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学校で図工をやるということ

大学最後に、オンラインで図画工作の授業を受けました。


他者評価

小学生の私にとっての図工
何かをつくる、それに没頭する、完成させてコンクールか発表会に出す、そして親にほめてもらう。それが図工のイメージだった。

何をつくっていたかを思い出すとき、家に飾ってある完成物から思い出す。次いで、その物の過程、家族は喜んで飾るけど自分にとっては苦い思い出が何かしらにくっついている。喜びより、失敗したというがっかり感や悔しさ。

自分の完璧主義的な性格や、イメージや発想はすぐに湧くけど形にする難しさを痛感していたし、うまくできているように見えた友だちは羨ましくてしょうがなかった。

羨ましかった友達

うまくできているように見えた友だちは、大抵先生に学校の代表としてコンクールに出されていた。先生はこっそり選んで、選んだ子をこっそり呼び出して伝えたりしていたが、そんなのすぐにわかる。全然隠せてない。感づいちゃう。

なにかをつくるのは楽しいけど、他者評価に左右されているあの感じ、ジャッジされているあの感じはどうしようもなく嫌で、作りたいという心躍る感情と対峙していたように思う。

大学生で改めて図工をやって

他者評価は他者評価でも、私が嫌だったのは、自分と友だちの作品が比較され、優劣をつけられていたことだった。

授業では全2つの作品をつくった。1作品目は、全員が一人ずつ作品を発表し、先生とコミュニケーションをとっていた。2作品目は、だいたい5人ずつ作品を発表し、先生とその学生たちでコミュニケーションをとっていた。

1作品目を発表した時、自然と他の人への先生の発言と自分に対しての先生の発言を比べてしまう自分がいた。そしてそれに感情が左右されていて、素直に同じ授業を受けている学生の作品をみることができない自分もいた。

2作品目を発表した時、どきどきした。オンラインで、話したこともない人に自分の作品を「見られてしまう」と思った。小学生の時と違って、恥ずかしい気持ちが今はあることに気が付いた。

いざ発表してみると、オンラインなのに暖かい空気感を感じた。話したこともない人だからなのかもしれないが、顔を出して頷きながらコミュニケーションを取れている感じもした。
作品に対して、素敵と感じたところ、こうしたらもっとこういう風に伝わるんじゃないか、期待したことなどを伝えあう場は、自分の作品を改善したい欲求や、新しいものをつくる欲求に繋がった。

オンラインで図工をやって

いつからか芽生えた自己主張や、発表への恥ずかしさ。確かに、オンラインでは、カメラやマイクをオフにすることで恥ずかしさを感じることなく楽にいられる。
でもそこを乗り越えたことで私にとっては「やっとコミュニケーションが取れた」と感じた。相手の表情や言葉遣い、間とかもネット回線では歪んだりするけれど、カメラとマイクが両方オンになることでそれらも理解できる。自分の顔だけはどうしても気にしてしまうから見ないようにしたり隠したりしていた。

小学生の時はもっと素直に「みて!」と思っていた気持ちがいつしか「みられたくない」と思っていた。色んな原因があろうが、私の場合、過去の他者からの評価のされ方、作品を通したコミュニケーションの仕方の影響で、変わったのだろう。


図工のこれから

今回、比較される他者評価より、コミュニケーション的な他者評価のほうが楽しいと感じた。それは先生も含めたフラットな場で、優劣ではなくそれぞれの作品の過去・今・未来について語ることができたからではないか。

先生は確かにすごい。自分よりはるかに色んなものを形にできる。それでも「先生すごい」と思った瞬間に感じる権威。その権威に媚びる必要はないんだ。そういう場づくりが必要なのではないか。

また、人に見られない場で、一人で作品作りに取り組んだせいか、制作中、その作品を贈る人のことをずっと意識して滅多にないレベルの没入をしていた。
他の人の作品の影響も限りなく少なかった。それよりインターネットからの影響が大きかった。今後、子どもたちは悩んだ時インターネットに飛びつく可能性がどんどん高まるだろう。それが実は閉鎖的になる可能性を秘めているとしても。不安感があれば、簡単に手に入れられる安心を求める。

今回、先生にも誰にも「チェック」され続けない、自分次第な時間と場所があった。これは私にとっての安心感につながった。小学校の時は常に急かされていた記憶が非常に強い。「教科書を終わらせなきゃ」という当時の担任の言葉も覚えている。急かされれば、優劣を付けられれば、より不安感が増す。インターネットを否定しているのではなく、もっと色んなところにアイディアや感性は落ちていることを教師も一緒に経験していけることも大切なのではないか。

今後小学校図画工作では、もっと子どもたちの「つくりたい」に寄り添っていけるかもしれない。
今回、自分が制作していたとき、その中には確かに試行錯誤があって、失敗があって、成長があった。そのようなことを素直に楽しめる空間が図工であったらいいな。

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