「旅」と「旅行」はどう違う?
こんにちは。
ひっきです。
近年は、インバウンドの増加による経済の活性化を日本が国策として行おうという状況にありますね。
2020のオリンピックや、2025年の万国博覧会、
あと2016年の「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」なんてものもありました。
最近は、外客の為のホテル数を増やすとかなんだとか言っていましたね。
さてさて、こういった一連の出来事はよく「観光」と結びつけられます。
逆に観光がこのような出来事に注目しているという見方もできますが・・・
しかし、ここで気になることがあります。
「観光」とはつまり「旅行を伴う余暇活動」のこと。「旅行」の一貫です。
でも、「旅」という言葉もありますよね。
「旅」と「旅行」の違いって一体何なんでしょうか・・・?
「旅」
まず、「旅」に関して興味深い記述があったので引用をしたいと思います。
旅は三木清によれば
出発点が旅であるのではない、到着点が旅であるのでもない。旅は絶えず過程である。ただ目的地に着くことのみ問題にして、途中を味わうことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものと言われるのである。(三木清、1954、134)
つまり、「旅」自体には目的地だとかいうものはなく「過程」そのものが重要というわけですね。
となると、いわゆる観光と言われるもののほとんどは「旅」ではない可能性がありますね。
旅行
旅行とはズバリ〇〇!と言いたいところだが、これが案外簡単ではない。
例えば、
「journey」も旅行という訳すことが出来るし
「tour」も「trip」も、そして「travel」も旅行という風に解釈することも不可能ではない。
一応、一つずつ見てく。
「journey」:一日の行程、仕事
「tour」:周遊(ラテン語でろくろの意味も持っている)
「trip」:小旅行、移動、転ぶこと
「travel」:骨折り、移動
参考にしたサイトによると、「travel」はフランス語の「travail(勉強、仕事、骨折り)」に由来するらしく、さらにはラテン語まで遡ることができる。
しかしながら、「travel」が旅行という形に解釈できるとしても、それが「旅」ではないと言われると、違う気がする・・・。
最近
これは私の考えですが、「旅」と称しながら、目的地に行って、写真を撮って、お土産を買うという行動を行うのは少し違う気がする。
畢竟、目的地までの道(過程)をふっとばして、観光地での滞在に興じようという行為は、目的や結果を重視しているということで
それは「日常の延長線上」に過ぎないのではないかと思ってしまいます。
スマートフォンで様々な情報を調べらることが出来、交通手段の確保も容易、泊るところも事前に予約。
ここまで来ると、少しいい方は悪いですが
現代の人の多くが行っていることって
「旅行」じゃなくて、
興味があって、調べたところの「事実確認」
に過ぎないのではないでしょうか。
はい。調べました。
へぇ。こんな場所なんですね。
終わり。
観光は経済活動を促進したり、外貨獲得の一手段としては確かに有用だ。
でも、真の意味での非日常を体験せず、旅行業者の進めるがままに観光をしているのでは、それは国民の文化や教養に資することが出来ていると言えるのだろうか?
観光も、消費というシステムの一環に成り果てていないだろうか?
まぁ、
全部が全部このようなものではないと思いますが、「旅行」さえも「日常」「システム」に飲み込まれてしまうなら、
私たちの「非日常」ってどこに存在するのでしょうか・・・?
と
今日も大学生は思い巡らす。
サポートするお金があるのなら、本当に必要としている人に贈ってくだせぇ。