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則松夏凜インタビュー。博物画と機械植物。

 則松夏凜は、ゲノム編集などの科学技術によって機械と植物が融合した「機械植物」を、博物画の形式に則って細密描写した平面作品を発表する。今回は、現代社会における人間と植物の関係性について考えを促し続ける則松さんにインタビューした記事をお届けします。

「ホホバイ」 撮影=白井茜

 現在、美術家のミヤケマイ先生をアートディレクターに迎えたArtSticker主催の企画展に則松さんが参加しています。京都高島屋S.C.専門店ゾーン[T8]1階(THISIS)NATUREにて、2024年3月28日(木) ~2024年9月20日(金)の会期で開催。展示の詳細や、作品をお求めの際は、下記リンクArtStickerよりご確認ください。


──普段制作されている作品について教えてください。

 「植物と人との関係性」 をテーマに作品制作をしています。 ゲノム編集などの科学技術によって機械と融合した植物を、 博物画の形式にのっとって描いています。一般的に、機械と植物は対極のものとして考えられがちですが、 構造は似ている部分があると思っています。 例えば、茎はチューブのようなイメージをしていますし、 葉っぱはソーラーパネルのようです。機械は生き物の構造を参考にして開発されたりするので、 由来としては逆かもしれませんが。
 
──博物画を描くことになったきっかけは何でしょうか?

 物心がついたときから、 生き物が大好きだったことを覚えています。実家のすぐ近くに森があったので、 飛んでいる蝶を虫取り網で捕まえたり、 庭で走り回っていたらバッタが飛び跳ねていくような環 境で育ちました。 小学生の頃の自由研究では、 虫や植物を採集して、 図鑑を調べてスケッチし、 観察記録をつけていました。対象を詳細に描きたいという根本の気持ちは、当時から変わっていない気がしています。 機械植物をスケッチするようになったのは中学生の頃からですが、 博物画というものを知り、 その体裁にのっとって描き始めたのは大学4 年生の卒業制作からです。指導教員の椿昇先生に、 描き溜めた機械植物を見てもらって「博物画というものがあるから調べてみて」といわれ たことがきっかけでした。 葉っぱの葉脈や、花びらの一枚一枚まで細かく捉える博物画は、私の性質に合っているように感じています。

椿昇教授(左)に講評を受けている様子1
椿昇教授(左)に講評を受けている様子2

 ──これまでの博物画と、則松さんが制作される博物画に違いや共通点はありますか?

 博物画は、一般的に15世紀半ばから17世紀半ばのヨーロッパで発達したものだといわれています。動植物や鉱物などの自然物を、詳細に記録して整理する博物学の中で描かれてきたものをいいます。一方、私の制作する博物画 (特に植物図) は、実在しているものを描いていません。人間の手によって植物と機械が混合して進化した機械植物が、野生に生息するようになった遠い未来を描いています。実在していないものを描いている時点で博物画かどうか怪しいと思われますが、龍や人魚などの架空の生物たちも存在したものとして描かれてきた歴史がありますよね。そういったものと私がしていることは似ていると考えています。また、散在したものを詳細に記録して整理していく博物画の工程には、共通した部分があるように考えています。

「オオキチコウ」撮影=白井茜

──なぜ博物画を描くのでしょうか?

 博物画は、目の前にあるものを記録するためのものだから、ある意味博物画に描かれたものは現実に存在していた証明になると考えています。実物を目にしたことがない人でも、実在していたと思うもの。今の時代が忘れ去られたときに、遠い未来で自分の博物画が日の目を浴びる日がきてほしいと考えています。ある人の中では、龍や人魚が確かに存在していたように、機械植物が誰かの中で生き続けてほしい。ある種の願いみたいな気持ちで描いています。

──植物画家メーリアンの影響を受けているとお聞きしました。則松さんにとって、彼女はどのような存在でしょうか?

