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奈良宗久さんにお話を伺いました。

奈良宗久

一般財団法人 裏千家今日庵業躰(正教授方)
1969年金沢に生まれる。玉川大学芸術科在学時から父である十代大樋陶冶斎に師事し美術、工芸作家活動を続け日展、日本現代工芸美術展(初入選時最年少入選)にて出品を重ねる。(館蔵品としては裏千家今日庵、草月美術館、ベルリン国立アジア美術館)。

大学卒業後、裏千家千玄室大宗匠、千宗室御家元、草月流勅使河原宏前家元に感銘を受けて裏千家学園茶道専門学校を経て、茶道裏千家今日庵に入庵し、2002年(平成14年)茶名 「宗久」を鵬雲斎千玄室大宗匠(当時は千宗室御家元)より賜る。

2013年(平成25年)には坐忘斎御家元より教授方を、2017(平成29年)には正教授方を拝命し、現在は業躰(宗家の内弟子で直下の指導者として仕える職)としても国内外と茶道普及、ならびに国際親善行事にも出向き、また金沢では茶道教場 好古庵を主宰し後進の稽古にも努めている。

金沢市文化活動賞、石川県文化奨励賞、北國芸術賞など受賞。
現在は一般財団法人 裏千家今日庵業躰 (正教授方)。
京都芸術大学美術工芸学科客員教授歴任(〜2021年)。
金沢美術工芸大学非常勤講師。
裏千家茶道専門学校客員講師。
石川県茶道協会参与。
日本現代工芸美術家協会本会員。
石川県陶芸協会会員。
石川県観光特使。

テレビではNHK放送局 茶の湯裏千家「和の極意」「趣味どきっ 茶の湯を楽しむ」。DVDでは「茶の湯」(中島貞夫監督)。辻口博啓が語る「加賀の茶道」(石川書府)。映画では「古都」(松雪泰子主演)、「静寂を求めて」(パトリックシェン監督)。舞台では洋邦コラボレーションコンサート(指揮 監督 井上道義、アンサンブルオーケストラ金沢、能舞 宝生流シテ方 渡邊荀之助、茶道点前 奈良宗久)。

「大拙と茶の世界」茶会、著書「日本文化と禅」より(金沢市鈴木大拙館思索の間に於いて)。
イタリアミラノにて金沢市として茶道文化紹介。
高山右近奉茶式ならびに茶会「右近に点ずる」。
最近ではドイツベルリン フンボルトフォーラム 国立アジア美術館 茶室の総合監修。茶道指導、監修など活動は多岐にわたる。

https://kokoan-kanazawa.com/narasokyu/

この記事は、裏千家の業躰(ぎょうてい)として茶の湯の精神を現代に受け継ぎ、多くの人に伝える活動をされている奈良宗久先生にインタビューした記事になります。

業躰とは、家元のそばに仕えて茶道を伝承することを許された数少ない指導者のことを言います。金沢の名門窯元である大樋焼(おおひやき)に生まれ、陶芸作品の制作を続けながら茶の湯の道に進まれた方です。

以前までは京都芸術大学 基礎美術コースの客員教授を勤められ、筆者もその学生として奈良先生の指導を受けて茶の精神を学んでいた。今回は大学卒業の時期が迫ってきたこともあり、改めて奈良先生にお話を伺いたいと思いインタビューのご依頼をさせていただきました。ご多忙の中にも関わらず快く引き受けてくださり、稚拙なインタビューにも真摯にご対応いただきました。

インタビューは以下のような流れで進行されるので、読む際の参考にしていただけたらと思います。稽古もされていて、ご縁もある京都の眞如寺のお茶室をお借りしながら、人間にとって普遍的な問いについてお伺いしました。

【質問リスト】

(奈良宗久さんにとって)
・奈良宗久とは何者ですか?
・茶道とは何ですか?
・美とは何ですか?
・普通とは何ですか?


ー奈良宗久とは何者ですか?


