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矢津吉隆さんにお話を伺いました。

矢津吉隆(やづよしたか)

美術家。kumagusuku代表。京芸彫刻卒。京都芸術大学美術工芸学科専任講師。京都市立芸術大学芸術資源研究センター客員研究員、kumagusuku、SAS、副産物産店、アート×ワーク塾、物と視点、北山舎、北山ホールセンター、かめおか霧の芸術祭、BASE ART CAMP、芸術資源循環センター

https://twitter.com/yazuyoshitaka

「あれ、矢津さんやん」
昨年Zoomで行われた大学の学科コースのガイダンスに、矢津吉隆さんの名前と顔が映し出されたのを見て心の中で呟いたのを覚えている。筆者が通う京都芸術大学基礎美術コースの専任講師として新しく着任されたらしかった。

矢津さんは、京都にあるアート複合施設「kumagusuku」の代表として人と人を繋ぐような場作りをされていたり、山田毅さんや足立夏子さんと「副産物産店」というアーティストのアトリエから生まれた廃材を副産物と呼び、そこから生まれる物の価値について考え人に届けるような活動を主にされている。

kumagusuku入口正面。三角のロゴマークが目印だ。
中にはレンタルスペースもあり、展覧会やイベント、ワークショップなど様々な用途で利用することができる。古い漆喰の壁やタイルといった日本家屋の雰囲気がある。

また、自身も美術家として制作活動をされていたりなど活動の幅は多岐にわたっている。2011年にTakuro Someya Contemporary Artにて開催された個展「umbra」の紹介ページの文章を引用すると「人種や民族を越えて人間に共通する”神を感じる感覚”を主題に、立体・絵画・写真・インスタレーションなど様々な媒体を用い、現代におけるコモンセンス(共通感覚)としての”神”の表現を試みています」とのことだ。今では制作の主題は変わっているのかもしれないし、美術家としての活動はkumagusukuや副産物産店などの活動へ引き継がれるような形で移っているのかもしれないが、その根底にはアーティスト矢津吉隆がいるのだと思うと興味深い。

「umbra」2010年
「Mirror ACV_CCCC」2016年  撮影:守屋友樹

副産物産店としてディレクターを務められた亀岡市の芸術祭霧の芸術祭に私もスタッフとして関わらせていただことがあったから、矢津さんのことは前々から知っていたのだけど、直接関わることは今までになかった。何らかの機会で関わることができたらと思っていたところで自分が通うコースに来られたわけなので、ここぞというタイミングでインタビューを依頼したら快く引き受けてくださった。

2022年6月のある朝、Googleマップを見ながらインタビュー場所のkumagusukuに到着した。入り口にはデザイナーの原田祐馬さんがデザインしたロゴマークが目印となって輝いている。kumagusukuに足を運ぶのは初めてだったから、どんな場所なんだろうかと期待を膨らませながら来たわけだけど、想像以上にオシャレな場所じゃないかと思う。謎の上から目線をかます中坊は辺りを見回してみる。キッチンスペースがあったり、本が置かれてあったり、二階に続く階段には漆作家の石塚源太さんの、ギャラリースペースの柱には漆作家の染谷聡さんによる漆塗りが施されていたりする。

コーヒーをいただきながら「昨日メッセンジャーで送ってくれた質問リスト、すごい難しい質問ばかりやな」と矢津さん。送った質問は以下のようなもので、このとおりにインタビューは進行するので読む際の参考にしていただけたらと思う。

【質問リスト】

I  コミック!な人生
・矢津吉隆とは何者ですか?
・kumagusukuとは何ですか?
・副産物産店とは何ですか?

II そっけない余白の距離感から
・人間とは何ですか?
・愛とは何ですか?

Ⅲ 自分への投資は大事やで
・お金とは何ですか?

Ⅳ 幸福感に包まれてる
・成功とは何ですか?
・幸福とは何ですか?
・死とは何ですか?

Ⅴ 今を生きる普通 
・普通とは何ですか?

