先生や、美術家のミヤケマイ先生がコースの立ち上げを行い、その一年後に山本先生は専任教員として入られ、カリキュラムの再構築や学生に関する幅広い業務を担当してくださっていました。

瓜生山の土から茶陶の制作を行い、その茶碗でお茶の授業に参加。

このインタビューが行われた時期は、基礎美術コースの停止が決まったあと、専任教員を辞められて数ヶ月も経たない2022年の夏頃になります。

どのような思いで教育の現場に携わってこられたのか、また辞められた後どのような生活の変化があったのか、人間にとって普遍的なものに対する考え方を中心に伺っていけたらと思います。インタビューは以下のように進行されるので、読む際の参考にしていただけたらありがたいです。

【質問リスト】

I    帰ってきたアーティスト
・山本太郎とは何者ですか?
・アーティストとは何ですか?
・ニッポン画とは何ですか?
・教育とは何ですか?
・人間とは何ですか?

II    数値化されたハードル
・お金とは何ですか?
・成功とは何ですか?

Ⅲ 移りゆくもの
・死とは何ですか?
・普通とは何ですか?
・愛とは何ですか?

山本先生が到着されたみたいです。前置きが少し長くなりましたが、インタビューの幕開けです。


I 帰ってきたアーティスト


山本太郎とは何者ですか?


2022年の4月から基礎美術コースの専任教員を辞めて制作に集中するようになったので、時間の使い方は大きく変わりましたね。起床時間や就寝時間はあまり変わらないけど、日中の過ごし方に変化がありました。

大学の専任教員をしていたときは、僕の場合は月〜金どころか月〜日まで毎日大学にいる設定みたいになっていたと思います。月〜が通常の授業で、土日は学生とのプロジェクトなどの活動を行っていました。土曜日や日曜日に学生からラインが届いて「山本先生、この道具を貸してください!」とメッセージが届くぐらいには大学にいたんですよ。それは文句を言っているわけではなくて、それはそれで良かったし、基礎美術の教員のお仕事も充実感や誇りを持っていたので楽しかったです。

ただ、それがなくなってからは一日家から出なくても仕事が完結する生活になったんですよ。絵を描いている場所は自宅の二階なんですけど、朝起きて仕事をしようと思ったら、朝ご飯を食べていたところでパソコンを開くか、二階で絵を描き始めるかという感じです。

大学に来たら教員や学生と会話をするわけですけど、家から出ない日は当然ながら人との会話が全くないんですね。毎日自分の制作活動や、それにまつわる仕事を必死にやらないといけない状況になったわけなので。

そういう日常を過ごすようになってから、やっぱり僕がやるべきことはこっちだったんだなという感覚が湧いてくるようになりました。

先ほども言った通り、教育の仕事もすごく充実感があって、誰かに何かを教えることは面白いことだと今も思っているんですけど、一方で自分が時間の大半を割くべきことは自身の制作や、物理的に作ることに限らずクリエイティブなことをして、それを世の中に届けていくことだと実感するようになりました。

山本太郎とは何者ですかと聞かれたら、クリエイティブなことやニッポン画制作を生業とする者だと僕自身が改めて感じています。

「ART@DAIMARU」2021年4月13日(水)-4月19日(火)
/山本太郎・山本真澄・山本雄教・丹羽優太 展

専任教員を辞められた直後に開催された大丸京都店の展示に伺ったときは、教員としての山本先生ではなくてアーティストの山本先生が在廊されていましたね。


あの展示は大学を辞める前にいただいた話で、短期間で準備できるか心配でしたが、無事開催することができて楽しかったですね。思えば僕の悪い癖があったように思っていて、目の前の教員の業務に時間を割きすぎていたかもしれません。基礎美術の教員でありながらプロジェクトなどの他の大学業務もあったのでかなり教員としての時間を割いていたと思います。教員をやりながらも、もう少しアーティストらしくしていても良かったのかなと思うことがあります。

教員とアーティストを両立させるのは難しいようにも思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか?


