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付箋を貼ることはね、記念日やイベントを大事にする人間のようなものだね。

あなたは、本を読む時に付箋を貼っているだろうか?貼っているとしたら、どのような目的があって、付箋を貼っているのだろうか?

私の場合、このような記事を書くくらいだから、付箋を貼る派と言えるだろう。

雨夜の月がそばんでいる今日の夜、帰路をたどりながら、私は、付箋を貼ることのアナロジーを突然思いついた。

例えば、分かりやすいで言えば、恋中にある連中の、特に記念日やイベントを大事にする衆に、付箋を貼ることは似ていると思うのだ。

記念日やイベントを大事にするのは、共に過ごした時間を顧み、空虚な「時間」という記号に意味付けをし、意味や価値のあるものとしようと努めることだ。

読書の際に、付箋を貼るのも、これと同様である。

付箋も、または印も何もつけずに本を読むことは、漫然と日常を過ごすことと同義であろう。合間合間で呼吸をしなければ、文字はただの染みの塊へと変貌を遂げかねない。恐ろしい。

付箋を貼るという行為は、ただ自分の気になった場所に解り易い指標を打ち立てることを意味しない。それはまた、読書という時間の流れに、抑揚を刻み、読書時間を乾燥しきった代物になるのを防ぐための行動でもある。

日常が、漠然とした不安に支配されるのを防がんとするために、snsに「イケてる」投稿をしてみる。美味しい料理を作ったり、はたまた食べに行ったり、観光行動をしたり、思い出を作ったり、恋人を見付けたり、そしてその恋人との時間を確かなものにしようと努力したり。

読書とて、これらの活動からどうして漏れることがあろう。一体何故、読書の時間を、ただ漫然と日常を過ごすものと同じようなことにするのか。

おそらく、何事も抑揚が無ければ、味気ない。つまらない。面白くない。死にたくなる。

付箋は、本に挟まっている雑多な薄紙の集合ではない。

私が、その本と共にあったということを示す証明書に他ならない。本の中にリズムを産み出す証でもある。


付箋を貼る。さすれば、あなたの旅もいくらかはマシになる。




今日も大学生は惟っている。




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