細井智之さんにお話を伺いました。
この記事は、京友禅伝統工芸士(手描部門)細井智之さんにインタビューした記事になります。その内容に入る前に、友禅について簡単におさらいしておきましょう。
まず、友禅には手描友禅と型友禅の大きく分けて二種類があります。友禅染の始まりは手描友禅で、全ての工程を手で行うものです。そして、型紙を用いることで大量生産を可能にしたのが型友禅になります。
江戸時代の扇絵師、宮崎友禅斎が着物のデザインを手掛けたことから友禅の愛称で呼ばれていて、他の伝統工芸と同じように多くの職人によって分業化されています。その中でも細井さんは、模様部分に筆や刷毛を使って色を挿していく挿し友禅の工程を担われています。現代ではインクジェットで作られる振袖がほとんどとなっており、手描友禅の生産数は全体の一割にも満たないみたいです。
特に、女性の方は成人式などの機会で、一度は身に纏われる方が多いのではないでしょうか。男性の方で身に纏ったことがない方も、ご家族やご友人、大切な人が身に纏った姿を見たことがあると思います。長い手間暇をかけて人々の大切な思い出に寄り添い続けているのが京友禅と言えそうです。
ここで、少し筆者の話をさせてください(インタビュー記事なのに、インタビュアーの話が長い)。私は大学四年間の中で、京都の伝統工芸の工房を三十件以上訪問してきました。大学生でここまで工房に足を踏み入れたり、職人さんにインタビューをする人はなかなか珍しいんじゃないかなと我ながら思います。組紐や漆、楽焼や畳、瓦や七宝など数えきれないくらいです。これだけ伝統工芸の業界と近いところにいたから「伝統工芸のどんなところに惹かれたの?」「将来は職人になりたいの?」みたいなことをよく聞かれました。もちろん、伝統工芸の魅力はたくさんあるし、職人に憧れる部分はあるのですが、それよりも純粋にそこにいる人たちと会って話をすることや新しい発見があることが楽しくて続けてきたように思います。伝統工芸だからという話では全くもってないんですね。
伝統工芸に携わる職人さんにインタビューをするようになったのは、京都芸術大学にある「KYOTO T5(京都伝統文化イノベーション研究センター)」という大学機関に学生研究員として活動するようになったからです。ここでは、伝統文化や伝統工芸のリサーチおよびアーカイブ、イノベーションを生み出すための新製品の企画・開発・販売などを行っています。大学一回生の頃にメンバーを募集されているのを見かけて、とにかく最初は何でもやってみようと思い入ったのがきっかけでした。
まだ入って職人さんとの絡みが少ない初期に、初めて自分でインタビューのアポを取って記事にするところまで至るところができたのが、今回お話を伺う細井智之さんでした。ここでは細井さんと、その娘さんの細井咲恵さんにお話を伺い、ご家族から見た職人はどういったものなのか、家庭の中にある職人や工芸を探る趣旨のインタビューを行いました。下のリンクからそのときに書いた記事が読めますので、是非お時間がある際に読んでいただけたらありがたいです。
そうして大学四年間、インタビューを続けているうちに卒業の季節がやってきました。最後に何かこれまでの活動を締めくくるようなことをしたいと思い、2022年に細井さんの協力を得ながら京都芸術大学の学内で『KYOTO T5 学内展示企画 京友禅(手描友禅)』を開催することができました。学生が自身の成人式のために職人と共同制作をした振袖や加山又造図案の復刻着物を中心に、物作りに込められた思いをインタビューしたテキストとともに展示することで、芸術大学の中で気軽に伝統工芸や職人に触れることができる機会を設けました。
私に色々な可能性を広げてくださった細井さんは、普段どのようなことを考えながら生活されているのでしょうか。手描友禅の職人として、また一人の人間として今回お答えいただきました。インタビューは以下の流れで進行されるので読む際の参考にしていただけたらと思います。
それでは、インタビューの内容に入っていきます。
I 友禅をやっていたから
「細井智之」とは何者ですか?
自分自身のことを考えると、やっぱり仕事の話になってしまうから「職人である」という答えになってしまいます。自分が何者なのか、自分でも正直分からないものです。
「職人」とはどういうものだと思われていますか?