人によるとは思うんですけど、僕は京都芸術大学に来る前に秋田公立美術大学でも教員を五年間やっていたので、合わせて十年ほど教員をやっていたことになるんですね。

だから、長い時間をかけて教員の方に流れていったのかもしれないです。自分はアーティストだと思いながら教員の仕事もしていたんですけど、日々の業務は教員の仕事の方が圧倒的に時間として多かったので、難しい部分もあったように思います。

京都・南座「一文字看板」制作プロジェクト2021
山本先生指導のもと、総勢28名の学生が約2か月半をかけて手描きで南座の看板を仕上げられた。
写真は京都芸術大学より拝借。

アーティストとは何ですか?


アートというもの自体が広い概念で抽象的なことしか言えないのですが、価値を作り出したり提案したり、今ある価値を違う角度から見せることができる人がアーティストなのかなと思います。

僕はわりと物を作り出し、作品化するアーティストですけど、必ずしもそれだけが手段ではないと思います。自分では生み出していなくても既存のものに少し手を加えることで、既存の価値観の良いところや悪いところを見せるのもアーティストの役割だと思います。

大きく言うと、アーティストとは新たな価値を作り出したり、新たな価値が本当はあるのに見えていないものに目を向けさせるようなことだと思っています。

「ニッポン画K松翁図屏風」1999年 四曲一隻 183×256cm 紙本金地着色
コレクション ケンタッキー・フライド・チキン株式会社

ニッポン画とは何ですか?


ニッポン画という言葉自体は、僕が学生時代だった1999年に「これらの作品を総称する良い名前はないですか?」とある方にアドバイスをいただいて始めたものなんですけど、若い頃にやっていたニッポン画のあり方と今のあり方とでは同じ線上にありながらも微妙に少しずつ変わってきたと思っているんですよね。

若い頃は社会や権力に対しての反発心がかなり強くて、政治的な作品も多く描いていましたし、当時の日本画のあり方に疑問を抱いていました。

特に30年近く前の地方の日本画は、今よりも力があった時代で、親戚の人や知り合いの年配の人に「絵を描いています」と言うと「いつ日展に出せるの?」「日本画を描いているんだったら日展でしょう」と言われるような、日本画と言えば確固たる地位がある時代だったんですね。

そういうものに対して「いや、違うでしょう」という気持ちがすごくあったのでニッポン画を始めたんですけど、30年前と比べて今や日本画というものに社会的な力がなくなってきているように感じます。

アートを志していない一般の方にとっては、近代以降の日本画よりも江戸絵画の面白いものの方が有名になってきている状況になっていて、始めたときと今とでは微妙に変わってきた感じはしますよね。自分自身の年齢も変わってきたことも重なって、年相応になってきたように感じます。

卒業制作「京都文芸復興万歳図屏風」2000年制作 四曲一双(1820×3640) 紙本金地着色


結局、文化というものは時代や地域によって必ず混じり合うものだと思っているので、例えば伝統文化という強固なものが絶対にあると信じている人達にとっては、文化が混じり合っていく現象自体良く思わないのかもしれないです。

でも、混じり合っていくものだからこそ「これって面白いよね」と見せていくのが今のニッポン画のあり方になってきているように思います。

ニッポン画は今後どうなっていきますか?


よく「今後の目標は何ですか?」といった似た質問を受けることがあって、メディアによっては良い言葉を捻り出して言ってしまうときもあるんですけど、正直なところを言うと、目の前の色々な機会やお仕事を具体的にいただいて、その一つ一つの事柄に対してちゃんとやっているだけの生き方なんですよ。

すごく大きな到達したい場所に進んでいくのではなくて、偶然的に入ってきた仕事や御縁でも「それ面白いな」と思ってやるスタンスで生きています。だから、これから先ニッポン画がどのようになっていくのかは自分でも分からないし、その方が楽しいのかなと思っています。

