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人に何かを求めすぎて、辛くなるのは、自分

あーしてほしい、こーしてほしい、

私ならこうする。

自分ができるなら、自分が気遣えるなら、
あなたもできるでしょ。

そう、思うことはありますか?

私が海外で、学んだのは、

絶対にそうではない。

と言うことです。

例えば

ある知人が、

あなたは仕事柄毎日パソコンを前に仕事をしているのだから、
連絡すれば逐一返信が来る。

と言ってきたら、

本当にそうでしょうか?

私だったらそうするのに。

と言われても、

あなたは私ではない。

私の時間配分にその時間を入れていないし、仕事や、絶対に見なければいけない時ではない限り、確認するのは個人の自由。

仕事や待ち合わせでない限り、私は私生活の連絡をこまめには確認しない。

だって、疲れるから。

繊細さんよりの筆者には、そう言うことが小さなストレスになる。

以前は、そんな主張もできなくて、1人で頭を抱えていた。
だって、疲れるから。なんて言ったら、みんな疲れてるのに何甘えてんだ、と言われそうで怖かったから。

でも、海外で出会った人たちは、違った。

むしろそれが疑問だ。と言われた。

人の意見を押し付けられて、自分の意見を言い切らないのはどうしてなのだ。と。人に意見を頼りすぎて、自分で決めないのは何故なのか。と。

本当にたかが、の話です。

でも、されどな話でした。小さな妥協が大きくなっていくものです。

私が一番意識改革された、オーストラリアの農場でのお話を二つ。
詳しい話は私が決めた理由#7にも記載しています。

たかがマックの注文を間違えられたのを指摘できないだけで、怒られました。

休みの日にみんなで飲んだ帰り道。マックで飲み物を買おう。という話になりました。

私は暑かったのでアイスコーヒーを頼みましたが、
やってきたのはホットコーヒーでした。

うわー。と思ったけれど、まあ、いいかー。英語で言い合うのも面倒くさいし。みんな待たせるの嫌だし。笑い話だな。と思って、何も言いませんでした。

家までの帰り道、マックでの話をフィンランド人に話しました。

すると、彼は「はあ?変えてきなよ!!なんで言わないの?それ、自分の欲しいものじゃないじゃん!」

「どうして我慢したの?理解できない。」

そう言われました。

たかがマックの注文で、そんなに責められるなんて思いもしませんでした。

私にとっては、みんなを待たせる方が苦痛だとそっちを優先したからです。
みんながそうだろう。と、聞きもしないのに勝手に自分が決めたみんなの決断に、自分の意見を任せたからです。

彼の言いたかったことは、マックのことだけではなくて、
私は、よく言いたいことを言いかけて、途中でやめる事がありました。

英語だと面倒くさい。どうせ聞く耳持たれない。そう、諦めていたからです。

だから、これはこういうものだ。と意見を押し付けられても、笑うか受け流すかしかしませんでした。ちょっと違うと言われても、その場がしらけるの嫌で、飲み込む事が多かった。

そういう事がよくあるんだ。と彼にいうと、

もっと自信を持って、自分の意見を言えるようになると、もっと君は素敵な人になるよ。自信を持って!