禅語に「独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)」という言葉がありますが、これは自分が今ここに座っていることが奇跡だという意味です。先祖代々、どこかで違っていたらここにいないわけでしょう。だから、生きているというよりもどちらかというと生かされている存在だと思います。両親がいたから自分が生まれ育って、しばらくすると両親がいなくなって、今度は自分の子供が生まれて次第に孫へ伝えていくようになります。それはある意味必然的に生を受けたことのように感じます。

幼い頃から部活をしたり、習い事をしたり、色々な経験をすると思います。選択するどこかの起点で自分が決断する部分もあれば、巡り巡った縁で決めている部分もあったと思うので、偶然というものと必然というものは紙一重であるように感じています。

私が日展に自分の作品を出品していたとき、草月流御家元の勅使河原宏前御家元様が偶然私の器をご覧になって、花を入れたいから譲ってほしいと言われたことがありました。そのご縁があって、丁度その頃に勅使河原宏前御家元様が監督された映画『利休』を観たんです。そこで自分はお茶をよく知らずに物作りをしていたこと、お茶を知った上で物作りをする必要があると考えて裏千家の道に入ったんです。これはある意味必然なわけです。

また、今金沢で稽古をしている好古庵は、私を可愛がってくれた祖父の九代陶土斎が晩年隠居していた家です。私が小学生くらいのときは、よく祖父に庭に連れて行かれて、一緒に御座をひいて抹茶を飲んだりしていました。晩年、祖父が隠居していた家はのちに、そこが裏千家四代の仙叟居士が住んでいた場所だと分かりました。これはある意味必然的な一致のように思っています。だから、茶の湯の道に入ったことや自分の家に利休居士のひ孫である仙叟居士が住んでおられたこと、金沢でお茶や裏千家の歴史を伝えることが自分の使命だと思うようになりました。

自分がここにいる存在自体が必然だと今は感じますが、幼少期の頃はそう感じませんでした。ある立場になったときにそういうことを思うようになりました。だから奈良宗久とは何者ですかと聞かれると、誰でも人間だから何者でもないと思うかもしれないけど、でも実際肩に背負っているものは増えてくるわけでしょう。こういう選択肢を与えられたということは、これは必然であって、これから何かをしていくということは私の使命であるという思いがあります。

私にとっての使命は、やはりお茶を伝播していくことです。お茶をするということは、総合芸術をするということです。工芸品を扱うこと、建築、四季の移ろい、年間行事といったものを現代の人の心に留めさせることが私の指名だと考えています。もちろん私自身も向上して勉強しないといけません。でも、そうすることによって枯れた世の中のニュースに心の潤いとなるようなものを与えたり、私自身が感じていけることが使命なんじゃないかなと思いますね。

ー最近の社会では、潤いが感じられなくなっていますか?


やはり映像だけを見て感じた気になっていると思います。実際に足を運んで畳の上でお茶を飲み、四季を眺めるということは、映像では感じられないことだと思います。メタバースのような映像世界に入り込むという話ではなく、本物を提供していくことや本物を感じること、そこに皆が集うということが大事だと思います。

ー奈良先生にとっての茶道とはどういったものでしょうか?


着物を着ることで心構えを持ち、道具を整えて自分を律するものです。毎日を楽しむことも大事だけど、律する中で楽しんでいくことが大事です。ダラダラと楽しむのではなく、ある程度ルールのある中に自分を落とし込む必要があります。

守破離」という言葉があると思います。ひたすら守る、一回破って離れる、すると自分が今までやってきたものが何だったのかもう一度見ることができます。それが型というものです。同じことをしているけど、昨日と今日の自分はまた違います。少し調子が悪くて点前を間違えた、お茶をこぼしてしまった、そういうことを常に自分の中に見る心があって、ある意味それは律していると言えるわけです。その中に臨機応変な所作であるとか、「このときこうなったけどこうしようかな」というものがだんだん生まれてくるわけです。

今の若い人は、それがなかなか分からないと思います。変化を求めたり、結果をすぐに求めてしまうからです。そうではなくて、先ほど「独坐大雄峰」と言いましたが、自分をこの場所に据えてお茶の点前のように同じことを繰り返すことが、今の時代にとって大事なことなんだと思います。歌舞伎の世界、能の世界、みんな型があって成り立つものです。同じことを踏襲していくけど、実は同じことはないわけです。晴れの日もあれば曇りの日もある。稽古は古を稽(かんが)みると書くけれど、古事記の序盤に稽古照今(けいこしょうこん)と書かれています。照らす今、だから古を稽みるということは常に律するということです。それが稽古の意義だと言えると思います。

ー奈良先生にとって普通とはどういったものでしょうか?