推し世絵 〜ニッポン画×浮世絵プロジェクト〜 秋季特別展 
山本太郎ウルトラキュレーション企画

2021年に京都芸術大学で開催した『推し世絵〜ニッポン画×浮世絵プロジェクト〜』という、浮世絵をベースにした新作を描いたり、浮世絵そのものと僕の作品を並べたりする、学生参加型のプロジェクトを行ったことがありました。

若い頃の僕は浮世絵も好きだったんですけど、どちらかというと琳派の方に惹かれ始めて、浮世絵からは少し離れてしまっていたんですね。そんな中で京都芸術大学の「日本芸能史」という授業もコーディネートされている伝統芸能の研究者の田口章子先生から「うちの大学には千点以上も浮世絵があるからまず見てみなさいよ。これをベースに研究したり新作を描いてみたらいいかもしれない。浮世絵を学生たちが観てくれる展覧会の形にしてほしい」とおっしゃっていただいて、実際に実物を見てみたら本当に目の前にある浮世絵に感動しました。これはお宝だから学生に展示として観てもらった方が良いし、自分自身もここから影響を受けて作品を作ろうという気にもなれたんです。僕一人だとそういう話の流れにはなっていないと思います。

『推し世絵〜ニッポン画×浮世絵プロジェクト〜』展示の様子。

また、僕が進めているプロジェクトの中に、熊本にある人口4300人くらいしかいない町の町立美術館、つなぎ美術館と共同でやっているものがあるんです。京都芸術大学の学生だけで一万人ほどいるので、その半分くらいしかいない町に町立美術館があるのは面白いことですよね。

住民参画型プロジェクトとして進めていて、まず地元の高齢者の方々から町の体験談を伺って、そこから新しい昔話を作ろうというプロジェクトになりました。新しい昔話というのも変なワードなんですけどね。

「たろうとニッポン画わたし話」
会期:2022.11.26 [土]〜2023.1.22 [日]
場所:つなぎ美術館

本展は、伝統日本画の技法をベースにした古典絵画にユーモアやパロディを感じさせる現代的な要素を加えた「ニッポン画」を提唱する、ニッポン画家のたろうと住民が協働で取り組む「たろうつなぎプロジェクト」の成果展です。たろうが津奈木町在住の高齢者から聞き集めた思い出を元につくったオリジナルの五つの昔話の絵を津奈木町で使っていた襖に描き、プロジェクトのプロセスや過去の作品などと一緒に展示します。

とにかく行き当たりばったりの状態で、高齢者の方の一人一人の話を文章化して書いていくと「これはうちのおじいちゃんの話だよね」「これはあそこのおばあちゃんが話していたよね」となってしまい、住民の人数が少ない小さなコミュニティなので発言元がばれてしまいます。

それだと趣旨が少し違うから、聞いた話をベースに似たような話を混ぜこぜにして、昔話という形に落とし込んでみたら「この話はうちのおじいちゃんが話していたかも?」「この話はうちのおばあちゃんが言っていた話に似ているね」みたいなところに収まるのかなと話が進んでいます。

新しい昔話が完成したら僕が絵を描くんですけど、絵を描くだけだと面白くないから、子供達と一緒にキャラクターの造形を作るワークショップを考えたり、新しい昔話を朗読してくれる人達を募っています。

「たろうとニッポン画わたし話」制作中の様子。

このプロジェクトに関しても、僕が元々熊本県出身で、熊本にある小さな美術館からお声掛けいただいたから「よし、何かやってみよう」とお引き受けしたわけで、つなぎ美術館の学芸員さんからお声掛けいただかなければアクションを起こしていなかったと思います。

教育とは何ですか?