「質問難しいですよね」と他人事のように答える私。私が聞かれる側だったら嫌な顔をしてしまう。でも、恐らく何十回、何百回とインタビューを受けることがあった矢津さんにありきたりな質問をしてみてもきっと面白くない。流暢な回答を聞くことが今回の目的ではないのだ。人間にとって普遍的で抽象的な問いを投げかけてみた方が、矢津さんの根底にある価値観が見えてくるんじゃないかと思った。

そうこうしているうちにも時計の針は進んでいて、午前中の柔らかい光が辺りを包み始めている。早速インタビューを始めていきたい。物語の幕開けである。


I  コミック!な人生

矢津吉隆とは何者ですか?


最初の質問から一番難しいやん。元々は小学生の頃から漫画家になりたかったから、漫画を描いたり絵を描いたりしていたね。『ダイの大冒険』や『ドラゴンボール』、『幽遊白書』や『スラムダンク』みたいなものをよく読んでいた。大学は京都市立芸術大学の彫刻専攻に一年間浪人したあと入学して、そこでは先輩や先生みんなアーティストで必然的にアーティストになるような環境だったから、それ以外選択肢がなかったという方が近いかもしれない。どんなアーティストになるかという話で、彫刻専攻でも木彫をしている人だけではなくて写真やインスタレーションをしている先輩、パフォーマンスをしている人など色々な人がいた。自分にとってのアートがどういったものなのかを悶々と考える日々でしたね。そんな大学生活の中でも漫画家になる夢はずっと捨てきれずにいて、同人誌を作ったり、映画を撮ったりしている中で雑誌の漫画賞に応募することもあった。当時の同級生や先輩の中でも現役で漫画家になっている人が何人もいるよ。だからファインアートど真ん中というよりかは、もう少しサブカル寄りの表現の方が自分の中でリアリティがあったのかな。アートという選択肢しかない状況の中でも、自分がやりたい、追求すべき手法が何なのかを模索している感じでしたね。漫画や映画など、ものを作る人になりたいと漠然と思っていたんだと思います。質問は「矢津吉隆とは何者ですか」だったよね、何者なんだろう。

-難しい質問かもしれないので、最後にこの質問に戻ってくるような感じにしますね。では、矢津さんにとってkumagusukuとは何でしょうか?

今としては、こういうkumagusukuのようなお店という形態であったり、場を作ることや関係性を作ること自体が自分の作品であると言うこともあります。でも、関係性を作ることを制作というには僕の中で少し違和感もあるんですね。制作というと物を作ることや手を動かすことのイメージがあるから。自分の頭の中で考えていることをアウトプットすることで自分が考えていなかったことやハプニングも含めて起こってくるようなもの。制作という言葉の意味をどう捉えるかというところなのかなとは思うんだけどね。

-例えば彫刻作品を作るような何か物を作るということと、人との関係性や場を作るような、ここの二つは矢津さんの中でどういった関係性があるのでしょうか?

例えば場を作ることで言えば、そこに何もない空っぽな空間を作るわけではなくて、ある種、核になるような部分が必要なんですね。僕はやっぱりそれはアートだと思っている。アートをそこにインストールしないといけないという気持ちがあるので、それが自分が作ったものである必要は必ずしもないんだけれど、制作や創作というような物を作る中で見出されるものが原点として繋がっている気がするかな。kumagusukuのような場を作るときも、全て業者に任せるのではなくて、自分でDIYしたり、壁にペンキを塗ったり、本棚を作りたくなる。場を作るときにおいてもアートが常に入ってこないと僕の中で成立しないところがあるんです。人との関係性が生まれる媒介となる空間には、やっぱり自分の手が加わったものや誰かの作品があってほしい。

2階の屋根にランプを見つけた。意図して作ったのかな。

最初はアートホステルから始まって、今では色々なお店が入ったアート複合施設にkumagusukuはなったわけだけど、形態が変わっても機能は変わっていないんです。出会いであったりコネクションであったりとか、そういう人と人とを繋ぐような、何か新しいものが生まれてくるためのハブのようなものだと思う。だから、経済的な状況もあるし、やりたい表現も変わって今後形態が変わっていくこともあるかもしれないけど、そこにあるだけで色々な関係性を紡いでくれるような存在にkumagusukuはあり続けたいと思っています。

矢津さんにとっての副産物産店とはどういったものですか?