そう言ってくれました。お兄さんのように、そう諭された時、たかがマックから始まった話が、自分の中ですごく印象の残る話になりました。

溜め込んだことをお互い言えずに不仲になるより、意見を言い合いわかり合う方が良い。押し付け、ではなく。

抑え込みすぎた気持ちは、いずれ自分がコントロールできないほど爆発してしまう事もある。

だから、こまめに自分でガス抜きをして、一大事のないようにすると、周りも自分も楽だ。

人に意見を頼りすぎて、シェアメイトとの最後の日帰りドライブに行けなかった事がありました。

それは、15人いるうちの、ほとんどが来るなら考える。と答えを他人任せの先延ばしにしたから。
この話、たかがですが、思い出すとちょっとトラウマです。

色々御託を並べて、決断を流れに委ねていたら、
キプロス人のサラにキレられて、私ただ1人が留守番することになりました。

タクシーに人数制限があるから何度も聞いたのに、いい加減にしろ。と。

15人の中で、ただ1人、大きな家で1人留守番。

大好きな日本人のお姉さんのお別れドライブだったのに、何故即決しなかったのか。たかがドライブなのに、物凄い後悔と恥ずかしさがこみ上げました。

流動的に日々を過ごしていると、気付いた時には自分のしたかった事から遠のいてしまう。

どうでもいいや。その場しのぎでいいや。
他人が決めてくれれば、楽だしそれでいいや。

社会人の時、気付かなかったけれど、そうだったな。と振り返りました。
他人に決断を任せた結果、自分には何も残らず。

一番虚しい思いをしたのは、まぎれも無い自分でした。


違うものは違うと言う。

理解してほしいならちゃんと主張すると言う勇気

理不尽でも耐え抜くという話は昔の話。だと個人的には思う。

耐え抜かずともたくさんの道が拓けている現代。

そして、討論ではなく、ただ否定するだけの関係性があるのなら、それは辛くなるだけ。

自分が本当にしたいことに対して、必ず通り抜けなければいけない理不尽ならば、
ぶつかってみればいい、耐え抜いてみればいい。

けれど、やりたくもない仕事に対しての理不尽な行いに、耐え抜くことは

時間の浪費であり、自分のやりたことを見失うだけだと、

自分で経験して感じました。

例えば、

正社員にこだわる

それは何故ですか?

あなたが望んでいるからですか?

それとも、正社員じゃないと周りの目が冷たいからですか?

あなたの本当にしたいことは、どんな分野でもいいから正社員になる。それで幸せを感じることができるのでしょうか。

親に言われるから、友人に定職についてないと軽蔑されるから?

自分が今していることを、
分かって欲しい、やって欲しい、
自分と共感して欲しい。

欲を人に押し付けてばかりいると、その答えが返ってこなくなった時、

ものすごく虚しい気持ちが襲ってきます。

自分は必要とされていないんだ。と。

実は、

自分を一番必要としているのは自分。

欲をぶつけるなら自分にぶつける。

何かやりたことがあるのなら、まず自分にぶつけてみる、実行してみる。

その積極的な姿勢を見て、周りはあなたの欲を満たす協力をしてくれるようになる。

正直、他人が正社員だろうとフリーターだろうと高給取りだろうと、
他人が気にしているのは比較している本人なのです。

心配しているようで、ただ、あなたと比べているだけなのです。

本当にあなたを心配しているのなら、「こうしなよ。」と、意見を押し付けず、
背中を押す助言をしてくれるはずですから。

年月を重ねると、付き合う友人が絞られてくるのは、

自分の中で、誰がいると自分の糧になるのかを無意識にふるいにかけているからです。

自分がどんなにたくさん人に尽くしても、返ってこないことだってある。

100%のGive & Takeなんて存在しません。

期待するだけ疲れるだけです。

見込みを少なくしていると、予想以上の感謝が返ってきたときに、何倍も嬉しいものです。
そして、いつも感謝を忘れずにいることが大切だと実感しました。

海外で生活してきたシェアハウスで、
料理をするのが楽しい時期に、頼まれてもないのに多めにご飯を作って、みんなに分けていることがありました。

みんな、美味しい!と言って食べてくれました。

だからと言って自分がしんどい時に、

いつも食事を分けてあげてるんだから、たまにはみんなが作ってくれて当然だろう。
とは思いません。
そんな事思っていたら、集団生活は苦しいだけだと気付きました。

よく考えれば、全て、私が作りたくて作って、私があげたくてみんなにご飯を分けただけ、
その喜んでる姿を見れて嬉しいのは私。

それで、相手が自分も作ってあげたい!と思うなら、嬉しいし、
なんとも思わないならそれもそれ。

事実、オーストラリアの時は、韓国人がチャプチェを作ってくれたし、
ニュージーランドでは、日本人のシェアメイトが私の為に貝ひもの賄いを大量に持って帰ってきてくれていました。

日常の些細なやりとりだけれど、とっても嬉しかったです。

これが、筆者が経験してきて感じたこと。
何度もなんども、期待して返ってこなくて、傷ついて、
でも、時には出会えてよかった。と言ってもらえる事もあって。

だからこそ、続くご縁も途切れるご縁もある。

今日も今日とて。違う今日かも。

今日も自分がやりたいことをとことんできるように。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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