教員としてのキャリアを始めたのは秋田公立美術大学だったんですけど、僕が赴任する前の年まで短大しかなくて、新しい大学が立ち上がる瞬間だったんですよ。少子化の時代に一つの美術大学が立ち上がること自体なかなかないと感じていたし、そこで立ち上がろうとしていた5つの専攻も既存の枠組みにない専攻だったので、何か新しいことが起こるかもしれないと思って行ってみたんです。

僕が教員を務めたのは、アーツ&ルーツコース専攻という地域の伝統文化に関するフィールドワークや取材をして、それを元にアート作品化しようとするものでした。

地域のことを調べることに重点が置かれていて、調べてきたものによっては作品化するのが難しいものもあるから、そのときは学生も教員も皆で一緒に考えたりするようなコースです。最初はフワッとしか決まっていなかったから、カリキュラムや大学のあり方から作っていく過程が面白かったです。

作り上げたアーツ&ルーツコース専攻はとても魅力的だったし、秋田という場所も居心地の良い場所だったので残りたい気持ちもあったんですけど、今度は椿昇先生が京都で基礎美術コースという謎のコースを作る話を聞いて、面白そうだなと思って京都芸術大学に来ることになりました。

僕が基礎美術コースの教員として入ったのは立ち上げから2年目だったんですけど、一期生の2年目以降のカリキュラムはこれから詰めていく必要があるという余白感がありました。そのため、カリキュラム自体をまた作っていく作業をしていきましたね。

基礎美術コースに似たコースはどこの大学にもない新しい教育のあり方だったので、それが面白いと思って最後まで作り上げてみたい気持ちになったんです。

作った途端に基礎美術コースがなくなることになったので少し悲しい気持ちにもなりましたが、新しい教育の仕組みを2つ作り上げることができたのは自分のキャリアにとっては大切だったと思います。

「熊本ものがたりの屏風 いと小さきもの小屏風」 二曲一隻変形屏風 36.5×91cm 紙本金砂子着色 2017年制作 撮影 草彅裕

コースを作り上げていく中で意識されていたことなどあったりされますか?


これは基礎美術コースの学生に聞かせていいのか分からないですけど、秋田公立美術大学よりも基礎美術コースの方が難しい面がありましたね。

正直僕の理想やイメージとしては、もう少し学生の自主性に任せられるような体制にしたかったんです。そういう学生も育ってきているとは思うんですけど、基礎美術コース単体の話ではなくて京都芸術大学という全体の組織のあり方として、秋田の大学と比較してみると学生をきちっと管理していきたいという意識が強いんですね。自主性に任せるというのはある意味放任主義でもあるので、学生側に全て投げてみるようなことはやりづらかったと思います。

基礎美術コースの学生で作家志望の人も少ないですよね。


そうですね、それは基礎美術コースの学生の雰囲気を見てこうなったというのもあるんですよ。一期生や二期生を見ていてもほとんどの学生が就職したいという希望の人が多かったので、今から作り上げていくコースだから作家を育てるような教育でない方向性の方が、来てくれている学生たちのニーズに合うのかなと思ってこういう形に落ち着いた感じです。

これも大学の専任教員を辞めたから言えることではあるんですけど、教育というのは基礎教育まではできるかもしれないけど、そこから先の教育って本当は出来ないものだと思っているんですよ。どういうことかと言うと、大学生ぐらいになると学生一人一人の自主的な学びが大切で、教員はそれをサポートする人たちという形の方が健全だなと思っていて、中学や高校のような教育の仕方は本来大学教育では出来ないものだと僕は考えています。

京都芸術大学は、比較的大学生も高校生みたいに教育できるものとして、しっかりカリキュラムを組み立てて、その通りに行うことができたらこのようなスキルが身に付くというような授業をする大学の体制なんですね。それはそれで一つの方法論で、実際に就職率も伸びているから悪いわけではないと思う。

でも、僕がイメージしている大学教育というのは、ある意味教員が教育するのではなくて学生たちが自主的に学んでいるものに対して教員がサポートする形が正しいのかなとは思いますね。

「風神レイ&雷神カイロ・レン図屏風」 紙本金地着色 2015年 二曲一双 各154.5×169.8cm

人間とは何でしょうか。


不思議な生き物ですよね。ある意味、

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