普通というものは存在しません。普通という言葉自体、私はあまり使いたくないぐらいです。昨日と今日は全く同じではないから、普通に過ごしているつもりでも普通の日常なんてありません。日々新(にちにちあらた)、毎日違うものです。

最近では鬱になる人や会社に行かない人、学校に行かない人が増えていると思います。それはやはり映像の世界に浸りすぎているからだと思います。家に長くいると交流をしないので、抵抗力が全くない状態になってしまうわけです。誰しも一人では生きていけません。

例えば、私は日頃全国の稽古などで移動も多く、あっちに行ったり、こっちに行ったり、でもそれは縁があるから言われたことはなるべく断らないようにしているからなんです。マイナスなこともあればプラスなこともありますが、全部自分のためになるんじゃないかなと思っています。

その上、最終的に何が大事なのかというとご縁だと思います。断ったらその人ともう二度と会わないかもしれない。だから、少し無理してでも一歩進んで参加します。声を掛けてもらったということは何か私を思ってくれたから声を掛けてくれたわけです。何も思っていない人に声は掛けないです。だから、そこで繋がっていく人と繋がっていかない人がいるけれど、一歩踏み込んでいく気持ちも大事なことだと思います。ズカズカと踏み込み過ぎるのは良くないです。引くことと踏み込むことのバランス感覚というものを日々心掛けることです。



ー奈良先生が客員教授として勤められた、京都芸術大学基礎美術コースについてもお話を伺いたいと思います。どのようなきっかけで大学の教員を勤められたのでしょうか?


そもそもの始まりは、椿昇先生に室町時代の応仁の乱のあたり、文化が開花したあの時代に教育自体を逆転して戻そうというお話をいただいて、私はそれに感銘を受けて基礎美術コースの客員教授として入らせていただいたんです。授業で漆塗りや茶杓削り、金碧画(きんぺきが)を作ったりするなんて、なかたか考えられないことだと思います。

今の人はアート化しすぎていると思います。職人かアーティストだと皆アーティストを選ぶわけです。名前も格好良いし作品も販売することができるからです。でも、昔の人は今以上に職人気質だったわけで、とにかく語らないんです。良い意味でも悪い意味でも、私ではなく物を見てくださいとなります。当時と比べて今は語ること、発信することがまず第一に考えられているように思います。だから、展覧会に出していないのにアーティストと言っている人もいるわけで、自称アーティストはたくさんいます。そうすると何が良くて何が悪いのか分からなくなってしまいます。賞を獲る獲らないは別として、地道にずっとコツコツとやっている人と「実は私はこうだ!」とやっている人がいると騙される人も出てくるわけです。今という時代は本当に危うい時代だと思います。

ー職人的であることとアートであること、どちらも大事なことだとは思うのですが、それが偏りすぎているんですね。


そう、偏りすぎていると思います。だからと言って時代が違うから、職人に戻れということではないです。例えば超絶技巧が全部良いわけではないですが、今の人はあんなふうにじっと座れない人が増えていると思います。当時の人は朝から晩まで同じ事をずっとしていて、それがある意味普通なのかもしれません。

私たちの世界というのは、本来語らない世界です。語らずにお互いがどうしたら良いのかを考えているわけです。御家元様に仕えさせていただいているので、御家元様から何かお言葉を頂かなくても「多分こんなことをお考えじゃないかな、だったらこうしようかな」と動くことも大事なんです。全部メールや報告ばかり受けて動くのではなくて、どうしたらこういうふうになるのかなとか、どうしたらより良くなるのかを考えます。多分皆もそうしているのだと思いますが、伝統文化と呼ばれる世界というのは、語らずに何かをやっていく世界なので、そういうことを思うということは大事だと思います。

「おもてなし」という言葉がオリンピックで使われていたけれど、当たり前だと思うから私は使わないです。もてなすこと、もてなされることは当たり前なことです。なお、茶にはお茶事というものがあって、お客様はどういう方が来られて、どういったものが好みなのかを考慮して、使う道具などを全て何日も前から用意しているわけなんです。だから、もてなしますよと言うこと自体が希薄です。当たり前なんですからそんなこと。もてなしますじゃ行きたくなくなりますから、それを言葉に発しては駄目だと思います。

ー語らずにものを伝えていくことが重要なんですね。


昔の時代は若い人でもそういうことができたと思います。なぜかというと、祖父母や家族などがそういうことをしているのを見ているからです。何となくその空気感というものを感じて育ってきている。でも、現代では親世代がこんな感じですから子供も感じられないと思います。お茶や能といったものを幼少期から習うことは、私は大事な教育の一つのあり方だと思います。

ー世の中の状況が変わったのはスマホが大きいんですかね?