 マリア・ジビーラ・メーリアン(1647-1717 年)は、ドイツで生まれた植物画家兼昆虫研究家です。私が 大学院の博士課程で研究対象にしている人で、端的にいえばメーリアンの描いた図版の綺麗さに惹かれて います。メーリアンが生きた後の時代にも、綺麗な植物や昆虫が描かれた図版は多く出版されていますが、それらとは違う独特な魅力を醸し出しているのが彼女の図版です。

 従来のように科学の分野にある博物画として見ることもできるし、美術館に置いても差し支えのない芸術品とも捉えることができる。そんな絶妙な立場をとっているところがメーリアンの卓越した点だと考えています。彼女の図版の中で行われている試行錯誤の数々を紐解くことによって、博物画をアートの分野に引き入れることができるのではないかという可能性を感じています。

「スイマメ」撮影=白井茜

──機械植物を描く際に心がけていることはありますか?

 私の描く機械植物に共通しているのは、どこか不完全な形態をしていることです。雄しべや雌しべのような生殖器がなかったりするんですけど、鑑賞者にどう繁殖しているのか想像を膨らませながら楽しんでもらえる余白を残すようにしています。

 身の回りにある植物を観察したり情報収集するたびに、改めて植物ってすごいと思うんですよ。造形もさることながら機能までよく考えられていて、知れば知るほど自分が手を出してどうこうする存在ではないなと思わされます。その証拠に、人工的に交配された生物には、どこか遺伝的に不安定な箇所が見られることがあるんです。例えば、農作物の野菜は時々先祖返りしてしまって原種に近いものに戻っていったり、鉢で泳いでいるときの金魚は小さくて綺麗なんですけど、自然の中では生存競争に向かない形なので、時々フナの形に戻っていくらしいです。そうした生物の生態を意識して、人の手で作られた機械植物は歪であるように描いています。

「サカエマツ」撮影=白井茜

 ──なぜ細密な描写にこだわりながら、モノクロで描くのでしょうか?

 自分が描く絵の中では、塗りつぶしを使わないんですよ。画面の中で黒くしたいところがあっても、線を重 ねて密度を上げて描くことで黒くするようにしています。細かい線の集合体を描いて、最終的にバランスの取れたグラデーションになっていると成功です。幼い頃から手元にあったのが紙とペンだったので、授業の合間によく描いていたものが手に馴染んだのだと思います。

 繊細な白と黒の中にあるグラデーションに気を配って描いています。色を使わずとも鮮やかな絵は描けるという考えが根底にあるように思います。赤や青のような色を使うと、どこか自分のイメージしてるものとズレが生じてしまう感覚があるので、モノクロの絵を描く今のスタイルを貫いています。いつか色を使い始める日が来るのかもしれないですけど、直近ではその予定はないですね。

「コンゴウフエ」撮影=白井茜

──則松さんにとって、植物とはどういう存在ですか?

 植物は常に思い出の中にありながら、自分の感情をのせてくれる存在でもあります。植物を描くと、今ある悩みを消化してくれる感じがしています。自分を救い続けてくれる存在だともいえると思います。
 
 これまでに描いてきた80種類以上の機械植物は、どういう生態をしているのか、どこで生息しているのかを説明することができます。それは今まで自分が実際に見てきた植物が、自分の描く機械植物と深く結びついて いるからだと考えています。
 
──今後の展望を教えてください。

 まず、前提として絵はずっと描いていたいです。多くの人が絵を描くことをやめていくものだと思うんですけど、それでも自分が絵をやめられないのは空想の世界が好きだからだと思います。 気付いたら何かを空想していて、それにワクワクしている自分がいます。ワクワクするから描きたくなるし、目に見える形で見てみたくなります。

 今は画面の中に機械植物が1本、ないし数本生えているスタイルのものを描いていますが、今後は新しいスタイルの作品も発表していきたいと考えています。今まで実際に見てきた植物と深く結びついた、機械植物を描いた「未来草案」シリーズ、実際に歩いた場所と結びついた、架空の大陸「ミアクンバ」と、そこに生息する機械植物を描いた「ミアクンバの植物」シリーズに加えて、機械植物を解剖した図解シリーズの作品にも力を入れていきたいと思っています。これまで描いてきた機械植物も図解していくつもりです。また、近々機械植物が100種類に到達する予定でいるので、一度それらを分類した解説本を作りたいと考えています。空想の中でランダムに採集してきたものを順番に描いているので、現時点ではジャンル分けなど特にされていない状態なんです。だから、形になった機械植物のジャンル分けをしたり、系統樹を描いてみたいと想像を膨らませています。

「オアシス」撮影=白井茜


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