アーティストのアトリエからでる魅力的な廃材を副産物と呼び、それをパッケージして販売するブランド「BUY BYPRODUCTS」
袋から取り出すと色とりどりの副産物が。

副産物産店が始まったことは僕の中でかなり大きいことではありますね。kumagusukuで生まれてきた関係性の中から、より何か発展させていこうと思ったときに全然違う武器のようなものが必要だと思っていました。少し話が変わるんだけど、kumagusukuを作った初期の頃は「kumagusukuのような場所を他にも作りたい」「アーティストがもっと集まってこれるような場所を作りたい」というような相談を多く受けていたんですね。でも、人が集まるような場所を作るためには一朝一夕でうまくいくようなものでもないんです。河岸ホテルアンテルームもすごく頑張って形にされていると思う。そういった相談を多く受けるようになってきた中で、相談を受けるのではなくて「こんなことができるんですよ」「こんなことを一緒にやりませんか」みたいなことを、こちらからもっとどんどん言えるような、そういう武器のようなものが欲しかった。僕の中で副産物産店はその一つになっているように思います。

副産物と廃材を再利用して作るオーダー制のテーブル
毎回違う副産物を使用するため全て1点もののデザイン。

kumagusukuはアートと宿泊を掛け合わせたアートホステルだったわけですけど、宿泊施設には誰でも関わって来れる敷居の低さのようなものが大きくあると思うんですね。宿泊するという経験が、よりアートを理解する上での媒介的なものになってくれる。そういったアートに対する考え方が副産物産店にも繋がっているように思います。人が関わりたいと思うかどうか、アーティストや作品がそれぞれ単体として受け入れられるというのはすごく難しいものだと考えてる。もちろんそれで成功しているアーティストもいるとは思うんですけどね。

-色々な考え方がありますよね。作家と作品をそれぞれ独立した関係として見たい人と、作家と作品を共同体のように捉えている人であったり。

そうね、僕はどちらというと作家と作品は関係しているものだと捉えているし、作家の存在によって作品が変化していくことを許容して楽しみたいタイプの人だと思っている。

それに、ここまで話してきた活動のほとんどが僕だけではなくてグループで行っているものなんですよね。副産物産店も山田さんと二人で主に考えている。kumagusukuも他のスタッフと一緒にやっているものなので、そういうことを考えると必ずしも僕がやりたいことだけではないんですよ。そういったところもちゃんと持てている方が、僕としては健全な気がするなと思っています。自分だけの世界で自分だけの表現をして、理解できない人はもういいよというふうには僕はあんまりしたくない。

「逸脱する声 ― 京都芸術大学 美術工芸学科 専任教員展」に副産物産店が出展したときの様子。アートの副産物がテイクフリーとなった。写真は京都芸術大学公式Twitterより拝借。

II  そっけない余白の距離感から

矢津さんにとって人間とは何ですか?


今、大学の教員として関わっているのも人間に惹かれているからだと思う。常に誰かといたいタイプではないのだけど、人が物を作るという本質的な何か、特にアートを介する人間の営みのようなものがすごく興味深いなと思うんですね。作品を作って鑑賞して、その作品の意味は何なのかと考察するような、それはすごく壮大なゲームみたいじゃないですか。家に住んだり、物を食べたり、セックスをすることであったり、そういった本能的な営みの中にアートは位置付けられていて、人間が人間である瞬間から常にあり続けているという意味で、人間にとっての面白みがそこにあるなと思います。

-物の制作においても、場を作ることにおいても、人が集まるということは多かれ少なかれ摩擦のようなものが生じるケースもあると思うんです。そういう場面ではどうされていますか?

そうね、でも案外うまくいくんですよ。例えば変な人は来ないのかと聞かれることもあるけど、変な人なんてkumagusukuには来ないんです。何て言うんですか、来ないように設定しているので。暴力的な人や人を騙すような人が日常的に訪れるような場所は、関わる人との関係性をちゃんと構築できていないからだと思うんですね。それはもう組織だから、セクハラやパワハラのようなことをしていると自然とそういう場所になっていくのよ。基本的なところが間違っているからそういう人が来てしまう。本質的なことを間違わずにやっていたらそんなことにならないと思います。

そういう意味では、

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