職人は物を自分で作り出せる人のことを言うと思います。例えば、皆気に入ったものを買ったりするけど、なかなか自分でそれを作り出す立場になれる人は少ないと思うんですね。普段生活をしている中では作り手のことを意識せずに物を買うから、それを作ろうという気持ちには簡単にはなることができない。職人とサラリーマンの一番の違いはそこじゃないかなと個人的には思います。そういう意味でも、ワークショップは大事な役割を担っていると考えていて、一度体験するだけで作る側の気持ちになることができます。友禅で言えば「どんな色を挿そうか」「どんな柄を描こうか」という作る体験ができるので、そこから「自分はこんな色が好きなんだ」「こんな柄が好きだったんだ」と自分自身を知ることにも繋がります。
「京友禅」とはどういったものでしょうか?細井さんの「仕事」に対する考え方を交えながらお聞きしてみたいです。
染色技術では世界トップクラスのものだと思います。模様染という、布に絵を描くことに関してはどんな表現も可能です。先日海外でコーディネーターをされている方が来られて「このワークショップは2万円取れるよ」とおっしゃられたんですよね。 日本の文化を紹介するワークショップは、海外ではものすごく反応が良くて人が集まります。
自分にとっての友禅は、生活するために必要なお金をいただくという仕事の側面もありますが、友禅を通して色々な人に会うことができたり、自分では考えられないことができている側面の方が大きいですね。友禅を始めた最初の頃は、技術を覚えたり、売上にすることに必死だったので、仕事に対する考え方が大きく変わってきたのだと思います。今までやってきたことを誰かに伝えたり、それを見た学生さんや大人たちが「面白いな」と興味関心を抱いてくれると精神的に落ち着きますね。友禅という仕事は今も昔も変わらないけど、仕事に対する考え方は変わりましたね。
自分が仕事の中で感じるやりがいは、「こんなものを作りたい」と思ったものに近い形ができたときとか、色んなことを周りの人と共有できたときですね。自分はそれが全てだと思います。いつ仕事がなくなるか分からないし、今までこの仕事を続けてこれたことは奇跡だと思います。単に技術が良かったら続けられるという世界じゃないからです。
細井さんにとって「伝統工芸」とは何でしょうか?
伝統工芸の素材や技術は大陸から伝わってきた物もあるけど、それを日本独自にアレンジしてずっと残ってきたものですね。今ある日本の文化は海外から伝わってきたものに影響を受けていることがとても多いです。色を挿すための絹自体がシルクロードから伝わってきた物で、でも向こうにはもうそれが残っていない国もあるんですよ。 中国などの国は、王朝が変わったらそれを否定して新しい文化を作っていくような風潮があると思うので、古いものは残っていないんです。でも、日本ではそれが残っていますよね。それが技術なども含めて伝統工芸と呼ばれているんじゃないかなと思います。工芸品として完成したものも含め、それだけじゃない絹の質感や肌触り、紋様の形や色、そのコンセプトが精神の方に作用しているものです。
日本独自のものにはどういう特徴があると思いますか?
友禅の一番の特徴は華やかな色だと思っていて、色の名前もブルーやレッドというよりも細かい呼び名があるんです。そんなに細かく色を見分けることができるのは日本人くらいだと思いますね。平安時代だったら、季節によって違う色を重ねてそれが何の花に見えるのかという文化があったり、その繊細さは中国や欧米にもないものだと思います。感覚のメモリが細かいですよね。考えた人や見つけた人も含めてすごいなと思います。
II プロセスから見えてくるもの
「人間」とは何でしょうか?
周りにどんな人がいるかによって人格も変わるし、自分自身の性格も変わっていくので変化し続けるものじゃないかな。でも、根本的な自分の性質は変わらないものだと思います。絵を描いたり、物を作ったりしていることで精神的に救われているところは大分あるし、それは今も変わっていないところですね。仕事をしているときの方が精神的に落ち着くんです。それは人それぞれだから、どんな仕事が合うかはあくまで自分にとっての話ですけどね。職人が特別であることはもちろんなくて、それぞれの職業が大変なことだと思うので、皆それぞれ違う適性があるんじゃないかなと思います。
「成功」とは何でしょうか?
自分の場合は物を作ることが仕事だから、そこに辿り着くまでのプロセスに一番価値があるように感じています。真ん中の部分が良いと思えたときが成功したなと思うことが多くて、これは仕事だけではなくて人間関係にも言えると思います。 当然、結果に結び付くことも大切なことだけどね、結果が全てじゃないんです。こうして学内展示をすることができたのも、谷口くんが一回生のときに来てくれたときから始まっていて、その過程が大切だと思うんですよ。目指しているところが終わったとしても、実はそこで終わりではなく、いつしかそれも過程になっていると思います。
「幸福」とは何でしょうか?