スマホが出る前、例えば高度成長期の昭和40年代ぐらいから変わったように感じています。世の中が便利になりすぎたことが原因として大きいと思います。人間の心なんて本当は変わらないんです。隣の人がいつのまにか敵になっていたり、誰かを追いやってしまったりとか、世の中の世界を見ていても変わらず一緒じゃないですか。ただそれをやるかやらないかの話で、心の内は人間なんて本当は変わらないはずなんです。

やはり文化的なものを学ぶことや経験することが大事だと思います。美しいものを見るということです。お茶はまさに美しいものを愛でるし、美しいものを大事にする文化です。自分が美しいな、素敵だなと思うものを常に愛でる気持ちは大事じゃないかなと思います。そうすると、その中に誠とか正義とか優しさとか、そういうものが必ず生まれるはずだと思うんです。だから、やはり今は世の中は希薄なように感じています。

ーそこの希薄さを変えていくためにはどうしたら良いのでしょうか?


物を見て触ることだと思います。やはり美しいなと自分が思えるものを見て感じることが大事です。例えばお茶においても、物だけでなくて点前も美しいと思えば美しいものです。何かこの空間良いな、太陽の障子越しに入る光が良いなと思うことが大事だと思います。それは本物を知るということにも繋がります。お茶は総合芸術と言われていていますから、多様なものを体験することができます。

ーそういう機会を自ら進んで受けにいくことが大切なんですね。


「百工茶会」というものを金沢で行いました。これは何年も温めていたもので、作り手、作家、職人、アーティスト、茶人も皆ここに集うんです。もともとお茶室というものが美術館のような作品を発表する場所だったんです。それを一緒に感じる場所が茶の湯でした。そういうものをもう一度お互いが歩み寄る会を金沢でしました。

百工芸会


ー奈良先生の今後の展望などがありましたらお聞きしたいです。

今後はどうなるか私も分かりません。先ほども言ったようにご縁ですから。この前もドイツでベルリンの茶室を美術館に作るに当たって、既存のものではなくて美術品としてのお茶室は作れないかと私に相談がありました。それも私が陶芸の作り手だったことを知ってくださっていたからお声をいただいたわけです。私が作り手でなければそのお話はそもそもいただけていなかったわけです。

工芸家や建築家に協力してもらいながら完成をして、金沢の工芸建築という名のもとにパーツを全部分解して向こうで組み立てるんです。気づいたらそれがきっかけでドイツのベルリンと日本が茶で交流することになるわけです。それも私が全て主体的に動いてきたことではなくて、やはりご縁で繋がっていったことです。作り手というものをやめていたのに、今度は私の作品を美術館の館蔵品として収蔵すると声が掛かることがあったり、お茶を通して以前していたことがもう一度そちらの道に繋がることは不思議なものだなと思います。

この前は鈴木大拙生誕150年のお茶会をしました。それで私が軸を掛けたんですけど「帰一(きいつ)」という軸を掛けたんです。どういう意味かというと、神羅万象の本来の姿は一だということです。人間も皆、欲やら怒りとか恐怖とかそういうものがない世界に行くのが一であるということです。

鈴木大拙先生は無分別とおっしゃっています。要は男女とか、良い悪い、○✖️のような分別をしないという意味です。先生は一度無分別という世界に入ったんだと思うんですけど、人間だから無の世界にずっと自分がいるわけにはいかないから、すぐに俗の世界に戻るんです。でも、一回それを経験すると、欲のようなものは薄れていくということが書かれてあるものが残っていたりします。それを読んだり見たりしているときに「あぁ、なるほどな」と思いました。禅というものは心の支柱の部分があると思っていて、特に千家のお茶は茶禅一味で、お茶と禅は一心同体だといいます。

鎌倉の横田南嶺(よこたなんれい)和尚が無分別の分別と帰一という言葉は同じだと仰られています。最後は見返りを求めないというところに行きつきます。自分が何かをしてやったとか、そういうことが一切排除された世界というものが禅の世界であり誠の世界です。お茶を学んで一番何が大事ですかと聞かれて、金沢におられた仙叟居士は誠意という言葉をおっしゃられました。茶道では客と亭主という関係があり、客は亭主を、亭主は客を慮ります。和敬清寂という世界ですから、そういうことを感じることもこれからとても大事だと思います。

ー奈良先生にとって美しいものとはどういうものですか?

