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パイレックス工場の仲間たち
トムは、足元のゴミバケツをいつも一杯にしておくので有名だった。捨てる破片は熱いこともあるから、いったんバケツに溜めてからゴミ箱に入れるのだが、後で捨てようと思っていると、すぐに一杯になってしまう。溢れたままにしておくと飛び出たガラスが怪我のもとになるから、よく監督に注意されていた。
そんなトムは、冬になると着古して伸びきったセーターを着てくることでも有名だった。あまりにもひどいシルエットなの
在りし日のパイレックス工場2
1973年にCorning社がJames A. Jobling社を買ったとき、それまで紙ベースで保管されていた設計図などを全て写真フィルムにし、またそれ以降の設計図や工場の様子もすべて写真で残っています。製品のデザイン、機械の設計図、工場内の風景、スポーツ大会の様子など、膨大な枚数です。
これらのフィルムは工場閉鎖のどさくさで放棄されてしまい、ゴミのような状態で発見した市民によって回収され、
在りし日のパイレックス工場
百聞は一見に如かず。パイレックス工場の様子を覗いてみたいと思いませんか。
ここに、1977年に米国大統領ジミー・カーター氏が工場を訪れた際のニュース映像が記録されています。(1973年より、ライセンス元の米国コーニング社が会社自体を買っているため、社名はJames A. Joblingではなく、Corningになっています。)
http://www.yorkshirefilmarchive.c
Hysilのフラスコとノーマンの引退の話
ノーマンは、15歳でJames A. Jobling社の理化学ガラス部門に入り、同部門が閉鎖するまで25年間つとめあげました。その後も当時の同僚と助け合ってガラスの仕事を続け、定年を迎えるまで理化学ガラス職人でありつづけた大ベテランです。
James A. Jobling社の理化学ガラス部門は、1932年に組織され戦中戦後を通して伸びていました。1970年代に入ると国全体で重工業が斜陽になっ
1921年、新素材パイレックスがやってきた
サンダーランドは、イギリス北東海岸にあるウィア川の河口一帯を占める都市です。炭鉱と造船の町というイメージが非常に強いです。この1928年の航空写真には、川を上る大型船や、鉄道から船に石炭を移すcoal drop、数々の工場の煙突が写っています。
19世紀には焼き物も盛んでした。ピンクゴールドの釉薬が特徴で、現在は骨董品として認知されています。定番の図案はやはり船。この水差しに描かれている橋は、航
とにかく集めて調べる
さあ見てください、私が私財を投げうって蒐集したボトルシップの数々を。完全に取り憑かれています。
ガラスのボトルシップに関する文献は多くありません。いえ、皆無と言ってしまいましょう。歴史が浅く、また商業的な品物であるため、骨董店や美術館の注目度もいまひとつです。だから私が先駆けになろうとするわけですが、参考資料がないというのはもう大変です。いつどこで誰がどのようなボトルシップを作ったのか何の予備知
大河ドラマの下書きを目指すノート
私はイングランド東北部のサンダーランドという町で、ガラスアートの制作と研究をしています。
ロックダウンの影響でガラスセンターが閉鎖している昨今、自宅でできる制作活動にはかなり制約があります。そんな中「ボトルシップを世に送り出した職人たちのドラマが面白いから書きたい」という企画を出したのが通りまして、とにかくまず大まかな構想を練ることになりました。ゆくゆくは、脚本家や演劇の専門家とコラボしていくこ