山口京将さんにお話を伺いました。
「お母さんね、ベランダで人間の顔をした鳥を見たよ」
幼少期の頃に母親につかれた何気ない嘘、それがアーティスト・山口京将さんの制作の原点となりました。
モフモフとした毛を纏った身体に人の顔が特徴的な人面生物と呼ばれる作品群を日々制作されており、現代美術家のヤノベケンジ、但野生物らとともに「モフモフ・コレクティブ」を結成。
ARTISTS’ FAIR KYOTOをはじめ多数の展覧会に立て続けに参加されているなど今活躍中の若手アーティストです。今回はそんな山口さんの制作の原点についてお話を伺うことから始まり、今後の展望について語っていただきます。
現在山口さんが参加されているYOD TOKYOで開催中(2023年10月12日~22日)のモフモフ・コレクティブ個展「WWW」、次回Gallery OPETにて開催予定(2023年10月27〜30日)のグループ展「変身POP」の情報も合わせてご確認ください。
山口さんの作品は、OIL by美術手帖にてお買い求めいただけます。
それでは、お話を伺っていきましょう。
I. はじまりの人面生物
ー制作のきっかけとなった「母親の嘘」は、何歳のときのお話でしょうか?また、それを聞いたときはどう思われましたか?
小学一年生か二年生のときに言われました。それを聞いたときはとても興味深々でしたし、同時に怖いと思いました。母親からは「鳥を見たよ」に付け加えて「ベランダからずっとこっちを見ていたよ」と言われたので、得体の知れない何かにずっと見られていたという感覚が当時はとても怖かった。
休日のお昼頃に母親が突然言い出したんです。すごい真顔で、ただのからかいですよ。その姿を見ることができなかったから余計に好奇心がくすぐられました。分かったら余計に怖くなるかもしれないけれど、見てみたいという純粋な好奇心がありました。ベランダで待ち伏せをしているときにトイレに行くと、後から母親が「今来てたのに」と言うんです。他にも、「クッキーと牛乳を置いておこう」とお母さんが言い出して、俺が寝ている間に親がそれを食べて飲むまでして騙してくれました。
ーある種、サンタさんのような存在に似ているのかもしれませんね。子どもに信じ込ませるため、子どもにサンタさんへの手紙を書かせたりするような。
それでいうと、サンタもよく騙してくれる人でした。
ーそうして山口少年は母親の影響で「人間の顔をした鳥」に惹かれていくことになったんですね。すぐに彼らを描いたり作ったりするようになったのでしょうか?
それは全然、ただただ頭の中で妄想しているだけでした。本当に小鳥という情報しかなかったので、どんな姿なのかも想像がつきませんでした。
ー彼らの存在について友達に話すことはありましたか?それとも自分の内側で留めていたのでしょうか?
誰にも話していなかったです。大学生になって初めて話す機会がありました。大学二年生のときに今の作風に辿り着いたんですけど、その頃には母親の嘘についてすっかり忘れていました。「そういえば自分は顔に興味があったり描いたり作ったりするけど、何がきっかけだったっけ」みたいに思い返すようになってから、母親のエピソードがきっかけだと考えるようになりました。だから、大学生の頃には忘れていて、思い出すまで無意識になっていたような気がします。
ー幼少期の頃、どのくらいまで彼らの存在に想いを馳せていましたか?
嘘をつかれてから一年ぐらいだったと思います。そのあたりはあまり覚えていないです。何でそんなに信じることができたのかというと、母親が「物干し竿に鳥が止まってたよ。見てこれ、ちゃんと証拠もある」と言うので、指さされた方を見てみると、掛かっていたバスタオルにくっきり鳥の足跡が付けられていたんです。やっぱりクッキーもちゃんと食べてくれる人だったから……。だから当時は「うわ、本当にいる」と思いました。でも、今思うとそれはただの洗濯バサミの跡方で完全に騙されていました。そんなこともあって自分の中でより信憑性が高まったんです。実際に顔の絵を描いてみたりしていたのは中学生ぐらいからかな。ちょっと気持ち悪い顔を描いてみたり、お花から顔が生えているもの、ただのおっさんの顔などを描いたりしていました。
ー中高は美術科のある学校ではなく、普通科の学校に進学されたんですよね。
そう、中高普通科で美術部に入っていただけでした。
ー美術部に入っていたということは、絵を描いたり物を作ることへの関心はずっとあったみたいですね。
そうですね、大学に入るまではずっと絵を描いていたんですけど、立体に起こし始めたのは高校三年生のときからだったと思います。ブランケット(鉄でできた銀色の玉に棒が付いている、手すりが滑らないように固定するためのもの)があるんですけど、その空いた穴にカラフルなおっさんの顔を埋め込んだものを七個ほど作って遊んだりしていました。
立体に起こすのが一番しっくりきたんです。現実に呼び起こすことができるというのか、より身近にリアルに感じられる物質感が立体にはあるように感じています。
そうして高校を卒業してから京都芸術大学に入って立体を学びたいと思い、コースの紹介文に何をしてもいいと書いてあった総合造形コースに入学しました。総合造形コースは学部の一・二年生のときに、鉄、木彫、樹脂やガラス、陶器など色々な技術を学んでいきます。俺はその全部の作品を顔をモチーフに作っていて、先生方から「基礎的な技術を一通り学んだから、ここから先はあなたたちの自由な感じでどうぞ」と言われて作ったのがフワフワの人面生物でした。
Ⅱ. 「なくなったらそこで終わりかなって」
ー初めて作ったときはいかがでしたか?