自分にとって一番価値があると思うものを自分が大事にすることだと思います。そうしないと、それ以外のものも大事にできないように思いますね。まず自分自身が自分を大事にしてから、そのあと周りに目が向くんじゃないかなと思います。年代によって大事なものも違ってきますよね。家族ができて子供が産まれてからは大きな変化でした。自分だけに起きてたことが、そうじゃない人間に起きることを自分でしないといけなくなるからです。
「愛」とは何でしょうか?
「相手に対して敬意を払うこと」「興味を持つこと」「適切な距離を取ること」だと思います。敬意やリスペクトが必要なもので、その人に対して興味を持つことで、でもあまり近づきすぎないように適切な距離を取るということです。そうでないと愛が大きくなりすぎて難しくなりますよね。
「お金」とは何でしょうか?
色んなことの選択肢を増やすためのものじゃないでしょうか。お金がないと選択肢が狭まっていくと思います。お金があることで何をするにも選ぶことができるというのか。 それこそ何に使うかは年代によって大きく変わると思います。学生時代は自分だけのことに使うことができますし、独身のときで働いているときがそういう意味では一番自由なのかもしれませんね。結婚して子供ができると子供に全ていってしまいますから。でも、自由よりも大きいものをいただいていると思いますよ。
お金を払いたくなる瞬間ってどんなときがありますか?
自分にとって価値が高いものに対しては、それ相応のお金が出せるんじゃないかなと思います。高いか安いといった値段で決めるものではなくて、安いものでも自分にとって価値があるものなら買いますし、値段がある程度高くても買いますよね。
「死」とは何でしょうか?
単純に命がなくなってしまうことです。自分らの年代は周りがなくなる年代にいるから、シンプルに人間は死んでしまうんだなというふうに感じます。精神的な意味合いよりも事実としてそこにあるイメージがありますね。火葬場に行って知人が骨になって出てきたら、人間ってこんなもんなんやなって痛烈に感じます。十代のときだったら、死は遠い存在だけど、親が亡くなるような歳になると近くに感じるものです。
自分がやりたいことは、この世界に入ってからずっと変わらずにあって、それは後世にも残るような作品を作りたいということです。加山又造さんとのお仕事で自分の作品を納めさせていただいていて、それだと作品が残るから、そういう意味でも嬉しい思い出として残っていますね。あと、自分の子供の成人式の振袖を作りたいと思っていたんですけど、それもできたからやり残したことはないとも言えます。
やりたいことは一つ一つ終えることができていて、今は誰かと楽しいことができたり、何かを伝えることができたりとか、どんな作品を作るかということよりも精神的な面が自分にとって大切です。もちろん振袖の制作をご依頼いただいて、依頼者に喜んでもらえることは職人としての一番の生きがいだけれど、それはそれとして物が残ることの喜びも自分の中では大きいです。人との関わりの中で生まれたご縁なので、周りのおかげなんですけどね。
「普通」とは何でしょうか?
自分にとって当たり前のことです。自分にとって繰り返しやってきたことが普通と思えるのだと思います。それがひっくり返されたら人間はびっくりするんじゃないですかね。経験の中にあることが普通だと、普通でなくても自分が勝手にそう思っているような気がします。
昔は着物を着ることが普通だったから、友禅は女性のファッションでもあったんです。毎日着ることが普通だったから、ファッションという意識が強かったみたいです。現代においても、女性が着たいと思う限りは手描友禅も無くならないんじゃないかなと思います。工芸の世界でも着ることができるのは少ないですよ。纏う工芸というものはなかなかないわけです。
今やっていることが続いていくこと。 今までの経験も含めて、現時点までのそれが残って繋がっていくこと。この先もこんな感じなんじゃないかなと思えることが普通なんだと思います。
職人として辿り着きたい場所はあったりされますか?
今まで以上のものを作りたいというのは大前提だけど、いろんな人と関わった中で新しいものができたり、新しい企画が立ち上がったりすることが面白いと感じていて、それを求め続けたいと思っています。
元々は絵を描くことが好きで、着物を美しいと思った気持ちがスタートなんだけど、完成されたものだけではなく、その間の過程やプロセスを含めて、今では面白いと考えるようになりました。
assistant:中村心音
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