やはり自分の心に触れるものだと思います。例えば私の幼少の頃、父との会話の中で、父から李朝のものが良いとか、現代作家の誰の作品が良いとか、お茶会でこんなものを見たという話をよくしていました。そうすると、不思議と父と同じ趣味になります。そういうものを手元に持ちたくなります。

ー美しいものは手元に置きたくなりますか?


美術館に行ってじっと見るのも良いけど、やはりそれを求めてお茶のときに使いたいと思います。特にコロナのときはお茶会も全然できなかったので、床の間に季節のお茶碗を置いたりします。

現代アートも好きです。分からない物を見ても「これは一体どういうことを求めているのだろう」と作品を見て、自分の気持ちの変化を確かめたりします。現代アートの良さは作家さんと触れ合えることです。今を生きているものを見るということ、良いか悪いかは自分が判断したら良いです。古美術の良さは昔の良いものを見て自分の心を養うことができる点です。どちらかというと今ではなくて過去のものを見ているわけで、現代アートは今を顧みて自分が今どういう気持ちなのかを確認するものだと思います。

ー奈良先生は現代アートの作品を求められることはありますか?どういったものに惹かれることが多いでしょうか?


ときに求めたくなります。でも、年を重ねてくると憧憬(どうけい)、昔の心に戻るものの方が心に触れることが多いかもしれません。幼少の記憶とか両親が元気だった時代とか、祖父母が家族皆でいた時に見た光景とか音楽とか、やっぱりそれは世代によって違うと思うんです。でも、やっぱり美しいものを見ていた時代というのは幼少のときが大事だと思います。僕は作り手だったので、日展に出したときは父と二人でこうしたほうがいいんじゃないかという話をよくしていました。父は美を求める意識が強く、私が幼少の頃から、いつも浴衣を着て風呂上がりにときに廊下に古美術書が並んでいて、浴衣のままに毎日数時間ぐらい見ている後ろ姿を覚えています。当時は、子供の頃いつも家族をどこにも連れて行かないと思ったけれど、今思えばあの父の後ろ姿は格好が良いというか、良い親父の生き様というのか、今思えばそういう気がしますね。

ー美は普遍的なものでしょうか?


はい、だから文化は残るんでしょう。何百年も残るのは美しい所作、美しいことをしているから美しい心を持とうという意識を持つから残るんです。美しいというのは美しい心を持とうということかもしれないですね。自分自身もそうですが、油断すると人間社会の中で心が汚れていくからこそ、美しいものを見ることによって自分を浄化するということも大事なことだと思います。


ー最後に、大学を卒業した後のことで悩んでいたりしていて、助言をいただけたらありがたいです。奈良先生も大学を卒業する頃は進路に関して悩まれましたか?

私も大学を卒業するときは迷いに迷いました。作品作りをするのか、御家元様に住み込みで入るかで生活が180度違いますから。苦の修行の厳しい世界を選ぶのか、自由で楽な世界を選ぶのか全然違います。若いときは楽をしていて良かったとしても、何十年か経つと自分がおかしくなるから、意識的に厳しいことをしないといけないと思って修行させていただきました。若いときはある程度自分が苦しく感じる世界にいくということは大事だと思います。

自分個人で考えたら、やはり楽な世界ばかりを選んでいたら良いことがないような気がします。みんなそれぞれの立場で苦しんでいて、何かしら悩んでいると思います。自分を信じていくしかないんじゃないでしょうか。私は十年後、絶対自分は変わっているんだと思いながら過ごさせていただきました。人がやらないことを自らやろうという意識はありました。当時、住み込み生活をしている人はまわりには誰もいなかったです。でも、そのとき思ったのは十年という時間はいかに大切なものであるかと思いました。今こうやって生活していること自体、それが自分の運命だとも思いました。こういうところが自分の境遇の一つになるかもしれないというのも運命だという思いもありました。やはり何事もさせていただいて良かったと思います。

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