これまで自分が作ってきたものの中で一番大きなものに挑戦したんです。サイズが小さいとどうしてもおもちゃみたいに思えてしまったんですけど、大きく作ることで現実味が帯びていくように感じました。だから、基本的に自分の身長と同じぐらいのサイズ感で作ることが多いです。
でも、大きいものは求められにくいので、小さいものも最近は作ることが増えてきています。
ー人面生物はどの顔も飄々としていますね。
固定の表情を作りたくなかったんです。だって決まってしまうじゃないですか。それはそれ、これはこれというふうに固定の表情があることによって特定の感情が決まってしまうことを避けたかったんです。見る人によって見えてくる表情や感情が違ったらいいなと考えて、あえて作り込まないようにしています。
あと、無表情の不信感によるものもあると思います。やっぱり自分がやりたいことの一番の軸になっているのはあの頃の再現だから、あのときに感じていた不信感や恐怖感が無表情に表れているのだと思います。
ーこのシリーズで作品を作り続けることに飽きたりすることはないのでしょうか?
人面生物を作っていく中でも、これをやりたい、あれをやりたいという方向性がたくさんあるんです。今やりたいことは作品の体が動いたり、見る人が実際に体感してもらう体感型の作品であったり、あとは映像に置き換えることだったりします。そんなふうにやりたいことがいつまでもなくならないというのか。なくなったらそこで終わりかなって思います。
ー彼らを作り続けることが山口さんの軸になっているんですね。
軸になっているし、多分これ以外俺はできないと思います。これをやめたら発表するような作品は作らないと思います。
ー「母親の嘘」の話でいえば人面なのは鳥だったと思うんですけど、そこから妄想が広がっていって「あれもいるんじゃないか」「こんな形の生き物もいるんじゃないか」と思うようになったのでしょうか?
そうです。母親に言われた通りの人面鳥を作ってしまうと、このシリーズが完結してしまう気がしています。自分が死ぬ間際やこのシリーズが終わる最後に作るのかなと考えています。
ー死んだあとに遺作として見つかるのも面白いかもしれませんね。山口さんにとって、彼らは神様のような崇拝する対象とはまた違うんでしょうか。
いや、全然そんな崇拝するような対象ではないです。
ー友達?
友達でもないです。懐かしく親しみやすい思い出ではあるので感覚的には近い存在なのですが、その姿を見ることができなかったから同時に遠さも感じているんです。だから、友達のような親しみやすさは曖昧な感じです。
ー近いけど遠い存在。
例えば、一緒にモフモフ・コレクティブを組んでいる但野生物さんのような存在にはなれないのかなと思います。但野生物さんの場合は、自分が作った作品と友達というのか、自分の身体の一部として同化してしまう勢いなので。俺はどちらかというと、それを傍観することしかできない。
ー彼らの存在と山口さんの関係は、同一性の帯びたものではなく明らかに他者なんですね。
そう、他者です。その他者に近づきたい気持ちは強くあります。ただやっぱりそれは追いつけない存在なので、絶対に。
ー山口さんにとって母親とは一体どういう存在でしょうか?いわば作品に纏わるエピソードや、それを生み出している山口さん自身も母親の存在から全てが始まっているように感じます。私も母親から生まれているわけですけど、山口さんの場合は作品のコンセプトの起源を作ったという意味で母親の存在がかなり強く想起させられます。
そうですね、間違いないです。どういう存在なんだろう。でも、そんなに大したことは思っていないです。母親には感謝をしているけれど、言ってしまえばただのからかいや嘘つきがきっかけとなっている……。難しいな、どういう存在なんだろう。あんまり考えたことがなかったです。
ー山口さんの母親も、自分の幼少期に親から同じようなことをされたのかもしれないですね。だから嘘をついたのかもしれない。また、そうして伝染していくものなのかもしれない。
確かに、じゃあ俺もいつか子供ができたら同じように嘘をつかないといけないのかな。
ただ、俺の場合はそれで人生が大きく左右されていて、作っていて楽しいし感謝はしているのだけれど、でも向こうはこの話を全然覚えていないんです。作り始めたときに一度だけ話したことがあって「そういうことがあったよね」と聞いてみたら「えっ?」と言われました。言われてみれば言ったような気がするというぐらいの話で、根本が何にも残っていない状態で制作を続けている感じです。
ー今後の活動はどうなっていくのでしょうか?
見るとか見られるの関係に留まってしまうと俺の思い出のときのままだから、さらにもう一歩踏み込みたいなと考えています。触ったり、乗ったり、中に入るような、そういう仕組みつきのものを作りたいです。なぜなら自分が幼い頃にその姿を見れなかったからより近づきたい、自分も体験したいという思いから来ています。それと、やっぱり架空の世界だから、それを観た人に本当にいるんだってリアリティーを持って信じ込ませたいです。
ー母親が山口さんに嘘をついたみたいに、アーティストとして自分が持っているフィクションを他者に浸透させていくんですね。
制作している中で色々考えているんだけど、やりたいことの一つにドキュメンタリーを作りたいという思いがあります。番組にすることや映像化することを実現させたいなと思っています。
他にも、人面生物の博物館を作りたいです。本当に存在しているみたいに、立体作品と存在を裏づける彼らの文化の資料や道具がたくさんガラスのところに飾られているような博物館。ここのボタンを押したら町のモニュメントが動くみたいなそういうものとか、そういう博物館や資料館をいつか作りたいと考えています。
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